ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「自己探究」から「安寧でいられる自分」へ

2014-09-20 09:08:00 | インポート

 

2日にわたってゲシュタルト療法のことを書きました。

 

それは私にとって大きな気付きでもありました。

 

“今ここ”の感覚を大切にすることは、「なぜ?」と原因究明をしないことから始まる――――。

 

それは実際には何年も前に表現アートセラピーのワークショップで体験はしていたことでした。

 

けれどその進め方には「どうしてだろう?」と不満が残ったものの正体が今、ぱあっと目の前が開けたように納得できました。
「気づきのセラピー」の本には、ゲシュタルト療法で用いられる具体的なワークも何種類か紹介してあったのですが、そのなかで「あ! これはレベル4の必修コースであるラハシャ博士の『カウンセリングスキル』でやったワークと同じだ! そうか・・ あれは、ゲシュタルト療法を応用していたのか・・」ということに気付いたりもしました。

 

何だかずっとどこかへ置き去りとなっていたパズルのピースが、「あ! ここだったんだ。」とピチッ、ピチッと嵌っていく感じ。



それは快感のようでもあるけれども、無上の喜びというのとはちょっと違う。

 

今回このことを私は「気づきのセラピー」という本を読んで気付いたのですが、大切なことは文献ではなくもっと解放が起こるような形で知りたかった、という気持ちと、なぁんだ、あれらのワークはまったくオリジナルなものではなくて、ほかのセラピーのエッセンスを持ち込んだものだったのか、というちょっとした失望とで・・・。(苦笑)

 

そこに加えて、内容さえ満足であればそれの出典がどこであろうとそんなことを知る必要はなにもなかったのではないか、という気持ちがないまぜになって・・・なんだか複雑な気分です。



それと今回もう1つ大きな気付きがありました。

 

それは、私のテーマに変化があった、ということに気付けたという点です。

 

これまで私は「自己探究」がテーマだ、と思って生きてきました。

 

自分の内面をもっと深く掘り下げて観てみたい。

 

そのためにはオーラソーマというツールはうってつけのものだ、と思っていました。

 

もちろん、世の中にはまだまだほかにも優れたツールはあるだろうけれども、私にとってはこれはぴったりだったなぁ、と思ってきたわけです。

 

つまり、私にとっては自己探究するにはオーラソーマが絶対必要。

 

そしてそのオーラソーマシステムそのものも色んなものとつながりがあって奥深いから、こちらもまた探究すべきことが山ほどある。

 

「探究する」「探求する」「探検する」ということにおいて、“自分”という素材とオーラソーマという素材は呼応しあうかのように、両方ともを探究していくことが楽しくて仕方がなかったのです。



しかし、ここ1年ほどの間でしょうか。

 

オーラソーマシステムが持つ究極のテーマって、「今ここ」ってことと、「ありのまま」ってことと「受容」ってことじゃないか、と思いはじめました。

 

うすうすそうは思ってきたものが、もう確信のように、いや、そうに違いない、ってくらいに固まってきました。

 

と同時に、私のライフワークはどうやら「自己探究」ではなくて、どんなライフステージにあってもいかに安寧な自分でいられるか、そのためにはどうしたらいいのか、ということだな、というように変わってきていることにも気付き始めました。

 

誰にも、何事にも惑わされたくない。

 

何事にも動揺せず、センタリングしている自分でいるためにはどうしたらいいのか。

 

そのために「今ここ」と「ありのまま」と「受容」が必要なんじゃないか。

 

それが本当に理解できて、実践できるようになりたい。

 

そう思うようになったのです。

 




そして、私にとってオーラソーマはそれを実践できるようになるためのツールではないな、と思い始めたのです。

 

オーラソーマは自分自身をそのまま映し出す鏡だから、あくまでも私といつもともに歩んでくれる友のようなもの。

 

友に「私がいつも安寧でいられるようにしてくれ。」などという多大な重荷を背負させるわけにはいかないでしょう。

 

あなたはただそばにいてくれればいいのよ、って感じ。



ただ、では私がオーラソーマを捨てたのかとか離れるのか、というとそうではありません。

 

なにせ親友なわけですからね。

 

そんな簡単には離れませんよ。

 

これからもずっとそばにはいてもらいます(笑)

 

ボトルやポマンダーたちも変わらずに使い続けますよ~

 

それにここまで私を導いてくれたものもオーラソーマですからね。

 

オーラソーマのコースやシェアリングデーに出ることによって気付いてきたことですから。

 

これからもコースやシェアリングデーには出ますよぉ。

 

けれど、以前のように「オーラソーマ」と名がつけば、なんでもかんでも知りたい、出たい、取りたい、という感じではなくなってきました。

 

前はね、オーラソーマをやっていて、オーラソーマ界のはしっこに身を置くかぎりは、その全貌を知りたい、という意気込みだったのです。

 

だから、「カバラと72の天使のコース」もとったし、「バタフライ&シーエッセンス」もとったし、「クリスタルマスターズコース」もとったし、「ビーマーライトペン」もとった。

 

オーラソーマから出ている製品とあらば、今ではあまり誰も推奨していないコスメティックなどもひととおり購入してみた。

 

けれど、今は何でもかんでもがむしゃらに取り入れたい、という感じではなくなりました。

 




でもそれはオーラソーマに限らずなんだなぁ。

 

これまで私は興味深いものに出会うと、「とりあえずもっと知りたい!」とそれに関する本を何冊も読み漁ったり、そしてコースやワークショップがあることを知ると出てみたくなったり、色んなコースが用意されたなかで「初心者向け」とか「とりあえずの体験」というものよりは、どうせやるならそれをじっくりと学ぶことが出来るコース、本格的にこの道を目指す人のためのコースを履修しよう、という傾向がありました。

 

今回だって今までの私だったら、マインドフルセラピーにしても、ゲシュタルト療法にしてもすぐに調べて、何かのワークショップなりコースなりを受けてみようとしていたでしょうねぇ。(実際に興味深いコースがあることはすぐにわかりましたし)

 

でも不思議とそこまで突っ込んで学ぼうとは思わない。

 




それはある意味、何を学んでも、どこからアプローチしようとも、行きつく先は同じなのだから、とちょいと悠然と構えていられるようになったということかもしれません。

 

今ここでこれに出会ったということは、私にやれ、ということだ!とばかりに狂おしいほどに閃光を追いかける、という行動はとらなくなりました。

 

何を学んでも(どうやらこれはホンモノだぞ・・!)という匂いのするものはその核となる部分は同じテーマを抱えているのだ、ということがわかってきたからです。

 

だからこそ、すべては無限大のループを描くように何をやっても最後は理屈抜きにただ「なんかわからないけど好き!」っていうものに戻ってくるのかもしれません。

 

私はもう、どこかへ行こうとはしていない。

 

であればこそ、「自己探究」という自分の内面を観る、ということにまた戻ってくるのかもしれません。

 

それもまた、よし。

なんだか・・ 何言ってるかよくわかりませんね。

ハハ、それもまたよし、としておくか。




この変化が私自身に新たな何をもたらそうとしているのか、いまはまだおぼろげではありますが、とても楽しみです。

 

もうすぐB66「アクトレス」を使い終わります。

 

今度はちょっとこの余韻を楽しむために、少しだけですが次のボトルに行くまで時間を空けたいような気がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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