オーラソーマのシェアリングデーなどに出掛け、新たな友人が出来たり、自分とは違うかたちでオーラソーマに触れてきたプロセスを生徒さんから聞いたりするのは楽しいことです。
しかし、その反対に違和感を覚えることも時にあるんです。
例えば、ずいぶん何年も前の話になりますが、私があるティーチャーのところでコースを受けていたとき、たまたま遠方からの方でこの日の分だけが以前には事情があって出られなかったので、今日だけ参りました、ということで参加されていた方がいました。
そのスクールでは下がフローリングで生徒には椅子が用意されていました。
すると、その遠方からの1日参加の方が授業の途中で、ティーチャーに何の断りもなくいきなり椅子から離れ、床のフローリングに腹ばいになって授業を受けだしたのでした。
私はびっくりしましたが、ティーチャーは全然意に介してない様子でした。
ほかの生徒の人たちも私と同じようにびっくりした人もいたかもしれません。
でも私とてそうですが、外見からして「この人いまぶったまげてる!」という様子をありありとほかの人が見てもわかる、というような人はいませんでした。
ティーブレイクとなったとき、私はその人に、
「ああいうの、ありなの?」と聞いてみました。
すると、その人はいかにも意外なことを言われた、というように、
「へ? だって私がこれまでに受けてたティーチャーのところではそうだったよ。一応椅子もあったけど、床に直接座ってもよし、腹ばいになってもよし、何でもOKだったから。」と説明してくれました。
そのときに私は初めて(へぇ、そういうのもありなんだ。)と知りました。
けれど、実際私はやらないな・・とも思っていました。
地べたに座るしかなかったときに、
「すみません。椅子はないですか?」ということはありえるかもしれない。
膝が痛かったり腰が悪かったりすると、地べたに座る、っていうのは案外辛いものなんです。
何かの持病で、その逆を乞う人もいるかもしれない。
椅子が用意されているけれど、地べたに座っちゃってもいいですか?っていう人。
でも、それらはその人の体の状態を考えてのことでしょう。
腹ばいや仰向けはないだろうよ、と思いました。
それは単にティーチャーや一緒に受けている仲間に失礼なだけじゃないか、お行儀が悪いだけじゃないか、と思う私は古い人間だからでしょうか・・
今でこそ予備校のスタイルなどでは当たり前となっている教師が教壇に座って足をぶらぶらさせながら教える、っていうのも最初に洋画でその様子を見たときにはびっくりしましたからねぇ。
私の世代にとって教師が聖職であると同時に、教壇は「聖域」です。
そこに教師自らがお尻ですわっちゃって、それで生徒に示しがつくわけぇ?と思ったのでした。
僧侶が後ろ足で仏壇に砂かけてるようなものじゃないか、って。
しかし、腹ばいになって受けたっていいのよ~というオーラソーマのスタイルについても、どうやら欧米から輸入されたものらしい、ということをその後聞きました。
「オーラソーマは自由なのよ、っていうのをそういう気風で表したかったんじゃない。」と私に説明してくれた仲間がいましたが、それでも私は(欧米じゃあ、当たり前ならそれはそれでいいけれど、それは日本では当たり前じゃないと思うけどなぁ。)という気持ちがぬぐえませんでした。
そして今。
どこへ行っても、「腹ばいになって授業を受けたい人はそれならそれでいいのよぉ。」というスクールは見受けられなくなった、と聞きます。(結構あちこち色んなシェアリングデーに出掛ける私ではありますがそれでもまだ、うかがっていないスクールの方が圧倒的に多いですからね。まだそういうスタイルのところもあるのかもしれませんが。)
ティーチャーがあえて断らないだけかもしれませんが。
あるティーチャーが、
「結局あれもね~、やっぱり腹ばいまではどうかと思うわよ、ってことになったんじゃない?」とおっしゃってました。
欧米で発祥したものだから、って無理に日本人にとってはちょっとそれは抵抗あるなぁ、ってものを持ち込まなくてもいいと思うんですよね。
今はあまり腹ばいはOKというところはなくなっているなら、私の違和感を同じように違和感として感じる人のほうが多かったわけだ。
もう1つ。
授業で寝ちゃう人がいますよね。
それに対してオーラソーマのティーチャーは容認の人が多いように思います。
しかし、私にしてみればあれも違和感おぼえるんですよね。
思わず居眠りしちゃう、ってことについては誰にだってあることでしょうからいきなり、
「こらぁ! そこ、何寝てる!」って叱り飛ばす限りでないのはわかります。
その人は前日、何か大変なことがあってあまり睡眠がとれていないのかもしれない。
普通だったらとても授業に出られるようなところではないのに、それでもそれを押してでも出たいから、と頑張ってやってきているのかもしれない。
それを思うと、ね。
多少思いやりの気持ちがあっても良いのはわかります。
けれど、「いいの、いいの。寝かせておいてあげて。」とまで言うのはどうなんでしょうか・・・?
その人も思わず居眠っちゃったけれど、授業を聞きたいからこそ来てるんだから起こしてあげた方が親切じゃないのか?とも思いますし・・
一緒に授業を受けている身としても起こしてあげたほうが親切なのか、見てみぬふりをしているのはあまりにも他人行儀じゃないのか、とか内心で考えてしまって集中力がそがれます。
それに教える側としては、居眠りをされるということは、
「私の授業が眠っちゃうほどつまらないってこと?」と自信をなくしはしないだろうか、と落ち込んでしまいます。
これは私が「授業を受ける側」の人間だ、ということだけではなくて、ふだん接客講師などで「教える側」の人間もやっている、ということもあるからでしょう。
そこが、気になる。
実際に、自分は「面白い! 引き込まれる。」と興味深く受けている授業に対して、隣で居眠られると「え・・? ひょっとしてこの授業って、つまらない・・んですか?」なんて気にだんだんなってきちゃったりして・・
そういう空気が教室中に伝わるんでしょうね。
私が接客講師をしているこれまででも、居眠りされたことは何度もありますが(とほほ。)、ひとり堂々と居眠りしているな、という人間が出現すると、明らかに教室の空気が悪くなります。
だから私としては、居眠りしている人がいたら、そっとトントンしてあげて、はっとその人が気付いたら、
「大丈夫? 授業聞かないともったいないよ。」ぐらいの優しい起こし方をしてあげたい、と思うんですけどね。
寝ている生徒がいても全く起こさないティーチャー、それどころか積極的に「寝かせておいてあげて。」と言うティーチャーは、どういうつもりでそういう態度をとるんだろう? と考えたとき、私にはその答えが読めません。
いくらエーテル体やアストラル体の理解を取り入れてるからってですね~
「いいのよ、寝ているのは肉体だけでちゃんとこの人のエーテル体は聞いています。」ってことですかぁ?
良い人でない私に想像がつくのはせいぜい、「いい人って思われたいのか?」ってことぐらいです。
「いいよ、いいよ~ 寝てて。」って言うより、起こしてあげることのほうが勇気がいることだと思うんですよね。
「いいよ、いいよ~」って言ってそのままにしておいて、「何ていい先生!」って思われるなら、そりゃあそのほうがラクでいいですもん。
これが違和感を感じてることの2つめです。
でもな~
私はやっぱり他の生徒さんに伝播する空気を考えると、居眠りする人だけの問題じゃないから起こしてあげてほしいな~と思うんですけどね。
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