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メルマガオフ会 vol.2
「一歩踏み込んだヴィジョンマップづくり」
自分の夢、将来こんな生活を送っていたらいいなぁ!
を実現に向けて
ヴィジョンマップをつくりましょう。
視覚化することによって、より現実に近づけることができます。
---------
でもちょっと待って!これまでにもヴィジョンマップって作ったことがあるけれど、
作りっ放しだなぁ・・
作ってくるときは楽しいけれど、
それが実現するってことはなかったなぁ、って方、
ひょっとしていらっしゃいます?
---------
それはね、やっぱりコツがあるんです。
「これ、ステキ~♡」という写真を雑誌から切り抜いて貼っただけ、
というのでは片手落ち。
ヴィジョンマップがほんとうに“活きた”ものとして、
あなたの夢を叶えてくれるためには
マップを作る前にやることがあります。
具体的にお教えします。
今、まだ自分の夢がぼんやりとしていてまとまりがないの、と
おっしゃる方も大丈夫。
コツを聞いてそのとおりに進めて行けば
必ず夢が見えてきます。
そのセミナー兼マップづくりのワークショップ開催いたします。
本格的に動き出したい! ○○までには絶対こうなっていたい! という方、ぜひお越しください。
--------------------------------------------
日時: 願望オーダーの日に最適な 4月24日(火)
10:30~17:30
(ランチ休憩1時間、ティーブレイクあり)
※ランチは持ち込んでいただいても、時間内に
外へ食べに行っても自由です。
※終了時間は作業の進み具合によって多少前後する
場合があります。お時間には余裕をもってスケ
ジューリングをお願いいたします。
場所: ヒーリングサロン 「些々羅」
岐阜市南庁舎近く
※JR岐阜駅からバスで6分 徒歩20分
名鉄岐阜駅からバスで5分 徒歩15分
参加費: ☆メルマガ読者様 ¥8000(税込)
☆ 一般の方 ¥10000(税込)
※ただし、参加までにメルマガ登録していただければ読者価格となります。
ヴィジョンマップ用コルクパネル、
コラージュ用の写真、雑誌、材料すべて込み、
お茶、お茶菓子付
募集人数: 限定4名様 残席2名様
お申込み・お問い合わせは、 chakra@aura-soma.name までお気軽に。
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「輝きを増す自分創造の泉 メール講座」の詳細とご登録はこちら
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/bd/557691e4b5f81b9bf85c1bf6ef433b78.jpg)
<このメールを購読するとどんなメリットがあるの?>
*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。
*日々に感謝の気持ちが強くなります。
*人生における自分の選択に自信がもてるようになる
*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます
*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。
*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。
*インスピレーションや直感が研ぎ澄まされます。
*目標が明確になります。
*他人が敷いたレールではなく、自分自身で選んだ道を歩きだせるようになります。
*******************************************
昨日は「潜在意識活性メンタル育成講座」のなかのタイムラインヒーリングセラピーの「制限された決断編」で、わたしは「私はお金が稼げない」という制限についてワークし、その原初となる母が幼い頃貧乏な家庭に育ったという記憶を思い出し、その記憶がどうして私の「稼いじゃいけない」という制限に結びついているのかわからない、とアタマではさっぱりわからなかったのにほんの一瞬でハッ!と気付いた、というところまで書きました。
それは、「母の家庭は貧乏だったかもしれないけれど、決して冷ややかで辛い家庭ではなかった」ということです。
母から2,3聞いた貧乏話すら、現代っ子であった私には実感がわかないというのは当然だとしても、その当時ですら最下層の貧乏状況ではなかったのではないか?と思われました。
だって、
「芋のツルばかりが味噌汁の具だった」とか、
「卵が貴重品だった」
という話は聞いても、
「なんにも食べられない日もあった」までは聞いたことがなかったからです。
母が幼い頃を過ごした時代は戦後の混乱期ですし、そういう意味では日本中が混沌として皆が貧乏から這い上がろうとしていた時期だったと思うので、まぁ、横並びの貧乏って程度じゃないの、と思っていました。
それでも、早くに夫を亡くし5人も6人もの子どもを女手ひとつで育てなければなかった祖母は、今の時代だとしても大変でしょうからその時代だったらもっと大変なことは間違いなかったのでした。
けれど、私の覚えている限り、祖母はいつもにこやかだった。
そしてサバサバした性格だった。
私はおばあちゃんが大好きでしたが、母もまた自分の母親である私にとっての祖母とは仲が良かったようですし、「好きだった」とはっきり言える間柄だったと思います。
つまり、母は贅沢な暮らしは出来なかったかもしれないけれど、少なくとも大勢の姉妹に囲まれ、女丈夫な母に守られ幸せな子ども時代だったのです。
そのせいか、今でも私は小さなバラック小屋のような家を見ると、なぜか懐かしいようなほのぼのとした気持ちとなり、
「こんな家でもいいんだよなぁ」、ううん、もっと積極的に、
「こんな家に住みたいなぁ」
とさえ思うことがあります。
そしてその反面、父の育った環境は裕福でした。
母が
「芋のツルばかりが味噌汁の具だった」
と言っている横で、
「ふぅん、俺はその当時でも結構トンカツ食ってたな」
なんて言っていました。
戦後の裕福さがまたまた想像できない私でも、「結構トンカツが御膳に上った」という家庭はさぞや裕福だったのでは、と想像に難くありません。
しかも父専用の女中さんまで居たと言うのですから。
しかし、父は養子に出された家庭で育ちました。
その家では普通に大切にされたようですが、あまり両親の愛情を感じた様子はありません。
父もサバサバとした性格でしたので、そのことで落ち込んだり気にやんだりということはなかった、と言っていましたが、あまり血縁に愛情を感じない家庭環境のなかに育ったとはいえると思います。
だから父の幼い頃の話を聞いても、全然イマジネーションが湧きませんでした。
それがどんな家だったのか・・
どんな雰囲気だったのか・・
父を取り巻く人たちに表情がない・・
そんな感じでした。
だから私はぼんやりと幼心に父と母のそれぞれの話を自分のなかでミックスさせて、その結果、
「貧しくても幸せな家庭であれば良い。裕福でも人の心のぬくもりが感じられないような家庭では意味がない。だから私は裕福になる必要なんてないんだ。」
と自分の心の奥底では決めていたんだ! ということに気付いたんです。
書いてみると、これだけの分量を書くのにも何10分かかかるのに、それはほんとにほんの一瞬の出来事でした。
「あ・・! わかっちゃった」
と私は思わず口に出して言い、ペアの方も
「え? ほんとに?」
と言ったほどでした。
私の小さい頃にはアニメや漫画や小説でも、「根性もの」とか、「貧しくても努力して生きれば最後には幸せになる」という手の話がはびこっていました。
もう、それオンリーと言ってもいい。
今でも人気のディズニーの「シンデレラ」だってそうですし、「小公女」「小公子」「オリバー!」・・・etc.bu
だから私と同年代の方がたには私と同じような、「お金の多寡によって幸せは測れるものじゃない」という概念を持っている方は多いのではないか、と思います。
「お金の多寡によって幸せは測れるものじゃない」
そう、そのとおり。
そこまではいいんです。
「貧しくても幸せ」があると同様に「お金持ちでも不幸せ」はありえる。
だから「貧乏=不幸せ」、「お金持ち=幸せ」とは限らない。
ここまではいい。
けれど、だからといって何もお金を否定する必要もないことは火を見るよりも明らかです。
でも、幼い私は“温かいもの”を求めるなら、“お金”は排除しなくてはいけないもの、となぜか「決めた」のでしょう。
その事例を眼の前の一番毎日一緒にいる人たちに見てしまったから。
そして私はタイムラインから戻ってきました。
とってもすっきりしていました。
なんだかんだ言っても私は思考派ですから、そのときの感情を味わい尽くしてすっきりしているのか、長年理由がわからなかったことに「名前」がついてすっきりしているのかはよくわかりません。
でもまぁ、すっきりしたのならよしとします。
しかし、
「貧しくても心が温かいほうがいい」に決まっていますけれども、「裕福で心も温かい」が築けるならばそのほうが良いに決まっています。
だから私はもうその制限を外すことを決めました。
その制限を外すことになんの痛みもない。
あるわけがない。
そんな決めごとを外すのに、誰も傷つけないしむしろみんなが幸せになるような決断にシフトするだけだもん。
そう思った私にペアを組んでくれた人が言いました。
「でも、えっちゃんは別にあえて稼がなくてもいいや、って思ってるじゃない?
ごめん、言い方がへんかもしれないけれど、そこをそこまで重要視しているわけじゃない、っていうか・・ 楽しく自己実現できた先にお金がついてこればそれにこしたことはないだろうけれども、ついてこなければそれはそれでもいいっていうか・・ 楽しく自己実現、までが大切なだけなんだと思う。」
と。
なんて鋭い発言なんだ・・!
そのとおり、とまたすぐに納得してしまいました。
まぁいいさ。
“どうせ最後には成功することが決まっちゃってるんだから”
というこの宇宙の口ぐせを唱えながら気楽にいこう、と思ったことでした。
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おっしゃる方も大丈夫。
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日時: 願望オーダーの日に最適な 4月24日(火)
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※ランチは持ち込んでいただいても、時間内に
外へ食べに行っても自由です。
※終了時間は作業の進み具合によって多少前後する
場合があります。お時間には余裕をもってスケ
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場所: ヒーリングサロン 「些々羅」
岐阜市南庁舎近く
※JR岐阜駅からバスで6分 徒歩20分
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参加費: ☆メルマガ読者様 ¥8000(税込)
☆ 一般の方 ¥10000(税込)
※ただし、参加までにメルマガ登録していただければ読者価格となります。
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それは、「母の家庭は貧乏だったかもしれないけれど、決して冷ややかで辛い家庭ではなかった」ということです。
母から2,3聞いた貧乏話すら、現代っ子であった私には実感がわかないというのは当然だとしても、その当時ですら最下層の貧乏状況ではなかったのではないか?と思われました。
だって、
「芋のツルばかりが味噌汁の具だった」とか、
「卵が貴重品だった」
という話は聞いても、
「なんにも食べられない日もあった」までは聞いたことがなかったからです。
母が幼い頃を過ごした時代は戦後の混乱期ですし、そういう意味では日本中が混沌として皆が貧乏から這い上がろうとしていた時期だったと思うので、まぁ、横並びの貧乏って程度じゃないの、と思っていました。
それでも、早くに夫を亡くし5人も6人もの子どもを女手ひとつで育てなければなかった祖母は、今の時代だとしても大変でしょうからその時代だったらもっと大変なことは間違いなかったのでした。
けれど、私の覚えている限り、祖母はいつもにこやかだった。
そしてサバサバした性格だった。
私はおばあちゃんが大好きでしたが、母もまた自分の母親である私にとっての祖母とは仲が良かったようですし、「好きだった」とはっきり言える間柄だったと思います。
つまり、母は贅沢な暮らしは出来なかったかもしれないけれど、少なくとも大勢の姉妹に囲まれ、女丈夫な母に守られ幸せな子ども時代だったのです。
そのせいか、今でも私は小さなバラック小屋のような家を見ると、なぜか懐かしいようなほのぼのとした気持ちとなり、
「こんな家でもいいんだよなぁ」、ううん、もっと積極的に、
「こんな家に住みたいなぁ」
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そしてその反面、父の育った環境は裕福でした。
母が
「芋のツルばかりが味噌汁の具だった」
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「ふぅん、俺はその当時でも結構トンカツ食ってたな」
なんて言っていました。
戦後の裕福さがまたまた想像できない私でも、「結構トンカツが御膳に上った」という家庭はさぞや裕福だったのでは、と想像に難くありません。
しかも父専用の女中さんまで居たと言うのですから。
しかし、父は養子に出された家庭で育ちました。
その家では普通に大切にされたようですが、あまり両親の愛情を感じた様子はありません。
父もサバサバとした性格でしたので、そのことで落ち込んだり気にやんだりということはなかった、と言っていましたが、あまり血縁に愛情を感じない家庭環境のなかに育ったとはいえると思います。
だから父の幼い頃の話を聞いても、全然イマジネーションが湧きませんでした。
それがどんな家だったのか・・
どんな雰囲気だったのか・・
父を取り巻く人たちに表情がない・・
そんな感じでした。
だから私はぼんやりと幼心に父と母のそれぞれの話を自分のなかでミックスさせて、その結果、
「貧しくても幸せな家庭であれば良い。裕福でも人の心のぬくもりが感じられないような家庭では意味がない。だから私は裕福になる必要なんてないんだ。」
と自分の心の奥底では決めていたんだ! ということに気付いたんです。
書いてみると、これだけの分量を書くのにも何10分かかかるのに、それはほんとにほんの一瞬の出来事でした。
「あ・・! わかっちゃった」
と私は思わず口に出して言い、ペアの方も
「え? ほんとに?」
と言ったほどでした。
私の小さい頃にはアニメや漫画や小説でも、「根性もの」とか、「貧しくても努力して生きれば最後には幸せになる」という手の話がはびこっていました。
もう、それオンリーと言ってもいい。
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だから私と同年代の方がたには私と同じような、「お金の多寡によって幸せは測れるものじゃない」という概念を持っている方は多いのではないか、と思います。
「お金の多寡によって幸せは測れるものじゃない」
そう、そのとおり。
そこまではいいんです。
「貧しくても幸せ」があると同様に「お金持ちでも不幸せ」はありえる。
だから「貧乏=不幸せ」、「お金持ち=幸せ」とは限らない。
ここまではいい。
けれど、だからといって何もお金を否定する必要もないことは火を見るよりも明らかです。
でも、幼い私は“温かいもの”を求めるなら、“お金”は排除しなくてはいけないもの、となぜか「決めた」のでしょう。
その事例を眼の前の一番毎日一緒にいる人たちに見てしまったから。
そして私はタイムラインから戻ってきました。
とってもすっきりしていました。
なんだかんだ言っても私は思考派ですから、そのときの感情を味わい尽くしてすっきりしているのか、長年理由がわからなかったことに「名前」がついてすっきりしているのかはよくわかりません。
でもまぁ、すっきりしたのならよしとします。
しかし、
「貧しくても心が温かいほうがいい」に決まっていますけれども、「裕福で心も温かい」が築けるならばそのほうが良いに決まっています。
だから私はもうその制限を外すことを決めました。
その制限を外すことになんの痛みもない。
あるわけがない。
そんな決めごとを外すのに、誰も傷つけないしむしろみんなが幸せになるような決断にシフトするだけだもん。
そう思った私にペアを組んでくれた人が言いました。
「でも、えっちゃんは別にあえて稼がなくてもいいや、って思ってるじゃない?
ごめん、言い方がへんかもしれないけれど、そこをそこまで重要視しているわけじゃない、っていうか・・ 楽しく自己実現できた先にお金がついてこればそれにこしたことはないだろうけれども、ついてこなければそれはそれでもいいっていうか・・ 楽しく自己実現、までが大切なだけなんだと思う。」
と。
なんて鋭い発言なんだ・・!
そのとおり、とまたすぐに納得してしまいました。
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“どうせ最後には成功することが決まっちゃってるんだから”
というこの宇宙の口ぐせを唱えながら気楽にいこう、と思ったことでした。