ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

9年目の結婚記念日

2015-02-28 09:05:33 | 身辺雑事
先日の2月23日は私たちの結婚記念日でした。
9年目に突入しました。
8年が経過したわけです。
「短かった」。
きっぱりとそういう印象です。
「短かったような気もするし、長かったような気もするし」ではありません。
きっぱりと、「短かった」。



これはありがたいことです。
人が「あ~、今日は何だか1日がとても長く感じたなぁ。」というときというものはたいていがものすごくめまぐるしくいろんなことを体験したりして、充実していた日のことではないでしょうかねぇ。
そう思うと結婚生活が短く感じるということは、私たちが「取り立てて事もなく穏やかに過ごせてきた」証明でもあると思うのです。
ま、実際そうだったし。
自分自身の魂の成長のためには「わぁ~!」というような体験が日々あることのほうが喜ばしいことですが、2人の関係性においては何事もなくつつがなく暮らせた、ということが何よりです。



さて、結婚記念日は毎年「その日の夕食はちょっと豪華な外食にする」だけで終わりでした。
しかし、今年は私はダーリンにネーム入りのゴルフボールをプレゼントしました。
「これをあげよう。」と決めていたわけではなく、たまたまゴルフショップを訪れたときイベントでその場で名前を入れることができる、とやっていたので、ならば、とプレゼントすることを決めたのでした。
その晩、ダーリンが帰ってきたときにそれを渡したら、ことのほか喜んでくれました。
そして、
「俺は何も用意していなかったな・・・ どうしよう。明日は花でも買ってくるかな。」
と言いました。
私は「いいよ、いいよ。わたしがあげたからって何も絶対にお返ししなきゃ、って思わなくてもいいよ。うん、でもお花を飾るのもたまにはいいね。」
と言いました。
だから次の日は、お花を買って来てくれるのかな、と思っていたんです。



しかしダーリンが記念日に帰ってきたときに私に、
「ハイ、いつもありがとう。」
と渡してくれたのは、なんと新しいドライバーでした。
ドライバーってあのネジをこじあけるドライバーじゃありませんよ。
ゴルフで使う1番ウッドのことです。
「えぇ! こんな高いもの!」
と私はサプライズプレゼントにびっくり。
別に私は常日頃、新しいドライバーが欲しいなぁ、とつぶやいていたわけではありません。
むしろ今のドライバーが自分には合っていると思っていて気に入って使っています。
それがなんでドライバー?とは思ったものの、せっかく買って来てくれたので、何とか使いこなせるようにしようと思いました。



そして私たちは結婚記念日の夜、回らないお寿司を食べに行きました。
このくらいが精一杯の私たちの贅沢です。
こうしてダーリンと外食をするたびに幸せだなぁ、と思うのです。
それは仲よく談笑しながら食を進めることができるから。
男の人ってたまに物も言わずにひたすら黙々と食べる人っていますよね。
あれ、絶対小さい頃に「食事中はおしゃべりをせず黙って食べろ。」という教育のせいではないと思います。
確かに私たちぐらいの世代はそういう教育を受けてきたものですが(うちの父親は反対でした。共働きで忙しくいつも同じ食卓を囲むことがなかったせいもありますが、たまの外食などではなんかしゃべろ、と言われました。)、その教えを今も忠実に守っているからもうそういう癖がついちゃっているんだよ、ということではなくて、ただひたすらある程度お腹の容量を満たすまではがーっと食べちゃわないと気が済まない、というだけだという気がします。



私はああいう男の人、苦手なんですよね。
昔、仕事関係の男の人で、
「うちの女房、料理が苦手でさ~、あんまり作ってくれないんだよね。」
と言っていた人がいて、そうなんだ~と思っていたら、あるときその人と一緒に会食をする機会があったのでせめて食事を楽しみましょう、と思っていたら、まさにこの人、そのタイプでした。
がーっとひたすら何にも言わずにものの10分くらいで目の前にあるものはすべて食べてしまうんです。
そしてふーっ、あー、食った、食ったという顔をしている。
こちらはそのペースについていけなくてまだ全然食べてる途中だというのに。
そのとき、(あぁ、悪いけれど、この人の奥さんが作る気にもなりゃしない、という気持ちもわかるわ。お料理はどんなに簡単なものだって、毎日30~40分はかかる。それをものも言わずに5分か10分で平らげられたら、毎日の私の苦労はなんなの?って思うもんなぁ。)と思いました。
でも、本人は全然気づいていないんですよね、その相手との気持ちのギャップに。
そのせいかどうかは知りませんが、その人はその後、離婚してしまいました。



あまりに話に夢中になってせっかく温かいものが温かく供されているのにいつまでも手を付けないとか、小鳥が食べるほどの量を箸でいつまでも突っつきまわすというような食べ方にも閉口しますが、食事はやはりある程度おしゃべりしながら楽しむに限る。
それも、
「これ、おいしいね~! どうやって作るんだろ?」とか、
「このお寿司は海苔がほんとにパリッパリだね!」とか、
「う~ん、ダシが効いてるね!」とか、そのお料理についての感想を口にしながらの話題が一番いい。
特にじっくりと話し合う、というほどの重いテーマでないのが一番いい。
気付いたら、あれ? 何話してたんだっけ、私たち?というくらいが一番いい。
けれども気付いたら時間は結構経ってたね、というのが理想。



ダーリンがそれが出来る相手でよかった~としみじみ思います。
やっぱり食べるっていうことは毎日毎日のことだから、この部分においての趣味や考え方が合わないと辛いものね。
そんなこんなでまたまた「あれ? いつのまにかこんな時間だね。」と言って短く感じる時を過ごしながら1年経っていくのを願うばかりです。






*******************************************

  ★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
   ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」
   をクリックしてください。
   アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
     ※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
  ★表現アートセラピー、パステルアートのワークショップなどそれ以外の情報・HPは、
   →http://sasara.info
  ★アニマルコミュニケーション関係は、
    ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「アニマルパートナーの言霊」を
    クリックしてください。
    アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan9015
  ★全国一律1品から送料無料
    お支払いの方法は振り込みです。
    振込先はゆうちょ銀行と普通銀行があります。
    ゆうちょ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
    が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
    製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
    決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
    ご了承ください。

   すべて、お問い合わせは
     chakra@aura-soma.name
    までお気軽にどうぞ!

*******************************************



中国人の爆買いに思う

2015-02-27 09:01:47 | ニュース
中国の春節が終わって、日本での爆買いを終えた中国人の方がたがお帰りになったようですね。
ワイドショーやニュースなどで彼らの買い物のものすごさをご覧になった方もいらっしゃることでしょう。
実は私も今回初めて知りました。



約束の時間を大幅にオーバーしても買い物に夢中で集合時間に現れないとか、格安のエアラインを取っておきながら「海外旅行の手荷物は23㎏までOKのはずだろーが!」とすごむ人など(格安エアラインの場合は13㎏までらしいです。各社によって違うのかもしれませんが、たいていは通常より軽いものしか載せられなくて当たり前、だから格安なんですから。)、マナーの悪さなどに関する報道はこの際、ま、ちょっと置いておいて、と。
この中国人の爆買いの様子を見ていて、私は
「30年前くらいの日本人もこれに似たような感じではなかったかなぁ。」
とある種懐かしいような感慨を覚えました。
そして同時に、
「日本と言う国は完全に成熟期(衰退期と言い換えてもいいでしょう。)に入ったんだなぁ。」
とも。



私が初めて海外旅行に出かけたのは大学生のときでした。
それから20代のうちに何回くらい行ったかなぁ・・・。
5本の指では数えられないけれど、10本だと余るかなぁぐらい行ったかなぁ。
ま、要するに結果的には1年に1回ぐらいの割合で出かけた、ってことですね。
けれど行くたびに心のどこかにいつも
「海外旅行なんてこれが最後かもしれない。」
という特別感がありました。
そして行ったら行ったで、「しまった! あのときもっとあそこへ行っておけばよかった。」とか、「あれ、買っておけばよかった。」という後悔だけはしないようにと、できるだけスケジュールは詰め込み、お土産に使うお金も何万程度ではなく、10万以上は使ったと思います。



そう考えると日本を訪れる中国の人たちのことをとやかく言えるか?と思います。
彼らとて春節のたびごとに日本に来るわけではあるまい。
来年は欧米へ行こう、アフリカへでも行こうとか思っているかもしれない。
だから人生において日本に来ることなどそうそう何回もないかもしれないぞ、という切羽詰まった感じがあの爆買いに走らせるのではないか、と思うのです。
何十万と使っていくお金にしたところが、「中国は豊かになった。」というだけでは片づけられないものがあるような気がします。
もちろん、中国のお金持ちはほんとにものすごいお金持ちらしいですが、一般の庶民は何十万というお金を始終買い物に使えるほどではないのでは?と思うのです。
自分が20代のときに海外旅行に行くと、ボーナスが飛んでしまってもやっぱり10万以上の買い物をしてしまったことを考えると、彼らとて余裕ありまくりというわけではないけれど「今度いつ来られるかわからないから・・」ということで買っちゃうのではないかなぁ。



それと中国の春節というのがどれくらいすさまじいお祭りなのか知りませんが、30年前の日本だって「お正月」と言えばそんなものだったよなぁ、とも思います。
私はその頃、ある大手小売業に勤めていたわけですが、年末になると「下着のパック売り大セール」というのがたいていありました。
それがパカパカと面白いように売れるんです。
皆さん、家族全員の分をカートに山積みにしていましたよ。
日本国中、新年を迎えたとたんに新しい下着に替えていたんだと思います。
下着って確かに“捨てどき”に困りますよね・・
「こいつ、相当くたびれてきたなぁ。」とは思っても、「いや、捨てるほどではないぞ。もう少し着られるかなぁ。」なんて思ったりしてなかなか踏ん切りがつかない。(あたしだけ・・?)
今はもっと気軽に捨てられてるんでしょうけれども、昔は大事に着て、多少くたびれようが、「待ってなさい。お正月には新しいのに替えるから。」と言われていたんではないでしょうか。



外出着だって新調しました。
だから、昔の方がバーゲンにならない手前の12月に1回売れて、1月になってバーゲンになってからまた売れる、という2回山があったんではないかなぁ。
おせちも今はほとんど買うことのほうが多いけれど、昔は各家庭で気合をいれて作っていたと思うし。
何にせよ、人々の「お正月を迎える」という意気込みにはすさまじい熱気がありました。
人それぞれいろんな迎え方があるじゃ~ん、お正月が仕事の人もいるじゃ~ん、なんてことはなく、日本国民総1億人がただひたすらもうお正月を迎えるならそりゃあ、すべて改まらなくちゃいけないだろ、そういうもんだろ、という空気がありました。
それが今の中国なのかなぁ。



自分が海外旅行に行ったとき、現地の人たちの自分たちを見る眼が気になりました。
いったいどう思われてるんだろうな?って。
「このイエローモンキーめが。高度成長期か知らんが、金にあかせるような真似しやがって。」とか、
「文化ってものを知らない奴らだなぁ。何でもお金で買えると思っている。」とか、
「日本ではこんな小娘が(特に容姿的に子どものように見られていたでしょうから)こんなにお金を持ち歩いているのか!」などと思われているのかなぁ、なんてちょっと自分を卑下していました。(考えてみれば、お金を使うのに自分を卑下しなくちゃいけなかったなんて可哀想ですね。)
けれどもちろん面と向かって現地の人にそんなことを言われたことはないし、態度では判別がつかなかった。



けれど今、爆買いする中国人の人たちを見ていると当時のヨーロッパの人たちの日本人に対する気持ちとかがよぉくわかります。
上記に書いたような気持ちもなきにしもあらずだったことでしょう。
けれど一方的にバカにしているかと言えばそうでもなくて、
「ま・・ うちの国でお金を落としていってくれるのはありがたいし・・」とか、
「彼らも旅行に来て気が大きくなっているんだろう。」とか、
「楽しんでいるものを暖かく見てあげればいいじゃないか。」とか、
「ただ買い物ばかりではなくて、もう少しじっくりとうちの国の文化にも触れて行ってほしいなぁ。」とか、
まぁ、そんな色んな複雑な思いが巡っていたんだろうなぁ、と思えます。



そして1市民である私が、ニュースのちょっとした映像を見てそんなことを思うくらい日本という国の成長から成熟への流れというのは顕著なものがあるんだ、ということをまたしみじみと思いました。
さて、これから日本は自分たちの文化や伝統を本当に大切にしながらこの成熟期、あるいは衰退期を穏やかにやり過ごせるかどうなんでしょうね。







*******************************************

  ★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
   ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」
   をクリックしてください。
   アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
     ※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
  ★表現アートセラピー、パステルアートのワークショップなどそれ以外の情報・HPは、
   →http://sasara.info
  ★アニマルコミュニケーション関係は、
    ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「アニマルパートナーの言霊」を
    クリックしてください。
    アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan9015
  ★全国一律1品から送料無料
    お支払いの方法は振り込みです。
    振込先はゆうちょ銀行と普通銀行があります。
    ゆうちょ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
    が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
    製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
    決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
    ご了承ください。

   すべて、お問い合わせは
     chakra@aura-soma.name
    までお気軽にどうぞ!

*******************************************









肉体が覚えるには時間がかかる

2015-02-26 09:03:04 | 身辺雑事
先日、歌舞伎役者の坂東三津五郎さんがすい臓がんで亡くなられましたね。
生前の映像がテレビで流されているのを見るともなく見ていたとき、ふと彼のこんな言葉が目に留まりました。
「歌舞伎って舞台芸術っていいますけれども、肉体芸術ですからね。
僕の肉体のなかにはいっている、これまでやってきた芝居のこういうときにはこうするんだ、ああするんだ、というすべては僕が死んでしまったらそれでおしまいですからね。
何十年もかけて培ってきたものが、ここからヒュッとどこかへ行っちゃうわけですよ。」



この言葉の前後は切り取られていましたから、どんな状況のなかで三津五郎さんがこの言葉を口にしたのかはわかりません。
歌舞伎は血筋で伝承されていくものだと言われているけれども、1人1人の人間でそれは完結されてしまうもので伝えられるものではないのだ、ということが言いたかったのか、単に肉体がその命を終えたときには消え去ってしまう虚しいものなのだ、ということが言いたかったのか、今となっては彼に誰も問い返すことはできません。
ただこのセリフを聞いたとき私は、
「人間が肉体に覚え込ませることのできることっていうのは、ほんとうに長い時間がかかるものだなぁ。」
ということでした。



最近どこかでニュースを見た記憶があるのですが、ついに人間の脳の記憶はトレースすることができるようになったみたいですよ。
つまり、優秀な科学者とか文学者とかが考えたことはその人が死んだらおしまいではなくて、何を考えていたのかその思考を残すことができる、ってわけです。
いくら本人が優秀でも死んでしまったら研究途中にあったようなモノやその人の脳みその中にだけ存在していたものは終わり、というのがこれまででしたが、これが可能になればその段階から続きの研究を進めることができるわけです。
この研究自体は2012年にマウスの実験で成功していたはずですが、ついに3年経ってまだ現実に使えるものではないとはいえ、人間の記憶も別の人にトレースが可能になったみたいだ、ということなわけです。
たしかマウスの実験では短期記憶(名前、場所、出来事など)については直接脳組織に保存することに成功しているのです。
こうした実験はアルツハイマーの改善や解明に将来役立つことでしょうが、そのうち例えば夏目漱石のDNAさえ残っていれば、後世の人間に彼が次にどんな作品を書こうとしてたのかの構想の長期記憶を再現するなんてことができるような世の中になるかもしれません。



こうなると「思考」や「記憶」という「脳」のほうが「肉体」より時間的には簡単に別人に移行することができる、というわけです。
でもその人が肉体で自分の体に覚え込ませたことというのは、なかなか後継者に伝えることができない。
“その人ならではの芸”ということでその人が亡くなったら終わりになってしまうとなれば、儚いものです。
けれどだからこそ意味があるものだ、貴いという気もします。



これは私が最近、朗読発表会のために毎日練習したり、劇団の方の稽古を見せてもらったりして余計に感じることかもしれませんが、肉体を使っての総合的な表現っていうのはほんとに納得できるものにするためには遅々としてしか進めないものなんです。
歌舞伎にしても有名な役者さんたちにしても、私たちが目にするのは完成披露パーティの様子だったり彼らが華やかにインタビューを受けている場面だったりするので、つい「いいなぁ。ちょいちょいと役をこなしては莫大なギャラを手にして、それ以外の日々は遊んで暮らせるんだろうなぁ。」なんて思っちゃったりするのですが、現実はそんな甘いものではないでしょうね。
実に地味な毎日のはずです。
劇団でもおっしゃっていましたが、ちょっとした小作品をかけるだけでも彼らは最低半年は稽古を積むそうです。
大きな出し物となったら1年がかり。
それで自分のセリフなんてものは2,3回目にはもう暗記しちゃうでしょうから、あとの長い月日何を練習しているんだ?と言ったら、ひたすら「間」であるとか、ちょっとした視線のやりどころであるとか、それはもう工夫できるところが少しでもないか、ということを日々研鑽しているわけです。
今回三津五郎さんの死に際しても、彼が息子の已之助さんに稽古をつけている様子をやっていましたが、奴凧を表現するのに両手を広げるときのほんの少し腕が落ちていることを指摘する様子だのとか、遠くをみるときに「そんなお前の目線じゃ景色が浮かび上がらない。」なんておっしゃっていたのを見ると、ほんとに肉体が行うこととしてはミリ単位の修正だと思います。
そりゃあ地味な毎日だと思います。



そんなことを思ったら、現代というのはネットなどでずいぶん便利になったことも増えましたから、あとの残された時間を使って、どんどんもっと自分の肉体を使って自分の体に沁みこませるようにして覚えることをやりなさいよ、と言われているような気がしてきました。
それこそがそれぞれに科せられた使命なんだから、と。
自分にしかできない体験、経験を大事にして肉体で思う存分、日々感じ切りなさい、と。
“いま、感じた”“今日、こんな体験をした”という瞬間のことはすぐに忘れてしまいます。
それをして、その後、確実に「体験価値」として自分の肉体にそれを沁みこませるにはどうしたらいいのかをもっと工夫して生きなくてはもったいないな、と思いました。



寿命も延びて、平均寿命からいったらこれから先もまだ何十年もあるのだから、のんびりとやっていけばいいさ、なんて気になっていたところでしたが、ほんの些細なことでも自分の肉体にそれを沁み込ませるには相当な時間がかかるのだ、ということを考えたら、おちおちしていられないぞ、人生なんて短いものだ、という気になりました。






*******************************************

  ★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
   ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」
   をクリックしてください。
   アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
     ※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
  ★表現アートセラピー、パステルアートのワークショップなどそれ以外の情報・HPは、
   →http://sasara.info
  ★アニマルコミュニケーション関係は、
    ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「アニマルパートナーの言霊」を
    クリックしてください。
    アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan9015
  ★全国一律1品から送料無料
    お支払いの方法は振り込みです。
    振込先はゆうちょ銀行と普通銀行があります。
    ゆうちょ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
    が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
    製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
    決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
    ご了承ください。

   すべて、お問い合わせは
     chakra@aura-soma.name
    までお気軽にどうぞ!

*******************************************


伝わってこその表現

2015-02-25 09:04:32 | 身辺雑事
そんなわけで(どんなわけかは昨日のブログでどうぞ)、朗読に悩んでしまった私のために先生が、
「坪内さん、ちょっと私と遊ぼうか。」
と言われました。
内心(ひえぇ~~っ。こわ・・)と思いながらも、ここは男気を出して、
「ハイッ! よろしくお願いいたします。」
と言うしかないではないか。
先生は、
「土曜日の午後8時くらいに劇団の稽古場にいらっしゃい。多分、言葉でやいのやいの言うよりも、劇団の稽古を見たほうが早いかもしれないわ。」
とおっしゃいました。(先生の本業は劇団の主宰だからです。)



というのは、劇団でも私たちが今度朗読の発表会でやるのと同じ出し物をやってらっしゃるらしいのです。
自分と同じ配役の人がどう演じるのかを見ることができる!
私は1も2もなく、
「行きます、行きます。」
とはやりました。



幸い、劇団の稽古場は私の家から歩いて15分~20分ほどのところにあります。
自転車なら10分もかからない。
えっちらおっちらと自転車をこいで行きました。
すでに稽古は始まっていました。
先生は一言、
「こちら坪内さん、朗読の教室の方。」
と皆さんに紹介してくださいました。



1回通しで稽古が終わると先生は、くっくっと笑いながら、
「みんな、お客さまがいるとなるといつもと違うことやっちゃったりして緊張していること。」
とおっしゃいました。
えっ? そうなの?
私は面喰ってしまいました。
確かに真ん前に陣取ってじーっと真剣なまなざしで眺められたらイヤでも意識せざるをえないかもしれないけれど、これが評論家とかエライ先生ならともかく、先生は最初に「朗読の教室の方よ。」と私のことを紹介してくださっているわけだから皆さんには(へっ、ただのド素人かよ。)ということは伝わっているわけです。
それでもプロの人でも緊張しちゃうんだ~
それが意外でした。



緊張って「本来の自分よりもっと良く自分を見せたいから起こるものだ。」と思っていました。
だから「今の私はこんなもの。これ以上大きく見せる必要もなければ、見せられない。」と割り切れば緊張はしないはずだ、と。
もちろん私に対してなんて普段以下であったとしても十分にアピールできる相手なんですから、どうしてプロの人たちがそんなに緊張するのかがわからなかったのでした。



けれど、意外に思い頭の中でつらつらとこのことについて考えているうちに少し考えが変わりました。
「役者とは常に人に見られるもの。」、見られてナンボの商売です。
だからたとえ相手がどんな人であれ、自分だけで稽古している→“見られている”という意識に変わったとたん、スイッチが入るんだろうな~
人の前に立って見られる商売をしている人というのは、その緊張をいかに「よし! やったるでぇ。」というやる気に昇華できるかが勝負なのでしょう。



私がこの日、見学させていただいて一番勉強になった点もまさにそこでした。
最初のうちは、自分も同じ作品に取り組んでいるということもあって、細かい違いばかりが気になりました。
(へぇ、皆さん、テンポが速いなぁ。)
(あ、この人はこのセリフ、ここを立てるんだ・・!)
(こういうときにはこういう動きをつけるんだな)
Etc.etc。
そしてそれらの違いは、私には現実の人間のしゃべりや動きと比べて違和感を感じるものでもありました。
「芝居はできるだけ自然に。」
それが良い芝居だと思っていました。
それは私のふだんの生活のなかでいえば、テレビドラマに出てくる人のような芝居のことでした。
でも、舞台での芝居はそういうわけにはいかないのだな、ということが見ていてわかってきました。
テレビドラマの芝居はアップが多いし、画面というフレームで区切ってその中しか見ていないけれど、舞台での芝居はお客さまは舞台の袖から袖までを広い視野でとらえている。
だから少しオーバーにやらないと通じないんですよね。



結局、「表現する」ということはあくまで相手あってのことなのだから、ひとりよがりではいけないのだな、ということがよぉくわかりました。
テンポの速いセリフ回しも、息を切らずに一気にしゃべったほうがかえって意味が伝わる、ということから。
セリフのどこを立てるか、というのも全体の流れを考えるから。
動きは見ているお客さまの頭の中の想像力をかきたてるように。
そしてテンポを速くするのに滑舌はよくしなくてはいけないから、それは腹筋や肺活量に支えられるけっこう体育会系の独特のものとなる。
それを私は(普段はあんなしゃべり方しないよなぁ)という違和感としてとらえてしまったのだけれども、「伝わるように表現する」ということで言えば、それがベストなわけだったのです。
「伝える」ために、「表現」がある。



それは朗読というジャンルに限らず、普段私がやっていることでも生かさなくてはな、と思いました。
セッションをして相手に伝える。
オーラソーマでは私は単なる色の通訳者でありそこはリラックスして自然に伝えるだけ、と思っていましたが、「リラックスして自然」でいるということは決して「無策」ではいけない、ということだな、と。
「自然」が「何もしない」ということになってはいけないな、と。
リラックスして自然体でいることがちゃんと相手に伝わるように振る舞わなくてはいけない。
それで初めてクライアントさんもリラックスしてくださる。
それを「演技」だ、「作為的」だ、それでは逆に自然とはいえない、というのは違うな、と思いました。
「表現」は「伝わってこそ」の表現なのですから。








*******************************************

  ★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
   ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」
   をクリックしてください。
   アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
     ※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
  ★表現アートセラピー、パステルアートのワークショップなどそれ以外の情報・HPは、
   →http://sasara.info
  ★アニマルコミュニケーション関係は、
    ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「アニマルパートナーの言霊」を
    クリックしてください。
    アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan9015
  ★全国一律1品から送料無料
    お支払いの方法は振り込みです。
    振込先はゆうちょ銀行と普通銀行があります。
    ゆうちょ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
    が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
    製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
    決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
    ご了承ください。

   すべて、お問い合わせは
     chakra@aura-soma.name
    までお気軽にどうぞ!

*******************************************


言いたくても言えないこと

2015-02-24 09:01:11 | 身辺雑事
今、朗読教室では3月末の発表会に向けていよいよ追い込みって雰囲気になってきました。
皆さんトーンが上がってきて仕上がりに入ってきた、っていう緊張感が教室にも張り詰めています。



そんななか、私は先回の教室で先生に強烈なダメ出しを受けてしまいました。
教室が追い込みに入ってきた、という雰囲気があるので「え・・・ ここへきて振出しに戻されるかのようなダメ出し・・」というのはちょっとへこみました。
でも、何かのゴールを目指してしている練習というのはそもそもそういうものなのでしょう。
一段ずつ着実に階段を登って行く、という順調なものではない。
一見よしよしこれならば、というように一段ずつ階段を登って行っているように見えたところで、セットバックせざるをえないようなことが起こったり、足踏みしたり、というようなことが起こるのが面白い。
まさに「3歩進んで、2歩下がる」です。(「まさに」なんて言ったって、いまどき、これが水前寺清子歌う、「365歩のマーチ」のことだよ、なんて知っている人は少なくなってしまったかなぁ?)
そういうジレンマ、摩擦、軋轢、葛藤、矛盾があってこその人間界であるよのぉ、なんて思う。
「人間界」なんていうと、まるで私が高見からモノ申しているように見えますが、そういう意味ではなくって、1人でコツコツと何かに取り組むということではなく、大勢がかかわってやっていることほどそういうことって起こることが多いよなぁ、という意味の「人間界」です。
1人でやっていることなら自分の想像のつく範囲のことしか起こらない。
でも多くの人が関わってくると、思いもよらぬことが起きたりする。
ときには矛盾を感じることもあるでしょう。
でもそういうこともあるからこそ面白い、と思えるのです。
それは私が会社を辞めてから何年もたち、ここのところ何年かはずっと1人でサロンをやっている毎日だから余計に感じるのでしょうねぇ。



先日もたまたま見ていたテレビで同じようなことを感じました。
それはある有名なナショナルチェーンのタコ焼き屋さんが、同じくナショナルチェーンのアイスクリーム屋さんとコラボの店を初めて出店する、という新規オープンまでの何週間かをドキュメンタリーで追ったものです。
企業としてコラボ出店も初めての挑戦ならば、そのお店を任される店長さんも初店長さんでした。
そりゃあもうわからないことだらけ。
何もかもが計画通りに行かない。
オープン前日にやっとレイアウトが仕上がったかと思えば、冷凍庫が1つ届いていないことが判明して、その冷凍庫のためにレイアウトを組み直さなければならなくなる。
そうしてようやく冷凍庫が到着してみたら、思っていたよりサイズがデカすぎて入らない。
もうどうすんだ! なんて・・・。



でも、そういうこと1つ1つに腹を立てていたり、「誰のせいでこういうことになったんだ?」なんて犯人探しをしているヒマさえないんですよねぇ。
オープンのバタバタって。
そんな中で、店長はバイトリーダーさんからクレームを申し立てられます。
「私たちが一生懸命バイトに仕事を教えている中で、店長は全然、直接バイトとはかかわってくれない。少しは店長自らバイトにも溶け込んでくれないと、店としてのチームワークが出来ない。」と。
そう言われて、そんな事態になっていたのか、と店長はびっくり。
その店長はもうただただオープン前の初めての仕入れやらで忙しく、教育のほうはバイトリーダーに任せていれば大丈夫、と思っていたからです。
そう言われて、「ごめん、ごめん。」と慌ててバイトの教育にも店長自ら顔を出すようにしたのです。



このときの店長の心中をや察するとお気の毒ですねぇ。
確かにバイトリーダーの申し立てはごもっともです。
グーの音も出まい。
けれど、店長の立場の大変さをわかってくれる人間は誰もいない。
みんな部下ですからねぇ。
誰にも泣き言をいうわけにもいかない。
「俺はさ、ほかのことでも忙しいんだよ。」なんて言いたくても言えない。



このように大勢の人間がからむと誰のせいとか誰が悪いわけでもないけれども、言いたいことを言えないこともあったりしますよねぇ。
それがわかってしみじみとしました。



ちなみに私が朗読教室で受けたダメだしとは、
「どうしたの? テンポの良さと歯切れの良さが長所の坪内さんらしくもない。
今日の坪内さんは声にも迫力がないし、間延びしていましたよ。
練習してないんじゃないの?」
というものでした。
けれど、練習していないどころかむしろ逆だったのです。
その前のときに先生に、
「う~ん、だいたいいいけれど、あと1つ、華やかさと女っぽさが足りないわねぇ。」
と言われたので、そりゃあ確かに普段から持ち合わせていないものだから役になりきれば自然ににじみ出てくるというわけにもいかんよなぁ、とは思ったものの、私なりに工夫して、
華やかさ=テンポよくセリフを言うのではなく、ゆったりとエレガントにしゃべる。
女っぽさ=自分のふだんの声よりもワントーン高めの声を出す。
というようにしたのです。
しかしそれが仇となって、「ゆったりと」は「間延び」に聞こえ、テンポの良さを失うことになり、「ワントーン高めの声」は「声に迫力が欠ける」ことになってしまい、工夫どころか改悪になってしまっていたらしいのです。
けれど、先生に「え・・ 練習ならばこれでもいっぱいしたんですよ。」とは言えない。



今回の私の役とは時代劇なのですが、くそ意地の悪いオバハンの役です。(笑 似合いすぎ~ とか自分で言っちゃったりして・・・)
それを私がやると先生に、
「坪内さんのはただの意地の悪い人ってだけ。いい? この人はもともとは出がいいところのお嬢様だったのよ。だから、今回のような事件がなければ普段は華やかで人の好い良家の子女なんだなぁ、この人はっていうらしい面影を漂わせるようなところがないとダメね。」
と言われました。
なぁるほど!
目からうろこでした。
私はくそ意地の悪い女はただただひたすらにくそ意地悪くやればいい、とだけ思っていました。
しかし、くそ意地の悪いセリフを言いながら、この人はふだんは本当なら華やかで女っぽいところのある人だった、というのを垣間見せろ、とは・・・。
むずかしい~~!!!
でも確かにそれが出来たら、役に深みが出ることだろう。
私は、いかに自分が浅くしか役を理解していなかったか、ということを恥じました。
それで何とかそれが醸し出せないかと自分なりには練習したつもりだったのです。



自分が工夫したことに対してダメ出しを受けるのは納得がいきます。
けれどこのときには先生に、
「どうしたの? 今日の坪内さん。家で練習してきていないんじゃいの?」と言われてしまい、少なくとも間違った方向だったにせよ練習はしたのだ、むしろいつも以上にしたのだ、ということが認めてもらえなかったということにがっくりしたのでした。
でも「いやぁ、むしろ練習はしたっすよ。」なんて申し開きをする場面もないので、しゅんとしてしまいました。
そしてテレビの新米店長さんを思い出し、
「あるよなぁ。こういうこと。言いたくても言えない、ってこと。」
と思ったのでした。



私はサラリーマンを25年以上やっていました。
最初の10年は結構大きな企業だったので、大勢の人とのやりとりのなか、「言いたくても言えない思い」をしたことはしょっちゅうでした。
それが嫌だ、と思った時もありました。
理不尽だ、私は何も悪くないのに、とかあぁ、わかってもらえない、とか。
そしてそれがゆえに大企業になんて勤めるもんじゃない、なんていう風にも思ったりしました。
本来の仕事よりも人間関係をいかに潤滑にたもつのか、という部分に心を砕かなくてはならないなんてそんなでは仕事とはいえないじゃないか、と。
けれど、今は「言いたいことを言えない」思いを少しぐらいしたからといって、それが懐かしい。



結局人間というものは、「籠の外にいる鳥は中に入りたがり、籠の中にいる鳥は自由に羽ばたきたがる」と言うように隣の田んぼは青く見えるものなのかもしれません。
それらすべてを楽しむゆとりを持つことだけが大切なことのような気がします。







*******************************************

  ★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
   ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」
   をクリックしてください。
   アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
     ※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
  ★表現アートセラピー、パステルアートのワークショップなどそれ以外の情報・HPは、
   →http://sasara.info
  ★アニマルコミュニケーション関係は、
    ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「アニマルパートナーの言霊」を
    クリックしてください。
    アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan9015
  ★全国一律1品から送料無料
    お支払いの方法は振り込みです。
    振込先はゆうちょ銀行と普通銀行があります。
    ゆうちょ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
    が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
    製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
    決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
    ご了承ください。

   すべて、お問い合わせは
     chakra@aura-soma.name
    までお気軽にどうぞ!

*******************************************