ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

同じことに取り組んでもちゃんと気付きはある

2018-10-31 09:01:40 | 身辺雑事
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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

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*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。


*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。


*目標が明確になります。



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昨日は、潜在意識を一緒に学んだ仲間たちが集まって、ハロウィンパーティを楽しみました。
けっこう皆さん、本格的な仮装をいたしまして、それぞれ似合っていてなかなかよろしかったです。
不思議の国のアリス、乙姫、魔女・・・。
私もちなみに魔女でした!
魔女の姿で、カードリーディングをしたり、クリスタルフレンドシップをやったり・・。



そのなかで不二子さんが、
「みんな、講座が終わってから何か進展があるかどうか発表してくれない?」
とおっしゃり、そして、SNSで有名などなたか(名前は忘れました・・)の「ビジネス構築の5つのサイクル」を紹介してくださいました。
そのなかのファーストステップ、
「今の仕事をやっている理由は? そもそも何のためにやるのか?」
についてちょっと書いてみて、と言われました。
これは起業コンサルを受けた時にも、潜在意識のときにも、さんざやらされたことです。
だから、もう耳タコならぬ筆タコでさらさらと寸分たがわぬ言葉を書けるはずでした。
しかし、たった1つのセンテンスならともかく文章というある程度長いものを寸分たがわぬ言葉で暗記しているはずもなく・・
言っていることは同じなのだけれど、また少しだけ表現の違うものとして書きました。
すると、不思議なことにまた新たな気付きがあるのですよねぇ。



不二子さんが、
「書きながら、自分にそれをなぜ? なぜ?と問い掛けながら落とし込んでいくといいわよ」
とおっしゃったので、その流れで書いていきました。
「今の仕事をはじめる原点は?」
 ↓
「事業が低空飛行で、常にくもり空の心を抱えているような自分がイヤだったから」
 ↓
「なぜ、そんな自分がイヤだったの? では、どうすればいいと思ったの?」
 ↓
事業がおもわしくない自分を変えたいのであれば、単に「もっと稼げばいい」というのも一つの答えです。
でも私は(私の場合、それは違うな)と思いました。
ぼんやりとですが、もし私がウハウハというほど稼いでしまったら、きっと私はとてつもなく鼻持ちのならない傲慢な人間になるに違いない、と思いました。
お金を手にしたからと言って舞い上がっちゃいけない、常に謙虚でいなくちゃいけない、というのが頭ではわかっていても、それこそ、
「どうして? どうしてそんなに謙虚でいなくちゃいけないのかわからない。だって現にあるんでしょ? あるのにないようなふりをするってそれこそ欺瞞じゃないの? 世間にひっそりと埋もれて息をひそめて、持っているのに質素な生活をすることがそれが謙虚ってことなの?」
と思ってしまう自分がいることがわかるんです。
そして私はきっとひとりよがりの人間になる・・・。
それを私は恐れているんだな。
そんなこと、恐れたって仕方がないし、げんにウハウハというほど稼いでもいないうちからそんな心配をすること自体がものすごぉくバカバカしいことなんだけれども、でもそれを恐れる気持ちが止まらない。
そこをそんなにも恐れるのであれば、そんな恐れを抱く必要なんてないのよ~という気持ちになるように是正するよう頑張るよりも、そんな自分を認めて、そんな自分がすんなりと収まれる場所にいるほうがよほど心地よくラクではないか、と思いました。



それは私にとっては、
「お金の尺度に囚われない自分でいたい」
ということでした。
私の中にそれをクリアすることにトライする方が好きだし、尊いというような気持ちがどこかにあるんでしょうね。
もともと、月収10万円しかないならそれはそれでいいではないか、生活を10万円にあわせるようにダウンサイジングすればいいだけでしょ、と思います。
それよりも今月は100万円の収入だったけれど、来月はまったくメドが立たず1万円もないかもしれない、ううん、それどころか借金を背負うことになるかもしれない、という生活のほうがイヤです。
そのほうが心がざわざわしちゃうからですね。



少し前にスーパーボランティア尾畠さんという方が脚光を浴びたことがありましたが、あるときテレビを見ていたら、彼の私生活まで密着していたドキュメンタリー番組をやっていたことがありました。
彼は、どこへボランティアに行っても、一切御礼を受けとりません。
そこの家の人が
「ありがとうございました。ご飯でもご一緒にいかがですか?」
と誘っても、それも断ります。
御礼をする方としても、ささやかながら「ご飯でも」と言いたい気持ちはわかりますし、「同じ釜の飯を食べた仲間」という言葉があるように、食べながらまた語り合うこともできたら、余計に親近感も湧くのに、という気持ちもあるかもしれません。
金品を受け取らないのはともかくとしても、ご飯の誘いくらい乗ってあげたらいいのに、という気持ちになったことも見ていてありました。
でも、彼は頑として信条としてそれはいっさいお断りです。
いっさいボランティアで、ガソリン代などの費用もかかるのに自分の車で現地に出向き、いったい彼にはどんな収入があって、どうやって自宅では生活しているんだろう?と心配になっちゃいますよね。
それもそのときのテレビでは映し出していて、彼はやはり年金だけで生活していました。
近所に住む実の子どもたちが時折、入れ替わり立ち代わり差し入れなどをしてくれているようでもありました。
でもやはりご自宅では、節約を強いられるような質素な生活をしておられました。
それを見たときふと私は「うらやましい」と思ったのでした。



何をうらやましい、と思ったのか?
それは尾畠さんが「ボランティアに人生捧げるなら、自分の生活は質素なものにしなくてはとてもまかなえない」というところに腹をくくっている点でした。
「残りの人生、ボランティアにささげたい」
「でも、贅沢な暮らしはしたい」
という願いが叶う人は、そのときまでにすでに相当な財産を築き上げてしまって、これからは稼がなくても悠々自適の場合しかありえないでしょう。
だからそういう人は別として、「残りの人生、ボランティアにささげたい」という使命を抱いた瞬間から、「年金だけでなんとかやっていく」ということに腹をくくらなくてはいけないわけです。
世間の人だって、もう尾畠さんは有名になってしまったから彼の持論も理解されていて特にそうでしょうけれども、尾畠さんが年金暮らしだからといって、「年金以外にも多少は稼ごうとしなくていいわけ?」
なんて思わないし、進言もしませんよね。
そういうふうに世間は世間、自分はこう決めた生き方をしていくだけ、と誰とも比較せず、自分を卑下せず、腹をくくった生き方をしているところがとてもうらやましいと思ったのでした。



それにひきかえ私はどうだ。
サラリーマンでなく自営であるかぎり、自分の工夫次第でどうにでもなるのだからもっと稼ごうという野心がないといけないだろう、と言われれば、それもそうだな、と思ったり、いやなかなかお金がままならない人にこそ手を差し伸べてあげたいな、だったらもっと稼ぎたいというのは矛盾するからあきらめないとね、ボランティアでもする? いやぁ・・ ボランティアまではね・・ 私も食べて行かなくちゃいけないしね、とブレまくっていました。
でもね、改めてハロウィンパーティという場だったけれど、自分の原点を書いてみなさい、と言われて、
「お金の観念に振り回されない自分を構築したい」
と思ってきたんだな~ということに気付きました。
同じことを何度やっても、ちゃんと新しい気付きがあるってすごいな~
このテーマは、葛藤が多く、ひょっとしたら葛藤しつづけることに意義があるテーマなのかもしれない、と思うほどですが、自分には自分で取り組むと決めたこのテーマがついて回っているんだな~と改めて認識いたしました。
ここ、大事なところだけど、これはあくまで“私が”好きで、選び取っているテーマなわけです。
こんなテーマをおっぽって、「お金に対するブロックを一切はずし、稼ぎまくる」に変えたっていいわけです。
でも、私はどうしても「お金に左右されないわたし」のほうを選びたい。
この選択に突き動かされるものこそが、もともとの私に備わっている使命そのものなのかもしれません。

南清貴さんの「究極のぬか漬けセミナー」に参加してきました

2018-10-30 09:01:17 | 食・レシピ

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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


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日本オーガニックレストラン協会の代表理事であられる南清貴さんの「究極のぬか漬けセミナー」に参加してまいりました。
私がこのような“料理教室”めいたセミナーに参加するのは非常に珍しいことなのですが、何に惹かれたか、っていうとサロンのお客さまでよく来て下さる方が、南清貴さんのセミナーに参加した方で、セミナーに参加したことによって、
「私はいっさい市販のだしパックは使えなくなった。」
とおっしゃっていて、なにか1つのセミナーに参加したことによって、そこまで人生観というか、ライフスタイルが変わっちゃうってすごいな~と思って、それ以来清貴さんの何かセミナーがあったら誘ってね、と言って置いたのでした。



清貴さん、通称KIYOさんのセミナーは、料理教室でありながら料理そのものは大して教えないらしいです。
2時間あったらたいてい半分の1時間はお話し。
半分でお料理をつくる。
しかもそのお料理は、手の込んだものではなくて、結局日本人ならもともとの日本古来の食事が一番私たちの身体にあっているよ~というもので、それはたとえば味噌汁にごはんにお漬物に焼き魚、っていうメニューらしいです。
ふぅん! それでいったい何を学ぶんだろ、と逆に興味が湧きました。



そしてぬか漬けについては、今も私は毎日せっせと手を入れ、作っているのですが、なにせ「お! 今が一番ちょうどいい状態になった!」というときを維持するのが難しい。
ちょっと酸っぱくなりすぎたな~と思い、ぬかを足すとぼそぼそして味わいが足りなくなるだけで酸っぱさだけはそのままだったり、どんどん悪くなっていっちゃってもう腐敗して使えなくなっちゃったり・・。
釘を1本入れるといいだの、タカの爪を増やすといいだの、いろいろやってはみましたが、もういったん腐敗の方向に向いたものを直すことはできませんでした。
だから、そのあたりのコツがわかれば、と思ったのも参加してみたい、と思ったきっかけでした。



白髪を少しのばし後ろで1つに結んだKIYOさんは、なにやらアーティストのようでした。
10人のエプロンをつけた参加者の前で、この日もまずは講義から始まりました。
そこでは、いかに発酵食品を食べることが大切か、というのをまずは聴きました。
例えば、発酵食品によって整えられる腸内フローラの働きには、
1. 病原体の侵入を防ぐ。
2. 食物繊維を消化する。
3. ビタミンB2、6、12、K、葉酸、パントテン酸、ビオチンを創りだす。
4. ドーパミン、セロトニンを生成する。
5. 腸内細菌を創りだす。
というものがあります。
なにせ、腸内細菌によって私たちの免疫の70%は作られるそうですから、とても大切なものです。



この話のなかでも新しい発見がいくつもありました。
たとえば、ビタミンB12というものは、たいていが肉やタンパク質にしか含まれていないものなので、ヴィーガンの人たちはこれでつまずいてしまう場合がある、とのこと。
野菜しか摂らないとこのB12が不足してしまうのです。
だから時々、
「よしっ、今日から私は菜食主義者になる」
と頑張った人が、どうしても頑固な便秘に悩まされるようになってしまい、ヴィーガンを断念した、とか聞くのはこういうことだったんですね。
B12が足りなくなりすぎて腸内フローラのバランスが狂ってしまったんですね。
「でも、そんなときでもぬか漬けや発酵食品を意識的に摂るようにしていれば大丈夫なんですよ」
とKIYOさんはおっしゃいました。
私はヴィーガンになるつもりはありませんが、「だから菜食主義はダメなんだよ」と決めつける説は少なくとも正しくない、と思うことができました。



面白い話しだな~と思ったのは、KIYOさんが、
「生野菜サラダとぬか漬けがあったら、絶対ぬか漬けを食べていた方が身体にいいからね」
と言ったあと、
「あ、生野菜サラダの語源って知ってる? 生野菜サラダってもともとは簡単な塩もみみたいなものなんだよ。SALADの語源はSALT(塩)だからね」
とおっしゃいました。
参加者がみな、なるほどぉ! スペル似てるものねぇ、という顔をしていると、
「塩はむかし、貴重品でね。それで給料を支払われていた時代もあったの。だからSALARY(給料)ってこれまた塩から派生したスペルでしょ。SOLDier(兵士)だってそうなんだよ。兵士としての給料を塩でもらっていたりしたから」
と言ったあと、これまた皆がほぉ~という顔をしていると、くくくと、
「これ、明日、みんな『知ってる? これの語源はねぇ・・』とか言って得意げに話すんだろうなぁ。目に浮かぶようだよ。いや、言っていいんだけどね、もちろん。」
と言いながらひとり笑っていたKIYOさん。
彼の講義の進め方はこんな感じで、このくだけ方が私にもちょうど心地よい、という感じでとても好感がもてました。
ほかの講座も出てみたいな~と思いました。



「糠」という字をみればわかるように、米に健康の康と書き、糠を食べていれば健康になるよ。
反対に「粕」という字を見てごらん。
白米は「カス」なんだよ。
・・・とおっしゃったKIYOさん。
「でも、白米を食べていてもいっしょにぬか漬けを食べていれば玄米を食べているのと同じことになるよ」
「発酵食品はいろんな発酵食品を組み合わせて食べるのがいいんだよ」
ワインにチーズ、味噌汁に納豆・・ 大体合うように出来てるんだなぁ、これがまた。
いっぱい発酵食品を毎日の食事のなかで食べたくなりました。



そして最後に捨て漬けの野菜とタカの爪、昆布を入れて作った「mY糠床」を大事に持って帰りました。
糠床のつくり方も、自分でやっていたよりうんと固めなんだなぁ、ということがわかりました。
これからいろんな野菜を漬けていくと徐々に野菜から水が出てゆるんでいくからね、最初は自分の手の常在菌を使って少しの水で糠を練るようにしていると、徐々にお味噌位の堅さになるよ、と言われていましたが、ほんとにそのとおりでした。
KIYOさんのやり方でやると、毎日糠床をかきまわさなくても大丈夫ということがわかったので、じゃんじゃん、作って行きたいと思います。

広島ツアー お神楽堪能編

2018-10-29 09:01:53 | 旅行記
秋のぴーちゃん祭り
詳細です。といっても、200%自由人のぴーちゃんなのでどんなアルケミーが起こるかか乞うご期待デス。

このところ、ワークショップを開催して来ましたが、ぴーちゃんのお話をじっくり深く聴きたいとのリクエストにお応えして又原点に立ち返り

一日中ずぅっとぴーちゃんのお話会
ぴーちゃん算命学、実はスゴイんです、
この算命学と開花したぴーちゃんのフラワーエッセンスをメインテーマに当日の参加者のリクエストに応えてぴーちゃんの無数の引き出しからお話をします。みつばちの話、人生観、コイバナ、フラダンス、オーラソーマ、テーマは限りなくハートx2この時間は貴女への素晴らしいギフトになる事は間違いアリマセン
   10月30日(火曜) 10月31日(水曜)
        11月1日(木曜)
いずれもおよそ10時から17時
参加費用 1日15000円 2日間29000円 3日間43000円
     モーニング、ランチタイム、ティータイムを含む
     ぴーちゃんからのナニカのお土産つきプレゼント 
     最寄り駅への送迎シマス
      
夜のぴーちゃんを囲む懇親会 3500円
     懇親会だけの参加もウェルカムですよ。
夜お泊り希望の方は、別途1泊1000円でお受けします。
     お風呂はスーパー銭湯利用で別途650円要

コンサルテーション 12000円(50分)
 ・オーラソーマ・イクイリブリアムボトル(50ml)5,616円をプレゼント
    連日の17時30分から1枠のみの限定
ぴーちゃんのコンサルテーションが受けれるのは激レアです。
     この機会にぜひ。

お問い合わせ、ご予約は お気軽に
ayachan@@apan.interq.or.jp ←こちら、主催者さんに直接ご連絡となります。
@を一つ減らして送信してくださいね。

私に申し込んでもらってもいいですよ~
chakra@aura-soma.name
  縄文の人、太陽の人、ぴーちゃんに逢いに来てね
       
  
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  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
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さて、個人的な私ごとレベルから、もう1度広島ツアーの話に戻りますが、2日目は「神楽」を見に、高速を飛ばし、安芸高田市の「神楽門前湯治村」まで連れて行ってもらいました。
神楽、ってこれまたわたくし、恥ずかしながらこの年令まで生きてきて、
「まぁ、名前ぐらいは知ってるけど、あれでしょ? 能みたいなもん?」
という程度でした。
だとしたら、日本の伝統行事を、それも広島に根付いているものを見せてあげたいってあっちゃんの配慮はわかるけど、それ、面白いの? もう形骸化したようなスタイルのつまらないものじゃないの? と内心では思っていました。
それが、これがあ~た、面白いのなんのって!
良い意味で、大きく予想を裏切ってくれました。
何がいい、ってやっぱり本当に庶民に、地元に根付いている、ってことですね。
ここは「湯治村」だから、ってこともあるから人が集まってくるのじゃないのぉ? どっちかっていうと皆さん、温泉に入ることのほうが楽しみだったりするんじゃないのぉ? その合間にまあ、神楽も見てやってもいいか、ぐらいのノリじゃないのぉ? と思っていた私の予想は軽くぶっとび、皆さん、これを見るために、この神楽を見るためだけに、いそいそと足を運び、ほんとうに楽しみにされているのです。
あっちゃんによると、地元の若者たちもいったん働きに都会に出ても、どーしても神楽がやりたいから、ということで帰ってきちゃうんだそうです。
それはすごいね~
実際に、最後に出演者の皆さんが並んで挨拶をされたときにも、若き27歳の団長が、
「わたくし、あと30年はやれますんで・・」
と口上を述べて、拍手喝采を浴びていました。
ふと見ると、ポスターに神楽のことが「田園ミュージカル」と書いてありました。
なるほどねぇ。
言い得て妙だわ。
例えば若い人に「お神楽やりませんか~?」と言っても、知らないうちは「なにそれ?」って感じかもしれませんが、
「あなたも田園ミュージカルの一員になりませんか?」
と言われたら、「おぉ、何かしらんが、なるなる!」とつい言いたくなりそうですよね~



さて、そのお神楽、何がそんなにも楽しいのか、というとまずは堅苦しくない、ということですね。
歌舞伎が「傾く(かぶく)」から来たもので、要は当時の若者が流行に走った、ってことですね、もともとはすごく時代の最先端をいくものだったんだよ~ということは知っていましたが、そんな発祥のものでさえ、今や「イヤホンガイド」を買って聞かないと、あるいは自分で調べて予習をしてこないと、いきなり観劇しても何をやっているかさっぱりわからないじゃないですか。
それが、この神楽はそんな心配いっさいなし。
お話しはたいてい人を騙して何かを盗もうとしたり、世を乱そうとした人に化けた狐が事がうまく運びかけると・・ 勇ましい当時のヒーローのような存在に征伐されましたとさ、という勧善懲悪ものばかりですから、ドラマ「水戸黄門」ですよ。
あれ、どれだけ途中から見てもすぐに理解できますものね。



そしてそれを土俵のように固めた土の上に畳を並べて囲いをしただけの座敷で寝っころがろうが、あぐらかこうがどんな姿勢でも平気という状態で観る。
もちろん、お弁当食べようが、ビール飲もうが自由。
娯楽ってやっぱりこれっしょ。
こういう自由な形式がいいねぇ。
そして、自由な子どもたちが掛け合いの言葉を舞台上の主役に投げかけたり、舞台からも観客席のほうへ降りてきて、子どもと握手したりハグしたり、もう自由、自由。
これが歌舞伎だったら「いよっ、音羽屋!」というあの掛け声だって、ここぞ、というときにすごい贔屓筋しか掛けちゃいけない、とかの暗黙のルールがあるんでしょ?
ここで掛けるのが粋、とか、ここで掛けちゃ無粋とか。
神楽にはそんな制限はいっさいございません。
だから、でしょうか。
子どもたちもノリノリで、将来自分もあの舞台に立って、衣装着て、踊って、神楽やってみた~い、と思うんでしょうね。
舞台の隣には、子ども舞台と申しましょうか、お子さんが練習していける小さなステージがあって、そこで実際に口上を述べながら練習されていたお子さんがいらっしゃいました。
また、その練習風景をみつめ、手を叩いたりしてちゃんとご覧になっている大人もいる。
ほんとに将来、実際の神楽の舞台に立つリハーサルのようです。
そのすぐ横には神楽で使われる「お面づくり」の体験コーナーもあり、多くの人が参加してらっしゃいました。



ストーリーは先ほどわかりやすい、と申し上げましたが、わかりやすいのはストーリーだけではなく、
「ここが見せ場なんだな! ここで盛り上がればいいんだな!」
ということも見ていて初めてでもすぐにわかりました。
見せ場ではお面の早変わりなどが行われます。
そしてだいたい動きが激しくなり、主役級の方がたがクルクルと回り始めます。
よくまぁ、目が回らないものだなぁ、と感心するほど何回も何回も。
そして、そんな彼らが身に着けている衣装というのが、なんと20kgもあるそうです。
遊園地などにいる着ぐるみの人は相当暑いと思いますが、あれを着て激しく踊り、歌う、ってことなんですよ。
そりゃあ、ものすごい体力が必要でしょうねぇ。



そして、セリフなどではアドリブもあり、です。
この日は、舞台や会場にカメムシが登場することがあって、お囃子の太鼓の人が途中で、
「ちょっと待っててよぉ。ここにカメムシがついちゃったもんだから、これを取らずに叩いてつぶしちゃったりしたらえらい臭いが立ちこめることになるけんのぉ」
などと言っておもむろにカメムシをつまんで捨てに行く、なんて場面もあり、これは演出なのか、それともアドリブなのかはて、はかりかねる、と思う場面もありました。
でもだいたい、アドリブを言う人は決まっているようで、やっぱりおしゃべりが上手な方なんですよね。
この日の最初の演目ではお寺の和尚さん役の方が相当ユーモアたっぷりに盛り上げて下さいました。
そして激しく動かれるので息を荒げながらも、
「ワシねぇ、もう62歳なんよ。60台も悪くないもんよ。相手(狐役の人のこと)は27歳よぉ。なかなかやるでしょ、わし」
なんて言って会場を味方につけていました。



あとは、やっぱり拍子がわかりやすい。
六拍子、八拍子のノリのいい覚えやすい拍子がもう耳の中で鳴っていて、忘れようにも忘れられない、って感じ。
多くの人に受け入れられて、そして受け継がれていくというものはやっぱり「わかりやすさ」が大切だなぁ、と思いました。
これも初めて知ったことですが、「神楽甲子園」とか「神楽グランプリ」なる大きな大会もあるそうですよ。
こうして競いあうとやっぱり切磋琢磨してもっとうまくなりたい、って思うようになるんでしょうね。
それにしても私の全く知らない世界でした。
そして、あっちゃんが連れて来てくれなかったら、たぶん一生このまままったく知らずに人生終ったことでしょう。
その土地に来て、その土地で栄えているものにはちゃんと理由があるし、そういう文化に触れるというのはこうも楽しいものか、と思いました。



あっちゃんからは、最後に
「来年のいま、自分がこうなっている、とすでに予測したことを先取りして祝うはがきを書いてね。私から送るから」
と言われました。
もうそうなった自分をお祝いするはがきが自宅に届く・・・。
嬉しいですよね。
ハッピー・マインドセッター あっちゃんからの最後までステキな贈り物でした。




広島ツアー そして自分のこと

2018-10-27 09:01:37 | 身辺雑事
秋のぴーちゃん祭り
詳細です。といっても、200%自由人のぴーちゃんなのでどんなアルケミーが起こるかか乞うご期待デス。

このところ、ワークショップを開催して来ましたが、ぴーちゃんのお話をじっくり深く聴きたいとのリクエストにお応えして又原点に立ち返り

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ぴーちゃん算命学、実はスゴイんです、
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   10月30日(火曜) 10月31日(水曜)
        11月1日(木曜)
いずれもおよそ10時から17時
参加費用 1日15000円 2日間29000円 3日間43000円
     モーニング、ランチタイム、ティータイムを含む
     ぴーちゃんからのナニカのお土産つきプレゼント 
     最寄り駅への送迎シマス
      
夜のぴーちゃんを囲む懇親会 3500円
     懇親会だけの参加もウェルカムですよ。
夜お泊り希望の方は、別途1泊1000円でお受けします。
     お風呂はスーパー銭湯利用で別途650円要

コンサルテーション 12000円(50分)
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ぴーちゃんのコンサルテーションが受けれるのは激レアです。
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オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
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平和記念公園には、8月6日になると必ずテレビで報道される、「平和祈念式典」が行われる場所があります。
公園の入り口からまっすぐにゲートを通ってくるとこの場所にぶち当たるように出来ています。
そしてゲートのような正面から向うをみると、平和のために燃やし続けられているトーチと、原爆ドームが一直線にみられるようになっているのです。
このトーチは、世界が平和になったときに消えるように出来ているそうです。
「世界が平和になったら」の定義ってなんだろう?
原爆がこの世から消え去った日のことを言っているのだろうか?
いや、それだけではまだまだ世界平和実現とは言えないだろうなぁ。
いろんな細菌兵器やら開発されているものもあるし。
いったい「世界が平和」とは誰の目線から言っているのだろう?
人間が考える平和と神の目から見る平和は違う、と聖書には書いてあるし、などといろんな考えが駆け廻りました。



そして「あぁ、ここがテレビでいつも見るあの場所なのね」
と、その前で手を合わせ、その3つを一直線に見ていると、「世界平和」というとてつもなく大きなものが、たった1人の祈念から生まれていくものなのだ、ということがふっとわかったような気がしました。
これまで「世界平和」なんてぶるるっ、そんな大きなテーマ、私には関係ありません、とても私には扱い切れません、だから考えもしないようにしています、なにせ私はゴミの分別さえいいかげんできちんとできない女なんです~、それが世界レベルのことなんて・・! と思ってきました。
でもこのときにはふいに、世界レベルのことだってそれは私たち1人1人の心、意識のなかにあるものなのだ、ということが一瞬腑に落ちた感があったのです。
そしてその次の瞬間には、世界平和を願うスケールの場所に立ちながら、たった1人の心の平和もままならない自分が情けなくなり、ふいに涙が溢れそうになりました。



ん? なにそれ、どういう意味? と思われたことでしょう。
“たった1人の心の平和もままならない自分”とは、まさに私自身のことです。
私はここ2か月ぐらい、なかなかに心の平和が維持できない個人的状況下にありました。
具体的に言うと、ダーリンともう離婚しなきゃいけないかな~というところまで考えていたのです。
は、何それ!?
あなたたちっていつも仲良かったんじゃないの? とこのブログを読んでくださっている人は思うでしょうね。
ハイ、その通りです。
ずっと仲良く暮らしてきました。
そして、今でも仲良しです。
けれど、夫婦間の仲が良い、ということと離婚の危機の問題というのはまた別なのですね~
いろんなものが絡んできますから。
ずっとこのことについてはこのブログに書こうか、やめておこうか、考えてきました。
何でも自分の身に起こったことは包み隠さずこのブログに書くことにしている私としては、なんだかこのことだけ書かないようにするのは違うような気がしたんです。
でも、やはり人はあまりに大きな悲しみや混乱のなかにいるまっただ中の最中には考えもまとまらないので書けないものですね。
そして、私の場合は、どんなに大きな悲しみや混乱のなかにあっても、そこに何かしらの“気付き”がないとやはりこのブログに書く気にはならないのだ、ということにも気付きました。



そしてもう1つには、私は「ここまでは書けるけれどここからは書けません」というようにもったいぶって(というように受け取られかねない)、読者には意味が分からないような書き方をするくらいなら一切書かない方がよし、と思う部分もありました。
今回のことについていえば、私の事であればすべて書いてもいいのですが、背景からすべて書くのであればダーリンのこと、ダーリンの家族のことまでも書くことになり、それは彼らにとってはやめておいてほしかったに違いないことだろうから、というのも筆が進まない理由でした。
だから一切書くのはやめておこうと思いますが、結論からいえば、いま、私はすでに悲しみの中にはいません。
大きな不安と戦っている最中であることには変わりはないのですが、最高に幸せでもあります。
大きな不安があるからこそ、最高に幸せでもある、と言い換えてもいいです。
その気付きがあったので、そのことだけちょっと書かせていただこうと思いまして。



色にはマイナスのメッセージ、プラスのメッセージの両面がある、とオーラソーマを初めて習ったときに教わりました。
例えば、イエローには「楽しい、ワクワク」というプラスのメッセージと、「どこからくるのかいわれのないような不安、混乱」というマイナスのメッセージもあります。(※これだけではありません。イエローにはもっと他の意味もありますが)
そしてこのプラスのメッセージとマイナスのメッセージは「ここに2つの意味がある。この2つを丸暗記しなくちゃ」というものではありません。
この2つは同じことを言っているだけなんです。
そもそも、「ワクワク」って「どうしてワクワクするの?」と尋ねたってその理由がはっきりしません。
「どうして、って言われても・・ とにかくワクワクしちゃうんだもの」
ってな具合です。
もう思考が働く前に自分の本能が先走っちゃう、みたいな。
これは潜在意識からのメッセージですね。
そして、マイナスの意味である「どこからくるのかいわれのないような不安」というのもその裏返しです。
これも本能的なものですよね。
人はその「不安の正体」を突き止めれば、対処法もわかるわけですから、さほど不安にはなりません。
まっくらな部屋に入っても、スイッチがどこにあるか大体の位置がわかっていれば手でまさぐってすぐに明るくできるわ、と思うからさほど不安にはならないことでしょう。
しかし、初めて案内された部屋がまっくらだったら、どうしていいのかわからずに不安に駆られることでしょう。
「どこからくるのかわからないけれども不安」だからこそ、「混乱」するのです。



これはいわば、あるユニークな形をした造形物があって、ある方向から光を当ててみると三角形に見えるけれども、裏に回って別のある方向から光を当てて見ると四角形に見える、ということと同じです。
このユニークな形をした造形物が一定の方向から見ると三角形に見えようが四角形に見えようが、1つのどちらも備えた造形物には変わりありません。
私たちの感情もそれと同じことですね。
これはずーっと昔にもこのブログに書いたことを記憶しているのですが、
オーラソーマでは、
「色にはプラスのメッセージもマイナスのメッセージもある。そのどちらがしっくりくるのか、どちらのメッセージを採択すべきなのかはクライアントが決めることなので、クライアントとコンサルテーションしていきながら尋ねなさい」
と教わりました。
それに従い、私はあるとき
「~というわけで、イエローにはこの2つのどちらの意味もあるのですね。あなたは今、どちらのなかにおられますか?」
と尋ねました。
するとそのクライアントさんは、少し考えたあとでこうおっしゃったのです。
「う~ん、どちらもあると思う」
と。
これはそのときの私には衝撃でした。
そして人間の複雑さを思いやりました。
そうか~、そうだよな~、120%楽しくてワクワクしているだけ、ってことの方が人間、ないよな~って。
すごくワクワクしていても、だからこそ不安も大きいってのが人間じゃないだろうか。
例えて言えば、圧倒的な実力を持っている金メダル候補がいよいよレースに臨むときの気持ちってこんな感じじゃないでしょうか。
自分のふだんの実力を出せば、まずメダルは間違いないだろう、でも絶対ってものはないし、みんなの期待が大きすぎてそれを裏切ったらどうしようと思うと一抹の不安も感じるわ~ってな感じ。
反対に120%不安なだけ、ってこともないのでは、と思います。
例えば難病を抱えベッドに横たわっている身だ、します。
身体を動かすこともできない・・。
でも、だからこそ、今、窓の外に見えたあの木の枝に膨らんだ蕾を見つけたときのこの喜びったらないわ。
あんな小さな蕾、私が元気で外を飛びまわっていたら、きっと目にも留まらなかったことでしょう。
でも、今こうしてベッドに身体を横たえている身だからこそ、気付くことができたし、それがこんなにも嬉しいなんて、と。



私の場合もこれと同じことでした。
もう離婚するしかないのかな・・ それがお互いのために1番良い道なのかな・・ともんもんと考えていたときは確かに大きな悲しみのなかにいる、という感じでもありましたが、その反対にダーリンと交わす何気ない会話が宝物のように思えてきて最高に幸せでもありました。
テレビを見ながら、
「わぁ、明日雨かもしれないの? やだなぁ」
「大丈夫だろ。降水確率30%だからたいしたことないんじゃないのか」
例えば、誰と交わしたっていいようなこんな会話、こう言えば、たいていは誰だってこう返すんじゃないのか、という会話、そんな日常のどーでもいいような会話が宝物のように思えました。
誰と交わしたっていいような会話だけれど、それはダーリンとじゃなきゃダメなんだ、という強い気持ちが沸き起こりました。
そしてそう思う自分が幸せだなぁ、とも思いました。



ただ、それをして、
「どんな現実を創るのも自分次第。だったらいつもいつもその最高の幸せを感じるほうだけの視点でいたらいいじゃないの」
とは思いません。
述べてきたように、人は「不安」を感じるからこそ、「今の幸せ」を感じることもできる、と思うからです。
その両方ともを全部受け止めて、「不安」が決して悪いものではないぞ、と思えたらいいなぁ、とは思いますけれども。




広島ツアー やはり原爆のこと 2

2018-10-26 09:01:21 | 旅行記
秋のぴーちゃん祭り
詳細です。といっても、200%自由人のぴーちゃんなのでどんなアルケミーが起こるかか乞うご期待デス。

このところ、ワークショップを開催して来ましたが、ぴーちゃんのお話をじっくり深く聴きたいとのリクエストにお応えして又原点に立ち返り

一日中ずぅっとぴーちゃんのお話会
ぴーちゃん算命学、実はスゴイんです、
この算命学と開花したぴーちゃんのフラワーエッセンスをメインテーマに当日の参加者のリクエストに応えてぴーちゃんの無数の引き出しからお話をします。みつばちの話、人生観、コイバナ、フラダンス、オーラソーマ、テーマは限りなくハートx2この時間は貴女への素晴らしいギフトになる事は間違いアリマセン
   10月30日(火曜) 10月31日(水曜)
        11月1日(木曜)
いずれもおよそ10時から17時
参加費用 1日15000円 2日間29000円 3日間43000円
     モーニング、ランチタイム、ティータイムを含む
     ぴーちゃんからのナニカのお土産つきプレゼント 
     最寄り駅への送迎シマス
      
夜のぴーちゃんを囲む懇親会 3500円
     懇親会だけの参加もウェルカムですよ。
夜お泊り希望の方は、別途1泊1000円でお受けします。
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今日も、広島ツアーの原爆のことについての続きです。
次の日の午前中は少し自由時間がありました。
そこで、平和記念公園のすぐそばにホテルをとっていたので、歩いて行ける原爆資料館に行ってみました。
原爆資料館はいま、耐震工事を行っているのですぐお隣の小さな館のほうだけで営業を行っています。
それでも、十分に見応えがありました。
なにせ、小さい頃に修学旅行で来たおぼろげな記憶しかないのです。
それはほんとに「展示室」というレベルでした。
しかし、今は当たり前と言えば当たり前ですが、もっと現代的な見せ方になっています。



3Dを駆使した映像で、綺麗な街が一瞬のうちに焼野原になってしまう映像・・。
その爆心地に自分が立っているかのようなパノラマでの展示。
そのリアルさは目で見て、とか文字を追って、だけではわからないまさに皮膚で感じるものでした。
無力感・・。
もし私がここに居たら、生き残り、それでも生き抜こうとする強さなんか虫けらほどにもないに違いない。
ただ呆然と立ち尽くし、感情もなくした、ただの箱のような肉体をたずさえてぼーっとしているだけだろうな、それほどに私は弱いだろうな、と思いました。
だからこそ、だからこそ、生き残っている人たちは尊い。
ただただ、生きているだけで尊い、そう思いました。



私が小学生の頃に見た原爆資料館では自分で選択する余地もなく、ひたすら展示がつづき、そのなかには悲惨な写真や現存する衣服なども見ざるを得ないようになっていましたが、今は多少の配慮でしょうか、それらは入口付近の別コーナーにまとめられており、見学に耐えられない人はそこをスルーすることもできるようになっていました。
実際に、帰ってきてからこの話をしたら親戚の人が、
「あ~、わかる。私の友人にものすごく感じやすい人がいて、そのコーナーに近寄るだけで頭が痛くなる、という人がいたわ」
と言っていました。
それでも私は日本人として見る義務がある、という気持ちになり、そのコーナーに足を踏み入れました。
被爆者の証言などにもよくあるように、そこに写っている人たちは人間とは思えない・・ もしいきなり町でこの人を見たら幽霊か、と思いドキッとする、というくらいのひどい火傷を負って収容所にかつぎこまれた人たちでした。
顔が石膏のようになってしまって男性か女性かも判別できないようになった人・・ 骨がみえるまで足の肉がえぐりとられている子ども・・ 腕をまげた状態になって焼け爛れ伸ばすこともできくなっている人・・
そしてパネルの下に小さくキャプションがついていて、それを見るとたいていそれらの人たちはその状態で2週間ほども生きてから亡くなっているのです。
この状態で、たぶんほとんど治療らしい治療をほどこされることもなく2週間も生きているなんて、文字通り生き地獄だ・・・!
まさにそれならすぐに殺してくれ、と言いたかったことだろう、と目を覆いたくなりました。



一緒に行った友人がこんな話をしてくれました。
彼女が小学生の頃、なぜそういう話しになったのかは忘れたけれど、担任の先生から、
「もし、絶対に自分が被爆する場所からは逃れられないことが1時間前からわかっていたとしたら何をするか?」
という命題を投げかけられたことがあると言うのです。
自分の命を1時間捧げるとしたら、それで何が出来るか?という道徳の授業だったのでしょうか・・・?
彼女は、生徒たちから出たいろんな意見はすべて忘れてしまったけれど、担任の先生が
「私なら・・」
と語ったことだけを覚えている、と言いました。
それは、
「より爆心地に近づくための移動時間に使う」
だったそうです。
もう助からない、と判っているなら一瞬のうちに死にたいから。
被爆してから、苦しんで、苦しんで死にたくないから。
そんな話でした。
私たち人間には、「死にたくない」という本能が備わっています。
それに向かって、意図しまいが神経や意識も働くように出来ています。
でも、どうしても死から逃れられないとわかったら、「楽に死にたい」ということがこの世での唯一の希望となるのか、と思ったらやりきれないことです。
そして、そんな広島の被爆した中心地で暮らしていた親戚やたまたま離れて暮らしていた家族を探して、被爆した次の日からどんどん他市や他府県から人が流入しました。
そして、そういう人たちも被爆しました。
こういう被爆を「入市被爆者」と言うそうです。
入市で被爆した、という方が結構いらっしゃるのだということ、そして「入市被爆者」という言い方も今回初めて知りました。



この資料館がいつごろからあるのかわかりませんが、被爆者の方でいまもなお生き残っていらっしゃる方がいるのだから、ひょっとしたらこの展示の中には「あれは私の知り合いだ」とか、「家族だ」ということがありえるのかもしれません。
そう想像しただけでそれは私なら耐えられないだろう、と思いました。
そういう意味での犠牲のうえに成り立っている貴重な資料なのだよなぁ、と改めて思いました。
この原爆資料館を訪れたいろんな国の、いろんな民族の方がたが、この事実に何を感じ、何を持ち帰るのだろう、ということを1人1人にインタビューしてみたいような衝動に駆られました。



資料館には大きな時計があります。
この時計は「平和監視時計」と名付けられ、広島に原爆が投下された日から今日まで何日が経過したのか、そして世界のどこかで原爆実験が最後に行われた日から何日が経過しているのか、が表示されています。
「監視」という言葉はちょっとエキセントリックに感じるかもしれませんが、時計はただ誰にとっても平等な時の流れを刻み続けるだけです。
この時計が原爆資料館にしかない、ということが原爆をいかに後世に伝えていかなくてはならないか、の私たちの意識の希薄さを象徴している、と思いました。
もっと日本国中の、いや、世界中のあちこちに「平和監視時計」があってもいいのではないか、と思ったのでした。