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本を出版しました!
「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/4c/c57fbc781d10ce4f7b493cdc89e8c9aa.jpg)
オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。
ご購入はamaon.から → こちら
***********************************
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/bd/557691e4b5f81b9bf85c1bf6ef433b78.jpg)
<このメールを購読するとどんなメリットがあるの?>
*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。
*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます
*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。
*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。
*目標が明確になります。
*******************************************
昨日は、潜在意識を一緒に学んだ仲間たちが集まって、ハロウィンパーティを楽しみました。
けっこう皆さん、本格的な仮装をいたしまして、それぞれ似合っていてなかなかよろしかったです。
不思議の国のアリス、乙姫、魔女・・・。
私もちなみに魔女でした!
魔女の姿で、カードリーディングをしたり、クリスタルフレンドシップをやったり・・。
そのなかで不二子さんが、
「みんな、講座が終わってから何か進展があるかどうか発表してくれない?」
とおっしゃり、そして、SNSで有名などなたか(名前は忘れました・・)の「ビジネス構築の5つのサイクル」を紹介してくださいました。
そのなかのファーストステップ、
「今の仕事をやっている理由は? そもそも何のためにやるのか?」
についてちょっと書いてみて、と言われました。
これは起業コンサルを受けた時にも、潜在意識のときにも、さんざやらされたことです。
だから、もう耳タコならぬ筆タコでさらさらと寸分たがわぬ言葉を書けるはずでした。
しかし、たった1つのセンテンスならともかく文章というある程度長いものを寸分たがわぬ言葉で暗記しているはずもなく・・
言っていることは同じなのだけれど、また少しだけ表現の違うものとして書きました。
すると、不思議なことにまた新たな気付きがあるのですよねぇ。
不二子さんが、
「書きながら、自分にそれをなぜ? なぜ?と問い掛けながら落とし込んでいくといいわよ」
とおっしゃったので、その流れで書いていきました。
「今の仕事をはじめる原点は?」
↓
「事業が低空飛行で、常にくもり空の心を抱えているような自分がイヤだったから」
↓
「なぜ、そんな自分がイヤだったの? では、どうすればいいと思ったの?」
↓
事業がおもわしくない自分を変えたいのであれば、単に「もっと稼げばいい」というのも一つの答えです。
でも私は(私の場合、それは違うな)と思いました。
ぼんやりとですが、もし私がウハウハというほど稼いでしまったら、きっと私はとてつもなく鼻持ちのならない傲慢な人間になるに違いない、と思いました。
お金を手にしたからと言って舞い上がっちゃいけない、常に謙虚でいなくちゃいけない、というのが頭ではわかっていても、それこそ、
「どうして? どうしてそんなに謙虚でいなくちゃいけないのかわからない。だって現にあるんでしょ? あるのにないようなふりをするってそれこそ欺瞞じゃないの? 世間にひっそりと埋もれて息をひそめて、持っているのに質素な生活をすることがそれが謙虚ってことなの?」
と思ってしまう自分がいることがわかるんです。
そして私はきっとひとりよがりの人間になる・・・。
それを私は恐れているんだな。
そんなこと、恐れたって仕方がないし、げんにウハウハというほど稼いでもいないうちからそんな心配をすること自体がものすごぉくバカバカしいことなんだけれども、でもそれを恐れる気持ちが止まらない。
そこをそんなにも恐れるのであれば、そんな恐れを抱く必要なんてないのよ~という気持ちになるように是正するよう頑張るよりも、そんな自分を認めて、そんな自分がすんなりと収まれる場所にいるほうがよほど心地よくラクではないか、と思いました。
それは私にとっては、
「お金の尺度に囚われない自分でいたい」
ということでした。
私の中にそれをクリアすることにトライする方が好きだし、尊いというような気持ちがどこかにあるんでしょうね。
もともと、月収10万円しかないならそれはそれでいいではないか、生活を10万円にあわせるようにダウンサイジングすればいいだけでしょ、と思います。
それよりも今月は100万円の収入だったけれど、来月はまったくメドが立たず1万円もないかもしれない、ううん、それどころか借金を背負うことになるかもしれない、という生活のほうがイヤです。
そのほうが心がざわざわしちゃうからですね。
少し前にスーパーボランティア尾畠さんという方が脚光を浴びたことがありましたが、あるときテレビを見ていたら、彼の私生活まで密着していたドキュメンタリー番組をやっていたことがありました。
彼は、どこへボランティアに行っても、一切御礼を受けとりません。
そこの家の人が
「ありがとうございました。ご飯でもご一緒にいかがですか?」
と誘っても、それも断ります。
御礼をする方としても、ささやかながら「ご飯でも」と言いたい気持ちはわかりますし、「同じ釜の飯を食べた仲間」という言葉があるように、食べながらまた語り合うこともできたら、余計に親近感も湧くのに、という気持ちもあるかもしれません。
金品を受け取らないのはともかくとしても、ご飯の誘いくらい乗ってあげたらいいのに、という気持ちになったことも見ていてありました。
でも、彼は頑として信条としてそれはいっさいお断りです。
いっさいボランティアで、ガソリン代などの費用もかかるのに自分の車で現地に出向き、いったい彼にはどんな収入があって、どうやって自宅では生活しているんだろう?と心配になっちゃいますよね。
それもそのときのテレビでは映し出していて、彼はやはり年金だけで生活していました。
近所に住む実の子どもたちが時折、入れ替わり立ち代わり差し入れなどをしてくれているようでもありました。
でもやはりご自宅では、節約を強いられるような質素な生活をしておられました。
それを見たときふと私は「うらやましい」と思ったのでした。
何をうらやましい、と思ったのか?
それは尾畠さんが「ボランティアに人生捧げるなら、自分の生活は質素なものにしなくてはとてもまかなえない」というところに腹をくくっている点でした。
「残りの人生、ボランティアにささげたい」
「でも、贅沢な暮らしはしたい」
という願いが叶う人は、そのときまでにすでに相当な財産を築き上げてしまって、これからは稼がなくても悠々自適の場合しかありえないでしょう。
だからそういう人は別として、「残りの人生、ボランティアにささげたい」という使命を抱いた瞬間から、「年金だけでなんとかやっていく」ということに腹をくくらなくてはいけないわけです。
世間の人だって、もう尾畠さんは有名になってしまったから彼の持論も理解されていて特にそうでしょうけれども、尾畠さんが年金暮らしだからといって、「年金以外にも多少は稼ごうとしなくていいわけ?」
なんて思わないし、進言もしませんよね。
そういうふうに世間は世間、自分はこう決めた生き方をしていくだけ、と誰とも比較せず、自分を卑下せず、腹をくくった生き方をしているところがとてもうらやましいと思ったのでした。
それにひきかえ私はどうだ。
サラリーマンでなく自営であるかぎり、自分の工夫次第でどうにでもなるのだからもっと稼ごうという野心がないといけないだろう、と言われれば、それもそうだな、と思ったり、いやなかなかお金がままならない人にこそ手を差し伸べてあげたいな、だったらもっと稼ぎたいというのは矛盾するからあきらめないとね、ボランティアでもする? いやぁ・・ ボランティアまではね・・ 私も食べて行かなくちゃいけないしね、とブレまくっていました。
でもね、改めてハロウィンパーティという場だったけれど、自分の原点を書いてみなさい、と言われて、
「お金の観念に振り回されない自分を構築したい」
と思ってきたんだな~ということに気付きました。
同じことを何度やっても、ちゃんと新しい気付きがあるってすごいな~
このテーマは、葛藤が多く、ひょっとしたら葛藤しつづけることに意義があるテーマなのかもしれない、と思うほどですが、自分には自分で取り組むと決めたこのテーマがついて回っているんだな~と改めて認識いたしました。
ここ、大事なところだけど、これはあくまで“私が”好きで、選び取っているテーマなわけです。
こんなテーマをおっぽって、「お金に対するブロックを一切はずし、稼ぎまくる」に変えたっていいわけです。
でも、私はどうしても「お金に左右されないわたし」のほうを選びたい。
この選択に突き動かされるものこそが、もともとの私に備わっている使命そのものなのかもしれません。
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そのなかで不二子さんが、
「みんな、講座が終わってから何か進展があるかどうか発表してくれない?」
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「今の仕事をやっている理由は? そもそも何のためにやるのか?」
についてちょっと書いてみて、と言われました。
これは起業コンサルを受けた時にも、潜在意識のときにも、さんざやらされたことです。
だから、もう耳タコならぬ筆タコでさらさらと寸分たがわぬ言葉を書けるはずでした。
しかし、たった1つのセンテンスならともかく文章というある程度長いものを寸分たがわぬ言葉で暗記しているはずもなく・・
言っていることは同じなのだけれど、また少しだけ表現の違うものとして書きました。
すると、不思議なことにまた新たな気付きがあるのですよねぇ。
不二子さんが、
「書きながら、自分にそれをなぜ? なぜ?と問い掛けながら落とし込んでいくといいわよ」
とおっしゃったので、その流れで書いていきました。
「今の仕事をはじめる原点は?」
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でも私は(私の場合、それは違うな)と思いました。
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そのほうが心がざわざわしちゃうからですね。
少し前にスーパーボランティア尾畠さんという方が脚光を浴びたことがありましたが、あるときテレビを見ていたら、彼の私生活まで密着していたドキュメンタリー番組をやっていたことがありました。
彼は、どこへボランティアに行っても、一切御礼を受けとりません。
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何をうらやましい、と思ったのか?
それは尾畠さんが「ボランティアに人生捧げるなら、自分の生活は質素なものにしなくてはとてもまかなえない」というところに腹をくくっている点でした。
「残りの人生、ボランティアにささげたい」
「でも、贅沢な暮らしはしたい」
という願いが叶う人は、そのときまでにすでに相当な財産を築き上げてしまって、これからは稼がなくても悠々自適の場合しかありえないでしょう。
だからそういう人は別として、「残りの人生、ボランティアにささげたい」という使命を抱いた瞬間から、「年金だけでなんとかやっていく」ということに腹をくくらなくてはいけないわけです。
世間の人だって、もう尾畠さんは有名になってしまったから彼の持論も理解されていて特にそうでしょうけれども、尾畠さんが年金暮らしだからといって、「年金以外にも多少は稼ごうとしなくていいわけ?」
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そういうふうに世間は世間、自分はこう決めた生き方をしていくだけ、と誰とも比較せず、自分を卑下せず、腹をくくった生き方をしているところがとてもうらやましいと思ったのでした。
それにひきかえ私はどうだ。
サラリーマンでなく自営であるかぎり、自分の工夫次第でどうにでもなるのだからもっと稼ごうという野心がないといけないだろう、と言われれば、それもそうだな、と思ったり、いやなかなかお金がままならない人にこそ手を差し伸べてあげたいな、だったらもっと稼ぎたいというのは矛盾するからあきらめないとね、ボランティアでもする? いやぁ・・ ボランティアまではね・・ 私も食べて行かなくちゃいけないしね、とブレまくっていました。
でもね、改めてハロウィンパーティという場だったけれど、自分の原点を書いてみなさい、と言われて、
「お金の観念に振り回されない自分を構築したい」
と思ってきたんだな~ということに気付きました。
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ここ、大事なところだけど、これはあくまで“私が”好きで、選び取っているテーマなわけです。
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でも、私はどうしても「お金に左右されないわたし」のほうを選びたい。
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