どうもまだ新しい「Windows 7」のワードに慣れないなぁ・・
今までと同じようにUPしているのになぜだか最後の文章の文字だけが小さい文字になって反映されてる。
今日もそうなるのかなぁ。
全然、意図的にやっているわけではないんですぅ。
「ワード」をクリックすると、今度の「7」には、そこから直接ブログに反映できるというフォームがあって、「おぉ! こりゃ便利」と思ったのですが、それを使おうとすると最初に自分の「ID」やら「パスワード」を打ちこまなければならず、それが「ほかのところで使われる可能性もありますがいいですか?」みたいな文章があらわれて聞いてくる。
いや、そりゃ困るでしょ~とそこから投稿するのをあきらめました。
結局、新しい機能が付加されていても私は最小限のことでしか使えないんだわ、とほほ。
さて先日、知り合いの方がフランスへ旅行に行ってこられ、その土産話を聞いていました。
その方は「食」に関するお仕事についておられるので、勉強のためもあって、ちょっと贅沢かな、とは思いつつ、ミシュランの星のついたレストランを予約して行ってみたんだそうです。
そうしたら空いていて、彼女たちのほかにはもう1組お客様がいるくらいだったのにもかかわらず、彼女たちは入口に一番近い、人がわらわら出入りする末席に案内されたんだそうです。
この時点で何やら不穏な空気が・・
メニューを持ってくる。
もちろんフランス語です。
さっぱりわからない。
でも何とか見当をつけて、カタコトの英語で注文しようとすると、ボーイが、
「ノー、ノー、イングリッシュ、ノー。」と言う。
ボクは英語がわかりませんよ、ではありません。
うちのレストランでは英語は受け付けませんよ、というかたくなな意思表示です。
だって、意味がわかってるからこそ、「イングリッシュ、ノー」って言うわけでしょ。
ふと見ると、お客が少ないので、手持ち無沙汰になっているボーイたちが向こうのほうの壁際で一斉にこちらを見てなにやら仲間同士でささやき合っては、くすくす笑っている。
「お飲物は?」と聞かれ、彼女たちはアルコールが飲めない人たちだったので、ワインは注文しなかった。
するとまたボーイは大仰に驚いた様子を見せ、
「はぁ? うちでワインも注文せずに食事する人なんていませんよぉ。」的なことを言う。(言っているような気がしたんだそうです。でもいくら言葉がわからなくてもこういうことって不思議なことにたいてい当たってますよね・・)
それでも飲めないものは飲めないんだから、お料理だけの注文を強行突破する。
なんとかコースを食べ終えたけれど、濃いソースと濃い味付けに辟易とし、(これは確かにお酒を飲みながら、の味付けだわ・・)と早々に退散したそうです。
ボリュームもたっぷりすぎて、もう1組のフランス人の熟年カップルも残していたそうです。
この話を聞いて、相変わらずフランスって変わってないんだなぁ、と思いました。
私は20代の若いころに友人とヨーロッパ物見遊山の旅行に行ったことがありますが、やっぱりそういう態度だったもん。
あのときは、ヨーロッパの重厚な文化に圧倒され、(ここは小娘のくるところじゃないわ・・)と自分の年齢を嘆き、年齢を重ねたほうがステキでいられる土壌に憧憬の念を抱いたものですが、そればっかりではなかったんだ・・
やっぱり、フランス人にはどう考えてもいまだに黄色人種をバカにしているようなところがあるのでは?
悲しいかな、そう思ってしまいました。
自分たちの文化に誇りを持つのはいいけれど、それで異国人とは交わらないようにする、ってのはどうなんだ?
・・と思ったときにふとこうも思いました。
いや、彼らは日本人や黄色人種をバカにしているわけではなくて、日本人によってさんざこれまでに自分たちの大切にしてきた文化を冒涜されたような気持ちになっているのかもしれない。
例えばだけれど日本が高度成長の時代、みなさんこぞって海外旅行を楽しむようになりました。
そこで例えば、ミシュランの三ツ星レストランなどにも出かけられた人は多いでしょう。
けれど、ヨーロッパでそういったレストランに出かける人というのは、それなりの品格や財力を身に着けた人だけらしいんですよね。
極端なこと言えば、コース料理で3万円するようなレストランに、「今日、競馬で大穴あけたぜぃ! だから3万円の食事だってなんてことないさ。奮発して今日はこのレストランに入ってみてやるか。」なんて人はいない、ということです。
彼らはもっと深く長い歴史に基づいて、自分がこのレストランで食事をするにふさわしい人物かどうかを踏まえたうえで、自分に似つかわしいランクの店をちゃんと選択する。
それが当時、日本人はそれこそ「え? 支払いますよ。ちゃんと3万円。払えるんだから客でしょ。なにがいけないの?」という態度だったのではないか、と推測します。
例えば、逆の立場で考えてみたらわかるでしょう。
今、日本では中国人の団体ツアーのマナーの悪さに悩まされるお店が多い、という話をちょくちょく耳にします。
彼らは、「試食」で出してある食品を洗いざらい平らげ、ちゃんとラップして包んである商品を勝手に出してしまって広げる。
私たちは、そういうことはお店の人に確認してからでしか行ってはいけない行為だということを知っている。
だから、なんてマナーを知らない荒っぽい人たちでしょう、と憤慨する。
そのくせ秋葉原の電化製品は札束を切って買いあさる財力のある彼らを見て、あ~ぁ、急に経済が発展するとこういうことになるんだなぁ、なんて目で見る。
けれどきっとそれは40年前くらいのヨーロッパでの日本人の姿そのものなのかもしれない・・
そう思い至ったのでした。
だから私たちが今、中国人の人だ、とわかるとすわ、何か商品を売り物にならないような状態にされてしまうかもしれない、と身構えるように、ヨーロッパの人たちは日本人とみると、「来たっ! あの無知でお金さえあれば何でも自分の思い通りになると思っている人種がっ!」というように警戒してしまうのかもしれません。
そして言葉が通じないように、我々の文化や歴史を大切にする気持ちが日本人には通じるわけがないのだから、気持ちの通じない人間には最初からこちらだってこちらの流儀をあくまでも押し通す態度をしてやる、というような歴史が出来上がってしまっているのかもしれません。
でもこの悪い意味での「歴史は繰り返す」というループを断ち切るためには、私たちが自分たちがしてきた報いを今受け取っているんだな、と思い至り、中国人をはじめとする日本に訪れる外国の団体ツアーの人たちに同じことをして返す、ということをしないように心掛けなくてはならないでしょう。
ふと彼女が言いました。
「でもね~ ノートルダム寺院の隣にある教会に行ったとき、その歴史の成せる荘厳な空気に圧倒されたわ。
そこは天井までびっしりと手の込んだステンドグラスで、いったいこれだけの仕事をするには何年、いや、何十年かかったんだろう、っていう代物だったけれど、そこから漏れる光の美しいことったら!
あの歴史の重みに裏打ちされた、激しくも優しく襲いかかってくるような圧倒的な光・・
ここで感じた一瞬の光と色から感じたものは、講義でだけ聞く色からは受け取れるものではなかった。」と。
わかるような気がしました。
これこれ、こういうことを感じよう、とするのではなく、何も身構えない真っ白な状態で感じることの大切さ。
その感じたことからの学びは、たとえ時間としたら一瞬であっても、36時間のコース以上のものがあることでしょう。
そして「誇りとおごりをはき違えてはいけない。歴史のもつ無言で圧倒的な教えは何にも代えがたい。」と思いました。
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