「クリスタルマスターズコース2012」の、それは3日目でした。
私にとってとても印象的なことがありました。
それは、「遺伝子のワーク」をやっていたときのことです。
私は、身体の上にクリスタルを配置され、床に寝そべり、目を閉じ、安らかな気持ちで横たわっていました。
時折聞こえるマリア先生の、施術者役の人に対する指示の言葉もよく聞こえます。
マリア先生がこうおっしゃいました。
「施術者の人は、床に寝ている存在を愛をもって見つめてくださいね。そこにいるのはただそのままで天使のような愛される存在です。」と。
するとそれまでリラックスして空っぽになってただ横になっていたはずの私のハートがざわざわっとしました。
(違う! 私はそんな、愛されるような存在じゃない。)って思ってしまったのです。
そう思った自分にとてもびっくりしました。
世の中に「自分は愛されていない。」「愛された、という記憶がない。」と言って悩んでいる人は大勢います。
私のサロンにも、あぁ、この人の問題の根っこはそこなんだなぁ、と思う方がいっぱいいらっしゃいます。
「3姉妹の真ん中だったから、最初に産まれて一身に母からの愛を受けた長女、末っ子だからと可愛がられた妹に比べて、自分は母からおまえが一番だよ、という扱いを受けたことがない。」ということがトラウマになっている真ん中生まれの人、小さい頃から両親から虐待を受けて育ち、そもそも親なんてそんなもんだと思っていた人、両親が不仲で2人の間に愛を感じられなかったから自分も恋愛には臆病になっていて愛というものがよくわからないと言う人・・・・
それはそれはさまざまに愛に飢えた背景があります。
でも、私は、と言うと一人っ子で育ち、親の愛を誰かに盗られる、と思ったことがありません。
いつも母との折り合いのことについてはぶぅぶぅ言っている私ですが、そして親からは優しい言葉やスキンシップをたっぷり受けた、という記憶はないけれども、それでも言わなくてもわかっているよ、というものが私の中のどこかに確実な信頼としてありました。
純粋培養された庇護のもとに育ったようなもんです。
だから、自分が「愛してもらえる存在ではない。」なんて思ったことは人生でただの1度もない、と思っていたのです。
けれどこのときに「あなたの前で寝ている人は、愛される存在で・・」「天使のような存在で・・」と言われたとたんに、「違う! 私ってそんなんじゃない!」と言ってガバッと起き上がってしまいたくなった私は何なんでしょう?
私の中にもやはり「○○でないと愛されない。」という恐れがあったのでしょうか。
“いい子でないと愛されない。
素直でないと愛されない。
聞き分けのよい、ものわかりのよい子でないと愛されない。“
たいていの人の“恐れ”がそのようなものであるなら、それは私にはなかったのは確か。
しかし、
“自立していないと愛されない。
しっかりしたことを言わないと愛されない。
優秀な成績をとってこないと愛されない。“
それはあったかもしれない・・・
それらの「自立」「しっかりしている」「優秀な成績」でないといけないという”恐れ”は学校を卒業し、就職をし、文字通り1人前の社会人となって自立をうながされる年齢になると、「安定した収入をもっている」「標準よりゆとりのある生活が送れること」「あくせくしなくても能力が高いゆえにスイスイと世の中渡ってゆけてる感じ」でなくてはいけないという”恐れ”にそのままスライドしました。
そう、私は親からいまだに「うちの子は、十二分に安定した収入があって、ゆとりのある生活を送っていて、あくせくしなくても学生時代に勉強を頑張ったからそのおかげで能力が高く、スイスイと世の中渡っていけてるのよ。」と思われないと愛されない、と思っていたのです。
親の幸福感と私の幸福感とは別だから、もうそんな呪縛からは解放されていいのよ、と頭ではわかっていても、「でもまぁ、本当にそれもクリアできたら、それが私に単なる“聞き分けのよいいい子”を求めなかった親への親孝行でもあるんだから、それにこしたことはないんだけどなぁ。」という思いが消せず、そして実際にはそれに見合うような生活をしていない自分がふがいない、と思い悶々としている・・・
それが現実の私です。
それを「ありのままでも愛されて・・・」「目の前に居る人は天使の存在で・・」という部分とあまりにもギャップを感じて、「違う!」と言いたくなってしまったのでしょう。
でも・・・と目を閉じ、身体を横たえながら、まだ私は悶々とし続けます。
「ありのままでいいんだよ。」というメッセージもオーラソーマでは、数あるボトルからよく出るメッセージの1つですが、これまたずっと私は、自分には関係のないメッセージだ、と思っていました。
「ありのままの自分でいいんですよ、とボトルは言っています。」とお伝えして、
「そうなんですね! あぁ、良かった・・」と涙を流すほどの思いをされる人というのは、たいていがこれまでの人生で、「自分を抑えつけてきた。」「抑えざるを得ないような境遇にあった。」という方たちでした。
平たく言えば、「もっと自分の思うこと、感じたことをそのまま表現してもいいんだよ。」と言ってあげただけで、救われた、と感じる人たちです。
でも、私はそのカテゴリーの人間ではないんですよね・・
これまでの人生で私は、自分の言いたいことの100分の1も言えなかった・・ 自分を抑えつけてきた・・ と感じることはこれっぽっちもありません。
言い過ぎた、やりすぎた、と思うことはあっても。
だからその捉え方でいくと「ありのままの自分でいいんですよ。」というメッセージも、どうも私には響いてこなかったんですよね。
響いてこないどころか、「ありのままの自分でいいっていうんなら、いったい何のためにこの世に産まれてきたのかわかりゃしない。」とさえ思いました。
もっと気付きたい、もっと成長したい、もっとそのことを人にも伝えたい、と思って生きてきてるのに、いやいや、あなたはそんなことをしなくてもごろんと芋虫のようにそこに寝っころがっているだけでも愛される存在なんですよ、って言われたって納得できない。
それでは一体私の使命は何なのか?
強くそう思いました。
そしてワークが終わり、シェアが行われ、また次のワークに入る、という段になりました。
次のワークは、「拡張する」というワークでした。
マリア先生がおっしゃいました。
「さっきのワークで、みんなどんな気分になった? すっきりした人。」と挙手をつのったら、ほとんどの人が手を上げました。
「じゃあ、なにかすっきりしていない、とか逆に落ち込んじゃった、っていう人。」と聞かれ、私は手を上げました。
私のほかにはもう1人の方が手を上げました。
するとマリア先生は、
「じゃあ、ちょっとそのふたりはワークをしないで、わたしのところへ来て。ちょっと個人面談しましょう。今度のワークは、ポジティブなものを拡張するっていうワークなので、ポジティブなものが得られないまま行っても、意味がないと思うから。」とおっしゃいました。
そして最初に呼ばれた私は、ここまで書いてきたような私の気持ちのプロセスを正直に話しました。
そして「そもそも頑張ることのほうが落ち着くんです。だからありのままでいいって言われても何かしっくりこなくて・・・」と言いました。
するとマリア先生はこうおっしゃったのです。
「ステキなことじゃない! えっちゃんはきっともっともっと人を癒してあげたいのね。そうでしょ?」
「はい・・ そうですね。」
「今のままの自分では足りない、もっと埋めるべき隙間があるっていうことは、それだけもっと大きな自分がいるってことよ。受け皿が大きいから、今のままのありのままじゃなくて、もっと載せられるのに、って思うのね。」
こう言われた瞬間、私は目の前がぱあっと明るくなるのを感じました。
あっ、もうそれ以上おっしゃっていただかなくて結構です。
あとは自分で消化します、って感じ。
何か導火線に火をつけられたら、その先、どういう爆発が起こって解放されるかは自分だけのものにしたいからこれ以上のお膳立てはいいですよ~みたいな。
だから私は、
「わかりました! そうおっしゃっていただいて一気にすっきりしちゃいました。もう大丈夫です。ポジティブにワークできます!」ってはりきっちゃいました。
何と単純な私だことよ・・
そして実際に非常にポジティブに、「ポジティブを拡張するワーク」を行うことが出来ました。
この日の最初に行った私のクリスタルアチューンメントは「あらゆる経験を受容する」だったのです。
そして私が重ねてクリスタルに、「その経験は自分が望むものと望まないものとにかかわらず?」と尋ねると、クリスタルは、「そうだ。そこには何の差もない。」と言いました。
そのときにはそれが何を意味するのかよくわからなかったのですが、1日のワークを通して、1つの事柄が自分の捉え方1つで、ネガティブにもポジティブにもなるのがわかって、まさに“あらゆる経験”とはこういうことだな、と気づきました。
このようにアチューンメントを行うと、そのときには何のことだかわからなくても、あとで必ずジグソーパズルのピースが見つかるようにカチッカチッと当てはまっていくのでした。
この日のことはずっと忘れないと思います。
この日のワークにたまたま辻褄があってケリがついた、ということだけでなく、「ありのままの自分でいい」という意味は、私にとってはこういう解釈をすればいいのかということや、私がずっと幼い頃から抱いてきた恐れにも改めて気付くことができました。
アチューンメントはクリスタルと私との間だけでなく、マリア先生と生徒の間にもあると思いました。
こんなにも自分の気持ちにしっくりとくる言葉の宝物がいただけるなんて。
それはまるで自分のなかの空洞に大きすぎもせず、小さすぎもしない光がぴたっとはまった、という感じです。
私はまた1つ自分が浄化されたのを感じました。
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