ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

クリスタルマスターズコース2012 ~恐れからの解放~

2012-11-30 09:11:00 | オーラソーマ

「クリスタルマスターズコース2012」の、それは3日目でした。

私にとってとても印象的なことがありました。

それは、「遺伝子のワーク」をやっていたときのことです。

私は、身体の上にクリスタルを配置され、床に寝そべり、目を閉じ、安らかな気持ちで横たわっていました。

時折聞こえるマリア先生の、施術者役の人に対する指示の言葉もよく聞こえます。

マリア先生がこうおっしゃいました。

「施術者の人は、床に寝ている存在を愛をもって見つめてくださいね。そこにいるのはただそのままで天使のような愛される存在です。」と。

するとそれまでリラックスして空っぽになってただ横になっていたはずの私のハートがざわざわっとしました。

(違う! 私はそんな、愛されるような存在じゃない。)って思ってしまったのです。

そう思った自分にとてもびっくりしました。

世の中に「自分は愛されていない。」「愛された、という記憶がない。」と言って悩んでいる人は大勢います。

私のサロンにも、あぁ、この人の問題の根っこはそこなんだなぁ、と思う方がいっぱいいらっしゃいます。

3姉妹の真ん中だったから、最初に産まれて一身に母からの愛を受けた長女、末っ子だからと可愛がられた妹に比べて、自分は母からおまえが一番だよ、という扱いを受けたことがない。」ということがトラウマになっている真ん中生まれの人、小さい頃から両親から虐待を受けて育ち、そもそも親なんてそんなもんだと思っていた人、両親が不仲で2人の間に愛を感じられなかったから自分も恋愛には臆病になっていて愛というものがよくわからないと言う人・・・・

それはそれはさまざまに愛に飢えた背景があります。

でも、私は、と言うと一人っ子で育ち、親の愛を誰かに盗られる、と思ったことがありません。

いつも母との折り合いのことについてはぶぅぶぅ言っている私ですが、そして親からは優しい言葉やスキンシップをたっぷり受けた、という記憶はないけれども、それでも言わなくてもわかっているよ、というものが私の中のどこかに確実な信頼としてありました。

純粋培養された庇護のもとに育ったようなもんです。

だから、自分が「愛してもらえる存在ではない。」なんて思ったことは人生でただの1度もない、と思っていたのです。

けれどこのときに「あなたの前で寝ている人は、愛される存在で・・」「天使のような存在で・・」と言われたとたんに、「違う! 私ってそんなんじゃない!」と言ってガバッと起き上がってしまいたくなった私は何なんでしょう?

私の中にもやはり「○○でないと愛されない。」という恐れがあったのでしょうか。

“いい子でないと愛されない。

素直でないと愛されない。

聞き分けのよい、ものわかりのよい子でないと愛されない。“


たいていの人の“恐れ”がそのようなものであるなら、それは私にはなかったのは確か。

しかし、

“自立していないと愛されない。

 しっかりしたことを言わないと愛されない。

 優秀な成績をとってこないと愛されない。“

それはあったかもしれない・・・


それらの「自立」「しっかりしている」「優秀な成績」でないといけないという”恐れ”は学校を卒業し、就職をし、文字通り1人前の社会人となって自立をうながされる年齢になると、「安定した収入をもっている」「標準よりゆとりのある生活が送れること」「あくせくしなくても能力が高いゆえにスイスイと世の中渡ってゆけてる感じ」でなくてはいけないという”恐れ”にそのままスライドしました。

そう、私は親からいまだに「うちの子は、十二分に安定した収入があって、ゆとりのある生活を送っていて、あくせくしなくても学生時代に勉強を頑張ったからそのおかげで能力が高く、スイスイと世の中渡っていけてるのよ。」と思われないと愛されない、と思っていたのです。


親の幸福感と私の幸福感とは別だから、もうそんな呪縛からは解放されていいのよ、と頭ではわかっていても、「でもまぁ、本当にそれもクリアできたら、それが私に単なる“聞き分けのよいいい子”を求めなかった親への親孝行でもあるんだから、それにこしたことはないんだけどなぁ。」という思いが消せず、そして実際にはそれに見合うような生活をしていない自分がふがいない、と思い悶々としている・・・

それが現実の私です。

それを「ありのままでも愛されて・・・」「目の前に居る人は天使の存在で・・」という部分とあまりにもギャップを感じて、「違う!」と言いたくなってしまったのでしょう。

でも・・・と目を閉じ、身体を横たえながら、まだ私は悶々とし続けます。

「ありのままでいいんだよ。」というメッセージもオーラソーマでは、数あるボトルからよく出るメッセージの1つですが、これまたずっと私は、自分には関係のないメッセージだ、と思っていました。


「ありのままの自分でいいんですよ、とボトルは言っています。」とお伝えして、

「そうなんですね! あぁ、良かった・・」と涙を流すほどの思いをされる人というのは、たいていがこれまでの人生で、「自分を抑えつけてきた。」「抑えざるを得ないような境遇にあった。」という方たちでした。

平たく言えば、「もっと自分の思うこと、感じたことをそのまま表現してもいいんだよ。」と言ってあげただけで、救われた、と感じる人たちです。

でも、私はそのカテゴリーの人間ではないんですよね・・

これまでの人生で私は、自分の言いたいことの100分の1も言えなかった・・ 自分を抑えつけてきた・・ と感じることはこれっぽっちもありません。

言い過ぎた、やりすぎた、と思うことはあっても。

だからその捉え方でいくと「ありのままの自分でいいんですよ。」というメッセージも、どうも私には響いてこなかったんですよね。

響いてこないどころか、「ありのままの自分でいいっていうんなら、いったい何のためにこの世に産まれてきたのかわかりゃしない。」とさえ思いました。

もっと気付きたい、もっと成長したい、もっとそのことを人にも伝えたい、と思って生きてきてるのに、いやいや、あなたはそんなことをしなくてもごろんと芋虫のようにそこに寝っころがっているだけでも愛される存在なんですよ、って言われたって納得できない。

それでは一体私の使命は何なのか?

強くそう思いました。

そしてワークが終わり、シェアが行われ、また次のワークに入る、という段になりました。

次のワークは、「拡張する」というワークでした。

マリア先生がおっしゃいました。

「さっきのワークで、みんなどんな気分になった? すっきりした人。」と挙手をつのったら、ほとんどの人が手を上げました。

「じゃあ、なにかすっきりしていない、とか逆に落ち込んじゃった、っていう人。」と聞かれ、私は手を上げました。

私のほかにはもう1人の方が手を上げました。


するとマリア先生は、

「じゃあ、ちょっとそのふたりはワークをしないで、わたしのところへ来て。ちょっと個人面談しましょう。今度のワークは、ポジティブなものを拡張するっていうワークなので、ポジティブなものが得られないまま行っても、意味がないと思うから。」とおっしゃいました。


そして最初に呼ばれた私は、ここまで書いてきたような私の気持ちのプロセスを正直に話しました。

そして「そもそも頑張ることのほうが落ち着くんです。だからありのままでいいって言われても何かしっくりこなくて・・・」と言いました。

するとマリア先生はこうおっしゃったのです。

「ステキなことじゃない! えっちゃんはきっともっともっと人を癒してあげたいのね。そうでしょ?」

「はい・・ そうですね。」

「今のままの自分では足りない、もっと埋めるべき隙間があるっていうことは、それだけもっと大きな自分がいるってことよ。受け皿が大きいから、今のままのありのままじゃなくて、もっと載せられるのに、って思うのね。」

こう言われた瞬間、私は目の前がぱあっと明るくなるのを感じました。

あっ、もうそれ以上おっしゃっていただかなくて結構です。

あとは自分で消化します、って感じ。

何か導火線に火をつけられたら、その先、どういう爆発が起こって解放されるかは自分だけのものにしたいからこれ以上のお膳立てはいいですよ~みたいな。

だから私は、

「わかりました! そうおっしゃっていただいて一気にすっきりしちゃいました。もう大丈夫です。ポジティブにワークできます!」ってはりきっちゃいました。

何と単純な私だことよ・・

そして実際に非常にポジティブに、「ポジティブを拡張するワーク」を行うことが出来ました。

この日の最初に行った私のクリスタルアチューンメントは「あらゆる経験を受容する」だったのです。

そして私が重ねてクリスタルに、「その経験は自分が望むものと望まないものとにかかわらず?」と尋ねると、クリスタルは、「そうだ。そこには何の差もない。」と言いました。

そのときにはそれが何を意味するのかよくわからなかったのですが、1日のワークを通して、1つの事柄が自分の捉え方1つで、ネガティブにもポジティブにもなるのがわかって、まさに“あらゆる経験”とはこういうことだな、と気づきました。

このようにアチューンメントを行うと、そのときには何のことだかわからなくても、あとで必ずジグソーパズルのピースが見つかるようにカチッカチッと当てはまっていくのでした。

この日のことはずっと忘れないと思います。

この日のワークにたまたま辻褄があってケリがついた、ということだけでなく、「ありのままの自分でいい」という意味は、私にとってはこういう解釈をすればいいのかということや、私がずっと幼い頃から抱いてきた恐れにも改めて気付くことができました。


アチューンメントはクリスタルと私との間だけでなく、マリア先生と生徒の間にもあると思いました。

こんなにも自分の気持ちにしっくりとくる言葉の宝物がいただけるなんて。

それはまるで自分のなかの空洞に大きすぎもせず、小さすぎもしない光がぴたっとはまった、という感じです。

私はまた1つ自分が浄化されたのを感じました。





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クリスタルマスターズコース2012 ~ちょっと脱線した話題~

2012-11-29 09:11:00 | オーラソーマ

クリスタルマスターズコース2012で、ちょっと脱線(? かなぁ・・ オーラソーマってすべての体験を血とし肉としていくところがあるので、これがほんとうに脱線といえるのかどうかよくわかりません。)したことで、こんなことがありました。

3スターズ(頭の上のソウルスター、おなかのあたりにあるインカネーショナルスター、足の下にあるアーススター)
の説明のときにマリア先生が、「ちなみに私たちの足元にはアーススターがありますけれど、そのアーススターは実は死ぬまでに私たちが訪れることになっているところを全部知っている、と言われています。」とおっしゃったあとに、「皆さんには、なぜかこの土地には縁があるなぁ、とかここに何度も来ることになるなぁ、というようなところはある?」とお尋ねになりました。

マリア先生にとっては、それはフランスだそうです。

マリア先生はオーラソーマを学ぶ前にやってらした前職の化粧品会社の関係でフランスに何年か住んでいたことがあるそうです。

そのときも心地よかったし、今でも疲れてちょっとリフレッシュしたいなぁ、というときにはなぜか無性にフランスに行きたくなるそうなんです。

フランスに行くと「戻ってきた。」という感じがするんだとか。

「ただもう、その地を踏めばいいのよ。着けばどこに行くってこともなく、ただいるだけなんだけどね。それで落ち着いてさぁ、って感じでまたリフレッシュして日本に戻ってくるの。」とおっしゃいました。

私にはそんな場所ってあるかなぁ、と首をひねりました。

何かしらここには縁があるなぁ、と思う場所・・・  特にないなぁ。

なぜか知らないけれどここには何回か訪れることになるなぁ、という場所・・・  これも特にないなぁ。

初めてやってきた場所だけれどなぜか初めてのような気がしないような場所・・・  ない・・

初めて訪れて、そして居心地のよいところだなぁ、と思うところはあったけれど、それだけで縁があったと考えるのは早計に過ぎるでしょう。

初めてだからこそ、実際に住んでみての大変さも知らぬままにただ異郷人として居心地のよさを満喫する、ってことはあっても。

ただ、岐阜という土地からはなぜか離れられない、という自分がいることは確か。

そんなにこの地を愛している、っていう実感もないのに。

たぶん、アンケートをとったら全国でも下から数えて何番目くらいに印象のない県であるだろう岐阜。

それをこれまで恥じてきました。

人に「どこのご出身?」と聞かれても、「あの・・ わからないかもしれませんけど、岐阜です。」って感じで。

もう日本中の人に「ソマリアってどこか知ってる?」と聞かれても答えられる人は10%くらいじゃないの?って思うのと同様に、「岐阜ってどこか知ってる?」と聞かれても同じくらいの割合なんじゃないか、って思える。

「岐阜県」としてとらえたら有名なのは、飛騨高山地方だけれど、それはもう美濃地方の私としてはまるで異文化ほどに違う場所としか言いようがない。

「岐阜市」としてとらえたらなぁ~んにも他県に対して自慢できるようなところは特段にないように思います。

しかし、それでもなぜか離れられない。

大学を卒業するとき、そのまま東京で就職することは一瞬たりとも考えなかった。

でもそれは岐阜が恋しいからではなくて、東京では就職先が見つかりそうもなかったから。初任給ではとても風呂付・トイレ付のアパートが借りられそうにもなかったから。

そんな単純な理由だと自分の中では処理していました。

しかし、何かしら郷愁というようなものが実は私の中にあったのでしょうか・・

だから生まれて、今いる場所の岐阜、というところが強いて言えば縁があった、ということになるのでしょうか。

そうして考えてみたら、ふとこんなことに思い当たりました。

少し前にマヤ暦の講座を受けたとき、「実は『太陽の紋章』は土地にも対応しているのよ。」と言われました。

世界地図に子午線のようなものがひっぱられ、区切られた各エリアに対応している太陽の紋章がありました。

「自分の産まれたときの太陽の紋章と同じ紋章を持っているところに前世では縁があったのかもしれない、とかいうように考えて世界地図を見てみるのも面白いわね。」とそのとき先生はおっしゃいました。

そしてどれどれと私が「青い嵐の・・」を探してみると、それは中央アフリカのあたりでした。

まさにど真ん中のコンゴ共和国のあたり。

これまでにアフリカに行ってみたい、とかアフリカの文化に特に興味をそそられたとか、コンゴに縁がある、とか思ったことはありません。

そのとたん、私はそれについては興味が失せ、特に深く探求する気持ちは持ちませんでした。

しかし、改めて縁があるところとして考えたとき、岐阜との共通点を見つけました。

それは“真ん中”ということ。

岐阜は以前、岐阜市のお隣の美並市というところが人口の比重としてちょうど日本の真ん中になる、ということで勝手に「日本ど真ん中宣言」というものをして、政府機能などの一部も日本の真ん中にもって来るべきだ、という運動をはたらきかけたり、「ど真ん中」ということで多少なりとも観光として売り込んだみたいです。

結果は無残でしたが・・・

そしてそのうち、人口の比重の真ん中なんて徐々に移り変わってしまいますから、今は美並市ではないと思います。

しかし、まぁ、厳密にど真ん中かどうかは別として、日本地図のほぼ真ん中あたりに位置している岐阜、という土地。

そしてまたアフリカの中央に前世的には縁があったかもしれない同じ太陽の紋章を持つ土地があったなんて。

その共通項が“真ん中”で、どちらも海に面していない県・国であるところに何か意味があるような気がしました。

確かに私は海にまったく興味がないし、「はじっこ」よりは「真ん中」あたりにいたほうが落ち着く。

たとえどんな土地に行ったとしても「真ん中あたりに居たい。」というのが私のアーススターの求めるところなのかもしれません。

皆さんには、どこか縁を感じる土地、なぜか何度も訪れることになる土地、というものがありますか?

それは生まれたときから持っているアーススターがとっくに知っていたことなのか、と思うと感慨深くありませんか?

私たちの足の下にあるアーススターは、生涯行くべき場所とつながっているそうですよ。

自分の下に木の根っこが張り出しているように、行くべき土地と網羅された神経のようにつながって、それがつながっているがゆえに自分でも意識しないうちにその土地に行かされる、ということがあるのか、と思うと面白いですよね。

そして、これからあなたが死ぬまでにどこへ行くことになるのかも予測がつくかもしれませんね。





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クリスタルマスターズコース2012 ~クリスタルアチューンメントでの気付き~

2012-11-28 09:06:00 | オーラソーマ

今日からはクリスタルマスターズコース2012に出た私の気付きの数々とそのストーリーをお伝えしていきたい、と思います。


まず初日のしょっぱなに、マリア先生からこう言われました。

「皆さん、クリスタルっていうと、持っているだけでいいことがあるのかなぁ、とかクリスタルが何かを自分に教えてくれる、とか期待しちゃうことがあるかもしれないけれど、クリスタルとの付き合い方はそういうものではないの。そういう考え方はまず一切捨ててね。

そして、クリスタルとお友達になろう、って考えてください。

お友達に一方的にこちらから何かを期待したりはしないでしょう?」と。

これは、クリスタルに限らず何につけても言える姿勢だと思います。

私たちは普段、あまり神のことを考えたり感謝のお参りを欠かさなかったりなどしないくせに、受験のときや恋愛成就を願うときや子宝に恵まれたいなどもろもろの自分の願いごとがあるときだけ神棚に祈ったりします。

そんな得手勝手な私たちを見放さないのがまた神であるとも思いますが、こういうことじゃホントはいけないんですよねぇ。

クリスタルもそれと同じことなんだな、と思いました。

それから私たちには手のひらのなかに握れるくらいの可愛いクリスタルがひとりに1つずつ、与えられました。

そして「まずはその子とお友達になってみてください。」と言われました。

お友達になるためには、その人のことをよく知りたい、って思うでしょう?

クリスタルについてもそういう関心をもって見つめます。

そして「その人のことをよく知りたい」って思うときというのは、すでにその人に対して好感を抱いていますよね。

何もアラ探しをするようなつもりで「もっとよく知りたい」って思うことはありませんよね。

そこが大事だと思いました。


クリスタルに浄化をほどこし、大切に大切に扱っていくうちに、だんだんとクリスタル自身も輝きを増してくるように見えました。

手がかかればかかるほど我が子は可愛い、と言いますが、そんな感じです(笑)

それからアチューンメントを行いました。


「アチューンメント」とは、ピアノの調律と同じ「アチューン」(調律)をすること、です。

そう言われただけで単純な私は、「あ、なぁ~んだ。クリスタルと波長をあわせようという気持ちを持つだけでいいのね。」とこれまた気持ちが楽になりました。

というのも、スピリチュアルな世界で「アチューンメント」というと、通常「他者に伝授する」という意味でのセッションのことですよね。

「マスターのアチューンメント」とか「女神のアチューンメント」とかをセッションのメニューにしていらっしゃる占い師の方とかもよく見受けます。


これまで私は何だかその「アチューンメント」という言葉の持つ質感、と言いましょうかいかにも天界の仕事人らしいような言い回しに最初から拒否反応がありました。

「はい、今、マスターを天から降ろしましたよ~ その教えをあなたに私を通して伝授します。ハイ、出来ました~」と言われたってそんなん、信用できるかい、なんて思っていました。

直接眼に見えたり、感じ取れることでないとなかなか信用できないという私のクセのようなもんです。

ましてやそれを自分でやることなんて考えもできないことでしたので、あまり興味を深めることもありませんでした。

ですから、「アチューンメント」という言葉の直訳の意味すらもこれまで知ることはなかったのです。

しかし、大切に自分で浄化をほどこして、あぁ、この子可愛いなぁ、という気持ちになってきたクリスタルと気持ちを通い合わせることなら何となくできそうな気がしました。

マリア先生が、

「では、最初にこの子がどこから来たのか聞いてみましょう。」とおっしゃいました。

じっとアチューンメントしていると、すぐに「ヒマラヤ」という言葉が浮かびました。

と同時に、険しく寒そうに雪をいただいた山脈がまぶらの裏に見えました。

後でシェアをしたときにわかったことですが、人によっては「空から来た、って言ってました。」とか「光からやってきた、って言ってました。」というような方もいらっしゃいました。

それを聞いたとたん、私はまた目からうろこ状態になりました。

私自身、「“どこから”来たのか?」という問いに対して、それは「国名」「地域名」「土地の名前」つまりはクリスタルの住所のことしか考え付きませんでした。

そして私には中途半端な知識として、水晶の産地にヒマラヤがあることは知っていました。

「水晶がどこからやってきたのか?」という問いに対して、“正解”を出さなきゃ、と頭で考えてしまう私の悪いクセなんです。

例えばここで、「台湾」と答えて「え~? 台湾では水晶は産出しないわよ。」という論理のすり合わせをしたときに、“間違い”をおかしたくない、とどこかではじめから思ってしまっているわけです。(台湾から本当に全く水晶が産出しないかどうかは知りませんが)

ですから全くそんなことなんて考えてみたこともない、という無邪気さとフルに全感覚を活かして「空から」とか「光から」と答えられる人に「そうか! その手があったか!!」と目からうろこ、と同時にうらやましい、と思ってしまう私なのでした。

でも当然のことながら、そんな私たちの答えに先生は「正解」とか「それ、間違い」とかジャッジをされるわけではありませんでした。

そして私自身、思いました。


私は確かに自分の内にある知識、つまり思考を使って「ヒマラヤ」という答えを導きだしたのかもしれないけれど、それもまた間違いではない。

結局、私たち人間は誰もが、その人の内に持っているものしか、どれだけひっくり返ったって出てきやしないんだ、と思いました。

天と波長を合わせたからといって、それはやはり自分の内側にあるものからしか出てこない。

天から受ける啓示だから、自分のなかにはないものでも降ろしてくださるんじゃないの? と思うのは違う、と思いました。


例えば、人によって天使の姿を見た、とか見える、という方がいらっしゃいます。

そのとき天使の姿がどんなふうにみえたのか、というとたいていの人が「羽根があって、白い装束だった。」というように答えます。

けれど、天使の正体は光そのものだ、といいます。

まぁこれとてしょせん人間界ではないもののことをあーだこーだ言っているに過ぎませんからどれが正解なのかなんて誰にも決められることではないと思います。だから、人間信じたいものを信じればいいんです。

それに天があわせてくれるのでしょう。

私には、「天使は光そのものだ。けれど、天使の側が私たち人間に『私は今、ここにいるよ。』とわからせてあげたいとき、人間が信じられやすいように羽根があって白い装束を着ていて、という姿になってあげてるんだ。」と思うほうがしっくりきました。

だとすれば、それは私たちのなかに「天使とは羽根が生えていて白い姿かたちをしているものだ。」という情報とか知識とか思い込みがあって、その内側から来ているメッセージですよね。

光だけだとしたら、それは私たちには「天使」だとは認識できないから。

それと同じことで、私のクリスタルはヒマラヤから来たのではないかもしれない。

けれど、どこか険しくて寒そうな山からやってきたことは確かかもしれない。

それが私には「=ヒマラヤ」を知っていたから言葉として降りてきた、ということであって何も大きな間違いをおかした、とかいう話ではないだろう、と思いました。

これが私がもっと感覚的な人間だったら「どこか高いところから」というようなもっと漠然としたかたちでメッセージを受け取っていたかもしれません。

あるいは、「ものすごく寒そうな空気の澄んだ感じだけが伝わってきた。」というように受け取ったかもしれない。

どれも間違いではない。

このしょっぱなからして、私はいきなり改めて「人は信じたいものを信じればよいのであって」、そして「どこか自分とは全くおよびもつかないような見地から素晴らしい教えが舞い降りてくるのだ」というのを求めるのは違う、と気づいたのでした。

たとえ相手が天であっても、他力本願のように「迷える子羊にどうか、あっと霧が晴れるような答えを授けてください。」と頼りきるのは違う、というかそんなことなんてありえない、と思いました。

っていうか、そういうことが人生で起こる人もいらっしゃるかもしれないけれど、少なくとも私に関していえば、本人である私が今、そんなことはないだろう、全部自分の内側からしか来ないんだろう、と思ってるんだからそりゃあそれがその通りに“現実化”するだけでしょう。

そしてこれからも私はきっと究極的には自分の内側にあるものしか信じないんでしょう。

なんだか禅問答のようになってしまいましたが、最初のワーク、クリスタルアチューンメントではそんなことを思ったのでした。





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クリスタルマスターズコース2012の必要性

2012-11-27 09:01:00 | オーラソーマ

先週の木曜日から日曜日までの4日間、静岡で青山マリアいく子先生の「クリスタルマスターズコース 2012」を受けてまいりました。

それはそれはめくるめくような日々でした・・・

大げさではありません。

自分が浄化され、再誕生したような気分です。

マリア先生(これは先生からのリクエストです。青山先生とかいく子先生じゃなく、「マリアさん」と呼んでくれ、とのことでした。それでも“さん”とはちょっと呼びにくく・・ やっぱりマリア先生ですね。)も最高!

ほんとにステキな先生です。

こんなに透明感があって、自然体で、でもきちんとご自身を持ってらして、目の前の人もくつろがせてしまう人がほかにいるでしょうか。

ほんとにマリア様のような方でした。

このコースは生前にヴィッキーさんが最も皆さんに伝えたいコースだ、ということを言っていたそうですが、その気持ち、すご~くよくわかります。

ヴィッキーさんの著書「オリジン・オブ・オーラソーマ」の最終章は、「これからはジェムストーンの時代になる。」という意味深な言葉で終わっているそうですが(そうですが、って私もこの本持っていて読んだはずなんだから、もう1度ちゃんと確かめて書けよ、ですよねぇ・・ すみません。PCのそばにおいてない、ってだけで不精ですね・・ 確かめてません。)、このことからしても、クリスタルという少ないものでも100万年以上は地球を見てきたものたちとのスローな対話が必要となってくる時代だ、ということがわかります。

「私はパワーストーンにはそんなに興味ないから・・」とか、そういう問題じゃないんです。

人として、すべての人が受けたほうがいい! と思えるコースです。

クリスタルを使うから“クリスタル”という名前がコースの冠についていますが、これはレベル4に認定するなり、PPSのようにレベル1~3の間に入れ込むなりする必修コースにしたほうがいい、と本気でそう思います。

おススメです!!

・・・と言ったって、今度いつ開かれるかわからないんですよねぇ。

しかも、今後来年、再来年にかけて行われる予定のpart2、part3は、このpart1を受けた人しか受けられないので、本当に残念です。

もっともっと多くの人に開放されたコースとなってほしい、と切に願います。

このコースは、今まで日本でしか行われませんでした。

しかし、今度ロシアでも行われることが決定したそうです。

日本とロシア・・

このことからしてもとても興味深いですね。

つまりは、世界の中で原発事故に見舞われた国です。

とてもとても浄化を必要としている国です。

再生のための力を必要としている国です。

私たち日本人は、たとえ被災地に住所をかまえる人でなくてもやっぱりこのコースが必要なんだ、と思います。

クリスタルというミネラルを含んだ大地そのものを伝える役割をもった存在と、やはり体内に同じミネラルを持ち、必要とする私たち人間がもっと密接に対話する必要があるんじゃないでしょうか。

私自身、一番最初に「自己紹介とともにどうしてこのコースに参加しようと思ったか、を話してください。」と言われたとき、実は正直なことを言うべきかどうか迷いました。

というのは、私は今年の「ティーチャーズ特別コース」から脱落した身。

ちょうどT1で一緒だったみんなはいよいよ最終章のT3へとイギリスに旅立つ頃です。

もうふっきれたとはいえ、ふっと「そういえば、今頃はみんなデヴ・オーラでT3を受けてるはずだなぁ。」なんて思ったとたん、どうしようもない焦燥感が襲うかもしれない、なんて考えて、この静岡でのクリスタルマスターズコースの日程を見たとき、そのイギリスとおなじくらいの日程であったことだけから参加を決めたのでした。

自分が変な焦燥感に襲われたりしないための予防策として。

こんなことを動機として先生に申し上げるのはあまりにも失礼です。

ですから一瞬躊躇したけれど、結局とりつくろうことのできない私は「こんななにかの代替行為のような動機でほんとに申し訳ないんですけれど・・」と言いながらも自分の最初の動機をその通りにお伝えしました。

そうしたら、マリア先生は、

「きっとT3に行くより、えっちゃんにはこのコースが必要だったのね。第一、T3は今後も行われるに決まっているコースだけれど、このコースは今後もう行われないかもしれない、まさにここでの出会いが一期一会のものかもしれないわけじゃない。だから良かったのよ、これで。」と言ってくださいました。

そう言われて私は本当に救われたような気持ちになりました。

この一言で私のこのコースへの取り組み方が「一期一会なんだからすべてをちゃんと吸収しよう。」という貪欲なものになると同時に、とてもくつろいで向き合えるものとなったのは確かです。

4日間を終了した今でも、私はまたいつ行われるかどうか全くわからないpart2もpart3も、絶対にマリア先生から受けたいと思っています。

そして必ずそうなることも信じています。

それにしても・・・

オーラソーマの日程のいきなりさ、という点についてはもう少し何とかなるはずだろう、という現実的な不満もあります。

来年のことなんてもう今から決まっていなければいけないのにもかかわらず、このコースを日本でまかせられたマリア先生でさえ、part2、part3はまた君に任せるからね、頼むよ、とはいまだ言われていないそうなのです。

「だから、待ってたって、私がやるかどうかわからないわよ~ マイクのものに出ておいたほうが確実よ~」と言われました。

なんでそんなことが決められないのさ、マイク、と聞いてみたいくらいですわ。

あぁ、今日はもう何もコースのなかでの私の気付きについて触れられなかった!

このコースの重要性とステキさだけをお伝えするだけになってしまったわ。

しかもそれをいかに訴えかけても、「うん、そう言われたらこのコース、出たくなったわ。」という方があらわれたっていつ後があるのかもわからないという不確実さではねぇ・・・

でも、それを横においておいても、ほんとにこのコースはステキなんです。

と、何度でも言いたい。





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数秘を生かした毎日の習慣

2012-11-26 09:03:00 | うんちく・小ネタ

パステルアートの生徒さんが、毎日くれるメールがあります。

それは「魔法の習慣」。

なんか本に載ってるものみたいですが、数秘から考えてその数字の日をこう捉えて、こういうテーマで今日1日を生きてみましょう、というものです。

ほほぅ、と思うことも多く、とても勉強になります。

なので、是非皆さんにもご紹介したく、今日はもうすぐ12月が始まりますので、まずは「1」から一桁の数字の過ごし方をご紹介しましょう。

まず1日。

「1」は、唯一絶対の存在をあらわす数字です。神、自我、人間の意志力の象徴。そしてその形のとおり、矢印の象徴でもあり、ベクトルや方向性を表す数字です。
ですから新しいことを始めるのに最も適した日と言えます。

そこで今日のテーマは、「履物をそろえる」です。

風水的にも気の入り口である玄関を整えることや腰を落として履物をそろえる自分を客観視することは、自画自賛でき、自分を褒めることができるよい習慣です。

他人の履物も是非そろえて、自画自賛できる自分をどんどんつくり、幸せ波動を高めましょう。

2日。

「2」は、二次論のもとになる数字です。

男と女、陰と陽、光と闇などこの世はすべて相反する2つのもののバランスで成り立っています。

今日は「1」で始めたことを調整、調和させバランスをとる日です。

そこで今日のテーマは「おでこを出す」です。

すべての良きことは天から降りてきます。

天から降り注いでくる宇宙からのエネルギーを第三の目でしっかりと受け取りましょう。そのためにおでこを出しましょう。

おでこを出し、時々空を見上げる。

すると、心がプラスのエネルギーでいっぱいになります。

3日。

「3」は、卵が割れたかたち。創造と破壊を意味します。

「1」は父親、「2」は母親でそこから生まれた子どもを表す意味もあります。

軽快なリズム感や躍動感も象徴します。

そこで今日は、何かを打ち破り、新たな創造を作り出す日、リズムや躍動を感じるようなことをする日にしましょう。

そこで今日のテーマは、「声を出して笑う。」

できるだけ大声でわざとらしく笑ってみる。それによって楽しいから笑顔になるのではなく、笑顔の多い人だから幸せがまとわりつき、ツキに恵まれ、楽しい人生が送れるようになることに気付くでしょう。

4日

「4」は、東西南北の方位、喜怒哀楽、火風水地など物質世界の誕生を表します。

現実世界を創造する基礎となる数字です。

そこで今日はきちんと形にする、と言う習慣をつくる日としましょう。

テーマは、「幸せなことを探しメモをとる。」です。

自分の手書きでメモをとるとその書体に波動が入り、そのメモをみると身体がその書いた書体の波動を思い出し、メモをとったときのイメージのように行動したりするそうです。

今は携帯にスケジュールなどもインプットすることが多くなりましたが、今日はあえて手書きでメモをとることを心がけてみましょう。

それも特に自分が「あぁ、幸せだなぁ。」と感じることが1日のうちに何個あるか、メモをとってあとでふりかえってまたその幸せの波動を受け取れるようにしましょう。

5日。

「5」は五感、五体、五本指など私たち人間が5にまつわる生き物であることを思い出させてくれる数字です。

今日は、自らの可能性を限定せず、より自由にはばたくことを意識してみましょう。

テーマは「空を見る」です。

五感に空から降り注ぐエネルギーを与え、羽ばたくような気持ちになるために、空をみるといいそうです。

今日はときどきおでこを空に向けて、深く深く呼吸をしながら自然を感じてみましょう。

6日。

「6」は、調和とバランス、美と創造を象徴する愛の意味と、3を2つ含むことから精神と肉体の完全な調和をあらわした数字です。

今日は心や身体が温かくなると人に優しくなれる、ということを感じてみましょう。

テーマは「身体をあたためる」です。

温かい飲み物を飲んだ人は自分の持ち物を人にプレゼントしたくなるそうです。何かで怒れてきたときもお風呂に入って温まると身体がゆるみ心がほどけ(仏)、相手を許してあげたくなってきます。

7日。

「7」は、ひとつの周期の終わりを示す意味があります。

完全調和の「7」。

カレンダーは、1週間が7日、虹は7色、チャクラは7つ、ラッキーセブンも7のように7はそれだけでもう理屈抜きで完全調和の数字なのです。

そこで今日は1つの周期を終えて、一息つく日にしましょう。

テーマは、「新聞・テレビ・ラジオを見ない、聴かない」です。

今日は安息日としましょう。

ネガティブなものは遮断して、必要なものは自然と入ってくるのを信じて、のんびりと過ごしましょう。

どうしても忙しい人は、いつもより1時間早く寝ることを心がけるだけでも違います。

8日。

「8」は、意志力、組織力、権力、富など偉大なパワーを表します。無限なパワーにつながり、裾広がりや八方に広がるなど拡大するパワーを表す数字です。

しかし、拡大する方向を間違うとパワーの分散になったり、周囲に迷惑をかけます。

そこで今日のテーマは「トイレ掃除をする。」です。

「やらされている」と思ってやると「いいこと」と「ネガティブ」の間でエネルギーが相殺されてしまうので、無限のエネルギーを信じて普段自分が決めている限界を破るための大きなブレイクスルーになる、と信じてトイレ掃除をすると金運がUPするそうですよ。

9日。

「9」は、1~9までの最後にあらわれる数字。

この世とあの世を含めた宇宙全体の完結を表す数字です。

神秘能力・賢者・アンカー・リセットなどの意味があります。

そこで新たな周期を向かえるために今は何をすべきなのかを考え、整理する日にしましょう。

「思い」を手放し、新しいものを受け容れるキャパシティを確保する日にしましょう。

そこで今日のテーマは「捨てる」です。

新しい準備とは宇宙の法則ではまず「出す」が先決となります。「入れる」はその次。

人はまずこの世に生まれ出るとき、産声をあげて出てきます。「出して」います。

そして息を引き取るときは最後に大きく、かっと息をすって終わりを迎えます。

それが自然の摂理なのです。

いかがですか?

まずは一桁の日までご紹介いたしました。

このように数字のもつ意味を理解し、その意味にさからわないようなテーマでその日を意識して過ごすことはとても身体にとっても心にとっても良い気がします。

数字の意味さえ理解したら、自分自身でほかのテーマを作ってやってみるのもいいですね。





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