ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「藤掛第一病院」の事件は根が深い、と思う

2018-08-31 09:01:11 | ニュース
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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
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岐阜がこんなことで世間を騒がせることになるなんて・・という事件が起きてしまいました。
終末医療専門の「藤掛第一病院」というところで、エアコンが故障したため、熱中症で4人もの患者さんが亡くなった、という事件です。
これを警察は重くみたのか、「業務上過失致死」ではなく、「殺人未遂」で捜査に入っていることから、マスコミも騒ぎ始めました。
院長がマスコミの会見に応じる様子もテレビで流されましたが、その“準備不足”という言葉さえふさわしくないほどの“無防備さ”にこの病院の運営姿勢が表れているようで、へらへらしている院長、どこまで問い詰めても悪びれず責任の重さを痛感しているようには到底思えない院長にマスコミも「これは追及のしがいがある」「テレビ受けするぞ」と思ったのか、連日のように報道されています。



実は・・今からもう30年あまりも前のことになりますが(ということは、今書いていて自分でも驚きましたが、すごく長く続いている病院なのだなぁ、と。当然、当時の院長は今の院長ではないと思いますが)、私の祖母はこの病院で亡くなりました。
祖母が亡くなった時のことは以前にもこのブログで書いたことがあります。
祖母は生涯独身だった、当時55歳だった叔母(母の姉)と一緒に暮らしていました。
祖母は94歳でした。
ひょろひょろと頼りなげに歩く様子は完全におばあさんではありましたが、頭ははっきりしている、と思っていました。
ところがあるときから急に夜中にむくっと起きだしては箪笥を整理しはじめ、
「私の着物が無くなっている! ○○さんが盗んだに違いない!」
などと言い出すようになりました。
○○さんは叔母のこともありましたし、お隣さんのこともありました。
叔母はそれでほとほと疲れてしまいました。
叔母は勤め人でしたので、祖母に毎夜毎夜騒がれては自分が寝不足になってしまい、もう限界だ、ということで親戚の面々に祖母について相談しました。
そこで親戚が集まって、
「病院に入れるしかないだろう・・」
ということになりました。
当時はまだ「認知症」と言う言葉もない時代でした。
だから私は、それを聞いて
「えっ! ちょっと不条理なことを言うようになったぐらいのことで身体は元気なのに病院に入れるの? また、そんなおばあちゃんを受け入れてくれる病院なんてあるの?」
と不思議に思っていました。
ところがあるんですねぇ。
それが「藤掛第一病院」でした。



当時から「藤掛第一病院」はそういうところで地元では有名な病院でした。
“そういうところ”というのは、「はっきりとした病名を冠すほどの重大な病気でもなんでもないけれど、家には居させることができないような老人」を受け容れるところ、という意味です。
もっと端的に言ってしまえば、「姥捨て山」でした。
家に居てもらっては困る老人を預かるところ。
昔のほんとうの「姥捨て山」のお話しのように単なる口減らしであるとか、近所への評判が悪い、というのとはさすがに一線を画していますが、祖母の場合のように「これでは同居しているまともな健常者のほうが病気になってしまう」ことが予想されるような場合、健常者の権利を守るためにならその老人、お預かりしましょう、という場所だったのです。



祖母が入院してすぐに私は見舞いに行きましたが、その様子を見て胸を打たれてしまいました。
祖母はなんと両足をベッドにくくりつけられていたのです。
なんでも前日、ベッドの上にいきなりすっくと立ち上がろうとしたのでそれで落ちて頭でも打ったら大変だから、という病院の見解でした。
今ならこれはさすがに人権侵害になるのでは、と思う処置です。
でも当時は
「なら、仕方がない・・」
ぐらいで済まされていました。
大部屋でしたが、祖母のほかにもそのような処置を受けている患者さんはいらっしゃいました。
自力で歩くことを許されなくなった祖母は入院してめきめきと(という言い方はおかしいか・・)衰えていきました。
自分の力で歩く、ということがいかに大切か・・
祖母は生きる気力も日に日に失っていくようで、話す声もじょじょにかぼそいものになっていきました。
そして入院して1か月ほど経ってからでしょうか、ある日突然訃報を聞きました。
私がちょうど海外出張しているときで、すぐには帰れませんでした。



のちのち、叔母や母はことあるごとに、
「あれは、おばあちゃん、可哀想だったねぇ・・」
と後悔の言葉を漏らしました。
だからといって、ではあのとき、どうするのが最善の策だったのか?
どういう選択肢があったのか、というと結局、ああするしかなかったよねぇ、でいつも話は落ち着いてしまうのです。
今は、病院の対応ももう少し“人間らしく”なっていて、祖母が受けた扱いのようなことは少なくなっているのかもしれません。
けれど、家にいる、自分たちの力だけではどうしようもない老人を自宅でなく、どこか専門の機関に預けたい、家では無理だ、と思っている家庭が30年前よりもより増えていることは間違いないと思います。
そういう家庭が増えている限り、「藤掛第一病院」のような問題は何も解決しないと思います。
さすがに刑事事件で、「殺人容疑」ですからねぇ、ひょっとするとこの病院は今後の存続はあぶないかもしれません。
それでも、これだけの報道がなされ、そしてあんな頼りなく、人の命の重さもわかっていないような院長のインタビューを知ったあとでも、
「それでもこの病院にお世話になるしかない・・」
とか、
「この病院がなくなってしまったら困る・・」
と切実に思っている、沈黙を守っている多くの患者さんの家族がいることは間違いないと思うのです。
それがこの問題の闇の深さです。
ただ単に
「エアコンかけずに扇風機だけでこの猛暑のなか過ごさせることはいけないことでした」
だけでそこが改善されれば終わり、という問題ではないんです。



寿命が延びるにつれ、病気なのかそうでないのかの境目もはっきりしないような状態の人がより多くなることは目に見えています。
老人にとっては辛いいくつかの検査を経てようやく病名をもらい入院するとか、大金を積んで設備のよい老人ホームに入るということができない人たちにとって、2つ返事で受け入れてくれていた「藤掛第一病院」のような存在は救世主のようにさえ見えていたかもしれません。
私はこういう“病気なのかそうでないのか”曖昧な領域に居る人たちに(老人だけとは限らない)、セラピーやヒーリングをもっともっと活用してほしい、言い方を変えればセラピーやヒーリングがもっと活躍する世の中になってほしいと心から切に願っています。
あのときの祖母に今の私だったら何ができたか・・?
少なくともオーラソーマのボトルを施したり、ビーマーライトペンを当ててあげたり、アクセスバーズで脳をすっきりさせてあげることなどはできたはずです。
そしてそれによって祖母の症状は多少なりとも改善され、おばさんが夜眠れなくなる、ということはなく、「藤掛第一病院」に入院させるということもしなくて済んだかもしれません。



この問題がどこへ決着がつくのかまだわかりませんが、私はすぐ近くの地元のことだし、祖母のこともあるしで他人事のようには思えません。
今後も成り行きを見つめたいと思います。

知らぬ間にブロックしていた願望

2018-08-30 09:01:30 | 身辺雑事

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ここ2日間、本田健さんの「決めた未来しか実現しない」について書いていますが、実は私がこの本を読んで、いちばん心がざわざわしたのは、彼が語る“願望成就法”についてではありませんでした。
それは彼自身の願望が「作家になりたい」から始まった、という部分でした。
私は本田健さんの著書は、この本のほかには「ユダヤ人大富豪の教え」くらいしか読んでいませんでしたので、本田さんのことを「作家」だ、とは思っていなかったのです。
実業家だと思っていました。(もちろん、そんな側面もあります)
本は、たまたま自らが実践なさって成功したことを本にまとめてみたら、というオファーがあって出したところベストセラーになり、続けて何冊も出しましたよ、ということだったと思い込んでいたのです。



実際、帯についている著者のプロフィールにも真っ先に書いてあるのは「経営コンサルタント」です。
真っ先にも何も、それからどれだけ読み進めても、「作家」という言葉は一言もあらわれません。
これは何かの作戦なのか、それとも「経営コンサルタント」と名乗ったほうがビジネスがやりやすいからなのか、たまたまプロフィールを書くことになったタイミングが、作家というよりは経営コンサルタントの仕事量の方が多く、順調だった時期だからなのか・・ あるいはそれ以外に何か理由があるのか、私にはさっぱりわかりません。
ただ、本田さんは作家になりたかったんだ! それが1番の夢だったんだ! ということを知ったときの、この私の心のざわざわはなんだろう・・?



私も本を出したい! と思い、その念願がかなって今年「オーラソーマの奇跡と私の気づきの日々」を出版しました。
しかし、その私の願望はマスターベーションでした。
それは「本を出したい」であり、
「作家になりたい」
ではありませんでした。
もっと言えば、出したその本がどれだけ多くの人の目に触れるかは知ったこっちゃあ、ない。
それほど大切なことだとは思わない。
ほんとうに私に興味があって、「コイツはどういう考え方をしている奴なんだろう?」って人だけがひそかに読んでくれればいい、って思っていました。
だから1冊本を出したら、「はぁ~、とりあえずこの夢については達成しちゃった」みたいな感じで、もう私の手から上梓した瞬間にそれは手放しました、みたいな感覚になってしまっていたんですよね。



しかし、本田さんの願望はもちろん、そんなレベルなものではありませんでした。
彼は、
「作家になる」どころか、作家としてデビュー前のときに出版の打ち合わせの際、
その出版社の社長さんに、
「20年で1000万部を売り上げる作家になりますので、とりあえず最初の100万部は御社でお世話になります」
と宣言したのです!
この数字はちゃんとした下調べに裏打ちされたものでした。
いろいろ調べた結果、当時、ビジネス書のジャンルでベストセラー作家が40年間で累計部数が2000万部になっているということを本田さんはつかんだのです。
なので、それを1つの指標にしました。
1年間で50万部、すなわち、毎週1万部のペースで本を売ることが出来れば、10年で500万部、20年で1000万部、40年で2000万部という計算になります。
40年というのはさすがに遠い未来すぎて自分以外の環境などの要素も今とは雲泥に変わってしまっているかもしれないと思い、本田さんは
「20年で1000万部を売り上げる作家になる」
と言ったのです。
これは当然、「ベストセラー作家になる!」という願望よりもっと具体的になります。
「ベストセラー作家になる」は、1冊ベストセラーを輩出したらそれで達成、となってしまいますが、1冊ベストセラーを出したから、といってそれで生涯なにもしなくて「作家」という肩書で食べていけるか、といったらちょっとわからない・・という感覚になりますよね。
でも、「20年にわたって1000万部を売り上げる」という夢は、立派にそれで食べていってみせるぞ!という気概を感じます。
しかもベストセラー作家を調べた結果の数字ですから信憑性があります。
ちなみにこの挨拶を聞かされた当時の出版社の社長さんは、
「あなたは面白い人だね、気に入った!」
と言って、当時としては大きな部数でデビューを後押ししてくれたそうです。
この社長さんも器の大きな方だったのでしょうが、これも1つのシンクロと言えますよね。
若者の大言壮語ともいえる宣言に、
「乗った! そのおまえの夢、俺が買うたる!」
と言える「その夢に自分の夢も預けたろ。上乗せしたろ」という感覚。
ある程度、人は人のこうしたバクのような夢に「よし、それ乗った!」と言えるギャンブル性を楽しむ遊び心も必要なのかもしれません。



そして私は、と言えば小さい頃の夢は、
「作家になる!」
だったのに、いろんな条件やら情勢を知るにつけ、「どうやらこの夢はあきらめたほうがよさそうだな・・」と徐々にあきらめモードに入っていったように思います。
だって、考えてもみて下さい。
村上龍さんのベストセラー「13歳のハローワーク」という本のなかでも、「作家」は、1番最後のどうしようもなくなったときの手段としてとっておけ、と出てきます。
「だって、作家は塀の中でもなれるのだから」
というのがその理由です。
どこに、刑務所のなかにいる犯罪者がつく仕事があることでしょう。
でも作家はそれができるわけですよ、という自嘲ともとれるオチでした。



犯罪者でもなれるのが作家である、と同時に「たとえ総理大臣であってもなれないのが作家だ」とも言えます。
まぁ、総理大臣ともなれば、「私はこういう本が出したい!」とでも発案すればすぐにでもそのプロジェクトが組まれ、本人が実際に執筆せずとも2,3時間もインタビューに答えればすぐさまベルトコンベアーのように本は出来上がるでしょうから、実際には可能かもしれませんが、要するに私が言いたいことは、どれだけ高名な人物であろうと、つまらないことしか言えないようでは本を出したとしても売れないし、誰も買いませんよ、そうなったら2冊目はありませんよ、ということです。
反対に、たとえ立場が犯罪者として塀の中にいようが、面白いことを書ければ印税生活が可能ですよ、ということなわけです。



何が言いたいか、というと、こんなにもある1つの職業になりたい、と願ったときに道筋が決まっていない職業ってあるでしょうか、ということです。
公務員になりたいなら公務員試験を受ける、
イタリアンの飲食店を開きたいなら、まずは料理専門学校に行って技術を身に着け、その後、本場のイタリアにも飛んで本場での現場を味わい、その経験を引っ提げて帰国してから修行として自分がこんな店をやりたいな、という店を見つけ働かせてくれと頼み、スタッフになれた暁にはそこで頑張ってのれん分けの日を待つとか、貯金をして自分の店を持てるまで頑張れば、晴れて15年ぐらいしたら自分の店が持てそうだな、とかの目算を立てることができます。
けれど、「作家になりたい」と思ったとて、いったいどういう頑張り方があるんでしょう?
政治家も結局2世が多いというのは政治家になる道筋がわからなすぎるから、ということでしょう。
だから、小池都知事が開いた政治学校というか講座にあんなにも人が押し寄せたのも、これを受ければまったく政治家に縁故もなにもない自分でも議員になれるのかも、と思った人が多かったからでしょう。
人は、道筋が用意されていることでは頑張れます。
でも、雲をつかむような話では「結局、運だけなのかな」と思ってあきらめてしまいます。



私もそうでした。
ちいさい頃の夢は「作家」で、それは自分には「お話しを創る能力はあんまりないな」とわかってからは、「ではルポライターをめざすかな」とか「新聞記者はどうだ?」とか、「エッセイストなら・・」とか思ったこともありますが、要するに広い意味で、“もの書き”なら、ずっと憧れ続けていたわけです。
私の願望だったわけです。
でも、どうしたらなれるのかがよくわからなかったがゆえに、頑張り方もわからず、いつのまにかそれは私の夢ではない、というように自分で自分を抑え付けてしまっていたのでしょう。
それが本田さんが作家になりたい、と”決めて“、その道筋を自分で創ってきたのだ、というくだりを読んで、改めて心がざわざわしてしまったのでした。



ちなみに本田さんの場合は「作家、講演家として生きよう」と“決めた”時点でそれを何人かの知人に話したら、
「大学教授でも弁護士でも有名人でもない人は、なかなか本なんて出せないよ」
と言われたそうです。
当時、本田さんは無名でした。
で、彼はまず無料の小冊子をつくり、配るということをしました。
それから半年後、いくつもの偶然が重なり(これがランデブーポイントですね)、この小冊子が出版ということになったそうです。
「ふん、これは本当にうまくいった、全人口の1%にも満たない人の話だよ」
とおっしゃる方もいらっしゃいましょう。
実際にそうかもしれません。
しかし、私がすごい、と思うのは本田さん自身がこのことを「当然」と思って、こなしてきた、ということなんです。
私は、私の可能性を自ら踏みにじってきたかもしれない。
やるだけのことをやってダメならそれでいい。
けれども、やるだけのことを試してもみないであきらめの境地に達する、というのは嫌だな~と思います。
私の夢のなかにもう1度、「物書きになる」「物書きとして食べていけるだけの収入を得る」というのを加えようかな、と思案中です。


ランデブーポイントの設定

2018-08-29 09:02:17 | 本と雑誌
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昨日は、本田健さんの「決めた未来しか実現しない」を読んで、おおよその内容を紹介しました。
そして、本田さん自身が、
「僕の願望実現法は、いろんなところのいい所どりだけれど、そのためにしなければならないことは“未来の1点を決める”ことだけで、それをご自身で「ランデブーポイント」と名付けられています、というところまでご紹介いたしました。
ランデブーポイントとは、言い換えれば願望実現に必要なものがベストのタイミングで次々に引き寄せられたときに遭遇する「運命の待ち合わせ場所」のことです。
でも、これだけでは
「よっしゃ! わかった。私ももうすぐにでもそのやり方で願望を実現してみせるわ」
という行動にまで落とし込めないと思いますので、今日はそのランデブーポイントについてもう少し詳しく本田さんが語っておられる箇所をご紹介したいと思います。



まずは、願望を実現に導く4つのステップですが、
1. 願望を明確にする。
 これは自分にとっての「最高の未来」がどのようなものかをはっきりとイメージすることです。

2. 未来からのシナリオで生きる
 私達は普段、未来にこうなっていたらいいなというイメージと過去のマイナスイメージ(思い込みと言い換えてもいい)がせめぎ合って生きています。
でも、願望を強く抱き現実にしたいなら、過去のマイナスイメージはいらないわけです。
未来にこうなっていたらいいなというシナリオだけで生きよう、ということです。

3. ランデブーポイントを設定する
 これがこの願望実現法の真骨頂ですので、あとでじっくりとご説明いたします。

4. ワクワクを追いかけて次元上昇を起こす



それでは「ランデブーポイント」の設定の仕方です。
本田さんは夢には「幻想・夢・目標・予定」の4つのレベルがあると言っておられます。
そして、「夢」をより「予定」に近い感覚にすることがランデブーポイントには欠かせないものだと言っておられます。
たとえば「世界一周旅行に出かける」と考えてみて下さい。
これだと多くの人は「楽しそうだけれど、おそらくすぐには実現しないだろうなぁ」と思うと思います。
では「次の休みに日帰りで箱根に出かける」だったらどうでしょう。
それくらいなら出来るかも、って思えますよね。
もっと言えば、「次の日曜日には近所を散歩する」なら絶対できる、って感覚になります。
この感覚が大切なのです。
近所を散歩して、こんなことどうってことないや、と思えば、その次の休みには箱根に行ってみればいいですし、その次の夏休みにはちょっと頑張って北海道一周くらいをしてみましょうか。
そうするとどんどん「世界一周旅行に出かける」が、出来るかもに近づいてくるわけです。



さて、ランデブーポイントの設定のためには、
1、 まずはあなたの願望を明確にすること
次に、
2.その願望達成のために必要なモノは何か、を考えていくこと
が必要です、と書かれています。
そして1.の「願望を明確にすること」では、
① ニーズを願望と間違えない。
② 自分だけでなく周囲もワクワクする願望にする
③ 到達点のイメージ、状況をできるだけ具体的に想像する
④ 達成の是非が明確になる指標を設定する
⑤ 実現したい期限、タイミングを明確にする
 ことが必要だ、ということです。



願望とは純粋に「これがやりたい!」という思いです。
しかし人によってはその願望の裏にニーズがくっついている場合があり、これが実現を阻む場合があるので気を付けること、ということなのです。
たとえば、
「これが叶ったら有名人になれるだろう」とか、
「尊敬を集めるようになれるだろう」などがニーズです。
これがあるとなぜいけないのか?
後々、へんな罪悪感を抱いたりする場合があるからだそうです。
自分の奥底からどーしても沸き起こってくる純粋な願望を見極めましょう。



②③⑤ついてはこれ以上の説明は必要ないでしょう。
③ですが、たとえば、
「売上を今よりUPさせたい」とか、
「今より大きな会社にしたい」
というのは明確な指標ではありませんよね。
「売上を3000万円にする」
「社員が10名以上いる会社にする」
これならわかりやすくてかなったか、かなわなかったかが明確にわかる指標です。
これらの願望は紙に書きだしましょう。
紙に書く人と書かない人とでは夢の実現が何倍も変わってくるそうですよ。



そしていったん決めたら、あとはどんなシンクロが待っているのか、忘れてそれをただ楽しんで流れに乗ることも大切です。






本田健さんの「決めた未来しか実現しない」を読んで

2018-08-28 08:45:23 | 本と雑誌
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本田健さんの「決めた未来しか実現しない」という本を読みました。
「決めた未来しか実現しない」という文言はさらっと流せば、
「そんなん、当たり前やん」
ということになりましょうが、潜在意識を学んだ私としては、“決める”という意味がほんとうに深く潜在意識下に落とし込まなくては発動しないのだ、ということがわかっています。
そしてそういう意味では深い言葉だ、ということもできますし、私としてはそこはもうわかっているわけですから、どうしてこんなタイトルの本を買う気になったのか、よくわからないと自分で自分を不思議がる気持ちでした。



想像どおり、これは潜在意識をいかに活用して自分の願望を成就するか、という本でした。
しかし、読んでみて、
「うん、さすがに本田健さんだな」
と思いました。
そして今の自分にとても必要な本だったな、とも思いました。
本田健さんといえば、私のイメージとしてはものすごくビジネスライクな視点からスピリチュアルなことを語ってくださる、というイメージです。
だいたい本人がものすごい読書家であり、「これは面白そうだ」と思ったことは次にそれを実業家の顔をして自ら実践する、ということをされているので、その理論+実体験からくる重み、幅広い知識、オリジナルな切り口がさすがだ、と感じさせられます。



まず、「プロローグ」でこうきます。
ちょっと長くなりますが、引用しますね。
『世の中には無数の「願望達成法」がある。
そうした願望法を整理していくと、いくつかに分類できます。
「目標達成型」「引き寄せ型」「お祈り型」などがその代表でしょう。
「目標達成型」は、明確な目標と期限を決め、それに向けてコツコツと努力していく、というものです。
たとえば「3年後に起業する」と決めたら、逆算していまから1年後までにやるべきこと、3年後までにやるべきことなどを書き出していく。さらに1か月、1週間と単位を区切り、TO DO リストをつくる。
そしてひたすらリストをこなしていけば、そのゴールが達成できるというわけです。
この方法は、自分を律して地道に努力するのが好きで得意な人たちが、自身の成功体験をもとに語ったものが多いようです。
「引き寄せ型」は文字通り、願ったものが引き寄せられてくるという考え方です。
願望をはっきり決めて書き出してみる、強くイメージを描くなどして潜在意識に刻み込むことによって、願望を実現するというものです。
このタイプは直感力にすぐれた人が、行動しているうちに不思議なドラマを経て、夢をかなえたといった体験を語ることが多いようです。
「お祈り型」は、何よりイメージすることが大事で、神様、あるいは全知全能の存在にお願いすると、それがかなうとするものです。
宗教家、哲学者に多く、「強く念ずれば、通ずる」ということを言います。』



そして、本田健さんは、こう分類しそれぞれの特徴をあげながら、
「じゃあ、どれを信じて実行したらいいの?」
とお思いでしょうが、僕の方法はこれらのいずれの方法でもありません。
どちらかというと、そのすべての「いい所どり」のようなやり方です、ときたもんです。
もうこれだけで
「え? なに、なに、それ。おせーて」
という気持ちになるでしょ?
彼の答えはこうです。
『一見偶然にみえる出来事が人生をつくっているのです。こうした出来事のことをシンクロニシティと言いますが、このシンクロを意図的に引き寄せ、うまく活かすことで願望を実現していくのが僕の方法です。』



もうここまででう~ん、うまいこと言ったもんだな、確かにいろんなもののいい所どりだわ、って感じがします。
では、夢を実現させるために必要なたくさんのシンクロニシティを呼び起こすためにはどうすればいいのでしょうか?
そのためにしなければならないのは「未来の1点」を決めることだけだ、と本田さんは言います。
たとえば、ベストセラー作家になるという夢があるのなら、
“3年後の10月1日に10万部のベストセラーを出す”と明確に意図すればいいのです。
ただ当然ですが、決めたら何もしなくていいわけではありません。
たとえばベストセラー作家になるために、あなたがまずしなければならないのは、もちろん本の原稿を書くことです。
しかし、それだけで本が出来上がるわけではありません。
「この原稿を本として出版しましょう」
と言ってくれる出版社がでてこなければ、世の中に出ることはありません。
また優秀な編集者も必要でしょう。
さらに本のカバーのデザイナー、印刷をする人、売り込みをかける営業担当者など、たくさんの人の協力と尽力がないと、ベストセラーにはなりません。
もちろん、本を買ってくれる10万人の読者も必要です。
そしてその背後には、彼らに本を買う気にさせてくれた書店の人、「この本おもしろいよ」と推薦してくれた人、ブログで本を紹介してくれた人など、多くの人がいるはずです。
このように、あなたがベストセラー作家になるためには、無数の人たちの協力が必要なのです。



そして本田さんは自らが“決め”、その実現にかかわるすべての人があたかもシナリオが決まっているかのように、それぞれの役割を果たしながら、その未来の1点に向かって動き出すときのことを「ランデブーポイント」と名付けています。
ランデブーポイントとは、言い換えれば願望実現に必要なものがベストのタイミングで次々に引き寄せられたときに遭遇する「運命の待ち合わせ場所」のことです。
自らいろんな願望実現法の“いい所どり”と公言してはばからない本田さんが、唯一オリジナルの言葉を持ち出したのがこの、「ランデブーポイント」です。
こういうところがとってもうまいなぁ、と思います。
このランデブーポイントをどう設定するかがポイントとなる、と言われたら、そのランデブーポイントという言葉自体、本田さんが考え出したものですから、それはもう本田さんのおっしゃることを聞かないと、ということになりますからね。
私達も日々、いろんなことでそれまでに経験した、自らが編み出したものでないものの“いい所どり”をしながら仕事をこなしたり、家事を効率化していると思います。
でもそのなかの1番大切なポイントだ、と自分が思ったことには自分でネーミングを冠するだけで、それは光り輝くオリジナルなものとなると思いますよ。
明日はこの「ランデブーポイント」についてもう少し詳しくお話ししたいと思います。


一周忌

2018-08-27 09:01:06 | 身辺雑事
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昨日は父の一周忌法要でした。
厳密にいうと亡くなったのは29日ですが、日曜日のほうが都合がよかったので、29日より遅くなる日曜日よりは、ということで、お寺さんにお願いして昨日にしていただいたのでした。
父が亡くなった日もとても暑い日で、葬儀会社の方が遺体を引き取りに来て、一緒に車に乗り、第一声で、
「暑いですよね~」
と話しかけたのをなぜか覚えています。
そんなことしか言うことないのかよ、と自分で自分に突っ込みを入れていたせいかもしれません。
あるいは、父が亡くなったというのに残酷なほどに晴れ上がった空を見て、そのギャップからそう言ったからなのかもしれません。
いずれにしても昨日もバカみたいに暑い日でした。
お寺は扇風機しかないので、喪服が暑くて暑くて汗をぬぐってばかりいました。
本堂の欄干飾りが龍になっているのをぼーっと眺めながら、そのなかで真ん中の1つだけに龍の目が入っていることに気付きました。
これまで何度も来ているお寺なのになぜこんなことに今日気付くのだろう、と思いながらぼーっと眺めていました。



お盆、つまりほんの2週間ぐらい前にも訪れてお経をあげてもらったときの父は、
「あぁ、もうワシはおまえらのような俗世間にいるわけではないんだから、わずらわしい話はなんも聞きとうない」
と言ってきたように感じたのですが、この日は、
「だぁいじょうぶ、大丈夫。なぁんも心配いらんよ。なんも心配いらん」
と穏やかで優しい顔で言ってくれたような気がしました。
よく、亡くなった人の遺影や墓の前で、
「どうか見守っていてください」
と言うことってあるかと思いますが、この日は、そう言うと、真ん中の龍の目が、
「見守っていて下さい、って言うことは、ワシらに見守ってもらうだけの自分が日ごろ行いをしているかどうかってことでもあるんだぞ。
ワシらは良いことも悪いことも全部見ているからな。ほんとうに“見守る”だけの価値のある行いをしろよ。」
と言われたような気がしました。
いかにも天使にくらべるとキビしめの龍らしい発言だな、と思いました。



さて、滞りなく法要も終わり、普通なら法事の際はお寺さんと一緒に会食ということになるのですが、ここの住職はもう御年のせいで一緒に会食はできないということで私たちは早々に引き揚げました。
家族だけで店に入りランチをとることにしました。
私が母に
「それにしても、お父さんは癌患者の死に方としては苦しまずにすっと早く逝ったほうだったよねぇ」
と言うと、母はかむりを振り、
「ううん、最終的にホスピスに入ったのはほんの1か月足らずだったけれど、それまでに相当本人は自覚があって、辛く苦しい思いをしていたんだと思う。
私にもいろいろ言ったけど、やっぱり生きていていろいろ憎まれ口をきくうちは私も悪いところばっかりが見えちゃって、優しい言葉をかけてあげられなかったけれど、それを今は本当に悪いことしたなぁ、って思うわ・・」
としみじみと言いました。
そしてそのあと、
「ほんとうに1分1分が長かったことだろうと思う」
と付け加えました。



確かに父は
「今、何時だ?」
とよく尋ねました。
ほんの数分前にも聞いたばかりじゃないか、と思うこともありました。
だいたい何時だからってそれがどうしたのだ、という感じです。
何もすることなんてないのだから。
一切の治療を断りホスピスのベッドに寝て、食事さえも一切とらなかったのですから、なにかの時間を心待ちにし、それが唯一の楽しみだ、ということもなかったはずですし。
でも、そう思うと本当に父にとっては一刻一刻がいかに永久の時を刻むのか、という思いだったことでしょう。



考えてみれば、私たちがやれ腰痛で立てない、やれインフルエンザで2,3日寝たきりだった、と言っても、まったく何もしない、ということはありえません。
食事はするし、目が覚めているときはテレビをつけたりもすることでしょう。
もう少し元気なら、自分で本も読むかもしれません。
でも、父の場合は最初の自宅介護の段階でこそ、
「つまらんなぁ。おい、なんか本でも読んでくれ」
と言って、私が枕元で朗読をしてあげたこともありましたが、それさえも日にちが進むと聞いている気力さえない、という感じで、
「いま、しんどいからもう読んでくれなくていいわ」
と言うようになりました。
元気な者にはそれがどういうことかわからなかったのです。
自分の体力を使うことでもなんでもない。
自分で本を読むなら、本を支える腕の力もいるでしょうけれども、人に朗読してもらうなら、聞き流せばいいだけじゃないか、それがどうしてそんなにしんどいのだ? と。



私もひどい風邪をひいて高熱にうなされるようなときは、眠っていないときでも耳元で大き目の音が鳴っていることさえうっとおしくて、
「テレビ消して」
とか
「ラジオ消して」
と言ったことがあります。
だけど、それは身体を休めたいからであり、そうして一切の刺激を遮断していると身体が快方に向かうのがわかるのでそうしていた、というところもあります。
再びジャンプするために腰をかがめて今か今かとそのチャンスを虎視眈々と狙っている、という感じです。
だからむしろ、身体が早く治るためにそうしているのが心地良かったりもしました。
しかし、父の場合は違う。
もう死んでいくしかないことを受け容れたうえで、それでもその最期の1呼吸が絶えるまでは生きなくてはならない。
どんどん身体の筋力が衰えていき、耳元で朗読を聞くのも拒否したくなるほどしんどくてもそれが快方に向かうための身体を整える心地良さでもなんでもない。
そして風呂や食事の楽しみがあるわけでもなく、いつ眠っても眠らなくてもかまわない状態で24時間がただ淡々と流れていく。
ある意味、これほどの恐怖があるでしょうか。
なんのメリハリもなくただベッドに横たわっているだけの24時間。
いつ果てるともわからない24時間。
そんな中で父が
「今、何時だ?」
と10分おきくらいに頻繁に尋ねたのは、もっと早く時間が経過していてほしい、というそのときの唯一の望みだったからにほかならないでしょう。



癌による痛みがなかったとはいえ、癌が浸食することによる極度の貧血を抱えていたので、始終気が遠くなるほどのだるさに襲われている、と言っていました。
刺すような痛みに比べればそんなもの、まだ良いほうじゃないか、とは私にはとても言えません。
医者にだって言わせたくはなかった。
でも、結局癌による痛みを抱えた患者には麻酔によるコントロールが行われるけれども、気が遠くなるようなだるさに対しては何もしてくれなかったわけですから、口にこそ出さなかったけれど(そんなことぐらい我慢してください)とタカをくくられていたのかもしれません。



それをたった1年経っただけで、子どもである私でさえ忘れそうになっていました。
軽々しく、
「お父さんはまだ良い方だったよねぇ」
なんて言うなんて。
たとえ世界中のすべての人が、
「まぁ理想的な死に方でしたよねぇ。苦しまずに1か月そこそこで逝けたなんて」
と言っても、私だけは理解してあげなくてはならない。
死に方に“理想”なんてない、ということを。
死ぬ、ということ自体が“理想”でもなんでもない、ただ受け入れざるを得ないだけだ、ということを。
それを改めて思った1周忌でした。
そして、あれからまだたった1年しか経っていないとは思えない、というのが正直な感想でした。
あのときに気付いたことのもろもろの感覚ももう忘れかけているし、実際に忘れていることもあるし、何よりただただ遠い過去のような気がして、ほんの1年前のことだとはとても思えないのです。