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本を出版しました!
「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~
オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。
ご購入はamaon.から → こちら
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<このメールを購読するとどんなメリットがあるの?>
*自分と他人を比較して落ち込んだり、焦ったりしなくなります。
*オンリーワンの人生を自力で歩き出すことができます
*自分らしく、ただありのままでいることに誇りを感じられるようになります。
*ほんとうに自分の好きなことを思い切りやって生きていけるようになります。
*目標が明確になります。
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岐阜がこんなことで世間を騒がせることになるなんて・・という事件が起きてしまいました。
終末医療専門の「藤掛第一病院」というところで、エアコンが故障したため、熱中症で4人もの患者さんが亡くなった、という事件です。
これを警察は重くみたのか、「業務上過失致死」ではなく、「殺人未遂」で捜査に入っていることから、マスコミも騒ぎ始めました。
院長がマスコミの会見に応じる様子もテレビで流されましたが、その“準備不足”という言葉さえふさわしくないほどの“無防備さ”にこの病院の運営姿勢が表れているようで、へらへらしている院長、どこまで問い詰めても悪びれず責任の重さを痛感しているようには到底思えない院長にマスコミも「これは追及のしがいがある」「テレビ受けするぞ」と思ったのか、連日のように報道されています。
実は・・今からもう30年あまりも前のことになりますが(ということは、今書いていて自分でも驚きましたが、すごく長く続いている病院なのだなぁ、と。当然、当時の院長は今の院長ではないと思いますが)、私の祖母はこの病院で亡くなりました。
祖母が亡くなった時のことは以前にもこのブログで書いたことがあります。
祖母は生涯独身だった、当時55歳だった叔母(母の姉)と一緒に暮らしていました。
祖母は94歳でした。
ひょろひょろと頼りなげに歩く様子は完全におばあさんではありましたが、頭ははっきりしている、と思っていました。
ところがあるときから急に夜中にむくっと起きだしては箪笥を整理しはじめ、
「私の着物が無くなっている! ○○さんが盗んだに違いない!」
などと言い出すようになりました。
○○さんは叔母のこともありましたし、お隣さんのこともありました。
叔母はそれでほとほと疲れてしまいました。
叔母は勤め人でしたので、祖母に毎夜毎夜騒がれては自分が寝不足になってしまい、もう限界だ、ということで親戚の面々に祖母について相談しました。
そこで親戚が集まって、
「病院に入れるしかないだろう・・」
ということになりました。
当時はまだ「認知症」と言う言葉もない時代でした。
だから私は、それを聞いて
「えっ! ちょっと不条理なことを言うようになったぐらいのことで身体は元気なのに病院に入れるの? また、そんなおばあちゃんを受け入れてくれる病院なんてあるの?」
と不思議に思っていました。
ところがあるんですねぇ。
それが「藤掛第一病院」でした。
当時から「藤掛第一病院」はそういうところで地元では有名な病院でした。
“そういうところ”というのは、「はっきりとした病名を冠すほどの重大な病気でもなんでもないけれど、家には居させることができないような老人」を受け容れるところ、という意味です。
もっと端的に言ってしまえば、「姥捨て山」でした。
家に居てもらっては困る老人を預かるところ。
昔のほんとうの「姥捨て山」のお話しのように単なる口減らしであるとか、近所への評判が悪い、というのとはさすがに一線を画していますが、祖母の場合のように「これでは同居しているまともな健常者のほうが病気になってしまう」ことが予想されるような場合、健常者の権利を守るためにならその老人、お預かりしましょう、という場所だったのです。
祖母が入院してすぐに私は見舞いに行きましたが、その様子を見て胸を打たれてしまいました。
祖母はなんと両足をベッドにくくりつけられていたのです。
なんでも前日、ベッドの上にいきなりすっくと立ち上がろうとしたのでそれで落ちて頭でも打ったら大変だから、という病院の見解でした。
今ならこれはさすがに人権侵害になるのでは、と思う処置です。
でも当時は
「なら、仕方がない・・」
ぐらいで済まされていました。
大部屋でしたが、祖母のほかにもそのような処置を受けている患者さんはいらっしゃいました。
自力で歩くことを許されなくなった祖母は入院してめきめきと(という言い方はおかしいか・・)衰えていきました。
自分の力で歩く、ということがいかに大切か・・
祖母は生きる気力も日に日に失っていくようで、話す声もじょじょにかぼそいものになっていきました。
そして入院して1か月ほど経ってからでしょうか、ある日突然訃報を聞きました。
私がちょうど海外出張しているときで、すぐには帰れませんでした。
のちのち、叔母や母はことあるごとに、
「あれは、おばあちゃん、可哀想だったねぇ・・」
と後悔の言葉を漏らしました。
だからといって、ではあのとき、どうするのが最善の策だったのか?
どういう選択肢があったのか、というと結局、ああするしかなかったよねぇ、でいつも話は落ち着いてしまうのです。
今は、病院の対応ももう少し“人間らしく”なっていて、祖母が受けた扱いのようなことは少なくなっているのかもしれません。
けれど、家にいる、自分たちの力だけではどうしようもない老人を自宅でなく、どこか専門の機関に預けたい、家では無理だ、と思っている家庭が30年前よりもより増えていることは間違いないと思います。
そういう家庭が増えている限り、「藤掛第一病院」のような問題は何も解決しないと思います。
さすがに刑事事件で、「殺人容疑」ですからねぇ、ひょっとするとこの病院は今後の存続はあぶないかもしれません。
それでも、これだけの報道がなされ、そしてあんな頼りなく、人の命の重さもわかっていないような院長のインタビューを知ったあとでも、
「それでもこの病院にお世話になるしかない・・」
とか、
「この病院がなくなってしまったら困る・・」
と切実に思っている、沈黙を守っている多くの患者さんの家族がいることは間違いないと思うのです。
それがこの問題の闇の深さです。
ただ単に
「エアコンかけずに扇風機だけでこの猛暑のなか過ごさせることはいけないことでした」
だけでそこが改善されれば終わり、という問題ではないんです。
寿命が延びるにつれ、病気なのかそうでないのかの境目もはっきりしないような状態の人がより多くなることは目に見えています。
老人にとっては辛いいくつかの検査を経てようやく病名をもらい入院するとか、大金を積んで設備のよい老人ホームに入るということができない人たちにとって、2つ返事で受け入れてくれていた「藤掛第一病院」のような存在は救世主のようにさえ見えていたかもしれません。
私はこういう“病気なのかそうでないのか”曖昧な領域に居る人たちに(老人だけとは限らない)、セラピーやヒーリングをもっともっと活用してほしい、言い方を変えればセラピーやヒーリングがもっと活躍する世の中になってほしいと心から切に願っています。
あのときの祖母に今の私だったら何ができたか・・?
少なくともオーラソーマのボトルを施したり、ビーマーライトペンを当ててあげたり、アクセスバーズで脳をすっきりさせてあげることなどはできたはずです。
そしてそれによって祖母の症状は多少なりとも改善され、おばさんが夜眠れなくなる、ということはなく、「藤掛第一病院」に入院させるということもしなくて済んだかもしれません。
この問題がどこへ決着がつくのかまだわかりませんが、私はすぐ近くの地元のことだし、祖母のこともあるしで他人事のようには思えません。
今後も成り行きを見つめたいと思います。
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今は、病院の対応ももう少し“人間らしく”なっていて、祖母が受けた扱いのようなことは少なくなっているのかもしれません。
けれど、家にいる、自分たちの力だけではどうしようもない老人を自宅でなく、どこか専門の機関に預けたい、家では無理だ、と思っている家庭が30年前よりもより増えていることは間違いないと思います。
そういう家庭が増えている限り、「藤掛第一病院」のような問題は何も解決しないと思います。
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老人にとっては辛いいくつかの検査を経てようやく病名をもらい入院するとか、大金を積んで設備のよい老人ホームに入るということができない人たちにとって、2つ返事で受け入れてくれていた「藤掛第一病院」のような存在は救世主のようにさえ見えていたかもしれません。
私はこういう“病気なのかそうでないのか”曖昧な領域に居る人たちに(老人だけとは限らない)、セラピーやヒーリングをもっともっと活用してほしい、言い方を変えればセラピーやヒーリングがもっと活躍する世の中になってほしいと心から切に願っています。
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