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明日、6月29日(土) 「瞑想の会」 \1500
10:30~12:00
1席 お席あります!
一緒に瞑想を楽しみませんか?
やってみたい! 参加してみたい! と言う方は、
まで、ご連絡お待ちしています。
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一昨日は全国的にも雨のところが多かったようですが、岐阜も朝から大雨で、その勢いは止むことがなく、1日中ざぁざぁと降っていました。
久しぶりじゃなかったかなぁ・・ あれだけの雨量って。
なんだか私だけじゃなく、街ごと浄化されたような気がして気分が良かったです。
雨ですから当然湿度も高かったはずですが、気温も久しぶりに25℃くらいで一番気持ちいいくらいのひんやりとした質感の日でした。
わたし、かなり強めの雨の日って割りと好きなんですよね。
深夜しんとした静けさのなか、どこへ行くという当てもなく車を運転するのも好きです。
この2つに共通していること、っていうのは“人が活動していないとき”、あるいは“人が比較的おだやかに身体をやすめようとするとき”だからですね。
今なんて都会は24時間眠らない街でしょうから、ドライブとはいえそういうところへ行くのは好きじゃないですね。
昔は夜10時を過ぎたらたいていの家では眠りに入っているか、眠りに入る準備段階をしているような感じが町全体に漂っていて、そんななか私だけは起きている、っていうのを味わいながら車を運転するのが好きだったんです。
雨のなかわざと傘をささずにぶらぶらと歩く。(職務質問されないように気をつけないといけません・・ それと、風邪をひかないように事後すぐに温かいシャワーが浴びれる態勢を作っておくのも大切ですね。)
深夜ドライブする。
このどちらも1人に限ります。
これは、自分から“積極的に沈黙を楽しみにいく”ということでもあります。
皆さんは普段、生活の中で“積極的に沈黙を楽しむ”ということを取り入れてらっしゃいますか?
仕事がオフの休日、ふっと気付いたら、あれ・・ 今日1日中、誰とも口きいてないや、とかそういう受身の沈黙のことじゃありませんよ。
そういうときはきっと生身の人間とは口をきいていなくても、テレビをつけたり、音楽聴いたりと何かしら自ら音源を求めてはいるでしょう?
そうじゃなくて、積極的に自ら音のない世界を選び取ってその中でじっとひとときを過ごす、っていうことをしていますか?
それの最たる代表のひとつが瞑想ではないかと思います。
つまり、積極的な沈黙を選び取る、ということは内観するということでもあります。
では、内観すると何がいいのか?
いろんな答えがあるでしょう。
“無”になることができる。(=無我の境地を味わうことができる。)
自分の内面を見つめることができる。
雑念を取り払うことができる。
どれも瞑想に慣れ親しんだ方が得られる素晴らしい境地ですね。
けれど、実際に普段修行のようなつもりで瞑想に取り組んでいるわけではなく、ちょっとした気分転換とか何となくそのほうが気持ちがいいから、ということだけで瞑想しているだけではなかなか上記ほどの境地にたどりつくことはできません。
私が瞑想をしていて一番いいな、と思うことは「思考」より自分の「心の声」を聴くことに素直になれる、ということです。
「思考」、この場合イコール左脳と考えてください。
左脳は簡単に自分に嘘をつきます。
例えば自分がこれをやりたい!と思うものがあっても、
「いやいや、そのための費用が今捻出できない、ということはやめておけ、ということではないか。」とか、
「私がその間、家をあけるということについて家の者は良い顔をしていない。家庭内の空気を悪くしてまで自分を押し通すこともないのではないか。」とか、“やらない”ための実にもっともそうな理屈を考え出してくれるのが左脳です。
これらの理由は一見、実にごもっとも、というように見えますが、どうしても私はこれをやりたい!ということがあれば、それ以外のあとのことはすべて“手段”に過ぎないじゃありませんか。
夢、目的、目標の場所へ進むためにはどうしたらいいか、ということについてはとりあえず「そこへ行くのだ。」「私は到達するのだ。」「どうしたってこうしたってやるのだ。」ということを大前提とした上での後の問題じゃありませんか。
だからこの場合、「思考」の力を生かすのであれば「今はその費用はない。で、いつまでにどんな方法で作ることができるだろうか?」という部分で使うのが健全であるはずです。
「家の者が良い顔をしないのはなぜか?」その本当の原因を突き止めてみる必要がありそうです。
自分では、「わかってるわよ、そんなもの。家事をこなす人間がいなくなって家の中が片付かなくなり、自分の負担が増えるのがイヤなだけでしょ。」と思っているかもしれないけれど、本当の理由は“嫉妬”かもしれません。
自分の本当にやりたいこともへったくれもなく、ただ生活するために毎日会社へ行っている俺のことはそっちのけでおまえは夢、夢かよ、という旦那さんの心の叫びが嫉妬となって、ぶすっとした顔になって跳ね返ってきているのかもしれません。
そうであれば、「あなたも夢を見つければいいじゃん。」ではなく(というのは男の人っていうのはそういうの、苦手みたいなんですよ。生活費のために会社へ行っている自分をよし、としているんですね。そこ自体には不満はない、と思っている。)、「帰ってきたらさ~、それからの1ヶ月間、休みの日はぜぇ~んぶ、あなたの趣味につきあってあげるから。」とか「やっていいよ。(行っていいよ。)」と、自分にも対等なご褒美があり、それを全力で応援してあげるよ、と言ってあげれば旦那さんは満足なのかもしれませんよ。
自分の本当の心からの願いと理屈が対決して、理屈が勝つことなんてありません。
だから自分では自分がつくりあげた理屈に満足して、「だから今回はあきらめたのよ。」なんて言っているけれど、ふつふつと絶対また心からの願いは頭をもたげてくるでしょう。
あなたが本当にその願いを叶えてあげない限り。
そういう心の声に気付くことが何か特別なスピリチュアルな勉強をしたり、直感を磨くことだったりするわけではありません。
誰にだって簡単にできることなんです。
ほんの少し、自分から“能動的な沈黙”の時間をつくれば。
現代人のほとんどのストレスは「人と会いすぎる」ことからくる、と言われています。
実際に対面するわけでなくても、電話で、メールで、facebookで、ラインで、とかまびすしいほどに現代にはコミュニケーションの手段が横行しています。
それらを全部受けていると、ものすごく五感が刺激を受けすぎている状態になっているんだと思います。
現代のコミュニケーション手段は便利になりましたが、ときには自らそれらを一切遮断する時間を積極的につくる、ということも大切だと思います。
そうすると自分の心が一番望んでいることが何なのか、それを気付かせないようにシャッターを下ろしていたものの正体にもきっと気付くことができるでしょう。
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