パリオリンピック2024が始まりました。私はもちろん出場しませんが(当たり前)、オリンピックについては色々複雑な思いもありつつ競技を見るのは結構好きです。なので、1963年生まれの私がオリンピックをどのように見てきたか記しておこうと思います。
【1964年 東京】(1才)
当時まだ1才でもちろん記憶はありません。三波春夫先生の「東京五輪音頭」も覚えたのは大人になってからでした。「世界の国からこんにちは」はしょっちゅうテレビで見たけどあれは万博だし。
【1968年 メキシコ】(幼稚園年中)
アニメ「アニマル1」の「メキシコ目指すのだ~♪」という歌でメキシコを知りました。ただ、当時まだ我が家のテレビは白黒だったし、時差もあっただろうしテレビで競技を見た記憶はなし。
【1972年 ミュンヘン】(小3)
バレーボールのアニメ「ミュンヘンへの道」で熱狂しました。あれはウケましたね。あれで「ミュンヘン」という地名を覚えました。サッポロビールのCMで「ミュンヘン サッポロ ミルウォーキー 本場の味 サッポロビール~♪」というのをやってたけど、学校の先生が「ミュンヘンとミルウォーキーは確かに世界的なビールの本場やけどサッポロは…。」と言ってたのを妙に覚えてます。
競技では体操が好きで、大会前の披露会のような番組で塚原選手の月面宙返りを初めて見ました。その時はまだ「月面」なんて名前も無く、イマイチ完成されてなくて着地が決まらなかったので、見ていた父が「どっち向かって回るんや」と笑ってたのを覚えてます。
そして当時は選手村のテロ事件をまったく知らず、のちに見た映画「ミュンヘン」も最初フィクションかと思ったくらい。当時国内ではどういう報じられ方をされ、親や先生たちはどういう受け止め方をしてたのか気になります。
【1976年 モントリオール】(中1)
中学に入って部活もやってたので、特に競技中継を見た記憶無し。なんかバレーボール女子の試合を母が一生懸命見てたのは覚えてますが。
コマネチはもちろん話題でしたが生では見てません。折角高得点出したのに「サイボークだ」「機械だ」とか言われてたので、あの伝え方はどうなのでしょうかと今は思います。中一男子としては女子の体操服姿を凝視するのは恥ずかしかったのでスルーしてたかも。
【1980年 モスクワ】(高2)
高二男子としては日々の生活が結構大変でオリンピックは気にしてなかったかと。なので、ソ連が何したかというのもちゃんと調べず参加かボイコットかなんて議論には加わりませんでした。今なら多分ボイコットと言うと思うのですが、それはまた別の機会に。
【1984年 ロサンゼルス】(大学三年)
大学での夏休みは毎年貴船の川床料理屋でバイトしてました。勤務は朝9時から夜10時くらいまでで、1カ月半ほぼ休みなし。
昼食時と夕食時は凄く忙しいのですが、午後2時から5時くらいはソーメン食べにくる客がポツポツという感じで、調理場の隣の休憩室で中継見てました。時差を考えるとその時間の放送は多分録画だったのでしょうが、結構色々見ました。
陸上女子のゾーラバッドとメアリーデッカーのバトルとか、体操ではテキサスのゴムまり娘と言われたメアリー・ルー・レットンとかよく覚えてます。男子体操では具志堅選手とか森末選手が人気だったかと。
あとは柔道の松岡選手が大学のOBだったので金メダル獲って喜んでました。もちろん山下選手の金メダルもよく覚えてます。
【1988年 ソウル】(社会人3年目:24才)
この大会は浜田麻里の歌ばっかり覚えてます。時差が無いのでかえって昼間の競技はテレビで見られず、もっぱら営業車のラジオでした。柔道の古賀選手の試合は夜だったけどやはりラジオで聞いてて、アナが興奮して「あ~っ、一本!」とばっかり叫ぶので、てっきり勝ったのかと思ったら負けてました。ラジオで聞いてる方の身にもなって欲しいものです。「一本です。一本です。」しか言わないもんだからなんで負けたかわからず。
なんにしても、スポーツにおいてアウェーというものを強烈に意識したのがこの大会でした。
【1992年 バルセロナ】(28才)
水泳の岩崎恭子ちゃんの金メダルが印象的ですが、私はその競技の直前に子供を抱き上げようとして人生初のぎっくり腰になりました。なので、彼女が「今まで生きて来た中で一番幸せです。」と言うのを「わしゃ今までで一番情けない。」とぼやいてました。
翌日は日曜だったので家で寝てて月曜に整形に行ったら理学療法士に「子供抱いてぎっくり腰になるかねぇ…。」と冷ややかに言われ散々でした。そういう記憶です。
【1996年 アトランタ】
時差があったせいでしょうが、競技を生で見た記憶はほとんどなし。田村亮子が北朝鮮の選手に負けたというニュースのインパクトが強かったですね。他を覚えてないのは、多分仕事が忙しかったのでしょう。
【2000年 シドニー】
10月から埼玉に異動することになり、家族を連れて家捜しに来たときに女子マラソンを見ました。なので、金メダルの瞬間は川越のビジネスホテルで見たのを覚えてます。ゴールした後の晴れやかな表情は素晴らしかったですね。
あとは、爆笑問題の田中が睾丸の腫瘍で入院してたのもこの頃。摘出手術後のスポーツ新聞の見出しが「田中 金とった!」だったので、芸能人も大変だなあと。
【2004年 アテネ】
マラソンで野口みずき選手が金メダルを取って凄いと思ったくらいしか記憶がありません。実際は色々見たのでしょうけどまあ仕事が忙しかったのかと。
【2008年 北京】
柔道の石井慧選手が「オリンピックのプレッシャーなんて斉藤先生のプレッシャーに比べたら屁のツッパリにもなりませんよ。」と言ったのが痛快でした。
そんな大会ですが、フジテレビのオリンピック中継で「浜田キャプテン」と称してダウンタウン浜田が大きく取り上げられてたので、「オリンピックってなに?」と疑問に感じたのが記憶に残ってます。
【2012年 ロンドン】
テレビで見た記憶はありますが、この時期に父の胃がんが発覚し丁度7月に手術をしたのでした。なのでオリンピックどころではなかったのが正直なところ。
NHKのオリンピック中継のテーマがいきものがかりの「風が吹いている」でしたが、病院へ行く車中のラジオで聞いた母が「これAKBか?」と言ったのを覚えてます。まあ若い女子の曲はみんなAKBだと思っていたものと。
【2016年 リオデジャネイロ】
見てたとは思いますが、多分仕事が忙しかったのでしょう。時差も大きかったですしね。
◆2021年 東京
こちらは色々見てました。コロナ禍でオフィスに出社できなくなり、直行直帰が基本となったおかげでテレビは見やすかったと思います。卓球の混合ダブルス決勝は生で見ました。
と、まあこんな感じですが、ご覧の通りオリンピックに特別な思い入れはなく、いろんな競技が同じ時期に見られて面白いという程度です。それぞれの競技には世界選手権とかワールドカップもありますので、あくまでも誰が一番強いかというのを決める機会の一つであってほしいです。
実は大学に入った頃に沢木耕太郎の「敗れざる者たち」で円谷幸吉の話を読んで以来、「オリンピックで金メダル獲らねば許さない」と感じさせる物言いには拒絶反応を示してしまいます。
円谷選手は腰痛で悩んで東京五輪後は記録が伸び悩む一方、私生活では結婚の予定があって将来への希望を持ってました。が、「まだ次のオリンピックがあるのに結婚なんかして浮かれてる場合か。」と父親に言われ婚約を破棄。その婚約者だった女性は、それまでに円谷選手が遠征先で買ってきた土産物や贈り物をすべて送り返してきたのだとか。そして円谷選手本人は「もう走れません。」という遺書を残して…。(あくまでも私の記憶によりますので差異があるかもしれません。そういう強烈なイメージです。)
なので、オリンピックに参加する選手は本当に自分の可能性を試すために競技に臨んで欲しいと思っています。私が特に好きなのは、バレーボール、バドミントン、卓球、柔道、レスリングなど。まあ別に陸上や水泳も見てると面白いです。
そんななので、オリンピック報道で国別のメダル獲得数をやたら言い出すメディアは軽蔑します。この辺いろんな意見はあるでしょうが、私は競技の心から観戦を楽しみたいと思っています。