今日のひとネタ

日常ふと浮かんだことを思いのままに。更新は基本的に毎日。笑っていただければ幸いです。

今年もやりとげました>ヤマザキ春のパンまつり

2024年04月23日 | 日記・雑記・ただの戯言

 2枚でいいかと思ってたのですが、「この勢いなら3枚行けんじゃね?」ということでそのまま突っ走り、ようやく3枚分溜まりました。そして本日引き換えてきましたが、成果はご覧の通り。

 今年も皿1枚当たり30点必要ですが、やはり台紙1枚には納まらないことが多く今回は5枚使いました。


 トップの画像では大きさがわからないかと思いますが、CDと並べてみるとこんな感じです。


 これまで貰った中では直径は一番小さいですが、深さは結構あるので汁気の多いものにはピッタリかと。肉じゃがとか肉豆腐もいいかなあ。鍋物の取り皿でもよさそう。

 知らない人のために説明すると、これは陶器に見えますが硬質ガラス製でかなり丈夫です。説明書きには「割れないわけではない。」とありますが、我が家では割れた事はありません。食洗器でもオッケーです。正真正銘のおフランス製ざんすので、これで日仏友好に貢献した気分。(と、大きく出る。)

 ということで、今年の祭りは終わりました。おかげさまで楽しめましたので、ヤマザキさんには感謝します。


昭和一桁の世界

2024年04月19日 | 日記・雑記・ただの戯言

 朝ドラ「虎に翼」は今週昭和8年から10年のあたりでした。戦前ですがもう満州事変のあとで、国内国外ともにかなりキナ臭いというイメージはあります。が、ドラマで見ると街の様子も活気があって道行く人も結構おしゃれに感じます。

 まあそれもそのはずで、別にまだ灯火管制があるわけでも「欲しがりません勝つまでは。」となってるわけでもないので、庶民は普通に生活を楽しんでたと思われ。そこは前作の「ブギウギ」でもそうでしたね。歌劇団とか歌謡ショーへの風当たりが強くなるのは、それこそ太平洋戦争始まってからの事でしょうし。

 それで思い出すのが、江戸川乱歩先生の「黄金仮面」のこと。2003年に刊行された光文社文庫「江戸川乱歩全集第7巻 黄金仮面」の解説に面白い話がありました。

 そもそもこの小説は昭和5年から連載開始されたものですが、その翌年5月に平凡社で「江戸川乱歩全集」がスタートしたそうです。それでその宣伝役に駆り出されたのが黄金仮面。

 それによると「黄金仮面に扮したチンドン屋行列が町を練り歩き、セルロイドの黄金仮面がビルの屋上から舞った。黄金仮面のポスターが書店の店頭を賑わせた。」のだそうです。昭和6年とはいえ楽しそうですね。

 とはいえ、実際は「虎に翼」のヨネさんのように地方では家が貧しくて売られる女子も多く、彼女がどこの出身なのかはわかりませんが特に東北ではかなり生活が厳しかった様子。そこが226事件の青年将校の決起などに繋がったりしたわけですから、

・国としてどうしたらよかったのか。
・官民問わず何かできることはなかったのか。
・海外で参考にできる事例はなかったのか。

というのは今だから考えてみるべきとも思います。実際知恵が無かったのか、考えた人はいても実行されなかったのか、など。

 「ブギウギ」「虎に翼」と同時代の話が続いたので、ついそういう事を考えました。簡単な話ではないのはわかりますがそういうことも勉強したいです。


この季節になると花泥棒を思い出す

2024年04月17日 | 日記・雑記・ただの戯言

 つつじが咲いてるのを見かけるようになりました。それで、この季節になると必ず思い出すのが花泥棒のこと。

 私が中学生の頃、実家の庭にはつつじがあったのですが、ある日父が植木市でさつきの鉢植えを買ってきました。「つつじあるのにさつきも?」と思ったのですが、わざわざ買ってくるくらいなので結構見事なものでした。当時ギターと甲斐バンドと天才秀才バカにしか興味がないような中学生だった私でも「おおっ!」と思ったものです。

 そして父がその何鉢かを玄関の前に並べて「ニカ~」と眺めてた間は良かったのですが、ある日の早朝に全部盗まれてしまいました。早朝というのは、その日の朝に犬(ヨークシャテリア・男子)がガウガウと凄い勢いで外に向かって吠えてたので、多分その時にやられたのだろうと。

 せっかく番犬(?)が仕事してたのに、肝心の人間がどうしてたかというと、両親とも「また新聞配達に反応しとる」と思ってそのまま寝てたのですと。まあ私も二階で寝てたので同罪と言えば同罪。

 家の横は行き止まりで人通りは少ない場所だったし、時間的にも通りすがりの犯行とは思えず、何かのきっかけで見かけた花のきれいさに目をつけてたのでしょう。単に観賞用で盗んだのか転売目的なのかはわかりません。もちろん犯人はわからずじまい。

 なお、当時新聞の投書欄ではやはり家の花を盗まれた人がぼやいてて「盗んだ花を眺めて心が癒されますか? 心が痛みませんか?」というのがありました。同じ目に遭う人は多いのでしょう。

 それを考えると我が家の危機管理が甘かったのと、折角ワンコが反応したのに人間が対応できなかったというのが反省点。普段から新聞なんか取ってなければ異変に気付けたのに。←と無理やりな結論。今から逮捕はできないでしょうから、せめて犯人に呪いをかけることにします。エコエコアザラク エコエコザメラク…。


そういえばそもそも新聞がないわ

2024年04月15日 | 日記・雑記・ただの戯言

 昔のテレビドラマでよく見るシーン。家庭内の出来事に無関心を装うために、お父さんが顔を隠すように新聞を読む姿。

 ある時は彼氏の話をする娘とそれをあれこれ聞く妻の会話、ある時は親が反対したのに娘が勝手に受けたオーディションの結果発表の日などで、気にはなるけど「ワシは知らんもんね。」というポーズのための新聞なわけです。

 これがコメディだと新聞がさかさまだったりお茶をこぼしたり、たばこを反対に咥えて「アチチ」と言ったり。

 我が家ではどうかというと、そもそも新聞がありません。思い起こしてみると、埼玉に引っ越してきた20数年前はマンションではあったけどオートロックではなかったので、勧誘のラッシュでした。

 家人がうっかり玄関をあけてしまったが最後、ある時は朝日新聞、次は読売、その次は毎日とかそういう感じ。「じゃ半年頼むわ。」とザザッとハンコをつかされたり、「今は朝日取ってるので。」というと、「じゃそのあと半年だけ!」と懇願され、「いやその後も決まってて」というと「じゃ、そのあとで!」と根負けしたり。

 縁を切れたのは朝日には「朝日嫌いなんで!」と言い、読売には「ヤクルトの古田の大ファンなんだけど『たかが選手が』なんていうナベツネの新聞はいらん!」と言うとさすがに向こうも諦めました。毎日への断り文句は忘れました。「いまさら新聞を毎日読む奴おるか!」と言ったかどうか。ちなみにプロ野球に関心はないので、その辺はいわゆる断り文句でした。

 とはいえ、実際は朝7時過ぎに出かけて夜は10時くらいに帰ってくる生活だったので家で読む時間なく新聞代無駄だと思ったため。それで、節約のために一時的に東京新聞にしてまああれは面白いと言えば面白いのですが、やはり読む時間ないしゴミも増えるし、キッパリやめたのは十数年前。新聞といえば会社に行けば日経ありましたしね。

 ということで、我が家はお父さんが無関心を装うにはコンビニで新聞買ってくるしかありません。東スポとか夕刊フジは似合いませんね。東スポの場合は「無関心を装う」という前に読み入ってしまい、いけないページをブヒブヒ言いながら見てたら家族にポンポンと肩を叩かれるとか。やはり抜き取って半分に読むべきですか。う~む。


コトコトコットン コットンキャバレー

2024年04月13日 | 日記・雑記・ただの戯言

 「コットンクラブ」はコッポラの映画で日本での公開が1985年。当時「オレたちひょうきん族」で「コットンキャバレー」というコントをやってましたが、まあ「クラブ」を「キャバレー」に変えただけの安直なタイトル。出落ちのようなもので、コント自体は大したことなかったと記憶してます。(失礼) 調べたら1985年4月6日のことだそうです。

 ただ、そのコントに出てくるキャバレーで流れる曲が「コトコトコットン コットンキャバレー」という、あの「森の水車」の替え歌で私は今も耳に残っています。

 同じように感じた人は他にもいて、誰かというと甲斐よしひろさん。当時NHKFMの「サウンドストリート」で、「コトコトコットン コットンキャバレーというのがやたらと耳に残って、それをまた子供が覚えて歌うんだよね。」とぼやいてました。

 当時はその話を聞いて笑っただけでしたが、ふと「その子供とはなっちゃんだろうか?」とか思ってしまいました。調べたら、彼女は当時まだ1歳ですから歌ったのは多分お姉さんの方ですね。

 実は都内に「コットンクラブ」というライブレストランがあることを知って、この話を思い出したのでした。そして、kainatsuさんはそこに出演した事あるだろうかとか余計な事を考えてしまいます。その前に甲斐さんが出れば話題になるでしょうか。コトコトコットン コットンキャバレ~♪


2枚目も確定しました>ヤマザキ春のパンまつり

2024年03月25日 | 日記・雑記・ただの戯言

 春といえばヤマザキのパンまつりです。1枚目が溜まったのが3月4日でしたが、その後ハイペースでもう30点行けました。ご覧の通り1.5点のパンが多かったことが要因です。前回は用紙1枚で足らなかったし。

 パンの値段や大きさと点数が必ずしも比例するわけじゃないので、今回はコンビニ限定のナイススティックが1.5点であることを知ったのが大きいです。ランチパックのつぶつぶピーナッツだと0.5点なので、やはりこの期間はナイススティック狙いですね。

 予定としては2枚でいいかと思ってたのですが、このペースだともう1枚行けそうな気もしてきました。確かにクオリティの高い皿ではありますが、私にとっては皿が欲しいというよりはお祭り気分を楽しみたいのであと1ヶ月ちょっと頑張ります。まだ1枚目も引き換えてきてはいないので、貰って来た時が嬉しかろうと。

 ちなみに、これで貰える皿は陶器じゃなく強化ガラスのためかなり丈夫です。我が家ではまだ一枚も割れた事がありません。もちろん「割れないわけではない」という注意書きはあるものの、かけた事もひび割れたこともないし。

 それにしても0.5点と1.5点が多いと数えにくいこと。前はお店の人が数えやすいように横一列の合計が整数になるように揃えてたのですが、ある時縦に数える斬新なおばちゃんがいたので、その辺どうでもよくなりました。次は斜めに数える達人が現れる事を期待しています。


卒業式で泣かないと

2024年03月23日 | 日記・雑記・ただの戯言

 卒業式シーズンです。「ああ 卒業式で泣かないと 冷たい人と言われそう」という歌がありましたが、私は泣いたことがありません。(中森明菜モード) 最初に体験した卒業式はもちろん小学校。そこは全員同じ中学に行く学区で、しかもその学区の他の小学校は小さいところばかり。すなわち、中学に入っても学年の半分以上は同じ小学校からの生徒でした。田舎だから私立に行く奴なんかいないし。

 友達と離れ離れになることがない上に、ほぼ新鮮味のない進学だったわけです。おまけに中学に入ると男子は全員坊主頭にせねばならなかったので、そちらで相当機嫌が悪かったのも想像に難くありません。

 中学の卒業の時は、こちらはまあバラけて別れもあったわけですが、卒業生の150人中30人が私と同じ高校。大体市内にあった3軒の高校に分かれるケースが多かったので、みんな学校は違っても案外近くにいるという思いが強かったと思われ。

 この時は、高校受かったのが嬉しかったのと、ようやく坊主頭から解放されるのも快感だったのだと思います。泣く気などまったく起こらず。周囲でも泣いてる奴は見かけなかったような。

 高校卒業の時は、進路決まってない奴もいてみんなドタバタしてた感じ。私は卒業前に運転免許取ってたので、友人に「卒業式終わったらボーリング行くから車持ってきて。」といきなり言われ、あんまり運転慣れてなかったけど家に帰って親父のスプリンターを借りてドキドキしながら出かけました。泣く暇はなかったです。

 大学の時は人数多かったので学部ごとで卒業式やって、日程も二日に分かれてたと思います。終わってからは、部活の仲間とスクーターでファミレスに行った記憶。卒業式は就活の時に作ったスーツで出てましたが、そのままスクーター乗ったので転ばなかったのが幸い。もちろん泣く気はまったく起こらず。

 ということで、私は卒業式で一度も泣いたことがないのでした。まあ、それで冷たい人だと笑いたければ笑うがいいさ。ワッハッハ。


脳みそのシワを伸ばしたい

2024年03月14日 | 日記・雑記・ただの戯言

 子供の頃は兄弟揃って大の巨人ファンで毎日ラジオで必死に聞いてたら、父が野球を見に連れて行ってくれました。というのも、父の弟(すなわち私の叔父)が東京に住んでたので、夏休みに東京見物を兼ねてババンと後楽園球場へ。

 それは昭和48年の話ですが、当時石川県に住んでたので朝から特急で出かけて米原まで行き東海道新幹線に乗ったような気が。しかし初の新幹線だと騒いだ記憶がないのは私が鉄分が薄いせいか、あるいは在来線で行ったのか。(在来線があったのかどうかは知りませんが。)

 着いてから多分叔父の家に荷物だけ置いて出かけたと思いますが、私はとにかく早く球場に行きたくてソワソワしてました。父や叔父は「まだ練習中やろ。」と言って急がなかったのですが、こちらはとにかく球場も見たければ誰でもいいから選手が見たくて。

 それで、確か野球殿堂博物館に寄ってから16時半くらいに球場に入ったような記憶があります。当時はナイターの開始は18時50分でした。たしか。

 席は一塁側内野席の上の方だったのですが全体がよく見えてすごく満足した記憶あり。開始前にグラウンド近くまで行って見たら、そこかしこに知ってる選手ばかりがいて感激しました。試合も序盤は先発の関本が乱調だったものの、森のタイムリーで逆転して王のダメ押しホームランも出て、中盤から午後8時半の男の倉田が抑えて気持ちのよい勝利でした。

 試合に勝ったこともそうだし、自分がそこにいることが嬉しくて喜びっぱなしだったので、その感動は数日どころか1年くらい持続した気がします。その時買ったメンバー表を毎日眺めてたくらいで。

 が、その後巨人ファンではなくなり、そもそもプロ野球も見なくなり、数年前に仕事で川崎方面に行ったときに「読売ジャイアンツ球場」という看板を見ても「ん? なんじゃ?」と思った程度で立ち寄りもしませんでした。あれが小学生の頃だったら、その文字を見ただけで興奮するかうれションでもしたでしょうに。

 大人になってあれくらい興奮したのは、尾崎亜美さんのコンサートに初めて行ったときくらいで、今や還暦ともなるとそこまで感激する機会というのはなくなりました。普段しない経験をするというとバンジージャンプとかスカイダイビングがそうかと思いますが、そもそもそういうのはやりたくないし。

 興味のあるのは音楽関係ですが、今は様々な手段で映像を見る機会も多いので「見たくて見たくて仕方ないけどまず見られない」ということはないのが大きいでしょう。また、長年生きてると色々経験して、どんなことでも大体想像つくような気がしてますが、そういう意味では脳みそのシワを伸ばしてそこに刻まれた知識や記憶をすっぱり飛ばし、なんでも初めて体験した時のような感動を得られる方法があればいいのにと思います。

 まあ大人になると、行きたかったコンサートの日に仕事が入ったり、子供が熱を出して行けなかったりすることもあって、ガッカリ感を抑えるために「あまり期待しすぎないように」といういうリミッターが働くこともあるかもしれませんね。大人って変ね~、信じられないわ~♪というのとはちょっと違いますけど。


ようやく一枚分確保>ヤマザキ春のパンまつり

2024年03月04日 | 日記・雑記・ただの戯言

 先月から始まっておりますが、1ヶ月経ってお皿1枚分のポイント30点がたまりました。ご覧の通りですが、0.5点と1点を中心にコツコツと。

 とにかくパンを買えば点数はたまりますが、もちろん食生活との兼ね合いですのでなかなか2点のを買う機会がありません。私のように日中は外回りの場合、パンはコンビニで買いますが、最近セブンイレブンではプライベートブランドのがほとんどでヤマザキのが少ないどころかない事もあって愕然とします。

 そんな中、コンビニ限定のナイススティックが1.5点なのを発見。画像の1.5点なのはほとんどこれです。30点稼ごうと思えば20日間これを続ければいいわけで、もう1枚は行けそうです。それにしても、チョコ&クリームの2色パンなんてでかいのに0.5点なんですね。とにかく頑張らないと。祭りだし。


人の目など構わなければこれはなかなか>大活字文庫

2024年02月28日 | 日記・雑記・ただの戯言

 先日図書館から借りてきたのが大活字文庫というもの。別にこれを試したかったわけではなく「ゲゲゲの女房」を借りようと思ったらこのタイプしかなかったので。

 中を開いてみるとこういう文字サイズの本で、普通の本よりメチャメチャ大きくなってます。(文字の大きさを比較するとこんな感じ。同じ内容の本ではありません。) 図書館以外では見かけたことはないのですが、そもそもが弱視とか視覚障害の方向けなのですね。

 ただ、これはこれですごく便利で、私のような60代一般男性でも老眼鏡なしで楽勝。目が疲れません。先日は電車で出かける際に持って行きましたが、裸眼で問題なく読めます。

 しかし、デメリットはいくつかあって、元々は一冊の単行本なのがこの文字の大きさなので当然ページ数は増え三分冊となってます。もちろん重量もコストも相当なもの。そして、電車でこれを読むとなると隣の人からも中身が丸見えなので、それを気にする人は無理でしょう。

 これが「ゲゲゲの女房」だからいいようなものの、村上春樹先生の「1Q84」なぞ読んでたら「彼女はとても効率的に、天吾の中から一週間分の性欲を搾り取っていった。」という表現が出てくるわけです。(ちなみにマイルドな部分を選んでます。あの人の作品は「勃〇は完璧だった」なんてのがしょっちゅうありますし。) ふと覗き込んだところがそういう文章だと、隣の人は目が点になりますね。

 あとは、本来視覚障害者か極端に視力が低い人向けであろうものを私が独占するのも申し訳ないので、読んだらすぐに返さねばと。図書館に行けばこういう読書の方法もあって貸し出しも可能ということは、世の中に広く知られるべきでしょうね。あとは自分がもっと年取って視力が弱ったらお世話になることもあろうかと思います。

 そもそも数年前から出かける際に老眼鏡忘れると電車ではまったく本が読めず、そのせいで読書量が減りました。そんなこんなも含めて、いよいよ視力がきつくなった老後でも図書館には頼れるというのは覚えておきます。

 

 なお、この本を読んだ直後にスマホを見ると、物凄く字が小さくなった気がします。一種副作用といえるかも。