今日のひとネタ

日常ふと浮かんだことを思いのままに。更新は基本的に毎日。笑っていただければ幸いです。

「シローの気ままな旅」聞いてました>岸部四郎さん

2020年09月16日 22時40分14秒 | 日記


 岸部四郎さんが亡くなりました。私は1963年生まれなので、GSはギリギリ間に合ったくらい。ザ・タイガースの解散が1971年1月だそうなので、もう小学校に入ってました。ただ、その頃はジュリーしか知らず、岸部四郎さんがメンバーだったと知ったのはずっとあとでした。

 それで岸部さんの記憶というと、ラジカセを買って貰った頃にニッポン放送で「シローの気ままな旅」という番組を聞いてました。平日の夜の番組で、岸部さんの話と最新の曲のオンエアという構成で15分くらいの番組だったと思います。番組の最後に「シローの気ままな旅 お相手は岸部シロー、構成は旅嫌い、風呂嫌いの〇〇でした(名称失念)」というのを聞いて、ニヤッとした記憶あり。

 なぜ覚えてるかというと、その番組で浅田美代子さんの「幸せの一番星」がかかったときに録音し、そのあとに岸部さんが「なかなかええ曲ですね」と言った声がそのまま入っててそれをずっと聞いてたので。この曲が1974年3月の曲なので、その頃に放送していた番組なのでしょう。ただし、岸部さんのWikiにはこれの情報がないので、いつからいつまでやってたかはわからず。

 岸部さんと言えば、最初がザ・タイガースですがご本人のインタビューをテレビで見たのを思い出します。トッポこと加橋かつみさんが脱退し、急遽メンバーになったわけですが、当時アメリカにいたのだとか。ご本人によると「アメリカに遊びに行ってたんですが急に呼ばれて、帰ってきたら空港で『タイガースのメンバーになるためにアメリカから帰ってきた』と騒がれたけど、トッポのファンの手前どんな顔したらいいかわからんから、無表情で通した。」とのこと。

 なお、本日のトップ画像は私の愛読書である瞳みのるさんの「ロング・グッバイのあとで」ですが、これにも岸部四郎さんの話があります。それによると、東京に出てきて一人の女性と知り合い、その女性がアメリカへ行くと追いかけて行ってしまったのだとか。淡々とした風貌からその情熱は信じられなかったとのことですが、遊びに行ってたわけでも仕事で行ってたわけでもないんですね。

 ザ・タイガース加入後は、トークが面白かったのはよく知られている通り。この本によると、瞳みのるさんはトッポが脱退した時点でバンドを辞めたかったそうですが、大学で学びたいということで資金を稼ぐために契約を一年更新し、無理やり続けていたそうです。その頃には、シローさんに1ステージに1回は漫談に近い話をさせており、そういう事情なので瞳さんは愉快ではなかったので表情は硬く、できるだけ笑わないようにしていたのが、シローさんの話が面白いのでついこらえきれず幾度となく笑ってしまったと。

 また、吉田豪さんによる別のインタビューによると、グループの中で自分の立ち位置を確保するために、ステージで「ジュリーのちょっとええ話」とか銘打って人気者の沢田さんの楽屋での様子などを話題にして女性ファンの関心を惹いていたとか。そもそもが頭のいい人だったんですね。

 ところで、瞳みのるさんについては私は何年か前まで大きな誤解をしてました。前に聞いた話だと、「グループサウンズなんてアホばっかりだ」と言われて頭にきて、解散後慶應大学に入って学校の先生になったということでした。なので、元々が幼稚園とかから慶應にいて単に大学に戻っただけかと思ってたり。

 が、考えてみればこの人も含めてタイガースは京都の出身なので、そんなわけはありません。瞳さんはお母さんが早くに無くなって生い立ちはかなり複雑なのですが、小学生の頃から新聞配達をしながら経済的に自立を目指し、高校は定時制へ。バンドでデビューしたものの、「お金は使えば減るけど勉強で身に着けたものは一生減らない」と一念発起し、タイガースの解散コンサートの打ち上げ会場からそのまま荷物を抱えて京都に車で帰り、1年間猛勉強して慶應大学に合格したと。その後ず~っとメンバーには会わず、自分の子供たちにも自分が元グループサウンズの人気者だったとはいわなかったとか。本当に凄い人です。この本は凄く面白いので、皆様もご家庭に一冊はお備え下さい。結構勉強になります。

 それはそうとして、岸部さんについては「ルックルックこんにちは」とかは知らないのですが、「おこれ男だ」とか「西遊記」は見てました。なんだか不思議な人でしたが、いつからか知らないうちにす~っと入ってきた感じで。

 最後の公の場だったというタイガースのライブはBSで見ました。瞳さんも入っての再結成ライブでしたが、車いすで出てきて「ジュリーのおかげや~」と言ってるのを見て、あれから何十年も経ってるのにバンド仲間っていいなと、ちょっとウルッとしてしまいました。

 闘病中らしいというのは聞いてましたが、71歳というと世間一般ではまだまだ若いです。復帰して飄々と何かを語る姿は見られなくなりました。ご冥福をお祈りいたします。
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恐怖新聞のドラマ化は歓迎します

2020年08月29日 21時25分04秒 | 日記
 

 つのだじろう原作の漫画「恐怖新聞」がテレビドラマになるとか。これは非常にありがたいことでありまして、私なんぞはよく「○○すると100日寿命が縮む」とかいうボケをかますのですが、最近の若い人にはまったく通じないんですね。それがまた使えるようになると思うと感無量ではあります。

 そもそも「恐怖新聞」は、「1日読むごとに100日寿命が縮まる」と言われるものでありまして、購読契約もしてないのに深夜にいきなり部屋のガラス窓を突き破って届いたりします。最近では、アベノマスクがガラス窓を突き破って届くコラージュを見かけましたが、あれも元ネタを知らないと楽しめません。

 この原作は1973年から約2年に渡って週刊少年チャンピオンで連載されたものですが、つのだ先生はというと、同じ年の12月から少年マガジンで「うしろの百太郎」の連載も開始しており、オカルトブームの火付け役になったとも言われます。ただし、当時私はジャンプの読者でありましたので読んでませんでした。

 ちゃんと読んだのは大人になってからというか、就職してから昼食のために立ち寄る喫茶店に「うしろの百太郎」が全巻が揃ってて、そこで読みました。こちらを読めば「恐怖新聞」も読まねばならんと思って買ってみたのですが、「うしろの百太郎」に比べて「恐怖新聞」は救いがないのでいけません。

 子供の頃は「100日くらい寿命縮んでもたいしたことないじゃん」と思ったのですが、4日読めば1年縮むわけで、40日で1年、年間通じて読めば10年くらい早く死ぬということになります。それはそうとして大人になると100日は大事ですね。

 この漫画がヒットした1970年代の後半では、日本人の死亡率1位が「恐怖新聞の読み過ぎ」と言われており、私も学生時代はよく恐怖新聞の勧誘員が洗剤持って部屋に来たものです。ただし、当時私は渡辺淳一の「化身」を読みたい為に日経新聞を購読しておりまして、恐怖新聞は契約せず。スケベを取るか恐怖を取るかでスケベを選択したわけで、今も私が健康に過ごしていることについては渡辺淳一先生に感謝しなければなりません。

 あの頃、洗剤欲しさに恐怖新聞を契約してた友人は毎朝窓ガラスが割れてたので、「掃除大変だなぁ」と思ってました。卒業後会ってませんが、多分そろそろ寿命が尽きてる頃ではないかと。

 また、たまに配達員が間違って契約した隣の部屋に届けることがあり、「たくの主人の寿命が100日縮んでしまいましたのよ!」と隣家の奥様が怒鳴り込んでくるというトラブルも多発したと聞いています。

 なお、トップの画像は昨夜届いた恐怖新聞をご近所から借りてきたものですが、翌日になって読み直すと普通の新聞になっているというのは本当でした。昨日は確かに「抜き取って二つ折りにしてお読み下さい」というスケベ欄があったのですが…。





 ということで、今回のドラマがヒットして、このようなボケがすべて通用する時代になることを祈ってます。どうせなら原作漫画がまた売れるようになることも希望します。ま、大人が読んでも怖いんですけど。
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「セミの森」を思い出しました

2020年08月24日 22時32分24秒 | 日記
 最近は男の子でもセミを触れない子が増えてるとか。私の子どもの頃はというと、田舎の小学生のご多分に漏れず、夏は虫とりにあけくれてました。もちろんカブトムシ、クワガタを求めて学校の裏山をうろうろするわけですが、虫全般が好きだったので、セミはもちろんバッタでもカミキリムシでもカナブンでもカマキリでも掴むのは平気。ただし、カブトムシはなかなか遭遇する機会はありませんでした。特におびき寄せるような工夫はしなかったので。そういえば、トカゲも別に普通に捕まえてた記憶あり。ちょっと恐竜っぽくて面白いですしね。今はわざわざ捕まえようと思いませんが。

 それで、そういうセミが怖い子供にお勧めの漫画を思い出しました。作者は日野日出志先生。私が小学生のときに週刊少年アクションで見た「セミの森」という作品で、あれはなかなか強烈です。

 中学生くらいの姉と弟が、夏休みに山林の別荘に行きます。二人はプールで泳いだり、テニスをしたりして、数日後に両親が合流するのを待つという設定。しかし、二人はある日セミの大群に襲われ気を失ったり、昼寝をしている姉に人間位の大きさのセミがのしかかって血を吸われたり、奇妙な体験をします。詳細は記憶しておりませんが、その時から姉は人が変わったようになり、弟もセミの大群に囲まれて…。ラストで二人は楽しそうにテニスをしていますが、顔はシルエット。そして「早く父さんや母さんが来ないかねぇ。フフフ…。」と。

 ショック療法というか、セミ嫌いな子供にこういうのを読ませたらどういう反応を示すかは楽しみです。フフフ…。

 というのはおいといて、この漫画がいつ頃だっただろうと思ったら1975年ですと。というのも、週刊少年アクションは75年9月に創刊し、約1年で休刊になったとか。私は最初の2号くらい買った記憶ありますが、日野日出志先生の作品は「セミの森」と「マネキンの部屋」の二つを読みました。なんかあの人の漫画だと思うと、そのタイトルだけで怖いです。

 セミについては、朝起きたら部屋中に生きたセミが大量にいるとかは勘弁ですが、何しろ地上に出てからは短い命なので、うるさいのはおいとくとして割と愛しい存在ではあります。

 大人でもセミが嫌いな人はいるでしょうが、それが「セミヌードは嫌い。フルヌードでなきゃ!」とかいう品のない人とはお友達になれません。あしからず。
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のど自慢で合格を狙うなら何を歌うか>甲斐バンド編

2020年08月23日 15時26分57秒 | 日記
 のど自慢とはNHKのど自慢の話。今はお休み中ですが、先日その穴埋めの番組で歌手などが数名集まって、昨年1年間で予選も含め最もうたわれた曲は何か?というクイズをやってました。

 正解はキロロの「未来へ」だったのですが、そこはヒャダインさんが見事に当ててました。この人はちゃんと理論的に予測して、「歌いやすい」「サビから始まる」などがその理由。NHKのど自慢は下手だと途中で打ち切られるので、静かに始まってサビで急に盛り上がる曲は、聞かせどころにたどり着く前に終わってしまうこともあるということで。

 たしかに「未来へ」はよく聞くような気がしますし、テンポもゆっくりで歌いやすくサビから始まります。これがMISIAの「Everything」だったら、よほどうまくないとサビまでたどり着けないし、時間の関係で嫌がられる可能性もあると。

 今のところ私は出場する予定はありませんが、もし出て合格を狙うなら何を歌おうかというのを考える企画です。それも歌手別で。

 歌うなら会場の盛り上がりを考えると、当然シングル曲となるわけですが、私は男性歌手やグループでシングル曲を全部知っているというと甲斐バンドくらいなので、今回はまずその話。

 まず甲斐バンドのシングルを並べてみます。

バス通り
裏切りの街角
かりそめのスウィング
ダニーボーイに耳をふさいで
男と女のいる舗道
テレフォン・ノイローゼ
氷のくちびる
そばかすの天使
吟遊詩人の唄
LADY
HERO(ヒーローになる時、それは今)
感触(タッチ)
安奈
ビューティフル・エネルギー
漂泊者(アウトロー)
天使(エンジェル)
地下室のメロディー
暁の終列車
破れたハートを売り物に
無法者の愛
BLUE LETTER
ナイト・ウェイブ
シーズン
GOLD
東京の一夜
フェアリー(完全犯罪)
野獣 -A WILD BEAST-
冷血
ラヴ・マイナス・ゼロ
レイニー・ドライヴ

 この中で選ぶなら、やはり「HERO」が第一候補。先ほどの理論でいうなら、サビから始まるという点も有利ですし、なにより大ヒット曲なので会場も盛り上がると。難点はイントロがドラムから始まるので、歌いだし前のジャカジャーンを聞かないとキーがわからないところと、結構音域が高いところ。まぁ何にしてもこれが一番。

 次を考えると、良さそうなのはやはりヒット曲ということで「安奈」。これはメロディーもいいですし、サビ始まりではないですが、曲を知らない人にも受けそう。出だしがすんなり入れれば、テンポも速くないのでいいかも。

 それ以外では、案外良さそうなのが「バス通り」「そばかすの天使」「吟遊詩人の唄」「暁の終列車」など。「ナイト・ウェイブ」も割といいんだけど、ちょっとイントロが長いかも。「無法者の愛」もいい曲ですが、コーラスとの掛け合いの部分が多いので、自分の歌唱力をアピールするのがやりにくそう。

 「地下室のメロディー」は出だしのメロディーの音程が合わせにくく、「天使」は歌いだしから音域が高いのできつく、「フェアリー」は息をいっぱい吸わねば苦しくなるので緊張してる時には向かない、「ビューティフル・エネルギー」はサビにたどり着くまでが長い、「裏切りの街角」は淡々とした曲なので甲斐さんの声じゃないと受けないなぁとか。

 意見には個人差があると思いますが、今回思いついたのはこんな感じです。ちなみに出場の予定はありません。
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録画用HDDの勉強中

2020年08月15日 21時37分58秒 | 日記
 TBSラジオ「荒川強啓デイキャッチ」に、調べるフリーライターの堀井憲一郎さんがレギュラーで出ていたのは10年以上前でしょうか。あるときテレビ番組の録画の話をしていて、強啓さんが「それを整理するのにDVDにダビングして…」という話をしたところ、「それをしてしまうとあかんのよ。」と指摘し、要するにHDDに録画して管理しないとどこに何が入っているかわからないようになると、かなり語気を強めて言ってたことがあります。

 その時は「ふ~ん、そういうものか」と思ったのですが、何しろ当時私が使っていたのはHDDが160GBのレコーダーで、一家四人がそれぞれ録画すると全部本体に収録しておくなんてのは夢のまた夢。その後買い換えた機種は500GB。いずれも外付けのHDDには非対応。

 それが、今月から外付けHDDに対応したレコーダーに買い換えたので、いよいよHDDメインで行けるぞと。ただ、外付けのHDDを接続すれば、それをPCでも見られるのかと思ったらそれはできないんですね。おまけに、レコーダーが変わると見られないかもということで、現在Panasonicのビエラですが、今後も買い替えのたびにビエラで行かねばならないということでしょうか。

 ということで、据え置き型かポータブルか、メーカーはどこがいいか、容量はどれくらいあればいいか、DRモードだとどれくらい録れるのか、本体から外付けHDDへのダビングの手間はどうか、などいろいろ調べなきゃいかんことは多いです。

 まずは2TBくらいのHDD買おうかなぁとか思ってますが、レコーダーのマニュアルには4TBまで対応とか書いてあったような気がするのでそこも調べないと。ということで、既にHDD番長の方がおられたら、あれこれご教示いただきたいと思う次第です。テレビ局には、音楽番組で保存版にしたいようなプログラムの放送を望みます。なんにしても、忙しい忙しい。
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夕食はハードロックとともに!

2020年08月14日 22時35分45秒 | 日記
 WOWOWですが、昨日は午後7時からディープ・パープル、今夜は夕方から8時までクイーンのライブでした。暑さでへばっている夕食時に、ハードロックで気合を入れようという企画でしょうか。

 そのパープルの方ですが、武道館ライブとはいえ2014年のもの。イアン・ギラン、ロジャー・グローヴァー、イアン・ペイスはいるものの、ジョン・ロードは既に亡くなっており、リッチーも参加してません。

 「今のメンバーでどうかなぁ」と思いながら見たのですが、これが大満足。ギターはスティーヴ・モーズという人でしたが、この人凄いです。経歴を見たら、音楽大学でクラシックギターとジャズギターを学んだそうですが、それはそれとしてロックのギターとしては音色といいフレーズといい、ステージでの佇まいとしても申し分なし。

 見た感じは、ピッキングフォームが独特で「あれで本当に音出てるの」と思うくらいの激しい動きですが、Wikiによると「強力なオルタネイトピッキング」と紹介されてました。それでなるほどと。近年主流ともなっているスウィープ系の動きではないんですね。激しくアップダウンしてるので、めちゃくちゃにトレモロしてるような感じでした。おまけに、右手の小指をピックガードに乗せてることも多く、ある意味お手本のようなフォームでもあります。ロックでは珍しいかも。

 そして、キーボードはというと、これがドン・エイリー。最初は誰かわからなかったので、「なんか下ばっかり見て弾いてるおじさん」と思ってたのですが、それこそジョン・ロードばりにガンガンオルガン弾いてたのでほれぼれしてしまいました。この人は、私がレインボーを聞いてた頃に参加してた人ですが、動いてる姿は初めて見ました。この人とスティーヴ・モーズの掛け合いを見てて思わず「すごっ!」と声が漏れてしまったり。

 パープルの雰囲気としては、やはりリッチーがいた頃の緊張感が好きな人もいるのでしょうが、今のサウンドとしてはこのメンバーは凄く良いと思います。最近ライブやってるのかは知りませんが。

 そして今日のクイーンは、ちょうどテレビをつけたら1986年のウェンブリースタジアムのライブでした。あの「ライヴエイド」のほぼ1年後で、あの時の雰囲気は維持しつつクオリティーは向上してる感じでさすがでした。このスタジアムコンサートは2日間で15万人動員したそうですが、画面で見てても物凄い人。

 この時のライブツアーは大成功だったそうですが、この後にフレディ・マーキュリーの容態が悪化したので、4人でのツアーはこれが最後だったとか。しかし、明日もWOWOWは夕暮れ時にクイーンのライブ三昧。なかなか攻めますね。
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物理の式をサラサラっというのに憧れたり

2020年08月11日 18時55分30秒 | 日記
 当方純度100%の文系で、高校時代は物理が最も苦手でした。別にはなから嫌ってたわけじゃないのですが、どう勉強していいのかわからなかった感じ。成績表では4とか5だったかな?(ちなみに高校は10段階評価でした。)

 それで、NHKの「太陽の子」というドラマの予告を見ていたら、舞台が京大の物理学研究室なので、黒板にややこしい式を書いて議論してたりするシーンがあり、ちょっと憧れてしまいました。

 初等物理学公式集というサイトを見て、なんか真似だけして書いてみようと思っても、何が書いてあるかさっぱりわからないくらい。わかるふりもできないと。小池都知事がカイロ大学時代に、テストでカンニングしようとしたけど、そもそもアラビア語が書けないのでダメだったという話のような。

 ヒッチコックの「引き裂かれたカーテン」という映画でも、ポールニューマン扮する原子物理学者が東ドイツに行って、現地の科学者と黒板に長々と式を書いて討論するというシーンがありました。「その方法だと爆発する!」「いや、実験室では成功した!」とか。

 その式を、実際に実験室でどうやって試すのかとかまったくイメージできないのが悲しいところ。もしかして、黒板に書いてあるのが栄養素とかうまみ成分で、「しいたけは干した方がビタミンDが増える」とかいうのを議論してたりするのかもしれません。

 あるいは、いろんな食品の成分を研究し、そば焼酎の水割りにキュウリのスライスを入れるとメロンの風味がするとか、プリンに醤油をかけるとウニの味になるとかいう事も議論されているのでしょう。そういう研究室は素敵ですね。やはり物理学者を目指すべきだったか。←既に物理ではないのかも…。
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至高の昭和プロレス名勝負列伝ですって

2020年08月10日 18時25分54秒 | 日記
 

 CSの日テレジータスで「至高の昭和プロレス名勝負列伝」というのをやってました。BI砲のタッグが見られるということで録画したところ、結構面白かったです。

 まずは1971年3月。蔵前国技館でのインタータッグ選手権で、ジャイアント馬場&アントニオ猪木vs スパイロス・アリオン&ミル・マスカラスの試合。三本勝負だったのですが、一本ずつ取って最後はBI砲が勝ったということですが、写真の通り馬場さんがトップロープから飛び降りたり、なかなか貴重なシーンが見られました。

 当時私は小1。一応BI砲は見た記憶があるのですが、このあたりの試合だったかもしれませんね。意外だったのはマスカラスがこういう位置づけだったことで、他の選手が190㎝とか2mとかいう中でタッグのメインイベントに出てたとは。

 実は一本目はマスカラスが、フライングクロスチョップ~フライングボディープレスで猪木から3カウントを奪う展開だったのですが、なんか全然飛んでないの。クロスチョップも、飛んだというよりは一応足が地面から浮いてるだけという感じだったし、ボディープレスも高さは猪木の胸くらい。今の感覚からすると「あら? 低い」という感じでした。ま、面白かったけど。

 その他はワールド大リーグ戦というのがあって、その決勝トーナメントでは猪木VSデストロイヤー、馬場VSブッチャーというスーパースター揃い。

 ただ、これを見てると猪木選手が後に飛び出したのはわかるなぁと思うのですが、よくよく調べてみると「主役をやらせてもらえないことを不満に思ったアントニオ猪木が馬場と対立して独立した」という単純な流れではなかったのですね。ごく簡単にいうとそういうことなのかもしれませんが。

 ということで、試しに見てみようと思っただけの映像を保存版にしたいと思ったり。スーパースターが勢揃いの昭和のプロレスは確かに面白いです。
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憂歌団の1stをあらためて

2020年08月09日 19時54分17秒 | 日記
 羽田健太郎さんの本によると、初期の憂歌団のアルバムでピアノを弾いているという記述があったので、さっそく1stアルバムを入手してみました。普通に売ってるのかと思って注文したら、これが中古。20年以上前にQ盤で出てたのですね。まぁ特に最新のデジタルリマスタリングを期待するものではありませんのでいいかと。

 それで歌詞カードを見たら、ゲストミュージシャンとしてHANE・KENの名前がありました。ということは、わかってた人はみんなわかってたでしょうね。そのクレジットによると、弾いているのは

シカゴ・バウンド
ちょいとそこ行くネエチャン
ドツボ節
おそうじオバチャン
はんか街のはんぱ女
グッバイ・ベイビー

の5曲。そう思って聞くと、確かに凄腕のピアニストであるのはわかりますが、そう思って聞かなくてもわかってる人はわかってたでしょう。(こればっか)

 それにしても、このアルバムは1曲目が「嫌んなった」だったんですね。当時私は小6。雑誌の記事で憂歌団なるバンドがデビューしたのは知ってましたが、その頃にラジオで聞いたことは無し。記事では「おそうじオバチャン」を取り上げてたので、完全にコミックバンドだと思ってました。あとは「本物のボトルネックのスライドギター」という紹介もあって、「ボトルネック」も「スライドギター」も知らなかったもので「なんじゃ?」と。

 当時聞いたとしたら、「ギタースゲー!」と思ったか、「変な声」と思ったか、どうでしょう。ただ、小学生ではわからなかったろうなぁ。
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8月7日はBIG GIGの日でした

2020年08月07日 23時58分55秒 | 日記
 
 THE BIG GIGとは、甲斐バンドが1983年8月7日に新宿の現在は都庁が建っている場所で行った野外イベント。GIGとは、本来小規模な会場で行われるライブのことなので、3万人ほど集まったこのライブに「BIG GIG」と名付けるのは一種の洒落ですが、「新しい古新聞」とか「キングサイズ・スリム」のような言葉遊びになりましょうか。

 映像を見た方はわかると思いますが、当時の新宿にあんなに広大な空き地があったとは当時関西の貧乏学生だった私には想像もつきませんでした。野外で、高層ビルをバックにライブを繰り広げる姿は異次元の様相も呈し、テレビでその映像を見た時には「なんじゃこりゃ~」と思ったものです。

 その映像を最初に見たのは、その年の11月くらいにテレビで放映された時ですが、その後冬休みに実家に帰った際にまた深夜に放送してたので、その時はビデオに録画しました。あんまりかっこよかったので、私なぞはその後レーザーディスクを買ったくらい。しかし東芝EMIはまったくレーザーディスクには注力してなかったと思われ、この帯にある価格を見ると9800円ですって。

 あの映像では、なんと言っても1曲目の「ブライトン・ロック」が最高で、リードギターの大森信和さんがイントロのリフを弾き出したところは見とれてしまいます。ギターだけで始めるわけで、ドラムのカウントはないからテンポはそこで決まってしまいますが、大森さんはリラックスした様子でもあり、それであって緊張感も感じられるのが素敵です。考えてみれば、それより前のコンサートのオープニングでよく聞かれた「きんぽうげ」もそうだったし、他の曲では「三つ数えろ」もギターだけで始まるんですよね。典型的なギターバンドだったのを象徴してます。

 その「ブライトン・ロック」では、2コーラス目の最後に甲斐さんがマイクスタンドをなぎ倒すところがあって、あれは初めて見た時はビックリしました。もっとも、後ろにすっ飛んでいかないかとかリハーサルは入念にやったのでしょうが、演出としては最高でしたね。

 あのライブでは、夜になって後ろのビルの窓の明かりが浮かび上がるのもいいのですが、私はまだ明るい時間帯に高層ビルが立ち並んで見えるのが不思議な感じで、本当に記憶に残っています。

 私は当時大学生で京都にいたのですが、友人に強烈な甲斐バンドのファンがいて、そもそもチケットが発売になったとき「すぐ売り切れたらしいで」と興奮してたのをぼんやり覚えてます。

 彼は見事に当選して実際ライブに行ったのですが、私は当時結構ハードなバイトをしてたのでそんなことはまったく忘れており、ライブの数日後に近所の銭湯でその友人に偶然会って「甲斐バンドのBIG GIG行ってきたで」と言われても、「ふ~ん、そういえばそういうのがあったな」という感じ。

 が、そいつがにやりと笑って「東京の一夜やっとったで」と言ったときには「ウソ!」と反応してしまいました。私がそれだけ反応するくらいだから、会場で聞いた人はさぞかしびっくりしたでしょうね。

 と、そんな事を思い出しました。あれから37年ですか。奴はどうしてるかなぁ。
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くーろは強い…はず

2020年08月06日 22時08分51秒 | 日記
 ショーコスギが映画で忍者を演じて人気を博した頃、忍者には「白忍者」と「黒忍者」があるという話を雑誌で見ました。正義の忍者が白忍者で、悪の忍者が黒忍者だとか。多分あちらの映画でキャラクター作りのためにそういう話を作ったのでしょうが、忍者が白い服着てたら夜は目立って仕方ないような。

 当時、ショーコスギが人気という話を聞いて、一度ビデオを借りたことがあり、その時はこの人は悪役で「悪の忍者 山田」という安易なネーミングにしびれました。その後人気が出るにつれ、どちらかというとヒーロー役になったように聞いてますが、そうなってからの作品は見た事ありません。

 なんでそういう事を思い出したかというと、「ブラック企業」とか「ブラックな仕事」という言葉が、黒人差別だとかなんとかいう話を聞いたので、やはり「黒」はイメージが悪いのかと。

 ただ、私が高校生の頃に実家にいたニャンコが子猫を生んで、そのうちの1匹が真っ黒の雌でした。その貰い手を探していたところ、市内のある商売をしている人(洋服屋だったかな?)からしっぽの長い黒猫が欲しいという声があって、めでたく貰われて行きました。

 別に知り合いではなかったので、なぜ黒猫が欲しかったのかはさだかではありませんが、商売やってる家なので「黒=黒字」で縁起が良いと思ったのかもしれません。また、しっぽが長いというのは黒字が尾を引くという事なのかなぁと後になって思いました。

 また、七福神でも大黒天は商売繁盛の神様として知られてますし、柔道でも黒帯は有段者であると。また、キャンディーズも「くーろは強いぞ!」とCMで歌ってたので、黒は良いイメージもあると思うのですが。ブラックというからダメなのでしょうか。よくない方はダークと言った方がいいのかもしれませんが、ダークダックスは爽やかなおじさんたちでしたしね。

 私は普通の日本ネコだと全身黒いのが一番好きかな? あの時のニャンコは1981年の生まれで、「貰われて行くときに人慣れしてる方がウケがよい」という母の安易な考えで、ずっと私の部屋にもう一匹の子猫と一緒に置いてました。あれ以来私もすっかりネコの魔力にやられてしまったわけですが、実際貰われていった日も暴れることなく、あちらの奥さんに抱っこされておとなしくしてたから作戦成功と。その貰われて行った先では大層可愛がられていたと獣医さんから聞いた事ありましたが、あれは何歳まで生きたのやら。時々思い出します。
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録画と画像管理が新次元に入りました

2020年08月02日 15時40分13秒 | 日記
 

 初めてHDDレコーダーを買ったのは16年前。ソニーの「スゴ録」でHDDは160GB。そのサイズでは本体に録画しておける映像は知れてるのですが、何より困るのはコピーワンスの映像の管理。

 この機種は「ムーブ」の機能が無く、CSで録画した番組は本体内から動かしようがないと。保存版にしようと、DVDへの直接録画はというとRWのVRモードにしか対応せず。その場合、何が問題になるかというと互換性が極めて悪く、もちろんPCでは見られませんし。

 おまけに買って1年ほどで調子悪くなって、一度修理してもらったのですが、その際HDDの内容はすべて消えてしまいました。コツコツ録画してた夜ヒットの映像がなくなったことは今も悔やまれます。

 その後、ブルーレイディスクレコーダーに変えたのが10年ほど前。CATV会社からのレンタル品でセットトップボックス一体型のためCS録画は楽なのですが、問題は外付けHDD非対応の点。

 録画して保存版にしたい映像はコツコツとBR-Rにダビング、あるいは移動してあったのですが、そのBRドライブが不調となり本体内の映像がダビング不能。いよいよレンタル品をやめて自前でレコーダーを買ったのですが、その際本体HDD内の映像で救出不可能なものも多数…。またもやあれこれ悔やまれます。

 それで、今回はディーガを買ったわけですが、これは外付けHDDが使えます。映像の管理にはBRに焼くよりは、HDDに残したままの方が圧倒的にやりやすいので、完全に別次元になったと言えます。また、外付けHDDは8台まで登録できるそうで、容量は心配なくなったし。

 私がテレビで主に録画するのは歌番組とドラマですが、我が家はWOWOWも見られるので色んなライブをガンガン録っていこうと思います。外付けHDDはまだ買ってないのですが、どの機種がいいか色々調べないと。綾瀬はるかのいうように、東京2020もディーガで応援…か?
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テレビが見たくて早く帰るという話

2020年08月01日 21時44分51秒 | 日記
 

 家庭用ビデオが普及し、なおかつ留守録が普通になってからは「テレビが見たくて早く帰る」というと、スポーツ中継の時くらいでしょうか。今は野球のナイターではその勢いがないので、近年だとラグビーワールドカップくらいかと。今年はオリンピックもなかったし。

 子供の頃は、アニメが見たくて銭湯から走って帰るとかいうことはあったかと思います。私の場合は、自分用のビデオデッキを買ったのが1988年でしたが、その前の年の金曜の夜に「男女七人秋物語が見たい!」と東北道を爆走し、スピードを出し過ぎてパトカーに止められた事があります。幸い反則切符は切られず、注意だけですみましたが。

 ちょっと状況は違いますが、「勝手にふるえてろ」という映画では主演の松岡茉優さん扮する会社員が金曜の夜に飲み会に誘われて、「無理。タモリ倶楽部があるから。」と断るシーンがありました。あれは素敵です。

 昔の話だと、NHKで「御宿かわせみ」という時代劇があって、父の同僚がこれの大ファン。父の話によると、その人は「これのある日は早く帰るなんてもんじゃない。はなから休みを取る。」という事だったそうです。なかなかの豪快さんですね。1980年のドラマなのでいい時代だったといえばそうですが、一応家庭用ビデオも出回ってた頃なので「そんだけ好きなら留守録すれば?」と思わないでもないです。が、まだ高かったし機器の信頼性もイマイチだったかも。どちらかというと、放送が始まってるのに家にいられないという不安感でいてもたってもいられなかったのかもしれません。ただ、あのドラマにそこまではまり込むか?というのは当時高校生だった私はわからず。

 それで色々考えると、「早く帰ってテレビ見たい」という頂点は猪木VSアリの試合だったかもしれません。何しろ二度とない機会ですし、当時のリングサイト席は30万円だったというビッグマッチ。とはいえ、当時私は中1。普通に土曜の午後も部活があったので、リアルタイムでは見てません。関心はあったので見たかった気持ちが強かったのですが、家に帰って兄に結果を聞いたら「つまらん。」とバッサリ。まぁ画像の通り、事前のこういう煽り方を見ると、実際に試合見たらガックリ来るでしょうね。

 今日久しぶりに見たら、結構エキサイトする内容ではありましたが、そこは両陣営の思惑とか、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンのステイタスとか、プロレスの世間での位置づけとか、一体この興業にどれくらいお金が動いたかとか、そういうところに想像力が及ばないと「茶番だ」「凡戦だ」という感想になってしまうと思います。ちゃんと格闘技のなんたるかがわかる大人なら楽しめます。とはいえ、私も試合内容を絶賛するわけではありませんが、人間ドラマを見るような感じで。

 ところで、私がパトカーに止められながら東北道を爆走して帰った話ですが、果たして独身寮に9時過ぎに到着したら、先輩社員が待ち構えてて「おい、係長が麻雀したいってよ。」ということで、雀荘に拉致されて行ったのでした。寮に戻ったのは夜も白々と明けた頃。まぁ世の中そんなもんです。
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インドへの道 番外編 ガンジーを知る

2020年07月25日 22時20分05秒 | 日記
 
 「ラーマーヤナ」を読んでインドをわかったつもりでいる初心者ですが、先日NHKの「映像の世紀プレミアム」の「アジア 自由への戦い」の回を見て、ガンジーの事を知りたくなりました。

 ガンジーの名前を知らない人はほとんどいないと思いますが、いつ頃の人か正しく理解している人はどれくらいいるでしょう。マハトマ・ガンディーは1869年10月の生まれですから、私より100歳近く年上です。生年は日本では明治2年くらい、函館戦争も終わりようやく新政府の時代となった頃です。

 その「映像の世紀プレミアム」を見てガンジーの事を知りたくなったわけで、この「ガンジー」という本を図書館で借りてきたわけですが、これが出版されたのは1969年。丁度ガンジーの生誕100年の時だったのですね。著者の坂本徳松先生はガンジーの研究者としては高名だったようですが、1988年に亡くなっておられます。

 この本は「ガンジーの生涯」と「ガンジーの思想」の2章で構成されていますが、私の関心のあるのは前者の方。思想まですべて知ろうと思うと、それこそ坂本先生のように生涯の研究生活をガンジーに捧げなければなりません。

 ただ、この本ではガンジー主義についての方程式として、面白い記述がありました。

共産主義-暴力=ガンジー主義
共産主義+暴力=ガンジー主義
ガンジー主義-非暴力=ゼロ
ガンジー主義+暴力=x

 最後はよくわかりませんが、共産主義とは違って非暴力を貫いたのがガンジーということになりましょうか。

 とにかく、ガンジーの思想について詳しく知りたい人はこの本を読んで貰うとして、パラパラっと見ただけで知らないことがいろいろありました。ガンジーの家柄は、インドの階級でいうと第三番目にあたるバイシャで、一般には商業階級だったそうです。が、父は結構立派な人だったので地方の名門だったとか。

 で、13歳の時に結婚したのですと。ガンジーの事は、なんか勝手にお坊さんだと思ってたのですが、肉欲の事も肉食の事も経験した人でそれに打ち勝ったとは簡単に言えませんが、色々乗り越えてきた人なのはよくわかります。ちなみにこの人は、若くしてイギリスに留学し弁護士の資格を得て、一旦インドに戻ったあと南アフリカでの生活が長かったりします。

 このガンジーが禁欲生活に入ったのは37歳の時で、夫人も同い年だったそうです。いかに意志力の強いガンジーでも、最初からいっぺんに完全な禁欲生活に入れたわけではなかったとか。ま、食生活を植物やくだものを中心にしたこともあったそうですが、肉ばっかり食べてると肉欲からも離れられないということでしょうか。

 あとはこの人の生涯では度重なる断食が特徴ですが、記録によると合計20回くらいやってます。最初の断食は1日1食を4か月以上ということだったようですが、その後は主に獄中で完全な断食を21日間というのがあります。世間一般への影響力が強い人ですので、捕まえた方からしても死なれると困るわけで、そういう事から逮捕拘留への抗議の意味が強かったと。

 何しろ勉強の程度が浅いので、この人の思想や主義主張、生涯を通じての活動について語れるほどのものは特にありません。ガンジーは、最後はヒンズー教右派により暗殺されたわけで、その時には78歳。ご存じの通り体は物凄く痩せてましたが、あれを見ると断食とか禁欲は結構健康に良いかもしれないと思った私は、かなり安直な考えなのかもしれません。

 いや、本当にこの人の生涯とか思想については多岐に渡るので簡単に語れませんが、ちょっと調べてみたいと思ったりしたわけです。この本はその第一歩ということで。色々勉強した果てに「ガンジーで痩せるダイエット」とかいう本を出したらヒットするかもしれませんね。奥さんいて、子供も4人もいて禁欲生活とかいうのはどないやねん?というところがなかなか難しいです。

 ということで、痩せたい人はガンジーの本を読んで正しい断食を学びましょう!(って、無茶な結論)
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小さなことからコツコツと

2020年07月19日 15時43分52秒 | 日記
 
 昨年からBDディスクレコーダーの不調に悩まされ、何しろBlu-rayディスクをなかなか読み込まない、外付けHDDは対応していないという機種のため、いよいよ買い換える時には本体内HDDに録画してある映像とはさよならせねばなりません。これがCATV会社からのレンタル品でありますので、返さねばならないという事情で。

 それでも時折思い出したようにBlu-rayディスクを認識するので、その時は「チャンス!」と思ってせっせとダビングしてました。ただしCSで録画した番組はほとんどがコピーワンスなもので、書き込み失敗した際は本体からは消え、ダビングしたと思ってたディスクには何も入っていないというリスクも。

 当方昭和歌謡アイドルおたくなので、ファミリー劇場で録画した「ドリフ大爆笑」のコント部分を消去してゲストの歌だけ残してたり。1回あたり4分とか6分の番組がいっぱい本体に残ってたのですが、これをダビングしておかねばと焦った次第。

 そういう作業を昨年末に行ったのですが、もちろん本体からは消えたもののちゃんとダビングできたか確認しようとしても、一旦作業が終了した後は機嫌を損ねたのかまたBlu-rayディスクを認識せず。

 それで、仕方なくよそのブルーレイレコーダーで試してみたら…ガーン。タイトル一覧は出るものの、再生しようとしてもカウンターだけ進んで映像も音声も出ず。ディスク書き込みの時になんらかのエラーがあったようです。

 「折角せっせと録りだめてあったのに!」と思ってたのですが、実はこのたびブルーレイレコーダーを買い換えて試しにそのディスクを入れてみたら、なんとちゃんと読みこめて再生もできました! 一部再生が固まる映像もあるのですが、一旦停止してまた再生したらちゃんと動くので、深刻なエラーではなかった様子。新しいレコーダーの性能がいいのでしょうか。

 これらの映像の中には当然石川ひとみさんの「くるみ割り人形」も「まちぶせ」もあるわけで、他には高田みづえさんの「パープルシャドウ」「女ともだち」「青春Ⅱ」なども。あとは結構真子ちゃんが出てきたのですが、妻に「ファンだったの?」と聞かれ「いやまぁ割と珍しいから…」と。

 なお、「若い頃、石野真子に似てると言われたことがある」という女性はたまにいますが、その場合「八重歯がチャームポイントで笑顔が可愛い子はそう言われるかも」ということにしておきましょう。私のようにうっかり「歯並び悪くてタレ目で足が太い子はみんなそう言われる」と切って捨てると良くないことがおきます。念のため。
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