今日のひとネタ

日常ふと浮かんだことを思いのままに。更新は基本的に毎日。笑っていただければ幸いです。

ねえみんな、青春とはアリスなのよ…か?

2024年12月13日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 タイトルに青春とつく曲をどれくらい知ってるか考えてみました。真っ先に思いついたのが岡田奈々の「青春の坂道」。そして青春の巨匠というと、なんといっても自称剣道二段にして元千葉県知事の森田健作。

 が、あの人は青春青春と言う割にはタイトルに青春とつく曲はそんなに多くありません。「青春の勲章はくじけない心だと」という歌詞の曲もタイトルは「さらば涙といおう」ですし。

 で、思いつくままに書き出してみたのが以下の通り。

青春の坂道/岡田奈々
青春サイクリング/小坂一也
これが青春だ/布施明
青春の影/アリス
青春の影/チューリップ
青春時代/アリス
青春時代/森田公一とトップギャラン
さらば青春の時/アリス
さらば青春/小椋佳
君と歩いた青春/風・太田裕美
青春に悔いはないか/森田健作
青春のバラード~ひとつぶの涙~/森田健作
青春貴族/中村雅俊
青春の詩/吉田拓郎
ああ青春/トランザム
青春とはなんなんだ/スペクトラム
青春気流/榊原郁恵
青春に恥じないように/南沙織
青春/松山千春
青春Ⅱ/松山千春
青春のラストページ/バンバン
青春旅情/あのねのね

 その昔青春ドラマシリーズというのがあって「これが青春だ」「青春とはなんだ」「飛び出せ青春」「われら青春」「泣くな青春」などありましたが、主題歌のタイトルに「青春」とつくのは「これが青春だ」だけかも。もっともこのドラマはリアタイ世代ではないので、曲だけ知ってたという程度。

 こうやって並べてみるとアリスが3曲あります。「青春の影」はチューリップの曲とは違いアリスの方が先。ただアリスの方はアルバム曲。「青春時代」も森田公一とトップギャランとは違う曲。こちらもアリスが先でシングルで出てましたがヒットしてません。

 ということで、「ねえみんな、青春とはアリスなのよ」という結論にしようとしたら、「駆けめぐる青春」「真っ赤な青春」「青春にバラはいらない」と3曲もシングルで出してるデュオがいました。そちらを青春の巨匠と認定しましょうか。

 が、実際はあんまり青春っぽくもビューティな雰囲気もないですけどね。(あ、言っちゃった。)


何も見ないで1970年~1985年のレコード大賞を思い出してみる

2024年12月01日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 頭の体操の時間です。なんでもかんでもすぐWikpediaで調べるのはいかんと思い、たまにこういうことを考えます。

 それで「なぜ1970年から1985年か」というと、私が小学校に入学したのが1970年、1985年はというと大学4年だったのでこれはほぼ学生だった頃の期間となります。小1なら既に物心はついてたし、学生の間ならまだ流行歌は追いかけていたのではないかと。

 ということで、多分に曖昧な記憶ではありますが私が思い付いたのは以下の通りです。

1970年 菅原洋一/今日でお別れ (自信なし。この人レコード大賞獲ったっけ?)
1971年 尾崎紀世彦/また逢う日まで (もしやこれが70年???)
1972年 ちあきなおみ/喝采 (多分間違いなし)
1973年 五木ひろし/夜空 (これが74年かもしれないと思ったり。)
1974年 森進一/襟裳岬 (同じくこれが73年だったかも。)
1975年 布施明/シクラメンのかほり (間違いなし)
1976年 都はるみ/北の宿から (間違いなし)
1977年 沢田研二/勝手にしやがれ (間違いなし)
1978年 ピンクレディー/UFO (多分間違いなし)
1979年 ジュディオング/魅せられて (間違いなし)
1980年 八代亜紀/雨の慕情 (ちょっと怪しい)
1981年 寺尾聡/ルビーの指環 (間違いなし)
1982年 細川たかし/北酒場 (違ったかも)
1983年 わからず 五木ひろしか細川たかしか
1984年 わからず 細川たかしか五木ひろしか
1985年 中森明菜/ミ・アモーレ (多分間違いなし)

 並べてみるとこの16年間で絶対自信があるのが5回だけ。曲は間違いなく受賞したけど開催年がわからないのが6回。記憶によると五木ひろしが「長良川艶歌」で獲ったような気がするのですが、それがこの期間なのか80年代後半なのかがわからず。

 別に知らなくても日常生活には困らないのでいちいち答え合わせはしませんが、70年代中期はしっかり見ていたのがわかります。というのも、1976年は昭和51年であって私の年代だとそこが中1になります。

 昭和51年=中1、52年=中2、53年=中3という並びなのでわかりやすいです。なので、結局小学校の高学年から中学生くらいが一番真剣に見てたということでしょう。あとはよっぽどの大ヒットなら忘れないということで1981年の「寺尾聡/ルビーの指環」は間違いようがありません。

 ただ、小学生の頃は一番レコードが売れた曲がレコード大賞を獲るものだと思ってて、そうでないとわかったのが1975年。下馬評では布施明の「シクラメンのかほり」か、ジュリーの「時の過ぎゆくままに」か、と言われてたのがジュリーが暴力事件を起こしたら「ちょっとやめとこうかという雰囲気になった」という芸能ニュースを聞いて、「へ? そんなの関係あるの?」と驚きました。

 ただ、そもそもレコード大賞には審査員がいるし、レコードの売り上げだけで決めるならデータのみで決まりますから投票なんていりませんし。

 そして私の場合は推しの歌手がほとんど絡んでないのがレコード大賞。キャンディーズは新人賞には入らず、「年下の男の子」や「春一番」がヒットした時もたしか金賞には入ってません。

 石川ひとみさんも新人賞には入らず、その年には強力なライバルが多かったから仕方ないとして、「まちぶせ」でもまったく絡まなかったのが残念。結局レコード大賞に今一つ関心を持てないところはそういうところです。甲斐バンドはくれるっていっても「HERO」の頃ならまず授賞式に出なかっただろうし。

 以前、佐藤剛さんの「「黄昏のビギン」の物語 奇跡のジャパニーズ・スタンダードはいかにして生まれたか」という本で、日本作曲家協会がレコード大賞を立ち上げた時の話を読みました。その時は「ふむふむ、そもそもそういう賞だったのか。」と思ったのですが、今一度国民的行事に復活する方法があるのかどうか。

 個人的には賞のあり方に拘るのではなく、授賞式自体を番組としてエンターテイメントにしてしまえば存在価値もあるとは思ったりしてます。が、さすがにグラミー賞みたいにはなりませんわね。普段テレビに出ない人も「あそこのステージに立ってみたい」と思うような会になればというのは難しいでしょうが。

 以上、今日はネットでは何も調べずに書きました。レコード大賞受賞曲の答え合わせもしてませんが、そんなに気にならないのがそもそも問題でしょう。


50年来の疑問が解消されました>猫「各駅停車」

2024年11月18日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 猫というバンドの「各駅停車」という歌をご存じでしょうか。小学生の頃にラジカセを買って貰い、その時にラジオからよく流れてきてたので当時から好きでした。

 この曲は1974年のリリースで、ラジオ番組だと「シローの気ままな旅」とかそういうのでよくかかってたと記憶してます。当時私は猫の曲はこれしか知らなかったので、自分にとっての代表曲はこれでした。

 それで後にベストアルバムを買ったのですが、よく知られている「雪」「地下鉄にのって」などとはボーカルの声が違うので、「各駅停車を歌ってるのは誰?」というのがずっと解決されないまま。ベストアルバムにもいちいちリードボーカルが誰かというのは書いてなかったし。

 そもそも猫は不思議なバンドで、ベストアルバムの写真も3人だったり4人だったり5人だったりします。「一体メンバーはどっからどこまで?」というのも謎でした。

 それが先日入手した雑誌「guts」1974年4月号を見たら、ちゃんと記事になっててあっさり解決しました。あのガラガラ声の正体は内山修さんだそうです。作曲がベースの石山恵三さんなのでそちらかと思ってたのですが。

 

 多分同じ疑問を持っていた人も多いと思われますが、とにかく私はすっきりしました。まあこれがわからずに日常生活で困ったことは無いですが、疑問は解決しておきたいと。

 そして、猫の常富さんと内山さんはザ・リガニーズに在籍していたそうで、そこでは内山さんがベース担当だったとか。やはり猫は謎が多いです。ああ、ややこしや…。


田中一郎さんの証言は本当でした>港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ

2024年07月21日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 田中一郎さんのギターアッパーカット2で聞いた話。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドがテレビで「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を演奏する際、宇崎さんのセリフのあとにダダッダッダッダダ!でブレイクして、「あんた あの子のなんなのさ」となるわけですが毎回合図があるとのことです。

 というのも、あれは歌じゃなくセリフなので曲のテンポやその時々の宇崎さんの喋る間で一小節ズレたりすることもしばしば。なので、その「ダダッダッダッダダ!」に行く前に、毎回ベースの新井さんが合図のために叫ぶんだとか。

 「へ~、そうだったのかなあ。」と思ってたら、先週ちょうど「3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100」という番組でこの曲の映像が流れました。すると、じっくり聞くまでもなく「悪いなあ 他をあたってくれよ」の最後に被せるように「イヤ~ッ!」という叫びが聞こえました。そしてその次の「仁義を欠いちゃいられやしないよ」の後にも「イヤッ!」と聞こえたと。

 ということで、田中一郎さんの証言が本当だったことが証明されました。まああの人が動画で言ってることは大体正しいですし、ごく稀に固有名詞や年代を間違えた時もアップされたときには訂正字幕が入ってたりしますしね。事実関係や出来事では基本間違いないという印象です。この辺は、一郎さんが常にシーンの中心でチヤホヤされていたわけではなく、周囲に目を配らせながら自身のスタイルを確立するために活動していたということではなかろうかと勝手に想像してしまいますが、そもそもが記憶力の良い方なのでしょう。あとはあの人柄のおかげで、いろんな人と親密に接して実際の現場に携わる機会が多かったせいもあるのでしょうか。

 それにしても港のヨーコの話は、一郎さんが実際に現場でその様子を見てたのかテレビで見てたのか、のちにメンバーの人から聞いたのかは謎。当時既にリンドンでデビューはしてましたが、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドと歌番組で共演する機会なんてあったのでしょうか。

 ちなみに当時の田中一郎さんについては、バンバンが「いちご白書をもう一度」でFNS歌謡祭に出る際、直前のコンサートのリハで右手を怪我してギターを弾けなくなった時に代わりにアコギを弾いてたのを見た事あります。あとはニューミュージック・スペシャルでバンバンのバックにリンドンとして出た時くらい。

 バンバンのバックではヒットスタジオにも出たようですが、その時カメラに向かって手を振ったらたまたま見ていた甲斐さんのお母さんが「田中さんがテレビで手ぇ振りよったぞ!」と大騒ぎしていたという話をセイヤングで聞いた記憶があります。

 それはともかくニューミュージック・スペシャルでの今井さんと一郎さんのツインギターでの演奏は凄くかっこよかったので映像見たいですね。どっかにないものでしょうか。


「夏色のアルバム」ですって>NHKFM 歌謡スクランブル

2024年07月17日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 今週のNHKFM歌謡スクランブルは「夏色のアルバム」で今日はその3回目。70年代歌謡なので私にとってはストライクゾーンど真ん中でした。オンエア曲は以下の通りです。


真夏の出来事/平山三紀
ゴールデンハーフの太陽の彼方/ゴールデン・ハーフ
涙の太陽/安西マリア
夏の感情/南沙織
恋と海とTシャツと/天地真理
黄色い麦わら帽子/松崎しげる
君は特別/郷ひろみ
イルカにのった少年/城みちる
夏休み/よしだたくろう
暑中お見舞い申し上げます/キャンディーズ
ひまわり娘/伊藤咲子
線香花火/さだまさし
イミテイション・ゴールド/山口百恵
パープル・シャドウ/高田みづえ
セクシーロックンローラー/西城秀樹
モンスター/ピンク・レディー
夏のお嬢さん/榊原郁恵
真夏の夜の夢/野口五郎
センチメンタル・カーニバル/あおい輝彦
夏の少女/南こうせつ
地中海ドリーム/杏里
Mr.サマータイム/サーカス
燃えろいい女/ツイスト
愛しのティナ/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
虹とスニーカーの頃/チューリップ


 それぞれの歌手の代表曲がある反面、そこそこヒットはしたけど微妙にストライクゾーンを外す選曲も多かったと思うのは私だけでしょうか。郷ひろみとか天地真理とかピンクレディーとか山口百恵とか西城秀樹とかあおい輝彦とかさだまさしとか。全部知ってると言いたいところですが、郷ひろみの「君は特別」だけ思い浮かびませんでした。

 珍しいのはゴールデンハーフで、ラジオでこの曲を聞くのはすごく珍しいです。何しろ平日の日中は30年以上毎日運転しててほぼラジオ聞いてる私が聞いた記憶がないくらい。もちろん当時はテレビでよく見ましたし曲は知ってます。こうやって聞くと演奏はすごくかっこいいですね。かっこいいというと安西マリアの「涙の太陽」も間奏がハイウェイスター的で凄いです。

 個人的には南沙織「夏の感情」がツボでした。この人の場合は普通「17才」が来そうですが、この曲をオンエアしたのは偉い。ファンでなければタイトルを聞いてもすぐ思いつかないのではないでしょうか。

 豆知識としては、南沙織さんのシングルではこの曲とカップリング曲のみキャラメル・ママが演奏してます。曲は知ってても気づかなかった人は多いことでしょう。ちなみにレコードにはクレジットがあったそうですし、テレビ番組のテロップで紹介されてるのも見ましたが、当時はスルーされてたかも。

 というのも、その後のインタビュー資料などを見ると「無駄遣い」だの「キャラメルママを起用した効果がまったくないところがシブイ」など容赦ない評価をされていますので。細野さんのインタビューでも、レコーディング時の筒美京平先生について「一言もしゃべらない。いきなり入ってきて『じゃあ、始めます』っていうことで。」だったそうです。おまけにベースも全部書き譜。まったく会話はなかったそうで、リズムを録ったらさようならだったとか。どういう人たちが知ってて呼んだはずなのに交流しなかったというのは謎ですね。

 ただ、曲としては歌番組で聞いて好きになって、レコードで聞いたらもっといいと思いました。あんまり好きなので何年か前にこの曲のタイトルがついたLPも入手しましたが、そちらはあんまり…というのは内緒。

 天地真理の「恋と海とTシャツと」も今となっては思いつかない人がいそうですが、私なんぞはこれのイントロを聞いて「あなた~を待つ~の テニスコ~ト~♪」と歌って、「あれ?」と言いそう。森田公一先生もお茶目ですね。

 私としてはカラオケで歌ったことがあるのが4曲、ギターの弾き語りのレパートリーが2曲ということでお馴染みの曲が多い日でした。この番組はらじるらじるの聴き逃しがありますので、気になる方は是非お聞き下さい。聞けば「知っているのに知らんふ~り~♪」と歌いたくなるのは確実。お勧めです。


アメリカンスクールとインターナショナルスクール

2024年07月14日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 アメリカンと聞くとコーヒーかフットボールしか思いつかない私ではありますが、アメリカンスクールも一応知ってます。が、そもそもその辺の知識が浅はかなので日本にいるアメリカ人が通う学校がアメリカンスクールであり、全国そこかしこにあるものだと思ってました。

 基地内の学校も含めればその認識も間違いではないのかもしれませんが、日本でのアメリカンスクールとは東京の調布市にあるアメリカンスクール・イン・ジャパンを指すようです。

 そこで思い出すのは南沙織さんの話。たびたび話題にする朝日新書「南沙織がいたころ」(永井良和著)ですが、今回もここからの引用。

 

 南沙織さん(以下シンシア)は、「沖縄でアメリカンスクールに通っていた」と紹介されることも多いですが、実際に通っていたのはインターナショナルスクール。義父がフィリピン人だったため米軍人の子弟向けのいわゆるアメリカンスクールには入れず、米軍基地で働くフィリピン人が中心となって設立されたカトリックの学校に入ったとのこと。

 シンシアは両親とも日本人ですが、妹さんや弟さんはハーフということになり、フィリピン系の子供はアメリカンスクールにも日本の学校にも通うことが難しく、その受け皿としての私立の学校に兄弟みんな通っていたという事情だそうです。そういう当時の沖縄の事情はこの本を読むまで知りませんでした。なんでそんなにフィリピン系の人が多かったかというのもちょっと考えればわかるのですが、以前は想像できなかったので。

 そして彼女はデビューに当たって東京に出てきたわけですが、当時はまだ返還前だったのでパスポートを持って「来日」したと。その際学校は調布のアメリカンスクール・イン・ジャパンの11年生に編入されました。

 このスクールは戦後は米国籍以外の生徒、アジアの子供や帰国子女をひろく受け入れるようになり、シンシアの先輩にはジュディ・オングさんもいるそうです。入学に当たってはCBSソニーの繋がりでジュディ・オングさんに推薦を頼んだようですね。

 なので、南沙織さんについては

・沖縄ではインターナショナルスクール
・東京ではアメリカンスクール

に通っていたということになります。いいですね?(って、誰に言ってるのやら。)

 その後、1973年の1月にアメリカンスクール・イン・ジャパンにアグネス・チャンが入学してきて、ふたりは英語で話し合える友人になったとか。

 そしてシンシアは1974年6月にアメリカンスクール・イン・ジャパンを卒業し、上智大学の国際部(当時)に進みます。進学にあたっては上智の国際部か国際基督教大学か迷ったそうですが、当時のアメリカンスクールは日本では各種学校扱いだったため、国内の大学に進むには大学入資検定を受けねばならなかったとか。

 学友の多くが米国の大学に進む中、彼女は芸能活動を続けるため国内に留まる選択をしました。そして、上智の国際部は米国の大学進学適性試験によって入試査定をしていたため入学できたとのことです。もちろん一定のスコアを取ることは必要だったので、普段から勉強はしっかりしていたのですね。デビューが決まって上京する際にも学校には通いたいと強く望んでいたそうで、そういう点には熱心な人だったのですね。

 そういう人だったのが、実際デビュー当時の事務所は満足に学校に通わせずに地方での仕事をバンバン入れて、本人の健康状態やストレスも考慮しなかったということですから、当時の芸能界の闇も透けて見えます。住まいも社長宅の居候だったりホテルだったりで落ち着かなかったということですし。

 と、それはそれとして、今回はアメリカンスクールとインターナショナルスクールのことを調べてみました。今ではアメリカンスクール・イン・ジャパンで12年間学んだ人も日本の高校を卒業したと同等とみなすようになりましたが、それは割と最近のことです。その経緯を知りたい人は調べてみましょう。(と、このあたりは手抜き。)

 とにかくこの本はためになるので一家に一冊備えておくことをお勧めします。沖縄について考えるきっかけにもなりますし、10代の芸能人をどのように育てるかという点も考えさせられます。名著です。


BSフジ「昭和歌謡パレード」 ゲスト:ずうとるび、岩崎宏美、岩崎良美

2024年06月10日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 BSフジ水曜22時からの「昭和歌謡パレード」は、6月5日の放送回のゲストがずうとるび、岩崎宏美、岩崎良美でした。ずうとるびは今年デビュー50周年、岩崎宏美さんが来年50周年で、旧知の間柄でもあることからトークが凄く面白かったです。

 ずうとるびの江藤さんと岩崎宏美さんが堀越学園の同期、1年上に今村良樹先輩、石川さゆりさんなどと当時のキラキラした話も聞けました。

 ずうとるびは小学生だった私のアイドルだったので大好きでしたが、今や皆さん立派なおじさんになりました。再結成の理由は「いま集まらないとそのうち誰か死んじゃうかもしれないから。」と笑わせてましたが、それでファンも本人たちも元気になるなら良いことではないでしょうか。私も嬉しいですし。

 今回は「みかん色の恋」「恋の夜行列車」と新曲を歌ってて、あんだけ振り付けが揃ってなくてももろに間違えた人がいても、笑って見てられるのがアイドルとしての存在感(?)。今回は残念ながらバンド演奏はなかったのですが、ステージではやってるのでしょうか。

 現在は山田くんは参加してなくて、当時後任として加入した池田さんが出演してましたが、あの人が歌も踊りも一番ちゃんとしてますね。結成当時のオリジナルメンバーでないだけに、よりずうとるびらしさを求めているのかもしれません。トークでもかなり真面目な印象を受けましたし。

 それにしても、ほとんど司会の中山秀ちゃんと江藤さんのトークで番組が進んでたので、岩崎姉妹目当てで番組を見た人は若干肩透かしだったかも。まあそれぞれ歌は聞けましたけど。

 私はすごく楽しめましたが、これがBSなので見てない人も多いと思われ、地上波で再放送とかは無理でしょうか>フジテレビさん


合間に休憩のあるコンサート

2024年05月17日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 コンサートというと2時間くらいある覚悟で行きますが、近年でも何回か合間に休憩が入った経験があります。尾崎亜美、八神純子、薬師丸ひろ子、岩崎宏美などですが、コロナ禍での換気タイムという意味合いのこともありました。薬師丸ひろ子は本人の衣装替えの時間でもあったり、先日の岩崎宏美コンサートは20分の休憩がありもちろん後半では衣装が変わってました。

 どれくらいの休憩が適当かは会場にもよると思いますが、東京国際フォーラムのホールCは結構トイレが込むので結構スリリングでした。まあ休憩の終了時にはトイレは空いてたので、混乱はなかったですけど。

 休憩が入る事の賛否はあると思いますが、私は最近では「あった方が安心」という気がしています。安心なのはもちろんトイレタイムであり、私は今のところ大丈夫なのですが、同年代かちょっと上の年代の声を聞くと、2時間トイレに行かないで済むか心配という声があります。

 慎重な人はそれが心配でコンサートに出かけるのをやめているケースもあるくらい。イチかバチかで参加してやっぱりトイレに行きたくなった場合、通路脇の席でなければ本人も大変だけど周りの人が通れるようにしてあげねばならんということになります。前の方でなおかつ真ん中よりの席だと、席を立つのがステージ上からも見えるでしょうし余計気になる事は間違いなし。

 否の方は、休憩が入ると一旦盛り上がった空気が静まってしまうかもという感覚。ロックのコンサートだと序盤から一気通貫で突っ走りたいということもあるでしょうし、2時間の流れで曲順考えたいのに一部、二部で分けねばならんのが面倒ということもあるでしょう。

 まあ二部制の場合、ベルが鳴って幕が開く感激が二度味わえるわけで、そこはちょっとお得感があるというもの。アントニオ猪木対ウイリー・ウイリアムス戦が、一旦両者リングアウトとなったものの、梶原一騎の判断で急遽再開となり、お客さんは二試合見たような感覚になったと言われるあれです。(なのか?)

 やる方もステージの構成を考える際に、レコードのA面B面のようにそれぞれオープニングがあって山場も二回あるというのはやりがいがあるかも。(意見には個人差があります。)

 また、大体はチケット買う段階では休憩の有無はわからないし、終演予定の時間もわからないことが多いです。なので、比較的参加者の年代が高いと思われる場合は、休憩の有無、終演予定時間などを明示した方がチケット売れるのではないかと思ったりします。休憩あるなら行ってみたいというケースはあっても、逆はないように思いますし。

 ビルボードライブとかコットンクラブでのステージは大体1時間ちょっとだし、ああいうライブレストランはいざという時にもトイレに行きやすいのですが、何しろ料金が高いのがネック。会場の雰囲気も併せて楽しむとはいえ、立派なホールで大観衆がいる雰囲気はまた別物です。

 と、まあそんなことを考える年代になりました。そんなこと言ったら映画なんて見に行けないという声もあるでしょうが、映画館でも途中で立つ人は珍しくないし、そういう人は出口に近い席取るだろうし、映画は何回見に行っても同じだけどコンサートは同じものは二回無いし、そこは別物と。


岩崎宏美コンサート行ってきました

2024年05月12日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 東京国際フォーラムでの岩崎宏美さんのコンサートに行ってきました。岩崎良美さんのコンサートに行ったのが1983年の4月のこと。あれから40年以上経って姉のヒロリンのコンサートに行くことになろうとは考えてもいませんでした。受付の前には色々な方からのお花が並んでて、さすがのキャリアです。

 

 肝心のコンサートですが、今日の感想としては「素晴らしい!」の一言。コンサートするならこういう具合にしなしゃんせというお手本というか、私のように特にファンといえる存在でもないのにこれだけ楽しめたのは底力を感じます。「聖母たちのララバイ」ではちょっとウルッときてしまったくらい。

 もちろん長いキャリアで誰でも知っている大ヒットが多いことからこういうステージができるのでしょうが、全体の構成もご本人のパフォーマンスもサービス精神も本当に素晴らしいものでした。

 今回のバンドは、Gt、Ba、Dr、Pfのリズム隊にバイオリンとビオラも加わった編成。シンプルでありつつ歌がメインになる演奏でバランスもバッチリ。今回は3階席の4列目でしたが凄く良い音で聞けました。

 今回が早々にチケット完売したため9月に同じショーの追加公演があるそうなので、詳細なネタばらしはしませんが、二部構成で20分の休憩を挟みながら2時間半くらいのステージでした。休憩があるのはチケット販売時には告知がなかったようが気がしますが、それを知ってれば行きたかったというお年頃の方も多いのではないでしょうか。

 セットリストは、ヒット曲はもちろんシャンソンやミュージカルの曲も交え、本当にお腹いっぱいになるくらいの構成。二部のメドレーでは驚きの演出もあり、一階席の人は喜んだ事でしょう。

 そして歌だけじゃなくMCが面白くて、神妙な語り口で真面目な話をしてるかと思ったら最後にドカンと笑わせるのはチンペイさんの技を思わせました。私なんぞは普段からちょっとやそっとでは笑わないのですが、何回か声を出して笑ってしまったほど。

 会場には鉢巻締めたガチな親衛隊もいて、ご本人もその方たちを煽ってた部分は少々ありましたが、何しろ自然に会場全体が盛り上がっていたので、あれは完全に昭和の歌謡ショーの雰囲気。

 もっとも私のいた3階席からは親衛隊の方々はよく見えず、ちょっと立ち上がって覗いたら4列目から6列目がほとんど全部そうだったようです。座席表で計算すると100人以上になるような。近くにいたらビビるかもしれませんが、3階席からだとほどよい盛り上がりに感じました。

 それにしても、MCで「ステージが久しぶり。」というので半年ぶりくらいなのかと思ったら、なんと1ヶ月半ぶりと聞いてビックリ。毎月やるのが普通なんですね。それでも昨夜は不安で知恵熱が出てしまったと言ってたので、まさに歌うために生きてるような人です。

 来年50周年なのでますます活動も活発化するでしょうが、歌謡曲ファンでまだこの人のステージを見た事ない人は行ってみるべきだと思います。いろんなところでステージがありますが、今回の追加公演はこちら。料金から考えるとかなりお得感ありますね。


今週は岩崎宏美モードに入っております

2024年05月06日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 今月12日に岩崎宏美さんのコンサートに行きます。東京国際フォーラムホールCですが、早々にチケット完売してますので一般発売で当選できたのはラッキーと言えるでしょう。私はファンクラブも入ってないし。(ま、オペラグラス必須の席ですが。)

 ご覧の通りライブのブルーレイやCDを少々所有しておりますので、今週はせっせと予習中。このライブCDは2012年から2020年までの音源を集めた2枚組のベストセレクション。同じ曲が違うアレンジで入ってたりしてさすがの聞き応えです。

 この人は長いキャリアでずっと歌ってきたし、オリジナル、カバー作品、ライブと、ものすごい数のアルバムを出してますので、さすがに全部聞いて備えるのは無理。Spotifyにはベストアルバムも含めて65枚ありました。デビューから80年代にかけてはほぼ毎年ライブアルバム出てたようで、同じ年に2枚出してたこともありました。

 なので、できるだけ最近の作品を聞いて期待を高めているわけですが、まあこの人の場合は歌声が素敵なので知らない曲を聞いても楽しめるということはありそう。

 ちなみに私にとって南沙織さん、キャンディーズ、石川ひとみさんは大ファン、太田裕美さんはファン、薬師丸ひろ子さんは友達以上恋人未満、石野真子ちゃんはクラスで割と仲のよい女友達という位置づけになります。(なのか?) それで、岩崎宏美さんはどうかというと、昔岩崎良美さんの追っかけしててコンサートにも行ったことがありますので、義理の姉ということになりますか。(ならんよ←影の声)

 なんにしても初めて生で見られるので楽しみにしています。歌手側の事情だけじゃなく、自分もいつまでコンサート会場に通えるかはわかりません。諸事情が許す限り見たい公演には積極的に出かけたいと思う次第。

 というのも、ちょっと上の年代の話を聞いてると、片道一時間以上電車に乗って行くのがきつかったり、二時間も同じ場所でじっと座っていられないというのが珍しくないようです。なので「また今度」とか「そのうち機会があれば」なんて言ってられないという気持ちは年々強くなっております。皆さん、見たい公演が近くであれば是非。生でしか味わえない瞬間は様々あります。