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今日のひとネタ

日常ふと浮かんだことを思いのままに。更新は基本的に毎日。笑っていただければ幸いです。

その後のSpotifyでのアイドル歌謡

2025年05月03日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 「Spotifyでアイドル歌謡を探す」という記事を書いたのは2020年11月23日。この直後に高田みづえの楽曲が一気に配信され、その後も色々状況が変わってます。

 ということで、当時の記事を元にその後の解禁状況をチェックしてみましょう。ちなみに、私にとってアイドルとは70年代アイドルが中心です。

 まずは2020年11月段階でほとんどのアルバムがあったのが、岩崎良美、南沙織、キャンディーズ、石野真子、岩崎宏美、麻丘めぐみ、桜田淳子、天地真理、金井夕子、などなど。

 また、当時ベストアルバム1枚だけか、あるいは数種類のベストアルバムのみあったのが岡田奈々、木之内みどり、浅田美代子、大場久美子、吉田真梨など。

 これがその後状況が大きく変わったのは、岡田奈々、木之内みどり、浅田美代子で、一気にアルバムが増えてます。浅田美代子なんて、ベストアルバム以外で8枚もあります。ライブが2枚も出てるとは知りませんでした。皆さん、怖い物しらずですね(?)。

 これ以外で大きく変わったというと香坂みゆきがそうで、以前はシングルAB面だけ配信されてたのが、今はオリジナルアルバムが十数枚あります。これはファンは喜んだでしょうね。この人は歌が上手かったし。

 あとはベストテン級のヒットがあるのに、当時配信がまったく無かったのが榊原郁恵、倉田まり子、松本ちえこ、高見知佳、林寛子、荒木由美子、井上望などですが、松本ちえこと荒木由美子はオリジナルアルバム数枚が配信されてました。

 荒木由美子は歌はうまくないですが(失礼)、あのねっとりとした声が魅力なので配信は歓迎します。「渚でクロス」とか曲はかっこいいですしね。榊原郁恵がいまだにまったくないのはすごく意外。結構いい曲ありましたけど。

 さらに、当時は無いだろうと思ってやっぱり無かったのが、アパッチ、秋ひとみ、讃岐裕子、有吉じゅん、秋本圭子、秋川淳子、浅野真弓、栗田ひろみ、片平なぎさ、目黒ひとみ、黒木真由美、青木美冴、西村まゆ子、能瀬慶子、風吹ジュン、小川みきなどでしたが、その後配信されたのは

・讃岐裕子:リマスターされたベストアルバムが配信
・栗田ひろみ:2024にリマスターされたベストアルバム配信
・黒木真由美:ファーストアルバム配信
・能瀬慶子:ファーストアルバムとベストアルバム配信

など。どれも意外でした。讃岐裕子とか黒木真由美というとB級アイドルの代表格というイメージでしたのに根強いファンがいるのでしょう。また、栗田ひろみのベストアルバムをわざわざリマスターして発売した勇者もいたのですね。(意見には個人差があります。)

 そして能瀬慶子のファーストアルバムについて調べてみたら、作曲は浜田省吾が5曲、他は加瀬邦彦、穂口雄右、小泉まさみ、大村雅朗という錚々たるメンバーが担当。アレンジは船山基紀、渡辺茂樹、大村雅朗なので、これだけ見ると何か勘違いして聞こうとする人がいそう。

 なんにしても、このようにサブスクで配信されている歌手も楽曲も刻々と変わっていますので、まだサブスクを試してない人、登録だけして放置している人も色々調べて楽しんでみてはいかがでしょうか。YouTubeに非合法な手段でアップされている音源のみに頼るのはぼちぼちやめませんかと思うとともに、そういう事を回避するためにはレコード会社が積極的に配信に向けて動いていただくのが必要と感じます。

 プロフェッショナルが手間暇かけてレコーディングされた楽曲を埋もれさせてしまうのは本当にもったいないですよね。


うたコンもそうなりますでしょうか

2025年03月24日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 我が家には「レッツゴーヤング」とか「夜のヒットスタジオ」とか、CSで再放送された昔の歌番組を保存版にしているディスクが何枚もあります。また、そういう歌番組だけではなくBSで放送された尾崎亜美さんのライブとかキャンディーズの特番なども。

 数年前、もしかしたらコロナ禍のステイホームの頃かもしれませんが、それらの映像を順番に見始めたら楽しくなって止まらなくなったことがありました。その時は夜ヒットよりはレッツヤンの方が面白かったのですが、やはり歌番組は楽しいと。

 現在、生演奏の歌番組というとNHKの「うたコン」になりますが、私はほぼ毎週見てて興味のある歌手が一人でも出る時には録画してます。チェックするのは、尾崎亜美、伊藤蘭、石川ひとみ、薬師丸ひろ子、岩崎宏美、岩崎良美、太田裕美、イルカ、八神純子、渡辺真知子、さだまさし、渡辺美里、などなど。そしてこれら以外にもちょいと気になる出演者とか企画があれば録画しますし。

 これまで録画したのは全部HDDにあるのですが、そのうちブルーレイにダビングせねばとも思ってます。何年か経って順番に見た時にレッツヤンや夜ヒットを見た時のような快感が得られるのかどうか。

 その辺は老後の楽しみともいえるかもしれません。なお、「もう十分老後では?」とかつれないことを言う方とはお友達になれません。あしからず。


よくある空目なのか

2025年03月06日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 あれは中学生の頃。チューリップが「娘が嫁ぐ朝」という曲を出して、私はそれをタイトルだけ見た時に「嫁が嫁ぐ朝」だと思ってました。

 なので、「なんで嫁が嫁ぐんじゃ?」と思ってよくよく見たら「娘が嫁ぐ」でした。これの何が問題かというと、兄もまったく同じ空目をしてたこと。ということは、他にも同じ勘違いをしてた人は多いのではないでしょうか。

 それにしても、ロックバンドの曲として「娘が嫁ぐ」というテーマはありなのでしょうか。おまけにこれを作った財津和夫先生はその頃まだ20代だったような。しかし財津先生はこの数年後にソロで「Wake Up」という曲も出してて、それも娘が嫁ぐ朝の歌でした。もはや芸風というものでしょうか。

 演歌はもちろんありで、フォークソングならなんとかオッケーでしょうけど、ロックでこういうテーマが多いというのはますます謎。とはいえ、「フォークとかロックとかあきあきしたよ チューリップと呼んでくれ」というのが売りでしたしね。ヒジョーにキビシー!(←財津違い)


「スター・オン・ステージ あなたならOK!」とは

2025年03月01日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 素人参加のオーディション番組というと「スター誕生」(スタ誕)が代表でしょうが、他にも「君こそスターだ」(君スタ)、「あなたをスターに」(あなスタ)、「君でもスターだよ」などいろいろあります。(最後のボケがわかる人は上級者)

 スタ誕出身者は山ほどいますが、君スタは林寛子、かおりくみこ、高田みづえ、石川ひとみ、越美晴など、あなスタからは岡田奈々、山本由香利、森田つぐみ、大場久美子などがそれぞれデビューしたといわれています。

 それで、私が興味を持ったのが「スター・オン・ステージ あなたならOK!」という番組。これはNETテレビで1973年4月から半年間放送されていたもので、もちろん先発のスタ誕に対抗したものですが、Wikipediaによるとあいざき進也、藍美代子らを輩出したことで知られるとのこと。

 それがもう一人ここからのデビュー組がいると聞き、実際に太田裕美さんのWikipediaを見ると、「1973年12月、NETテレビのオーディション番組『スター・オン・ステージ あなたならOK!』に出て優勝。渡辺プロダクションと新人養成契約を結び…」とあります。

 ただ、その「スター・オン・ステージ あなたならOK!」(略称:あなOK)は1973年9月に終了しており、そのプロフィールに「はて?」と思ったわけです。番組は9月で終わったのになぜ?と。

 で、よくよくその「あなOK」のWikiを見ると「なお番組自体は2クールで終了したが、次番組『ビッグスペシャル』でも前期まではワンコーナーとして不定期に行い、決勝大会も同番組で行われた。」という記載があります。なので、太田裕美さんが優勝したというのは、一旦終了した後にスペシャルで継続されていた回ということになりますね。

 彼女はNHKの音楽番組「ステージ101」にヤング101のメンバーとして出演しており、この番組終了は1974年3月でした。最終回で「君のコスモス」や「涙をこえて」を歌う映像はよく出てくるので、終了までいたのは確認されています。

 なお、太田裕美さんというとよく話題に出てくるのが「キャンディーズに入るはずだった」という話。キャンディーズの三人が「歌のグランドショー」のマスコットガールとして採用されたのが1972年4月で、「そのオーディションには太田裕美もいた」というのがネタ元でしょう。(オーディションを受けていたのは事実。)

 それを考えると、1972年4月にNHKの番組のマスコットとしてグループを結成したキャンディーズと、ヤング101のメンバーとして活動しながら1973年12月に「あなOK」優勝をきっかけに渡辺プロとようやく新人養成契約を結んだ太田裕美さんはまったく歩んだ道が違うということになります。

 そのキャンディーズが採用された番組のオーディションではもう一人選ばれていたそうで、その方もなかなかの実力だったのでしょうがそれはまた別の話で。まあ芸能人は事務所側が目立たせるためにいろいろと逸話とか伝説を作りたがるのでしょうね。

 それにしても「あなOK」というのは知らなかったなあ。


ねえみんな、青春とはアリスなのよ…か?

2024年12月13日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 タイトルに青春とつく曲をどれくらい知ってるか考えてみました。真っ先に思いついたのが岡田奈々の「青春の坂道」。そして青春の巨匠というと、なんといっても自称剣道二段にして元千葉県知事の森田健作。

 が、あの人は青春青春と言う割にはタイトルに青春とつく曲はそんなに多くありません。「青春の勲章はくじけない心だと」という歌詞の曲もタイトルは「さらば涙といおう」ですし。

 で、思いつくままに書き出してみたのが以下の通り。

青春の坂道/岡田奈々
青春サイクリング/小坂一也
これが青春だ/布施明
青春の影/アリス
青春の影/チューリップ
青春時代/アリス
青春時代/森田公一とトップギャラン
さらば青春の時/アリス
さらば青春/小椋佳
君と歩いた青春/風・太田裕美
青春に悔いはないか/森田健作
青春のバラード~ひとつぶの涙~/森田健作
青春貴族/中村雅俊
青春の詩/吉田拓郎
ああ青春/トランザム
青春とはなんなんだ/スペクトラム
青春気流/榊原郁恵
青春に恥じないように/南沙織
青春/松山千春
青春Ⅱ/松山千春
青春のラストページ/バンバン
青春旅情/あのねのね

 その昔青春ドラマシリーズというのがあって「これが青春だ」「青春とはなんだ」「飛び出せ青春」「われら青春」「泣くな青春」などありましたが、主題歌のタイトルに「青春」とつくのは「これが青春だ」だけかも。もっともこのドラマはリアタイ世代ではないので、曲だけ知ってたという程度。

 こうやって並べてみるとアリスが3曲あります。「青春の影」はチューリップの曲とは違いアリスの方が先。ただアリスの方はアルバム曲。「青春時代」も森田公一とトップギャランとは違う曲。こちらもアリスが先でシングルで出てましたがヒットしてません。

 ということで、「ねえみんな、青春とはアリスなのよ」という結論にしようとしたら、「駆けめぐる青春」「真っ赤な青春」「青春にバラはいらない」と3曲もシングルで出してるデュオがいました。そちらを青春の巨匠と認定しましょうか。

 が、実際はあんまり青春っぽくもビューティな雰囲気もないですけどね。(あ、言っちゃった。)


何も見ないで1970年~1985年のレコード大賞を思い出してみる

2024年12月01日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 頭の体操の時間です。なんでもかんでもすぐWikpediaで調べるのはいかんと思い、たまにこういうことを考えます。

 それで「なぜ1970年から1985年か」というと、私が小学校に入学したのが1970年、1985年はというと大学4年だったのでこれはほぼ学生だった頃の期間となります。小1なら既に物心はついてたし、学生の間ならまだ流行歌は追いかけていたのではないかと。

 ということで、多分に曖昧な記憶ではありますが私が思い付いたのは以下の通りです。

1970年 菅原洋一/今日でお別れ (自信なし。この人レコード大賞獲ったっけ?)
1971年 尾崎紀世彦/また逢う日まで (もしやこれが70年???)
1972年 ちあきなおみ/喝采 (多分間違いなし)
1973年 五木ひろし/夜空 (これが74年かもしれないと思ったり。)
1974年 森進一/襟裳岬 (同じくこれが73年だったかも。)
1975年 布施明/シクラメンのかほり (間違いなし)
1976年 都はるみ/北の宿から (間違いなし)
1977年 沢田研二/勝手にしやがれ (間違いなし)
1978年 ピンクレディー/UFO (多分間違いなし)
1979年 ジュディオング/魅せられて (間違いなし)
1980年 八代亜紀/雨の慕情 (ちょっと怪しい)
1981年 寺尾聡/ルビーの指環 (間違いなし)
1982年 細川たかし/北酒場 (違ったかも)
1983年 わからず 五木ひろしか細川たかしか
1984年 わからず 細川たかしか五木ひろしか
1985年 中森明菜/ミ・アモーレ (多分間違いなし)

 並べてみるとこの16年間で絶対自信があるのが5回だけ。曲は間違いなく受賞したけど開催年がわからないのが6回。記憶によると五木ひろしが「長良川艶歌」で獲ったような気がするのですが、それがこの期間なのか80年代後半なのかがわからず。

 別に知らなくても日常生活には困らないのでいちいち答え合わせはしませんが、70年代中期はしっかり見ていたのがわかります。というのも、1976年は昭和51年であって私の年代だとそこが中1になります。

 昭和51年=中1、52年=中2、53年=中3という並びなのでわかりやすいです。なので、結局小学校の高学年から中学生くらいが一番真剣に見てたということでしょう。あとはよっぽどの大ヒットなら忘れないということで1981年の「寺尾聡/ルビーの指環」は間違いようがありません。

 ただ、小学生の頃は一番レコードが売れた曲がレコード大賞を獲るものだと思ってて、そうでないとわかったのが1975年。下馬評では布施明の「シクラメンのかほり」か、ジュリーの「時の過ぎゆくままに」か、と言われてたのがジュリーが暴力事件を起こしたら「ちょっとやめとこうかという雰囲気になった」という芸能ニュースを聞いて、「へ? そんなの関係あるの?」と驚きました。

 ただ、そもそもレコード大賞には審査員がいるし、レコードの売り上げだけで決めるならデータのみで決まりますから投票なんていりませんし。

 そして私の場合は推しの歌手がほとんど絡んでないのがレコード大賞。キャンディーズは新人賞には入らず、「年下の男の子」や「春一番」がヒットした時もたしか金賞には入ってません。

 石川ひとみさんも新人賞には入らず、その年には強力なライバルが多かったから仕方ないとして、「まちぶせ」でもまったく絡まなかったのが残念。結局レコード大賞に今一つ関心を持てないところはそういうところです。甲斐バンドはくれるっていっても「HERO」の頃ならまず授賞式に出なかっただろうし。

 以前、佐藤剛さんの「「黄昏のビギン」の物語 奇跡のジャパニーズ・スタンダードはいかにして生まれたか」という本で、日本作曲家協会がレコード大賞を立ち上げた時の話を読みました。その時は「ふむふむ、そもそもそういう賞だったのか。」と思ったのですが、今一度国民的行事に復活する方法があるのかどうか。

 個人的には賞のあり方に拘るのではなく、授賞式自体を番組としてエンターテイメントにしてしまえば存在価値もあるとは思ったりしてます。が、さすがにグラミー賞みたいにはなりませんわね。普段テレビに出ない人も「あそこのステージに立ってみたい」と思うような会になればというのは難しいでしょうが。

 以上、今日はネットでは何も調べずに書きました。レコード大賞受賞曲の答え合わせもしてませんが、そんなに気にならないのがそもそも問題でしょう。


50年来の疑問が解消されました>猫「各駅停車」

2024年11月18日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 猫というバンドの「各駅停車」という歌をご存じでしょうか。小学生の頃にラジカセを買って貰い、その時にラジオからよく流れてきてたので当時から好きでした。

 この曲は1974年のリリースで、ラジオ番組だと「シローの気ままな旅」とかそういうのでよくかかってたと記憶してます。当時私は猫の曲はこれしか知らなかったので、自分にとっての代表曲はこれでした。

 それで後にベストアルバムを買ったのですが、よく知られている「雪」「地下鉄にのって」などとはボーカルの声が違うので、「各駅停車を歌ってるのは誰?」というのがずっと解決されないまま。ベストアルバムにもいちいちリードボーカルが誰かというのは書いてなかったし。

 そもそも猫は不思議なバンドで、ベストアルバムの写真も3人だったり4人だったり5人だったりします。「一体メンバーはどっからどこまで?」というのも謎でした。

 それが先日入手した雑誌「guts」1974年4月号を見たら、ちゃんと記事になっててあっさり解決しました。あのガラガラ声の正体は内山修さんだそうです。作曲がベースの石山恵三さんなのでそちらかと思ってたのですが。

 

 多分同じ疑問を持っていた人も多いと思われますが、とにかく私はすっきりしました。まあこれがわからずに日常生活で困ったことは無いですが、疑問は解決しておきたいと。

 そして、猫の常富さんと内山さんはザ・リガニーズに在籍していたそうで、そこでは内山さんがベース担当だったとか。やはり猫は謎が多いです。ああ、ややこしや…。


田中一郎さんの証言は本当でした>港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ

2024年07月21日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 田中一郎さんのギターアッパーカット2で聞いた話。ダウン・タウン・ブギウギ・バンドがテレビで「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を演奏する際、宇崎さんのセリフのあとにダダッダッダッダダ!でブレイクして、「あんた あの子のなんなのさ」となるわけですが毎回合図があるとのことです。

 というのも、あれは歌じゃなくセリフなので曲のテンポやその時々の宇崎さんの喋る間で一小節ズレたりすることもしばしば。なので、その「ダダッダッダッダダ!」に行く前に、毎回ベースの新井さんが合図のために叫ぶんだとか。

 「へ~、そうだったのかなあ。」と思ってたら、先週ちょうど「3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100」という番組でこの曲の映像が流れました。すると、じっくり聞くまでもなく「悪いなあ 他をあたってくれよ」の最後に被せるように「イヤ~ッ!」という叫びが聞こえました。そしてその次の「仁義を欠いちゃいられやしないよ」の後にも「イヤッ!」と聞こえたと。

 ということで、田中一郎さんの証言が本当だったことが証明されました。まああの人が動画で言ってることは大体正しいですし、ごく稀に固有名詞や年代を間違えた時もアップされたときには訂正字幕が入ってたりしますしね。事実関係や出来事では基本間違いないという印象です。この辺は、一郎さんが常にシーンの中心でチヤホヤされていたわけではなく、周囲に目を配らせながら自身のスタイルを確立するために活動していたということではなかろうかと勝手に想像してしまいますが、そもそもが記憶力の良い方なのでしょう。あとはあの人柄のおかげで、いろんな人と親密に接して実際の現場に携わる機会が多かったせいもあるのでしょうか。

 それにしても港のヨーコの話は、一郎さんが実際に現場でその様子を見てたのかテレビで見てたのか、のちにメンバーの人から聞いたのかは謎。当時既にリンドンでデビューはしてましたが、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドと歌番組で共演する機会なんてあったのでしょうか。

 ちなみに当時の田中一郎さんについては、バンバンが「いちご白書をもう一度」でFNS歌謡祭に出る際、直前のコンサートのリハで右手を怪我してギターを弾けなくなった時に代わりにアコギを弾いてたのを見た事あります。あとはニューミュージック・スペシャルでバンバンのバックにリンドンとして出た時くらい。

 バンバンのバックではヒットスタジオにも出たようですが、その時カメラに向かって手を振ったらたまたま見ていた甲斐さんのお母さんが「田中さんがテレビで手ぇ振りよったぞ!」と大騒ぎしていたという話をセイヤングで聞いた記憶があります。

 それはともかくニューミュージック・スペシャルでの今井さんと一郎さんのツインギターでの演奏は凄くかっこよかったので映像見たいですね。どっかにないものでしょうか。


「夏色のアルバム」ですって>NHKFM 歌謡スクランブル

2024年07月17日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 今週のNHKFM歌謡スクランブルは「夏色のアルバム」で今日はその3回目。70年代歌謡なので私にとってはストライクゾーンど真ん中でした。オンエア曲は以下の通りです。


真夏の出来事/平山三紀
ゴールデンハーフの太陽の彼方/ゴールデン・ハーフ
涙の太陽/安西マリア
夏の感情/南沙織
恋と海とTシャツと/天地真理
黄色い麦わら帽子/松崎しげる
君は特別/郷ひろみ
イルカにのった少年/城みちる
夏休み/よしだたくろう
暑中お見舞い申し上げます/キャンディーズ
ひまわり娘/伊藤咲子
線香花火/さだまさし
イミテイション・ゴールド/山口百恵
パープル・シャドウ/高田みづえ
セクシーロックンローラー/西城秀樹
モンスター/ピンク・レディー
夏のお嬢さん/榊原郁恵
真夏の夜の夢/野口五郎
センチメンタル・カーニバル/あおい輝彦
夏の少女/南こうせつ
地中海ドリーム/杏里
Mr.サマータイム/サーカス
燃えろいい女/ツイスト
愛しのティナ/ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
虹とスニーカーの頃/チューリップ


 それぞれの歌手の代表曲がある反面、そこそこヒットはしたけど微妙にストライクゾーンを外す選曲も多かったと思うのは私だけでしょうか。郷ひろみとか天地真理とかピンクレディーとか山口百恵とか西城秀樹とかあおい輝彦とかさだまさしとか。全部知ってると言いたいところですが、郷ひろみの「君は特別」だけ思い浮かびませんでした。

 珍しいのはゴールデンハーフで、ラジオでこの曲を聞くのはすごく珍しいです。何しろ平日の日中は30年以上毎日運転しててほぼラジオ聞いてる私が聞いた記憶がないくらい。もちろん当時はテレビでよく見ましたし曲は知ってます。こうやって聞くと演奏はすごくかっこいいですね。かっこいいというと安西マリアの「涙の太陽」も間奏がハイウェイスター的で凄いです。

 個人的には南沙織「夏の感情」がツボでした。この人の場合は普通「17才」が来そうですが、この曲をオンエアしたのは偉い。ファンでなければタイトルを聞いてもすぐ思いつかないのではないでしょうか。

 豆知識としては、南沙織さんのシングルではこの曲とカップリング曲のみキャラメル・ママが演奏してます。曲は知ってても気づかなかった人は多いことでしょう。ちなみにレコードにはクレジットがあったそうですし、テレビ番組のテロップで紹介されてるのも見ましたが、当時はスルーされてたかも。

 というのも、その後のインタビュー資料などを見ると「無駄遣い」だの「キャラメルママを起用した効果がまったくないところがシブイ」など容赦ない評価をされていますので。細野さんのインタビューでも、レコーディング時の筒美京平先生について「一言もしゃべらない。いきなり入ってきて『じゃあ、始めます』っていうことで。」だったそうです。おまけにベースも全部書き譜。まったく会話はなかったそうで、リズムを録ったらさようならだったとか。どういう人たちが知ってて呼んだはずなのに交流しなかったというのは謎ですね。

 ただ、曲としては歌番組で聞いて好きになって、レコードで聞いたらもっといいと思いました。あんまり好きなので何年か前にこの曲のタイトルがついたLPも入手しましたが、そちらはあんまり…というのは内緒。

 天地真理の「恋と海とTシャツと」も今となっては思いつかない人がいそうですが、私なんぞはこれのイントロを聞いて「あなた~を待つ~の テニスコ~ト~♪」と歌って、「あれ?」と言いそう。森田公一先生もお茶目ですね。

 私としてはカラオケで歌ったことがあるのが4曲、ギターの弾き語りのレパートリーが2曲ということでお馴染みの曲が多い日でした。この番組はらじるらじるの聴き逃しがありますので、気になる方は是非お聞き下さい。聞けば「知っているのに知らんふ~り~♪」と歌いたくなるのは確実。お勧めです。


アメリカンスクールとインターナショナルスクール

2024年07月14日 | 昭和歌謡・アイドル歌謡

 アメリカンと聞くとコーヒーかフットボールしか思いつかない私ではありますが、アメリカンスクールも一応知ってます。が、そもそもその辺の知識が浅はかなので日本にいるアメリカ人が通う学校がアメリカンスクールであり、全国そこかしこにあるものだと思ってました。

 基地内の学校も含めればその認識も間違いではないのかもしれませんが、日本でのアメリカンスクールとは東京の調布市にあるアメリカンスクール・イン・ジャパンを指すようです。

 そこで思い出すのは南沙織さんの話。たびたび話題にする朝日新書「南沙織がいたころ」(永井良和著)ですが、今回もここからの引用。

 

 南沙織さん(以下シンシア)は、「沖縄でアメリカンスクールに通っていた」と紹介されることも多いですが、実際に通っていたのはインターナショナルスクール。義父がフィリピン人だったため米軍人の子弟向けのいわゆるアメリカンスクールには入れず、米軍基地で働くフィリピン人が中心となって設立されたカトリックの学校に入ったとのこと。

 シンシアは両親とも日本人ですが、妹さんや弟さんはハーフということになり、フィリピン系の子供はアメリカンスクールにも日本の学校にも通うことが難しく、その受け皿としての私立の学校に兄弟みんな通っていたという事情だそうです。そういう当時の沖縄の事情はこの本を読むまで知りませんでした。なんでそんなにフィリピン系の人が多かったかというのもちょっと考えればわかるのですが、以前は想像できなかったので。

 そして彼女はデビューに当たって東京に出てきたわけですが、当時はまだ返還前だったのでパスポートを持って「来日」したと。その際学校は調布のアメリカンスクール・イン・ジャパンの11年生に編入されました。

 このスクールは戦後は米国籍以外の生徒、アジアの子供や帰国子女をひろく受け入れるようになり、シンシアの先輩にはジュディ・オングさんもいるそうです。入学に当たってはCBSソニーの繋がりでジュディ・オングさんに推薦を頼んだようですね。

 なので、南沙織さんについては

・沖縄ではインターナショナルスクール
・東京ではアメリカンスクール

に通っていたということになります。いいですね?(って、誰に言ってるのやら。)

 その後、1973年の1月にアメリカンスクール・イン・ジャパンにアグネス・チャンが入学してきて、ふたりは英語で話し合える友人になったとか。

 そしてシンシアは1974年6月にアメリカンスクール・イン・ジャパンを卒業し、上智大学の国際部(当時)に進みます。進学にあたっては上智の国際部か国際基督教大学か迷ったそうですが、当時のアメリカンスクールは日本では各種学校扱いだったため、国内の大学に進むには大学入資検定を受けねばならなかったとか。

 学友の多くが米国の大学に進む中、彼女は芸能活動を続けるため国内に留まる選択をしました。そして、上智の国際部は米国の大学進学適性試験によって入試査定をしていたため入学できたとのことです。もちろん一定のスコアを取ることは必要だったので、普段から勉強はしっかりしていたのですね。デビューが決まって上京する際にも学校には通いたいと強く望んでいたそうで、そういう点には熱心な人だったのですね。

 そういう人だったのが、実際デビュー当時の事務所は満足に学校に通わせずに地方での仕事をバンバン入れて、本人の健康状態やストレスも考慮しなかったということですから、当時の芸能界の闇も透けて見えます。住まいも社長宅の居候だったりホテルだったりで落ち着かなかったということですし。

 と、それはそれとして、今回はアメリカンスクールとインターナショナルスクールのことを調べてみました。今ではアメリカンスクール・イン・ジャパンで12年間学んだ人も日本の高校を卒業したと同等とみなすようになりましたが、それは割と最近のことです。その経緯を知りたい人は調べてみましょう。(と、このあたりは手抜き。)

 とにかくこの本はためになるので一家に一冊備えておくことをお勧めします。沖縄について考えるきっかけにもなりますし、10代の芸能人をどのように育てるかという点も考えさせられます。名著です。