YouTubeの「田中一郎のギターアッパーカット2」は、現在「田中一郎のギタープレイのルーツ日本編」というシリーズで、Part2ではスパイダースの話をしてました。その回でジュリーと井上尭之バンドの事にも触れており、私もそこには大いに興味があります。そこで、あらためて資料を当たってみようという話です。
私の愛読書は井上尭之さんの「スパイダースありがとう!」なのですが、そこにはもちろんスパイダース解散からPYGを結成する経緯、その後井上尭之バンドとしてジュリーのバックで演奏するようになったことが書いてあります。
重要な部分を引用すると、GSのスターであるジュリー、ショーケンをボーカルに据え、スパイダース、タイガース、テンプターズの選抜メンバーで結成したPYGは「よりロック的でアンチ体制的な音楽を目指してスタートし、それをバックで支えているのは芸能界で強大な影響力と資金を誇っていた渡辺プロ」だったとのこと。
「それこそ大船に乗ったような気持ちで始め、レコーディングにも時間とお金をかけて、録音方法もドラムセットにそれぞれマイクをセッティングする方法をいち早く導入、テレビ番組もそのセッティング以外では出演しないという条件付き」だったそうです。
渡辺プロとしては、ジュリーとショーケンのファンが両方くれば客はこれまでの倍になると思ったのでしょうが、実際はそれぞれのファンは仲が悪くどこへ行っても客はガラガラ。おまけに野外のロックコンサートに出ると、GSだとバカにされて罵声は浴びるし物は飛んでくるし散々だったとか。
結局、半年間で1000万円の赤字を出して自然消滅、解散宣言もないままの幕切れに終わったそうです。その後、井上さんは事務所に残りそれから10年ほどジュリーのバックバンドをやることになりました。
ここまではその本の話ですが、これとは別にギターマガジンのインタビューも見てみましょう。掲載されていたのは1992年3月号。井上尭之さん愛用のギターを紹介する記事で、それまでの活動についての話もありました。
まず、スパイダースのギタリストとしてかまやつさんとの役割分担では、「かまやつさんどうする?」なんて相談はせず、井上さんが弾いててかまやつさんが様子を見ながら合間に入ってくるということだったそうです。井上さん曰く、「かまやつさんはベーシックな戦力には一切なってない(笑)」と。かまやつさんがある雑誌で言ってた「尭之には俺がギターを教えた」には「嘘つけって(笑) 彼もジョークだけどね。」ですと。
ただ、かまやつさんの音楽センスは凄く評価してて、特に楽屋で思いのままに弾いてるときのフィーリングは素晴らしかったとのこと。
それはそうと、井上尭之バンドはジュリーのレコーディングでも弾いていたのかということについては、実際に演奏してたのは本当に初期だけだそうで「危険なふたり」も「やってないやってない」とこの時すでに完全否定してます。なぜかというと、井上さん達の演奏印税がシングル1枚で14円。これは美空ひばりさんと同レベルだったそうで、「誰が使うよ、そんなもの。」ということで。
通常のスタジオミュージシャンが1曲5千円なのに、この人たちは印税で1枚14円だから10万枚売れれば140万! それでさらに「なんだよ、この曲!」とか文句言って態度もでかく、その上ようやく機嫌直して始めようとしても誰も譜面が読めなかったりと。
結局、いろいろやりたい音楽ができない、うまく行かないということが続いて「太陽にほえろ」にしてもジュリーのバックにしても、ほぼ仕事と割り切ってた部分が大きかったのですね。ジュリーが紅白に出た時には井上尭之バンドとの事を「ロックで結ばれた絆」と紹介されてて私は憧れたものですが、芸能界はいろいろありますね。
ちなみに、ギターマガジンはWebでバックナンバー読み放題という企画をやってますので、このインタビューもいつでも読めます。もちろん有料ですが気になる方はご覧ください。