半農半X?土のある農的生活を求めて

「生きることは生活すること」をモットーに都会から田舎へ移り住み、農村の魅力を満喫しながら、日々、人生を楽しく耕しています

やっぱりまともな大人の存在ですね

2013年09月03日 | 素敵な人・友人との時間
火曜日、ひょんなことから「もりのこびとたち(わらべうたサークル)」の代表の奥村さんのご自宅に遊びに行ってきました。


3月に奥村さんのインタビューみたいなことを知り、初めてお話を色々聞きましたが、とってもinteresting(興味深い)な時間を過ごせました

その時の様子は→こちら

そして今回は奥さんが奥村さんの家に行くというので、特に目的意識もなく「なにか面白そう」と、金魚のフンのようについていってしまったのです


奥村さんは、もりこびの代表だけでなく、「つぐみ会」という塾もやっていて、色々な子供達と関わっています。
高校時代から教育に関わっているので、そのキャリアは30年を超しますし、その中で、シュタイナー、演劇の世界、自分の子育て、恩師との出会いなど色々あり、自分なりに色々なことを試してきながら、子供達と向かい合ってこられた方です。

なので、塾といっても、シュタイナーのお人形さんがおいてあったり、箱庭理論のおもちゃがおいてあったり、無垢の木のおもちゃがおいてあったりして、そのおもちゃの遊びようで、子供達がどんな状態か、学校で何かあったのかな、とか、推測しながら関わっているそうです。

高校生であってもお人形とかに触ったり、遊びをするんですよね。
確かに、そういったものから隔離されているだけで、あれば高校生だって大人だって、その存在が自分の心を投影するものとして、いじったり、人形遊びをするかもしれませんよね。

そして、そういったおもちゃだけでなく、部屋全体に敷き詰めていマット(?)も麻、座布団カバーも麻、着ている服も麻。
「本物に触れさせたい」という思いや「麻をまとって力を得たい」という思いがあるようです。

子供達に対してもそう。
「初めてきた子供は、この大人はどういった人なのかジーっと見ている。だからさあどうぞ、これが私よ、と全部見てもらう」ということ。
普通の塾や学校の先生は「肩書き・役割」があって、子供達は当て込まれた枠を通してしか、大人に接することが出来ませんからね。

そのままドーンとした大人に触れるのはなかなか今の世の中は無いと思います。

「こんなとこに居たくない、帰る」と言った子に、「どこいくの」と取っ組み合いになったこともあるそうです
また、これは聞いた話ですが、算数か数学が苦手な子に対し、1年間折り紙を一緒に折っていた、ということもあったそうです。実際、その子はその後、数学はとっても伸びたとか。

話を聞いていると、きちんとした大人、自分の考えを持って生きている大人、子供達のことを真剣に考えて社会を見つめてきた大人、ということがよ~くわかりました。

「体があって心があって、その土台をきちんと作れば頭は乗っかるのに、土台を作らずに頭をのっけようとするから子供達はぐにゃぐにゃに崩れてしまう」

「成田はイオンが出来てから子供達にすっごく悪い影響が出てきたのがわかる」

30年以上、子供達の教育に真剣に愛情たっぷりに本気で携わっているからこそわかるんですね。

つぐみ会、ぜひお手伝いでもいいから関わりたいな、と思いました。


私はこの道に入って、ようやく「まともな大人の存在」の大切さに気づきました。
私が尊敬する方も、「まともな大人」なのです。

まともな大人というのは、自分で考え、社会の刺激や情報に惑わされず、自分で本来あるべき生き方はこうだというものを持っていて、自分で道を歩いている人です。

「良く生きる研究所」の榎本さん、鴨川の林さん、おかげさま農場の高柳さんなどなど。

私が学生時代を振り返っても、記憶に残るのは「なんで、この先生はこんなことを言うんだろう?」という疑問、そしてたった数人ですが「この人は大人だ」と思える先生のことばかり。

大学時代に先輩のことがやたら好きで、色々語ったり教えてもらったりしたのは、そういった「大人の存在」を欲していたからでしょう。


ちょっと前の日本には、村長やお寺のお坊さんなど「まともな大人」がたくさん居たようです。
子供達はちょっと年上のお兄ちゃん・お姉ちゃんから悪いこと(いたずら)も良いことも色々学んだようです。
そして、それを見守る地域、大人がいたわけです。

人の道を説く大人、人としてまっとうに生きようとする大人、仕事をする大人、そういった大人の存在が近くにあったから、子供は色々なことを学びまともな大人になっていったはずです。


自分のことを棚にあげますが、今はまともな大人が少ないと思います。
高柳さんのお話を聞くと、村や学校にはまともな大人がいて、そういった大人の立ち振る舞い、言動から色々学んでいたことがわかります。
しかし、私が出会ってきたまともな大人と思える人は、指で数えるほど。

恐らく、私達世代でまともな大人の存在に触れ、あるいは師としてあおげる人がいる、なんていうのは少数でしょう。
そしていたとしても学校の先生よりは、部活や違う活動の方が多いかもしれません。


今、色々な問題が社会にあります。
今の社会の問題は全て大人の責任です。
子供は全く悪くありません。

子供が悪いのは大人のせい。多分、まともな大人が減ったからでしょう。

そして大人が悪いのは社会が悪いから。
その社会を作ったのは1世代前の大人。
そんな風に、順繰りに続いてきたのが今なのでしょうね。


でも今は自分が大人。

だから、まともな大人として行動しなくてはならない。

そして、まともな大人が1人でも増える社会になるよう、心がけなければいけない。

それが、子供に対して私達大人が一番できること、すべきこと、と思います。


そして、奥村さんのように教育者という立場の立つ人は、やはりまともな大人でなくてはならないと思います。
教育者が聖職者と言われたのは、子供達の人生を大いに決定するからで、それは教えることもそうですが、その大人が自分の考えを持ち、意思を持ち、導ける力を持っているからでしょう。

私にとっては、大人としての最低ラインは、少なからず自分の生き方を子供達に語れること。
もし子供が自分の生き方を継ぎたいといったらそれはそれでいいよ、と言えること。
自分はそのレベルには何とか来れていると一応思っています。

でも、やっぱりやりたいのは「セカンド・スクール」。
昔で言えば寺子屋のような場所。

まともな大人が集まり、そこで大人が勉強している姿を見ながら子供も自然と勉強する。


そういった流れを作っていきたいな~。

<おまけ>
これは奥村さんが出してくれた宝石入りの積み木で作った私の作品です

コメント (1)
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