人間万事塞翁が馬と言う。全く何が幸いに何が不幸に導くかは分からない。こうして駅前の医院で診察室の椅子に座っていると、運不運が微妙なことで別れてゆくのを実感する。
保険診療なので、やみくもに検査をすることは出来ない。またやみくもに検査しなくても、良い結果が導けるように経験を積み日々研鑽してきた。しかし症状と理学所見を手掛かりにした診療には限界もある。この頃どこそこが痛いとか飯がまずいと訴えられた時には既に進行がんということが年に一例くらいある。これを避けるのは至難の業だ(早期がんは殆ど無症状)。
患者さんの感受性や性格は様々で、普段訴えの少ない人には要注意だ。一方神経質な患者さんは撒き餌をばらまくように些細なことを大袈裟に訴えられるので、検査をしても空振りのことが多い。そうした患者さんに惑わされないように注意しているのだが、重い口を開かせるのは難しく、いざ訴えられた時には進行がんのことも多い。しかし、これは難しいと思って送った進行がんが運よく非常に良い経過を辿り、五年過ぎても元気と言う方が十名近く居られる。病院の主治医と二人して首をひねりながら同慶の至りと呟いている。
その一方あれこれ訴えて各種検査で五六千円支払っても、安心料と思えば安いなどと言われる(保険ではその何倍もの支出になっているのを意識していない)患者さんが、用心深いはずなのに階段で転んで大腿骨を折って寝たきりになったりしている。
細心の注意は必要だがそれだけでは何か足りないようで、やはり運不運というものがあると思わざるを得ない。