駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

斎を頂く

2009年04月21日 | 旨い物
 天台宗の護摩法要に紛れ込ませて貰い、比叡山の麓の寺で庭を観賞した。小堀遠州の作と伝えられる庭は小振りながら三途の川に見立てた川が流れ彼岸に小屋があって、多種多様の常緑樹が植えられた賑やかなものであった。
 見立てとしても三途の川を渡る気はしないのだが、許可を得て庭に出た人が彼岸から此岸の写真を撮っていた。貴重な写真になるだろう。
 滋賀は寺の多い県で、琵琶湖を巡り名刹が多い。琵琶湖のせいで人の住める面積は狭いのであるが、奈良京都に隣接し主要街道の集まる要衝の地でもあり、歴史の宝庫なのだ。
 法要では般若心経斉唱後、護摩を短いお経を繰り返し唱えながら燃やしてゆく、信者ならぬ身にも、なにやら有り難くこの世ならぬ不思議な雰囲気に圧倒され、小一時間は瞬く間に過ぎた。善男善女と目される信者の人達はお経を全て諳んじ、目を閉じてうっとりと唱えておられた。最後に白衣の法会主宰僧が、大声で喝を入れられ、信者の周りを回って祝福?を与えられた。
 信心深い質ではなく、宗教的な行事に疎いが、仏教もキリスト教も、恐らくイスラム教なども、どこか荘厳でこの世ならぬ雰囲気を醸し出すものだと思う。
 突然「さて、それじゃあ今日は」。と僧が俗語を話された途端、厳かな雰囲気は壊れ、ざわざわと人が動き出す。
 庫裡の方の別棟で数十人の信者と共に昼の斎を頂く。何度も精進料理を頂いたことがあるが、ここのは格別質素だ。どうもこの真っ黄色の沢庵なぞはそこいらで買ってきたのではないかと疑いながら横目で睨んでいると、軍曹辺りの位と思しき三十代の僧が食前の言葉をと促す。量や味につべこべ言わず有り難く頂きなさいという意味の言葉を彼の指導で唱えた。その言葉を唱えたせいか、法要で心が清められたせいか、ほとんど味付けのない一汁三菜を美味しく頂いた。不思議なものだ。これが我が家の夕食に出れば、嫌みの一つも言いたくなるような、誠に質素な材料で淡い味付けなのだが、有り難く頂くと滋味溢れ美味しい。 
 
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