駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

推定有罪の人

2020年11月28日 | 世の中
             

   病気の診断は疑うことから始まる。物事の確かさは0%から100%までの間にあり、黒白といった二者択一できるほど単純なものではない。
 病気の診断には臨床的なものから病理学的なものまでさまざまなレベル手法があり、病気病態によって主治医が総合的俯瞰的に行っている。犯罪の裁決にも似たところがあるのではと思う。
 私は法律のことは素人だが、おそらく病気の診断に似ているところがあるだろうと思う。法律の場合は人為的な部分が多いと思うが長い歴史があり英知を集めて作り上げられたものなので、優れて妥当な構造になっていると思う。
 推定無罪は無謬でない人間のやる捜査裁判なので、間違いを防ぎ保障するために生まれた考えなのだろう。しかし、世の中には推定有罪と思われる事件がある。権力の犯罪にはそうしたものがあるのではないか。弱い者を守るための推定無罪に対し強い者を挫くための推定有罪というものがあっても良い気がする。強い権力者の中には法律を人事で捻じ曲げる者も居るのだから。
 領収書はない、名簿は捨てた。都合の悪いところは書き変えたなどという異常値が三つ揃えば臨床診断は確定で、開腹手術が断行される。権力の犯罪にも同様の診断が下ってよいと思う。そうでないと権力は権力の波及効果で証拠隠蔽したり、あるいは調べられると困る人物を恩赦をしたりする。
 勿論、100%黒と断罪はできないが、限りなく黒に近い灰色として社会は対応してよいのではと思う?。
コメント
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