ハラリのサピエンス全史は目から鱗の歴史書で教えられたことは多いが、なるほど確かにそうだと膝を打ったのは人類がある考えを共有しそれによってまとめられ組織され動く動物だという指摘だ。その特性能力によって他の種を退け今や地球上生物の頂点に立っている。
人類が特定の判断基準を共有し、まとまって行動する特性と能力を有することから、なぜ右とか左とか色々呼ばれる様々な考え方に狭く固く捉われて鬩ぎ合うのかが分かる。
宇宙人でも攻めてくればともかく、残念ながら人間は俺は正しい私は正しいという考えに取りつかれやすく、中々一つにはまとまれない。そして判断基準となる考え方が、インターネットなどの情報通信によって、成熟した客観的科学的なものに収斂するかと思えば、そうでもなく逆に陰謀妄想交じりの自己優先自己正当化論が蔓延るようになってきている。どうも上手く淘汰が働かない。
科学的客観的で優れた考えはやや複雑で分かりにくいせいか、欲望を制御し他者を認めることが要請されるせいか、感覚的直接的な単純で分かりやすい俺が私が最優先の排他的な考え方が強い浸透力を持っている。鬩ぎ合いが続く所以に思える。