玉川上水の辺りでハナミズキと共に

春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえてすずしかりけり (道元)

*沖縄への旅(一)

2012年11月23日 | 沖縄のこと

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 もとの職場の同僚4人との沖縄の旅は羽田空港でのスリリングな状況で幕開けした。私をのぞく3人は安価な「当日シルバー割引券」を利用した経験がない。私がパソコンで予約状況を確認すると当初の予定の便は満席状態である。そこで3時間遅れの便に変更し、集合時間は2時間遅れにした。そのことを出発前日に連絡し、あわせて空港に到着したらただちに各自が11:00の便の航空券を購入するようにお願いした。その便が取れない人が出た場合は先発組は那覇空港で後発組を待つしかない。当日は最後の4人目が受付でうながされて千円増しの券を購入して通路中央のベンチに腰掛けた瞬間に掲示板の空席状況の欄に×印が点灯するのを目撃したという。

 5泊6日の旅行中の週間天気予報はあまりよくなかった。また個人的には5月に手術した眼に変調が起きて多少の不安を抱えていた。しかし4人が揃ったこの機会を逃すわけにはいかない。まず一緒の飛行機に乗り込むことができてこの旅がうまくいきそうな予感である。空港近くのレンタカーの営業所まで迎えのバスで移動して、これから5日間の移動を共にする車に乗り込んだ。カーナビは頼りになる。ときどき迷走することがあったがそのほとんどの原因はこちらの入力のミスだ。まずは読谷村の座喜味城(ぐすく)跡を目指した。沖縄戦でアメリカ軍が上陸したのが北谷(ちゃたん)、嘉手納、読谷(よみたん)である。これらの地域のすぐ北にあるのが断崖絶壁の残波岬だ。日本軍はこの岬の座喜味城跡に高射砲陣地を置いた。

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 沖縄本島の西海岸を南北に貫く国道58号線を北上する途中に嘉手納基地がある。嘉手納飛行場の滑走路は東西に伸びていて軍用機は西の東シナ海から侵入して着陸する。離陸する方向は東の太平洋側となる。58号からは小さく盛り上がり芝生で覆われたジェット燃料格納庫が見える。嘉手納基地を南北に分断して東の「うるま市」に抜ける道路の北側には、58号からは離れた内陸部に嘉手納弾薬庫がある。この東西の道路の途中に「安保の見える丘」がありそこでは頻繁に繰り返される軍用機の離発着を見学できる。飛行機は土日は飛ばないという。私たちは4日目にここを訪れることになる。旅の初日はフェンスで囲われた基地を横目に58号を北に向かい読谷を目指した。

 読谷村歴史民俗資料館は閉館の時間を過ぎていて見学出来なかったが、座喜味城跡を見学し初日の残波岬のホテルには明るいうちに到着した。東京とくらべて沖縄は日の出日の入りが1時間遅れである。初日だけは贅沢に高層のリゾートホテルに宿泊することにしていた。大浴場でゆっくり湯ぶねにつかれるのはこの日だけだ。一泊二食付き四人一室のプランである。ホテルの13階のレストランで夕食をすませた後は、1階のホールで琉球舞踊を見学できるという。ホテルの売店で泡盛を一割引で購入する。残波クース(古酒)43度、瑞泉熟成古酒40度、舞富名43度の720mlを3本である。踊りに感銘を受けて部屋に戻ると泡盛をオンザロックでいただく。この4人が共に旅することになったのは奇跡的なことだ。つい二月前まではだれも考えていなかった。まず残波43度からいただくことにしたが、泡盛がこれほど旨いとは知らなかったと4人は口を揃えた。(写真上は座喜味城跡、下は残波岬灯台を望む) 

コメント (1)
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