あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

池上本門寺墓所巡り

2017年09月07日 05時20分57秒 | 墓所巡り
2017年4月2日、目黒川の桜→洗足池の勝海舟夫妻のお墓→池上本門寺の五重塔特別開帳を見にいきました。
五重塔特別開帳(2017年6月25日)の記事
池上本門寺の春まつり(2017年6月30日)の記事
特別公開の五重塔が目当てで池上本門寺を訪問し満足した後、ダンナに「本門寺の有名人のお墓見たことある?」と尋ねたら「知らない」というので、一番インパクトのある芳心院のお墓を紹介。
芳心院墓所(千両塚)(2017年7月6日)の記事
ダンナに一驚きしてもらい、ついでだから他の有名人のお墓も案内した。
トップ画像は、五重塔の近くにある幸田露伴・幸田文さんのお墓です。ここはお墓の名前が生前の名前と一致してるから探すのが楽でした。露伴先生のお墓の周辺に、ご一族のお墓もあります。最近、「幸田家の人々」の番組を、BSプレミアムで拝見。妹さんは有名な洋楽家でした。日本初の〜がつくほどの方だったとか。
続いて案内したのがプロレスラーの力道山のお墓です。

もちろん像はお墓本体ではありません。お墓は奥の。

この手前に私でも知ってるプロレスラーや有名人の名前を彫った石板がありました。中には児玉誉士夫と刻まれていて、何か繋がりがあったのかな?と調べたら、後援者?だった模様です。
ちなみに、児玉誉士夫のお墓も池上本門寺にあってすぐ近くにあります。

墓碑銘がありました。讃岐高松藩6代藩主の正室「永昌院 薫姫」(1744-85)のお墓。
私の田舎が讃岐香川なので、ついチェックしちゃいました。墓の入り口に鳥居みたいに横に石柱を倒したように成ってるのですぐわかります。
五重塔まで戻ってきた。
五重塔周辺には、歴史上の有名人のお墓がいっぱいです。
木挽町狩野家のお墓(亀が墓石を背負ってるので見つけやすいです)。
有名人が一杯な池上本門寺の墓所(2012年2月22日)の記事 こちらの記事に狩野家のお墓の画像があります。
肥後熊本藩細川家の墓域。ここには維新の人斬り河上彦斎の墓もある(彦斎は佐久間象山を斬った人)ので案内してみた。
確か、出羽米沢藩上杉家の墓域もそばにありました。やっぱり、五重塔を作ったのが徳川2代将軍の秀忠で、五重塔に秀忠も祀られてるからでしょうか?忠義ってことかも???や。わからんけども。だったらロマンじゃん〜?
確か、前回墓所巡りした時は物知りなご隠居が「ここは〜」と詳しく案内してもらったんだけども。記憶が曖昧で。
この近くに歌舞伎の松本幸四郎さんのお父さん、白鷗さんのお墓を見た気がするんだが。撮影しそびった!
あと、児玉誉士夫と同時代の政治家のお墓も!あれ?名前が思いだせん〜。確か、大野とかなんとか。派手な虎の石像があるお墓だったんだけどな。下調べと記憶のおさらいしてくればよかったよ。
思いだせないものは諦めて、歴史散歩を挟みつつ紀伊徳川家の墓域へ移動します。

日蓮上人説法像
長崎の平和記念像の作者と同じ、北村西望の彫刻(材質は純アルミ。高さ3、4メートル。重量1トン)です。ただし、台座は明治の政治家星亨の銅像の台座だったものを流用したので、像と台座のバランスが悪い。

代々の住職の墓域へ移動しました。

実は、次の目的の紀伊徳川家の墓域は坂の下にありまして、上から撮影したかったんです。でないと、墓域が広くて全体図が画面に収まらないと思いまして。

で、わざわざ撮影したのがこちらです。大きな宝篋印塔が複数並んでいます。
全体を抑えてから石段を下りまして、紀伊徳川家の墓域へ移動しました。

説明板発見:大田区文化財 紀伊徳川家墓所
この墓所は、養珠院お万の方(承応2年 1653)没。及び瑶林院(寛文6年 1666)没。を始め、主として江戸藩邸で没した藩公の内室(令夫人)を埋葬したものである。
墓域の規模、構築の優美さなど、幕府直系大名の墓所としての威容を示している。
お万の方は、徳川家康の側室で、紀伊大納言頼宣、水戸中納言頼房の生母である。その薫化により日蓮宗に帰依した頼宣は、法華経を信奉することが篤かった加藤清正の息女の瑶林院を妻として以来、池上本門寺との関係がより深いものになった。
上の画像は、養珠院のお墓です。

妙操院のお墓。家斉の側室。梶久三郎勝俊の孫(1832年没)

天真院のお墓。 光貞正室・天真院 安宮照子(1625〜1707没

奥から養珠院・妙操院。
あれ?瑶林院のお墓の画像がない!撮影しそびったか?お墓に戒名と没年月日が刻んであるから、特定はしやすいのですが、拡大しても読めず。解像度を上げておけば〜。
紀伊徳川家の墓域は、日蓮上人を荼毘に付した跡地に建てた宝塔を見下ろすようにあります。

宝塔 文政11年(1828)建立。
この宝塔は、明治以前創建の屋外にある木造宝塔としてhあ、全国で唯一の貴重な建物です。日蓮上人550年遠忌を記念して建てられました。

変わったお墓が集まってるんだけど〜??
何が変わってるといえば。

これ、日本のお墓のデザインじゃないよね??もしかして、隠れキリシタンのお墓だったりして〜?もしくは外国人のお墓かも?いや、勝手な想像ですが。調べないとわからんな〜。
ここの近くに、狩野探幽のお墓があるんだよ。確か。

あった!分かりやすい墨つぼの形の墓石です。

玄徳院日道って彫ってありますね。狩野探幽のお墓の右に、探幽のお墓より立派なのでわかります。これも墓碑銘かな?
この周辺にも有名人のお墓が点在してるのですが、下調べしてないからパス!

この日の最終目的地の日蓮上人入滅の地に到着です。
*勝海舟と西郷隆盛が江戸城開城を話し合った茶室があった(現在は西郷隆盛の弟、従道が揮毫した会見の石碑があります)小堀遠州作の庭、松濤園は、普段非公開ですが、2017年9月7日から9月11日の日程で公開されています。 入場料は無料。 開場時間10:00-16:00
秘密の名園で散歩(2009年10月6日)の記事 こちらの記事に、松濤園の画像があります。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 相模原公園の夏の様子 | トップ | 日蓮上人入滅の旧跡 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

墓所巡り」カテゴリの最新記事