2017.4.2訪問。
目黒川の桜洗足池の勝海舟夫妻のお墓池上本門寺(今ココ)です。
池上本門寺も桜の名所ですが、この日の目的は別でした。池上本門寺春まつり 五重塔特別開帳(2017.4.1&2の2日間限定)
池上駅から徒歩で池上本門寺に向かう。
到着したら調度五重塔の解説が行われていました。
記事は6月23日に書いていて、既に2ヶ月以上経ってます。どこまで記憶を呼び起こせるか?不安ですが、頑張っておもい出してみる〜。
まずは池上本門寺のWEBにある解説文には五重塔:関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち一番古い塔である。
本塔のそもそもの発願は、のちの徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願にあった。文禄2年(1593)のこと、15歳の秀忠公が悪性の疱瘡にかかり、一命も危うい容態に陥ってしまった。そこで、熱心な法華信者であった乳母岡部の局(のちに正心院)が、大奥より池上へ日参し、厚く帰依していた第12世日惺聖人に病気平癒の祈願を託され「心願が成就した暁には御礼に仏塔を寄進する」との念でひたすら祈った。その甲斐あって快癒し、将軍となった後、その御礼と、合わせて武運長久を祈り、慶長12年(1607)に建立、翌13年に上棟式を厳修した。
開眼供養の大導師は第14世日詔聖人、大願主が正心院日幸大師(岡部の局)、普請奉行は幕臣の青山伯耆守忠俊、棟梁は幕府の御大工の鈴木近江守長次、鋳物師は椎名土佐守吉次である。いわば幕府の御声がかりで建造された当時第1級の塔である。にもかかわらず、江戸建築が確立する前の桃山期の建立であるため、特に構造上は、過渡期の特色が濃厚である。桃山期の五重塔は全国で1基だけであり、文化遺産としての価値は極めて高い。
当初、大堂の右手前、現在の鐘楼堂と対の位置に建てられたが、直後の慶長19年(1614)の大地震で傾き、元禄15年(1701)、5代将軍綱吉公の命で現在地へ移築、修復された。
その後、数度の修理を経て、平成9〜13年、日蓮聖人立教開宗750年慶讃記念事業の一つとして、全解体修理が施され、全容を一新した。」
上の画像をご覧ください。中央に仏様たちが見えますね。1階は金箔が貼られ、極彩色が施されています。
客が多くてベストポジションから撮影できませんでしたが、柱も金箔で覆われてました。なんと!1階内部は塔ができた当初のオリジナルなんだって。
上の画像は仁王門から五重塔へ向かう道なんですが、実はこの道路は元禄の大修理の時に、もともと五重塔が建っていた場所から現在の場所に塔を引いてった名残なんだって。道路の幅が五重塔の幅ということですね。
む〜。この書き方だとわかりにくいか〜。
五重塔は移動する時に全てを分解して再度組み立てたわけでなく、1階はそのままに引き家で引っ張ったらしい。なぜにわかったか?というと、平成の大修理で1階には釘穴が1個しかないと気付いたからだって。一旦分解すると、そこに釘穴が出来る。再度組み立てる時には長持ちさせるために、別の場所に釘を打つからそれで判断できるとか?木造建築って実は凄い。長持ち。
この角度からだとひき屋で引っ張った道がわかるかな?
塔高29、37メートル。方三間五重塔。せっかくなので、五重塔の周りを回ってみた。どの角度から見ても美しい塔です。全体に赤い五重塔があったんだ〜。と、感動です。
そういえば、五重塔って何ぞや?の解説もありました。
五重塔は仏塔です。そもそもは、仏教発祥の地インドで、お釈迦様の遺骨を祀るために紀元前3世紀頃から造られはじめたストゥーパが起源です。
インドのストゥーパはお饅頭の形をしてまして、中国→朝鮮半島→日本と伝搬する中で、ストゥーパが形を変え仏塔になりました。ってかもう豪華な木造楼閣ですね。そもそもは石造でしたが、日本に到達し形を変えて木造へ。池上本門寺の仏塔は、五重塔ですが、他に三重・七重・九重もあります。実はこれらの塔にもストゥーパの名残がありまして、塔の上に立ってるピックの先みたいなあれ。そのとめ金になってる部分が半円のお饅頭の形をしてるでしょう?これがそう。言い換えると、五重塔で大切なのはこのとめ金みたいな半円のお饅頭と1階部分だけ。あとは飾りです。だから三重だろうが七重だろうが実は数はどうでもいい。そこは資金の差です。ぶっちゃけすぎ。
池上本門寺の五重塔は、国の重要文化財指定です。
五重塔の前に特設テントがありました。
特別ご開帳限定のお守りと、限定のご朱印状のテントです。
上の画像にお守りとご朱印のお値段が書いてありますので、ご興味のある方は参考に。今、ご朱印帳を持参して集めるのがプチブームだとか?日本人って昔っからそういうの大好きだよねっ。
ちなみに、本来ならば上の撮影ポイントから桜の海みたいな感じで、五重塔が見えたハズなんだ〜。2017年の桜は咲くのに時間がかかったからねえ。がっかりでした〜。
4月2日は春まつりが池上本門寺と塔頭のあちこちで開催されていました。明日はその様子を紹介します。
目黒川の桜洗足池の勝海舟夫妻のお墓池上本門寺(今ココ)です。
池上本門寺も桜の名所ですが、この日の目的は別でした。池上本門寺春まつり 五重塔特別開帳(2017.4.1&2の2日間限定)
池上駅から徒歩で池上本門寺に向かう。
到着したら調度五重塔の解説が行われていました。
記事は6月23日に書いていて、既に2ヶ月以上経ってます。どこまで記憶を呼び起こせるか?不安ですが、頑張っておもい出してみる〜。
まずは池上本門寺のWEBにある解説文には五重塔:関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち一番古い塔である。
本塔のそもそもの発願は、のちの徳川2代将軍となる秀忠公の病気平癒祈願にあった。文禄2年(1593)のこと、15歳の秀忠公が悪性の疱瘡にかかり、一命も危うい容態に陥ってしまった。そこで、熱心な法華信者であった乳母岡部の局(のちに正心院)が、大奥より池上へ日参し、厚く帰依していた第12世日惺聖人に病気平癒の祈願を託され「心願が成就した暁には御礼に仏塔を寄進する」との念でひたすら祈った。その甲斐あって快癒し、将軍となった後、その御礼と、合わせて武運長久を祈り、慶長12年(1607)に建立、翌13年に上棟式を厳修した。
開眼供養の大導師は第14世日詔聖人、大願主が正心院日幸大師(岡部の局)、普請奉行は幕臣の青山伯耆守忠俊、棟梁は幕府の御大工の鈴木近江守長次、鋳物師は椎名土佐守吉次である。いわば幕府の御声がかりで建造された当時第1級の塔である。にもかかわらず、江戸建築が確立する前の桃山期の建立であるため、特に構造上は、過渡期の特色が濃厚である。桃山期の五重塔は全国で1基だけであり、文化遺産としての価値は極めて高い。
当初、大堂の右手前、現在の鐘楼堂と対の位置に建てられたが、直後の慶長19年(1614)の大地震で傾き、元禄15年(1701)、5代将軍綱吉公の命で現在地へ移築、修復された。
その後、数度の修理を経て、平成9〜13年、日蓮聖人立教開宗750年慶讃記念事業の一つとして、全解体修理が施され、全容を一新した。」
上の画像をご覧ください。中央に仏様たちが見えますね。1階は金箔が貼られ、極彩色が施されています。
客が多くてベストポジションから撮影できませんでしたが、柱も金箔で覆われてました。なんと!1階内部は塔ができた当初のオリジナルなんだって。
上の画像は仁王門から五重塔へ向かう道なんですが、実はこの道路は元禄の大修理の時に、もともと五重塔が建っていた場所から現在の場所に塔を引いてった名残なんだって。道路の幅が五重塔の幅ということですね。
む〜。この書き方だとわかりにくいか〜。
五重塔は移動する時に全てを分解して再度組み立てたわけでなく、1階はそのままに引き家で引っ張ったらしい。なぜにわかったか?というと、平成の大修理で1階には釘穴が1個しかないと気付いたからだって。一旦分解すると、そこに釘穴が出来る。再度組み立てる時には長持ちさせるために、別の場所に釘を打つからそれで判断できるとか?木造建築って実は凄い。長持ち。
この角度からだとひき屋で引っ張った道がわかるかな?
塔高29、37メートル。方三間五重塔。せっかくなので、五重塔の周りを回ってみた。どの角度から見ても美しい塔です。全体に赤い五重塔があったんだ〜。と、感動です。
そういえば、五重塔って何ぞや?の解説もありました。
五重塔は仏塔です。そもそもは、仏教発祥の地インドで、お釈迦様の遺骨を祀るために紀元前3世紀頃から造られはじめたストゥーパが起源です。
インドのストゥーパはお饅頭の形をしてまして、中国→朝鮮半島→日本と伝搬する中で、ストゥーパが形を変え仏塔になりました。ってかもう豪華な木造楼閣ですね。そもそもは石造でしたが、日本に到達し形を変えて木造へ。池上本門寺の仏塔は、五重塔ですが、他に三重・七重・九重もあります。実はこれらの塔にもストゥーパの名残がありまして、塔の上に立ってるピックの先みたいなあれ。そのとめ金になってる部分が半円のお饅頭の形をしてるでしょう?これがそう。言い換えると、五重塔で大切なのはこのとめ金みたいな半円のお饅頭と1階部分だけ。あとは飾りです。だから三重だろうが七重だろうが実は数はどうでもいい。そこは資金の差です。ぶっちゃけすぎ。
池上本門寺の五重塔は、国の重要文化財指定です。
五重塔の前に特設テントがありました。
特別ご開帳限定のお守りと、限定のご朱印状のテントです。
上の画像にお守りとご朱印のお値段が書いてありますので、ご興味のある方は参考に。今、ご朱印帳を持参して集めるのがプチブームだとか?日本人って昔っからそういうの大好きだよねっ。
ちなみに、本来ならば上の撮影ポイントから桜の海みたいな感じで、五重塔が見えたハズなんだ〜。2017年の桜は咲くのに時間がかかったからねえ。がっかりでした〜。
4月2日は春まつりが池上本門寺と塔頭のあちこちで開催されていました。明日はその様子を紹介します。
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