![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/6b/1e98c0492b7570af2244654e0476586d.jpg)
トップ画像は余芳心院墓所です。別名万両塚。
万両塚に埋葬されているのは「芳心院殿妙英日春大姉」。彼女は徳川家康と側室お万の方の孫にあたり、紀州徳川家藩主頼宣の娘。鳥取池田家初代藩主池田光仲の正室です。確か生前は茶々姫と呼ばれていた人。
宝塔背面の銘文には、芳心院の家系・人となり・信仰の深さと「逆修七分全得(生前に墓をつくるなどの善行を積めば、七の功徳全てを得ることができる)のために生前に建てた自分のお墓であったことが記されています。
宝塔内部からは、法華経巻子本八巻と火葬骨の収められた青銅製の骨蔵器が発見されました。自身の法華経信仰を三百年後の私たちに伝えてくれる貴重なお墓です。(説明文より)
ご隠居の言うには、とても美人だったそうで。そして蛇が嫌いだったそうで。だからお墓の廻りに濠が巡らせてあるんだって。かつては濠に水を貼り、蛇が渡ってこれないようにしてあったと言い伝えられて来ましたが、ちょうさの結果、濠はもとから空堀だったんだって。ちなみに、万両塚の名前は、このお墓を作るのに一万両のお金がかかったそいう俗説からだそうで。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/50/bbf34b896c4169d823ec2e3c47d5879c.jpg)
今は墓の周りに四季折々に咲く植物が植えられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/1e/2a6719b2e0b95dd8974355ef63456d1a.jpg)
ちなみに、万両塚の側にあるこの古いお墓は、彼女に仕えていた侍女のものですって。
さて、万両塚があるならば、千両塚だってあるんじゃあ?と思われた方はいます?
スルドイっ。
実は池上本門寺の墓所には千両塚の別名を持つ墓もあるんですよ。それがコレ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/e4/27612672026aa164ac15303bd02814b9.jpg)
こちらも鳥取池田家のお墓です。確かねえ、ご隠居が元禄年間に作られたお墓だって言ってたような…。殿様の生母だったって言ってたような~?因幡氏の娘って言ってたような~?メモが残ってるんですが、あやふやですので確信が持てません。
ちなみに、上の画像の背景に映り込んでいる五重塔、見覚えありませんか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/fc/0337781aa34c699a8f85fd70410df710.jpg)
これってTBSドラマで「南極大陸」の作中で、木村拓哉がちょいちょい墓参りする場面があったんですが、キムタクくんの後ろにあったのコレだと思うんだよね。
都内って以外と五重塔が残ってなくて、後は上野の寛永寺ともう1個確か3つくらいしかないハズなので、当たりだと思う。ちなみに、五重塔は2代将軍徳川秀忠の乳母・岡部局の発願により、秀忠が慶長13年(1608)に寄進建立しました。五重塔の側に幸田露伴の墓もあります。幸田露伴の著書に『五重塔』って言うのがあるんで、だから五重塔の側に墓を作ったんだとしたらそれも面白い。ちなみに、両雄の尾崎紅葉の墓は青山霊園にあります。乃木希典の墓を探してたら近くにあったんだよ~。ええ。最近妙にあちこちで墓を探してます。でも流行りの墓マイラーではない~~~んで。
細川家清高院の墓。
彼女は肥後熊本藩第三代藩主細川綱利の母です。実は彼は赤穂浪士事件後に大石内蔵助始め計17名を預かった人でした。ちなみに、大石内蔵助ら預かった赤穂浪士達が切腹を命じられた後、彼らの葬儀代・お布施を泉岳寺の送ったそうですよ。あ。逸れた。
細川家の墓所は区画が広いです。清高院の墓の隣には
こんな墓もある。
更にこんなのも。
更に更にこんな墓も。
河上彦斎(げんさい)の墓。
これは以前記事にしたから覚えてる人もいるかも?
河上彦斎は幕末期に人斬り彦斎と呼ばれた人で、佐久間象山を斬った人。それがなぜにこんな所にお墓があるのかというと、彦斎は熊本藩士だったから。ちなみに彼は斬首されてます。
画像の墓は実は後の世の彦斎ファンが建てたもので、本物の墓はその背後にある小さな墓がソレ。
で~も~。『銀魂』ファンなら鬼兵隊の河上万斉の名前のモデルと言ったほうがピンとくるかも?
さて肥後熊本藩細川家。
肥後細川家の墓。
同じ様な古い時代のお墓が当たりにいくつもある中で目当ての墓を特定するポイントをご隠居に教えてもらいました。
「墓にはね、家紋が彫ってあるんだよ。肥後熊本藩細川家の家紋は細川九曜紋。この墓にも九曜紋があるだろう?」
九曜紋。とっても分かり易い家紋です。
「NHKの大河ドラマを見てたらね。九曜紋が映ったんだよ。何故だ?と思ったら、細川ガラシャだったんだ」
細川ガラシャは明智光秀の三女で細川忠興の正室なので、家紋が九曜紋だったのは納得出来ます。
そういや、『坂の上の雲』で秋山真之と結婚した季子さん。花嫁衣装には家紋が染められてます。彼女の家紋が分からなくて、あの広い青山霊園を駆け巡ったとか逸話があります。ドラマのぼ~っと見てちゃイカンという話。歴史の萌えは思わぬ所に転がってるんですよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/89/11cb4edbb084ef9c19a9bf6ba4d03163.jpg)
最後にコレ。もうねえ。気力の尽きた時にまわった墓なんで記憶がグダグダなんですが、どっかの大名の重臣のお墓だったハズ。隣に奥さんの墓もありました。誰だっけなあ~??…徳川家斉の懐刀?や。もう思い出せんすみません。
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すみません。今日の記事は文章もぐだぐだですね。何がこの記事書いてた時、いっぱい一杯だった。
今朝、起きたらくしゃみを連発。水のような鼻水が垂れてきた。
今年も遂にやって来ました。花粉の季節。や。昨日は暖かかったからね。今日は朝から雨だけど、止んだら花粉が本格的に飛び出すのか?
って!!
今年の梅!まだ満開になってません。例年に比べ1カ月遅れですよ。開花情報待ちのお散歩になかなか出かけられない~。あっこさんと御徒町で待ち合わせー旧岩崎邸庭園ー梅の湯島天神ー神田明神ー湯島聖堂ーニコライ堂巡りとか予定してるんだけどね。いつになるんだ~。
万両塚に埋葬されているのは「芳心院殿妙英日春大姉」。彼女は徳川家康と側室お万の方の孫にあたり、紀州徳川家藩主頼宣の娘。鳥取池田家初代藩主池田光仲の正室です。確か生前は茶々姫と呼ばれていた人。
宝塔背面の銘文には、芳心院の家系・人となり・信仰の深さと「逆修七分全得(生前に墓をつくるなどの善行を積めば、七の功徳全てを得ることができる)のために生前に建てた自分のお墓であったことが記されています。
宝塔内部からは、法華経巻子本八巻と火葬骨の収められた青銅製の骨蔵器が発見されました。自身の法華経信仰を三百年後の私たちに伝えてくれる貴重なお墓です。(説明文より)
ご隠居の言うには、とても美人だったそうで。そして蛇が嫌いだったそうで。だからお墓の廻りに濠が巡らせてあるんだって。かつては濠に水を貼り、蛇が渡ってこれないようにしてあったと言い伝えられて来ましたが、ちょうさの結果、濠はもとから空堀だったんだって。ちなみに、万両塚の名前は、このお墓を作るのに一万両のお金がかかったそいう俗説からだそうで。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/50/bbf34b896c4169d823ec2e3c47d5879c.jpg)
今は墓の周りに四季折々に咲く植物が植えられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/1e/2a6719b2e0b95dd8974355ef63456d1a.jpg)
ちなみに、万両塚の側にあるこの古いお墓は、彼女に仕えていた侍女のものですって。
さて、万両塚があるならば、千両塚だってあるんじゃあ?と思われた方はいます?
スルドイっ。
実は池上本門寺の墓所には千両塚の別名を持つ墓もあるんですよ。それがコレ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/e4/27612672026aa164ac15303bd02814b9.jpg)
こちらも鳥取池田家のお墓です。確かねえ、ご隠居が元禄年間に作られたお墓だって言ってたような…。殿様の生母だったって言ってたような~?因幡氏の娘って言ってたような~?メモが残ってるんですが、あやふやですので確信が持てません。
ちなみに、上の画像の背景に映り込んでいる五重塔、見覚えありませんか?
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/fc/0337781aa34c699a8f85fd70410df710.jpg)
これってTBSドラマで「南極大陸」の作中で、木村拓哉がちょいちょい墓参りする場面があったんですが、キムタクくんの後ろにあったのコレだと思うんだよね。
都内って以外と五重塔が残ってなくて、後は上野の寛永寺ともう1個確か3つくらいしかないハズなので、当たりだと思う。ちなみに、五重塔は2代将軍徳川秀忠の乳母・岡部局の発願により、秀忠が慶長13年(1608)に寄進建立しました。五重塔の側に幸田露伴の墓もあります。幸田露伴の著書に『五重塔』って言うのがあるんで、だから五重塔の側に墓を作ったんだとしたらそれも面白い。ちなみに、両雄の尾崎紅葉の墓は青山霊園にあります。乃木希典の墓を探してたら近くにあったんだよ~。ええ。最近妙にあちこちで墓を探してます。でも流行りの墓マイラーではない~~~んで。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ea/4b0792743029fdbdc5004c5daaa0b0a1.jpg)
彼女は肥後熊本藩第三代藩主細川綱利の母です。実は彼は赤穂浪士事件後に大石内蔵助始め計17名を預かった人でした。ちなみに、大石内蔵助ら預かった赤穂浪士達が切腹を命じられた後、彼らの葬儀代・お布施を泉岳寺の送ったそうですよ。あ。逸れた。
細川家の墓所は区画が広いです。清高院の墓の隣には
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/c2/a9b0b9602e313b18ba8f94c2467367b2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/73/47e82c9e67414845d78eb3ab8b936ffc.jpg)
更に更にこんな墓も。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/bb/4e1cb30947c635c766dbd444c404a16e.jpg)
これは以前記事にしたから覚えてる人もいるかも?
河上彦斎は幕末期に人斬り彦斎と呼ばれた人で、佐久間象山を斬った人。それがなぜにこんな所にお墓があるのかというと、彦斎は熊本藩士だったから。ちなみに彼は斬首されてます。
画像の墓は実は後の世の彦斎ファンが建てたもので、本物の墓はその背後にある小さな墓がソレ。
で~も~。『銀魂』ファンなら鬼兵隊の河上万斉の名前のモデルと言ったほうがピンとくるかも?
さて肥後熊本藩細川家。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/c3/10dbed193af6a155354570bcd867c6db.jpg)
同じ様な古い時代のお墓が当たりにいくつもある中で目当ての墓を特定するポイントをご隠居に教えてもらいました。
「墓にはね、家紋が彫ってあるんだよ。肥後熊本藩細川家の家紋は細川九曜紋。この墓にも九曜紋があるだろう?」
九曜紋。とっても分かり易い家紋です。
「NHKの大河ドラマを見てたらね。九曜紋が映ったんだよ。何故だ?と思ったら、細川ガラシャだったんだ」
細川ガラシャは明智光秀の三女で細川忠興の正室なので、家紋が九曜紋だったのは納得出来ます。
そういや、『坂の上の雲』で秋山真之と結婚した季子さん。花嫁衣装には家紋が染められてます。彼女の家紋が分からなくて、あの広い青山霊園を駆け巡ったとか逸話があります。ドラマのぼ~っと見てちゃイカンという話。歴史の萌えは思わぬ所に転がってるんですよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/89/11cb4edbb084ef9c19a9bf6ba4d03163.jpg)
最後にコレ。もうねえ。気力の尽きた時にまわった墓なんで記憶がグダグダなんですが、どっかの大名の重臣のお墓だったハズ。隣に奥さんの墓もありました。誰だっけなあ~??…徳川家斉の懐刀?や。もう思い出せんすみません。
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すみません。今日の記事は文章もぐだぐだですね。何がこの記事書いてた時、いっぱい一杯だった。
今朝、起きたらくしゃみを連発。水のような鼻水が垂れてきた。
今年も遂にやって来ました。花粉の季節。や。昨日は暖かかったからね。今日は朝から雨だけど、止んだら花粉が本格的に飛び出すのか?
って!!
今年の梅!まだ満開になってません。例年に比べ1カ月遅れですよ。開花情報待ちのお散歩になかなか出かけられない~。あっこさんと御徒町で待ち合わせー旧岩崎邸庭園ー梅の湯島天神ー神田明神ー湯島聖堂ーニコライ堂巡りとか予定してるんだけどね。いつになるんだ~。
今まで見たお墓の中で、ダントツだよね~
梅は遅くなりそうですね。
また、いっぱい写真撮ってUPしてね
護国寺ー旧雑司ヶ谷宣教館(休館:月曜)ー雑司ヶ谷霊園<またまた墓所巡り?と思ったらパス。一応ねここで眠ってる有名人は小泉八雲・竹久夢二・夏目漱石・東条英機など)ー和菓子・群林堂さんで名物のまめ大福購入ー鳩山会館(休館:月曜&入館料500円)ー東京カテドラル教会(都庁の丹下健三設計)ー椿山荘(かつては山縣有朋の別荘)で終了。まだ詰め込めるけど…。
どうだろう~?ご検討下さい。