あられの日記

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本門寺にある有名人のお墓

2009年10月07日 05時33分40秒 | 墓所巡り
歴史有る池上本門寺には歴史上の有名人が眠るお墓も多々あります。
でも事前に調べていたお墓は一個だけ。
●トップの画像「狩野探幽の墓」
狩野永徳は徳川幕府の御用絵師として活躍した人です。淡麗な画風で狩野派の「中興の祖」と言われる人物。そんな探幽が存命中に建てたといわれる墓は、周囲からひと際目立つひょうたん形。酒とっくりにも見えるが、墨つぼを模して作られたという説が有力です。『大田区ウォーカー』より
隣接して供養碑が建ててあり、探幽の事績が刻まれています。そっちも込みで画像を撮りたかったのですが、なにしろ現役の墓地なので通路が狭くて…。
この池上本門寺は思いっきり歴史があります。でもあなたの近所にあるお寺と同じ墓地もあります。墓地は本門寺がある小山の周囲にぐるりと展開していて、とても広い。その上、お墓を守る人がいなくなると撤去されてしまうのです。そして空いた場所に新しく墓を建てる。つまり、墓地は時代毎に整然と並ぶなんてことはなく、江戸時代に建てられた墓の隣に今年建てたばかりの墓があったりして、探すのはとっても大変。
狩野探幽のお墓は特徴的な形をしていたので、根性さえあれば見つけられます。つーか、もし一般的な形だったら探せなかったと思う。
お参りしときました。ついでに「絵がうまくなりますように」とも。
次行ってみよう。
●加藤清盛一族のお墓

画像の背後に見えるのは本門寺の本堂です。
池上本門寺も関東にある神社仏閣ですから、関東大震災もしくは太平洋戦争で被災しています。
日本の建築物は燃え易い木材や紙を多量に使ってますから、燃えると灰燼に帰す。
昨日紹介した松涛園の歴史的会見の行われた茶室が残ってないのもおそらく…。
池上本門寺は浅草の浅草寺と同じように、神楽坂の毘沙門天と同じように、鉄筋コンクリートで再建されました。
なので、建物の写真は撮らなかったのね。
加藤清盛一族のお墓も石塔が一部壊れてました…。
●紀州徳川家のお墓

いや~、探した探した。探す気になって墓所をくまなく探してもそれっぽいのがあちらこちらにあってね。これがそうっ!てわからない。
どうやって確定したのかと言うと、なんか池上本門寺歴史ツアーをやっているオバサマ達を案内している物知りな年配のおじさんを見つけたんです。
おじさんが言うには「ここ、昔は周りを鉄柵で囲って鍵なんかつけてなかったんだよ。いたづらする不届きものがいてねえ…」どこにでもいるよな。迷惑な人って!
ここに暴れん坊将軍8代徳川吉宗の奥さんのお墓もあります。
●力道山のお墓

実は本門寺で一番参拝者の多いお墓だと思う。
だって、お参りに来た人の為に『力道山のお墓はこっち』の札があちこちにあるんだもん…。
右の胸像はプロレスの団体の制作したもののようです。
制作者が裏にズラズラと書かれてます。プロレスの好きな人なら選手の名前をいくつも見つけられると思います。
●その他のお墓

お墓を探して墓地をうろうろしてる途中に様々な時代のお墓も見たのですが、上の画像のお墓は異彩でした。もしかしたらその道では有名な人かもしれませんが、私は存じ上げない方でした。
ち~な~み~に~…。
紀州徳川家の一族のお墓に隣接してみかけた「チロのお墓」というのもありました。
どうみても、愛犬のお墓だろう…。つーか、一般庶民のお墓より立派な石材の基壇を組んであるぞ?
田舎のお墓に比べるもんじゃないんだろが…。あんまり多種多様なので、ここの墓地は見応えがあります。
お墓マニアという人が世の中にいるならお薦めかもしれん…。
ちなみに池上本門寺は日蓮宗の総本山です。

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