あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

鼠小僧の墓

2012年03月08日 04時50分53秒 | 墓所巡り
回向院はどこだっ!?
ええ。又ですよ。またっ。迷子ですぅ~~
何故?何故なの??回向院って有名なお寺なのよ。ならすぐにわかって当然でしょ?なのに何故見つからないの~~。
小路をうろうろ彷徨っていたら、道路にこんなんがあったので近いハズなのよっ。ここから100メートル以内にあるハズなのよっ!!

回向院の入り口発見!到着時刻は15時47分。
つーか、有名なお寺の入り口がコレッてマジかっ!?あり得ないだろっ!!
つーか、画像をよく見て。吉良邸跡約左へ二00M
ちっ、こっちを先にすればよかったぜ!
開門時間:朝9時より午後5時まで。(閉門時の扉の乗り越え厳禁)
回向院…突っ込みどころ多すぎる

さて、回向院には有名なお墓があります。

や。私もね最近ディープな墓所巡りをやってまして、有名人のお墓もそこそこ見てるのでお墓スキルだいぶん上昇してると思ってたんだけどね…
鼠小僧次郎吉の墓
何コレっ!おかしいだろっ
なぜにお墓の前にもう一つ、新しい墓石が置いてあるのか?しかもこれ、形が変だっ!!
む?何か書いてあるんですけど。こちらの「お前立ち」をお削り下さい
え?これって墓石削るの前提ってこと??
……何か置いてあるんですけど

墓石の基盤の石にのっかってるちっこいのは墓石を削るための石ですよね?
恐る恐るやけに白い墓石に触ってみた!
んぎゃぁぁぁぁぁああああ~~~
わあぁ~、私の指が真っ白…や。私の頭ン中が真っ白じゃ
や。鼠小僧次郎吉は有名人ですよ。水のお供えが置いてあるし、供花も新しい。
でも彼は盗人だっ。最後は貼付け獄門になった人!
そんな人の墓石を削るってどないな人がどないな理由があって?????
分けわから~~~んっ!!
あ。説明板発見…「鼠小僧供養墓 墓石の高さ100センチ 幅710センチ 奥行き55センチ
台石の高さ35センチ 幅116センチ 奥行き78センチ
石組みの基壇の高さ65センチ 幅150センチ 奥行き130センチ
碑の正面には「天保2年8月18日」「俗名 中村次良郎之墓」
「教覚速善居士」「道一書」
裏面には 大正十五年十二月十五日 建立
左側には 永代法養料金 伍拾圓也 細川仁三 と刻まれている。
鼠小僧は寛政9年(1797)生まれの実在の盗賊であり「武江年表」によると天保3年(1832)8月19日に浅草で処刑されている。
「甲子夜話」によれば、武家屋敷にのみ押し入ったため、庶民からは義賊扱いされていると記されている。
後に幕末の戯作者河竹黙阿弥が権力者である大名家に自在に侵入し被権力者である庶民に盗んだ金を配るという虚構の鼠小僧を主人公とした作品を世に送り出したことから人気に火がつき、演劇界においては現在まで続く当り狂言の一つとなった。
明治12年1月の朝野新聞によると歌舞伎の市川一門の一人である市川団升が、狂言が当たった礼として碑と永代供養料10円の寄付を行うほどの熱の入れようであったと伝えられており、施主として刻まれ墓の横にも石灯籠を寄進している。
細川仁三とは市川団升のことであるとみる説もある。
文学界においても、芥川龍之介が「戯作三昧」「鼠小僧次郎吉」「復習」と三度題材に取り上げるなどとしており虚構の鼠小僧の人気は高い。
江戸時代犯罪者には墓を作ることが禁止されていた。しかし歌舞伎や狂言での成功によって、祈願対象物としての墓の仏養成が生じこの供養碑が作られたと思われる。
*他方、供養墓の前にある小さな供養碑は正面に供養墓同様「教覚速善居士」と刻まれているが、別名「欠き石」とも呼ばれるものである。
鼠小僧の墓石を欠き、財布や袂に入れておけば、金回りが良くなる。あるいは持病が治るとも言われ、成就した人びとの奉納した欠き石は数年ごとに立て替えられ続け、現在までに数百基にも及んでいるという。
発生時期は不明であるが、明治18年(1885)に初演された河竹黙阿弥の「四千両小判梅集」には台詞の中でこの信仰のことが触れられている。
「この供養碑は変貌著しい墨田区と歌舞伎とのかかわりを示す資料でもあり、そこにはまた庶民のささやかな幸福追求の対象物としての価値も含まれる」(墨田区史より)
も、ツッコミどころ一杯です。
でも削って消えた墓石。新しく作り直す墓石の費用がどこから出ているのか?と疑問だったんですが、願い事が成就した人の奉納なんですね。
にしても~。数年毎に立て替えられ、現在までに数百基に及ぶってそれは吹き過ぎでしょう!!
だって初めて供養墓が出来たのって大正15年12月なんだよね?って西暦に直すといつだ?1926年!って事はまだ100年経ってない~~。数年毎に立て替えて数百基だと計算合わない~~。や。珍しいもの好きの江戸っ子!流行りの頃は、1年持たなかったこともあるやもしれん…。ご利益が金回りが良くなるであれば、あやかりたいと願う人も多いかもじゃ。なんだかな~。
ちなみに、大正15年といえば、大正期の最終年。ついでに調べた。大正天皇は12月25日に崩御。んで昭和と改元。それから年末までのわずか6日間しか昭和元年はなかった!!へえ~へえ~へえ~~!!
ん??
確か昭和天皇って亡くなったの1月じゃなかったっけ??
調べた。
昭和天皇は1989年1月7日に崩御されてました。自動的に昭和64年は7日間だけだった。へえ~へえ~へえ~~!!
ちなみに、文中青字にした河竹黙阿弥・芥川龍之介ですが、回向院がら徒歩すぐの所に住んでました。木札も立ってることと思います。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 赤穂浪士討ち入りの現場 | トップ | 猫の恩返し »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

墓所巡り」カテゴリの最新記事