あられの日記

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猿島要塞

2015年10月20日 05時43分48秒 | 歴史散歩
説明板発見:猿島要塞とは
要塞とは、外敵を防ぐための防御施設です。猿島の要塞は東京湾口の守りを固めることを目的として、明治時代中期に明治政府が建造しました。

全ての施設が岸壁を掘り込んで造られているので、島の外からは、まったく見えない構造になっています。
さて、露天掘りの幹道を歩いてみましょう。
幹道に沿っていくつかの部屋が並んでいます。小窓のあるのが兵舎で、窓の無い部屋は弾薬庫です。弾薬庫のすみには、真上の砲台に弾薬を運ぶためのものと思われる井戸のような穴が開いています。
さらに進むと幹道はトンネルに入ります。トンネルの壁沿いにも、壁を掘り込んで二階建ての部屋が造られています。これらの部屋も兵舎や弾薬庫のほか、病室や司令室として設けられたと考えられます。
このように猿島の要塞は、数々の工夫がされた見事な要塞でした。しかし、関東大震災で一部が崩壊したことや、飛行機や長距離砲が急速に発達したことにより、実践で使われることはありませんでした。
その語、猿島は第二次世界大戦中に軍事施設として復活しましたが、砲座や監視所などは新たに造られ、赤れんがの要塞は手を入れられることなく、現在まで残されたのです。
へえ~へえ~へえ~。




見学者です。猿島要塞見学ツアーに申込んだ人だけが入れます。11時45分出発の見学ツアーがあったので申込もうとしたのですが、さすがに大勢がロナルド・レーガン見学に来たのに入れなかった人が猿島に流れてる関係で、受付は終了しててツアーに入れませんでした。これはスカたびの企画でして、猿島専門ガイド協会に申込めば、1ツアー辺り3000円にてガイドさんつきでまわる事が出来ます。事前に申込んだ人が一杯のようで、この日はガイドツアーが何本も開催されてました。途中でツアーの解説場面に行き当たる事数回。とびとびで解説が耳から拾えて面白かったです。


弾薬庫。
説明板には:切り通しの東側には兵舎と弾薬庫が交互に遊び、小窓の無いこの部屋は弾薬庫として使われました。アーチ状の入口は、この先のトンネルと同じフランス積みレンガ構造物です。部屋の隅には井戸のようなたて穴があり、これを使って真上の第二砲台へと弾薬を運んでいたと思われます。また別の弾薬庫の地上には、地下の弾薬庫と連絡を取るための円形の土管を利用した伝声管も見つかっています。」とありました。



なんかこの辺りはドラマで見た気がする。金田一少年の事件簿だったような~??違うか?

赤れんがのトンネルです。
あ。説明板発見。フランス積みれんが建造物
日本でのれんがによる建築は、幕末の長崎に始まり、文明開化とともに全国に広がりました。しかし、そのおとんどは地震や老朽化により失われてしまいました。近年の日本建築学会の調査によると、明治20年以前のれんが建築物は、現在、全国で22件が確認されているのみです。猿島の要塞跡もそのひとつで、愛知県産の品質の高い赤れんがを用いて、明治時代中期に建造されました
ところで、れんがの積み方は、大きくは「フランス積み」と明治20円ころから主流となった「イギリス積み」に分けられます。
この要塞はフランス積みによるもので、フランドル地方(ベルギー西部~フランス北端にかけての北海沿岸)で発達したため。正式にはフランドル積みといいます。
フランス積みのれんが構造物は、もともと数が少なかったこともあり、この要塞跡も含めて全国で4件が確認されているのみです。
このように猿島の要塞跡は「エキゾチックな雰囲気」もさることながら、建築史上とても貴重な建築物といえるのです。」
へえ~~。
 
トンネルの中にも構造物があります。司令部もここにありました。現在はトンネルの中の構造物は入口が塞がれてて見学出来ません。

こちらは反対側の出口です。

トンネルの出口には更にトンネルが。


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