あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

旅を3倍楽しむ方法。

2016年03月02日 17時46分08秒 | インド旅行記
本日ブログ記事3本目です。
旅も楽しく消化してゆき、旅の仲間ともそこそこ会話が弾むようになった頃何人かに聞かれた事がある。
あなたはどうしてそんなによく知ってるのか?(または楽しめてるのか?)
あなたは私の3倍旅を楽しんでるよね??と。
なぜそんな事を聞くのだろうか?私にとってはこれが普通なんだか?????と。

毎回旅に出ると私が必ず困る事が2つあります。
1)寝れない。
メモを見たらね、大概夜の10時頃に寝て翌朝2時に起きてるの。4時間も寝てれば充分という人もいると思うけど、あと2時間は寝たいよな。インドと日本の時差はマイナス3時間半。ちなみに2015年4月の旅先ベトナムはマイナス1時間でした。だから旅の間は日本時間で動いてたようです。
旅の達人達はどうして時差を解消してるのか?と尋ねたら、「睡眠剤を利用してる」と答えてくれた人がいましたが、まあ個人差でしょうか?私は結局インドの旅の間中寝れませんでした。そして帰国便の飛行機の中でデリーを飛び立った記憶はあるのですが、途中ダンナに「ごはん」だと起こされ
少し食べたのは覚えてるんですけど、あとは起きたらもう成田まであと少しという爆睡をしてしまいました。どうやら時差慣れするのに1週間はかかるらしいね。私。本当に面倒だわ~~~。
2)便秘する。
ベトナムでは幸い毎食生野菜とフルーツが豊富に出て来たので便秘する事はなかったのですが、インドでは生野菜が出ない(出ても野菜を洗うのにミネラルウォーターを使ってないから生野菜を食べるなと添乗員に言われる)フルーツも豊富なのですが、インドで食べていいフルーツは、皮付きのものだけ。カットフルーツは瑞々しさを演出する為に水をかけてある場合がある。その水でお腹を壊す。と半ば脅されてました。ミカンやバナナ。リンゴと皮付きのフルーツをおいてある事もあるのですが、ランチのレストランではデザートでフルーツは出ません。紅茶はこの時とばかりにバカバカ飲みましたが、うんちが出ない~~~っ!!もうね。最高にお腹が張ってた時は、乳首より腹の方がせり出してるんじゃないの??という程辛かったです。みんなはどうしてるのか??ちくそ~~~。野菜を食べないと生きて行けないのが日本人なんだぁ~~~~~。
今回は本当に辛かったです。
さてと。本日のデーマからそれまくりました。

そんなこんなでどうせベッドで横になっていても寝れないのなら時間のムダ。寝るのはきっぱり諦めた!ネタの書き出しや明日の観光先の勉強をすればいいじゃない!
っな事で、ある夜…もしかしたら早朝に書いたメモのネタを紹介します。
旅を3倍楽しむ方法
旅に出る前に日本で資料を集めること。
資料例1)図書館で『旅の指差し会話ヒンディー語』より、必要最小限のページをコピーして、必要な事のみメモ帳に貼付ける。
具体的に例を上げると、香辛料(総称)=<ヒンディー語>=読み方 マサーラー。 クミン=<ヒンディー語>=読み方 ジーターといった具合です。
この時カラーコピーでそのものの図解も合わせてコピーしてあると使い勝手がいい。実際使えました。リピート・アフター・ミーがありましたが…。
かつての海外旅行には『旅の指差し会話』の本そのものを持っていけば…。と持参して観光した事もあったのですが、本を読み込んでないと使い勝手が悪いです。自分が欲しいページを探す時間がムダだし、不必要に焦ってします。それよりは、ピンポイントで買いたい品物の名前だとか、欲しい布の種類の名前とか、色の名前とかピンポイントでコピーして見せる方が相手に短時間で分かってもらえて使えます。
でもさ、インドでは普通にツアーで訪れるレストラン・土産屋・ドライブイン(土産屋つき)・ホテル・観光地などにいるインド人は殆ど英語が話せます。あと、観光地やホテルで会う外国人観光客も殆ど英語を話ので、ヒンディー語の『旅の指差し会話』より『旅の指差し英会話』をコピーして貼っておけば更に使えたと思います。
後はそうだね。北インドの旅では、ジャイピールはラジャスタン語・ヴァラナシはヴァラナシ語といったように、ヒンディー語が現地語でない地域の旅もありましたが、コアな街中にいかない限り大概は英語で。そうでなくともヒンディー語を共通語にしようとインド政府が学校の授業は基本ヒンディー語でやってるので、若い人程ヒンディー語が読めますし通じます。

資料例2)book-off巡りして、インドのガイドブックを買う
うちから自転車でいける近所のbook-off3軒程まわったのですが、結構買えます。みんな旅だつ前にガイドブックを購入して帰国したらBook-offへ売る人が多いようですね。
購入例として、『地球の歩き方'09-'10」200円。「るるぶインド(2010/8発行)」180円 「arucoインド(2010.4発行)」260円 「イラスト会話ブック インド ヒンディー語+英語(2007.11発行)」 510円。あと必要なページだけ切り貼りして捨ててしまったガイドブックが1冊(購入価格200円)でした。
旅先でバスにはショルダーバックと小さいリュックを持ち込んでました。リュックに常時入れてあったのはるるぶとarucoの2冊。
旅の途中からはるるぶはバスの中でメモ帳の下に置き、下敷き変わりにも使ってました。なにしろインドの道は悪くてね。メモを素早くかつ後々の為には出来るだけ読める字を書く方法を思考索後してたのですよ。旅の最後の方は「座席に両膝を揃えるように座り、膝の上にショルダーバックを台変わりに乗せ、更にるるぶで安定させ、メモ帳に前屈みで書く」という姿勢でやってました。案外使えた。

資料例3)図書館でインド関連の本とDVDを借りる
DVDはNHKの世界遺産のインドを見ました。あとインドのエッセー本2冊。ムガル帝国の本。『地球の歩き方'10-11」だったかな?インドの旅で訪問する場所のみ見たり読んだりした。
気をつける事?旅の直前に情報を入れ過ぎると混乱する。あれだ!テスト前に詰め込み過ぎると答えの選択肢が3択5択が選べない~みたな?

資料例4)訪問する観光地の写真を複数の旅行会社のパンフレットから切り抜きして当日観光する場所の切り貼りをA4サイズの紙を作る。
これは実際に観光した時に、パンフレットに載せてある同じ場所から撮影するのを忘れない為の工夫です。
大概パンフレットに乗せてある写真は、旅行会社一押しの場所で撮影したものが多いけれど、実際その場所を訪問したら、ガイドさんの話を聞くのに夢中になりすぎて、後から「この写真の場所見てない!」と後悔したりしますからね。
自分で写真の場所を探す自信がない場合、ガイドさんがガイドしてない時にあらかじめ写真を見せて「この場所が来たら教えてくれ」と頼んでおくと保険になります。
けれどツアー客の数が多いとそれも忘れられる可能性があるので、写したい・見たい写真をその観光地で手放さない&ガイドさんやその街のみのガイドさんや添乗員に見せびらかすのが効果が高いです。個人差もありますが、「ここだよ」とか「このポイントから撮影してる」と知らせてくれたらラッキーです。
あ。ど~してもこの写真だけは絶対に押えたい!という場合は別ですが、やり過ぎると旅仲間から顰蹙を買うのでほどほどにがいいかも?現地の街ガイドさんは逆に聞けば聞く程教えてくれます。だから、現地の街ガイドさんの名前だけはその街に着いて現地ガイドさんが紹介された直後に覚えましょう。覚えるのがムリ!な残念な記憶力の私の場合、左手の甲はとっさのメモ帳変わりに使ってました。
実際この旅では、ジャイプール・ヴァラナシは確実にその街限定のガイドさんがつきました。アグラは…現地ガイドがいたかどうか既に覚えてないから自信がない。これは現地で話してるのがヒンディー語でないから現地ガイドさんがつくのだと思います。確かジャイプールの現地ガイドさんは「ドイツ語なら得意」という無口なおやじだったわ。ドイツ語…遥か彼方の大学生時代に選択した第二外国語だったんだけど…。

ここまでが旅立つ前にする事ですね。

現地にて。 前夜に絶対翌日の訪問地の見取図を手持ちのメモ帳に書き写す。
今どきのIT機器を使いこなしてる人は違うかもしれませんが、私は覚えるために一度書き写す作業を入れないと覚えられません。特に観光場所の配置図や建物の見取図などは手書きで書き写しておくと、実際に観光して周る時に自分がいる場所がわかるし、土地勘というか建物の東西南北や観光順を記憶済みなので便利です。
ツアー客が多いと、次に向う観光ポイントを先に人がいないタイミングで撮影出来るし、写真を撮る時に人物が入ってしまい、これじゃあ日本の観光地みたいじゃん!~とかが減ります。建物の見取図を写す時に見逃せない観光ポイントも合わせてマークしてると更に便利です。

観光の現場では、イヤホンガイドを聞きながら、昨夜書き写した見取図で観光ポイントを先回りしたり、ツアー仲間から少し離れた場所を撮影する。
私が申込んだ旅行社は、観光の時にイヤホンガイドをつけてガイドさんのお話を聞くスタイル。観光地では他に多くの国の観光客やインド人と一緒になる事も多い。そういう時に雑音を気にせず回れるイヤホンガイドは便利です。体感で屋外なら50mくらい離れてもイヤホンの音か聞こえてたような…。屋内は石の建物や遺跡が多かったので、そこまで離れられなかったけど、一部屋先は離れてOKだったと思う。撮影はストレスなく出来ました。
ちなみに、撮影のポイントやカメラの設定変更の仕方などは、考えなくとも出来るまで日本や前夜にガイドブックを読み込んでおくのが望ましい。現場で見たいページを探したり、マニュアル本片手に撮影するのは時間がもったいないです。観光の現場では頭をガイドさんの話を記憶する事に割り振りましょう。そして観光が終わったら即、覚えている内にガイドさんの話を書き出します。出来れば渋滞中のバスの座席・レストランで料理が出て来るのを待つ間・トイレの待ち時間・ホテルのチェックインの待ち時間などをフルに利用して、忘れないうちに前夜に書き写した見取図や、事前に切り貼りした観光地の画像の隙間やメモ帳に書き込みます。ただし、この時に旅の仲間から顰蹙を買う覚悟がいります。私はすっかりヘンな人の呼称をほしいままにしてしまいましたっ!でもさ。年をとったせいか、最近は記憶が続く時間がどんどん短くなってます。もうね、旅の最初の方はともかく、寝不足と連日の無茶の疲れで旅の後にゆくにつれ、メモの数が減ってるの。なぜって、せっかくのガイドさんの話をとびとびにしか覚えてないというのが敗因です。
でもまあ旅仲間が私の3倍旅を楽しんでるというのは、おそらく現場で歩きまくってる(本来なら走りたいものですが)私の一連の行動を見ておっしゃったんだろうか?ま。実際楽しみまくってるのは事実です。

ホテルの部屋に入ったなら、荷解き、シャワーの前にとにかく覚えてる事・思いつく限りのネタを書き出す。
旅はな、記憶と健忘の狭間をゆらゆらしてるんだよ。スーツケースを開けるのは後回しじゃっ!スーツケースを開けたらやる事が一杯だからね。そしたらつい荷物の整理だとか、明日の服の準備だとか洗濯だとかで頭をそっちに使ってしまいます。しかしそれじゃあアカンのですよ。忘れる前に!!がキモなのですよ。忘れそうならば、既に書いたメモを読み返す。読み返したら、まだ覚えてるうちに書き漏らしを書き足すのです。全ては忘れずに記憶を留める工夫です。
ぶっちゃけ書き留めたら忘れても「文字」を見たら思い出せるんです。こちとらかつて詰め込み勉強を強いられた世代です。この訓練は嫌と言う程やらされたからね。
うわ~~、自分で書いておきながら、どんだけ残念なモーレツ詰め込み時代の学生生活だったのか…。ゆとりのキミ等には分かるまい。更にはIT機器が自分の記憶を残してくれる世代にはなっ!
つーかさあるんだからITを使いこなせよって事ですよね。これが出来たらこの過程はぶっちゃけ全て作業から削除出来ますし。
~~~ムリでぇ~~すっ!書いて見て、声に出して読んで聞く事が私が覚えるベストの方法なのです。

ここからはローテーションです。
当日の観光のアレコレ、ガイドさんの話。バスの中で聞いたアレコレを清書し終えたら、翌日の準備開始です。観光地の見取図をメモ帳に書き写す。
明日の観光地を、ガイドブックの該当ページを熟読する。
いわゆるテストの一夜漬けと同じ作業をする。と思えばイメージし易いでしょう。
ここまで旅先で出来る事です。
ここで残念なお知らせが…。
記憶力は疲れが溜まると落ちます。実際、旅の終わり頃にはメモの書き出しがありません。もうね。集中力も下がってて記憶力が低下しちゃってます。ちゃんと睡眠出来れば少しはマシなのに。寝れない自分が悪いんですが…。

帰国便の飛行機の中でやる事は?
旅の間書き残したメモや日々ガイドさんにしたQ&Aやホテルの部屋で夜清書した紙を見直して、抜けてる事を書き足す。ついでにホテルに備え付けの便せんを飛行機に持ち込んで書き忘れたネタの洗い出しをする。とある夜のメモに書いてあるんですけどね。
いや~~~、これは計画倒れに終わってしまいました
既出ですが、私は帰国便がデリーを旅立った直後に寝落ちしちゃったのです。もうね。かすかにドリンクサービスでもらったオレンジジュースをほとんどこぼしてしまったのは覚えてるんだけどね。こぼしたジュースがどうなったのか覚えてないし、2回出たハズのミールですが、内容すら覚えてません。つーか、私はミールを食べたのだろうか?添乗員さんが旅のお別れの挨拶周りに来たのはかすかに覚えてるんだけど…。内容となると??…ダメダメでした。

帰国直後にあれこれする前に、洗濯もスーツケースを開けるのもあと回しでもいい。ネタをかき起すこと。
これも計画倒れです。
ダンナが会社から帰国日は可能な限り早く休日出勤しろ!とインドまで連絡が届いたのでその対応で私もつき合ってしまいました。成田から最寄り駅まで空港バスで戻ったならその時間も取れたでしょうが、京成ーJRー小田急を乗り継いで移動したので出来ませんでした。そして帰宅後もあれやこれやと…。
ダンナを送り出した後は気忙しいままにうっかりお掃除したり洗濯したり買い出しに出かけたり食事を作ったりと、速攻普段の日常作業をやってしまい…。旅のあれこれなんかやる気にもならなかったものな。アホか~~~っ!そうなるから事前にわざわざ自分のするべき行動を書き出したハズなのに。計画?それ美味しいの?私のバカ~~~~っ!!
帰国の翌日からは、旅行前に診療予約を取っていた病院を3つそれぞれ別の日に通院したりして、旅の事に集中出来なかったのもマズかったね。んで油断して帰国から2日目にインフルエンザにかかってしまい、熱に浮かされ、更にはお薬を飲んで強制睡眠の合間に病院通いで記憶が日々消えてます。
まあ撮影したデジカメ画像チェックも撮影した携帯電話の画像チェックも未だ後回しでなんとかネタを忘れる前にとブログ記事を書いてますけどね。そして杉花粉様が本気を出して飛散を始めてしまいました…ああ~~ようやく風邪薬を飲まなくていい程回復したと思ったら、間髪入れずにアレグラの服用が始まった~~~っ!!どうするの??また眠くなるじゃないっ!!(←今ココ)
まさしく計画倒れです、なんとか書き留めてあるネタ分だけでも忘れない様にブログ記事にしてから撮影画像の整理にかかろうとは思ってるのですが…。
とまあ、旅を3倍楽しくする方法のテーマに合ってるかどうかは分かりませんが、自分的には旅行代金の元は捕れた!と満足してます。

しかしこれはパンフレットに書かれた観光場所をもれなく楽しむ方法でしね。

他には海外旅行での楽しみなお買い物です。
ガイドブックを見て欲しい!と思った土産モノやインドの名産品のアレコレは殆どゲット出来ました。(出来なかったのは欲しい度が少し低かったジャイプールのブルーポッタリー(青色の陶器)とヴァラナシのヒンドゥーの神々のグッズとスーパーでうっかり忘れててインドで買うハズだったひよこ豆やレンズ豆といったインドカレーに入れる豆類です)
これらは事前の添乗員さんからの挨拶の電話の時に出来るだけ主張しました。具体的には「ジャイプールでブロックプリントを買いたい」「香辛料を買いたい」などなどです。
旅が始まってからは、旅の仲間にも手持ちのるるぶやarucoのガイドブックを使って解説して欲しい度をお互いに高めたりして見ました!
始めは意図して旅仲間にガイドブックをお見せした訳ではなかったのですが。結果として、みんなでインドの名産品やお土産の情報を共有すると、自分が見つけずともブツを発見出来たり、自分が主張せずとも旅の仲間が「欲しい」と主張してくれる事に気付きました。旅の仲間の買物も充実し買物の機会が増えたのは良かったと思います。逆に予想以上にあれこれ買ってしまうという弊害もありましたが…。
そんなの帰国してから節約すればいいんだ~~。旅は楽しむんだ~~~!!と主張しておこう。ダンナにもそれで許してもらおう。
今回の旅は年配向けのスケジュールを組んだツアープログラムになっています。つまり自由時間が多かったんです。他の旅ならその自由時間を使い自分達で街歩きをします。けれどインドでは出来ませんでした。だから自由時間は「希望者のみ」布の製造工場に行けたり、「希望者のみ」インド名産の紅茶のおススメの店に行けたりと添乗員さんとガイドさんが案内してくれて楽しかったです。
まあ、そういう所はぶっちゃけ価格が高かったんですが。反面そういう所は観光客が頑張って自力で値段交渉の必要が殆どなく。お遊びで「プライスダウン」をやってみる位だから気楽です。また円での支払い&ドルでの支払い&カード払いも出来て便利でしたよ。
ちなみにリーズナブルにお土産をゲットしたい人は、スーパーで計算機片手にまとめ買いがおススメです。
インドには日本のようなスーパーはほとんどありませんが、街によってはないこともないのです。そこは添乗員に主張して現地ガイドさんから情報をゲットしましょう。
インドの治安は悪いので、ツアーの旅ならば個人で街歩きは諦めましょう。何かあればツアー仲間に迷惑かけるからね。実際「このホテルから近いから歩いて行こうか?と思うんですけど~??」と主張しても却下されましたし。女性の場合は特に、ちょっとだけ~も何人かでかたまって行けば~もアカンようです。

旅の間は次の旅の情報を集めるチャンスです。
同じ旅仲間には旅の達人が何人もいます。色々聞いてみるのも楽しいです。今回の旅では「私はこの旅行会社に5000万円以上使った」とかおっしゃっていたツワモノがいました。もう腰抜けるかと思ったわ~~。桁が違うんだもの。その方は金を払えば叶う事なら使う!がモットーな方でした。例えば、BSNHKで特集されるような、絶景の山々を見たい場合。出来る限り車やヘリを駆使し、その先は馬などに乗り可能な限りの方法で、いかに楽に絶景の近くに行くか?考える限りの方法をお金の力で可能にされてましたよ。もうね。世界のあちこちで実際に撮影した動画や写真も拝見しましたが、NHKに勝てる!と思いましたよ。もうね。その画像を見せていただいただけで幸せでした。山の絶景を見るためにヘリをチャーターするのは当たり前。南極点?そんなのヘリをチャーターして行って戻ればいいんやで!あの方の自分の思い描く旅を満喫する為なら金に糸目はつけないスタイルが、あまりに桁違いだったので、うらやましいとさえ思いませんでした。
他には添乗員さんに「今までで一番大変だったツアーってどんなのありましたか?」と聞いてみた。
すると「出発日の3日前になって、フライトキャンセルの知らせがありまして…」
うおっ!!聞くからに大変そう~~。
そんなのどこの国か?と思えば。ウルムチとかいう地名が出てきたのであの辺です。
「日本から飛び立てないという事には出来ないので、早朝発の北京便を乗り継いで~」とか。「緊急にお客様に連絡して、成田に前泊ホテルの手配をしたり~」とても大変だったとか。添乗員さんの話はまだ続く。「そしたら帰国便もキャンセルになって、北京から更に杭州ー羽田に戻りました。あの時はスーツケースをスルーで羽田まで流してくれと交渉するのも大変で~」とか。添乗員さん、ど~みてもまだ結婚前のお嬢さんなのに、会社に酷使されすぎ。昨日この添乗員さんに聞きたい事があって会社に電話したら、既に次の旅の添乗に出てましたよ。…ブラック?つーか、添乗員は体力勝負の仕事なんですね。
秘境の旅は思いがけないハプニンングもある。ちょっとのトラブルならネタになるのでかまわないけれど、大きなトラブルはくわばらくわばら。勘弁です。
あ。旅の情報を集める時は、何月の旅だったか?も合わせて聞くようにしましょう。旅は季節によってがらりと変わります。特に風景を楽しむ度は季節チェックが要注意です。歴史の巡りの旅だとそこまで注意しなくともいいんだけどね。

ブログを見て下さったこれから旅立つ人の旅の参考になれば幸いです。
本日のブログ記事はここまで。あとは…カースト制度とインドの動物パラダイスと小ネタかな?明日で全部書けたら次は撮影画像の整理に入りたい。
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不思議なインドの結婚

2016年03月02日 14時55分21秒 | インド旅行記
デリーからジャイプールへロングドライブ。なんとか日没までにはジャイプールに到着出来ました。
市内の様子はもの珍しく車窓を眺めていたら、前方で「あ!結婚式!」と声が上がりました。
見たいっ!
今では廃れてしまいましたが、日本でも花嫁行列がありましたよね。
あれ??
行列の中にいるの、あれ男性じゃん!
もしかしてこれ、花婿行列なのか?
行列は賑やかです。
2016年4月5日にトップ画像のデジカメ画像を掲載しました。
この画像を解説すると、花婿が花嫁の家に向うパレードです。楽隊と親族の行列。花婿は画像奥の白い服を着てる人。白い馬に乗ってます。

そこへガイドさんの解説が「インドは今結婚シーズンです。
11月~3がちは結婚する月。
4月は結婚しない月。
5月は結婚する月。
6・7月は結婚しない月。新婚の場合、7月は奥さんが実家に一月里帰りする季節。
8月は結婚する月。
9月は結婚しない月。
10月は…(メモの判読不能)
」と。インドってか、ヒンドゥー教徒は結婚式のある月が決まってるのですよ。
なんだって~ェ??訳が分からないよ…。
興味深い話題ですが、何しろ写真撮りたいっ!・ガイドさんの話をメモしたいっ!・日没が近いから手元が暗いっ!の三重苦で座席でてんぱってしまいまして、自分の書いた文字が読めない…。話はブツ切りになると思いますが、インドの不思議な結婚について書きますね。

インド人の99%はお見合い結婚です。しかも、結婚式の当日に始めて結婚相手の顔を見た。なんてことも珍しくないそうです。
ちなみに、見合い相手は占いで決る。更に一度結婚すると離婚はほぼ出来ない。
女性の適齢期は18才から25才まで。30才を超えると結婚出来ない。 25才を超えると売れ残り。
男性の適齢期は21才から28才まで。
厳しい決まりだけど、インドではほぼ100%みんな結婚をする。
ここで質問「なぜインドの人はそんなに早く結婚するのか?」
ガイドさん曰く「インドの寿命は短い。男性の平均寿命は62才。女性の平均寿命は58才です」だって。私が思うに、平均寿命が短い国はほとんど子供が育たなくて全体の寿命を押し下げてると思うけどさ。
ちなみに全体の80%は30才までに結婚するらしい。
といってもどのように結婚相手を決めているのか気になりますよね?帰って来た答えは驚愕でした。
ガイドさんいわく「結婚は仲人が占いで決める。
ええ~~~っ???と思うのは普通の日本人。インド人は不思議じゃないんだそうな。
仲人は結婚する日時も決める。
は?時間ですか??
そう。花婿が花嫁の家に入る時間も決めてるので、あの花婿行列は夕方にやっている。
そこでさっきの賑やかなパレードに繋がるのかぁあ~~~~??
私「え~、確認させて下さい。今花ムコが花ヨメの家に入る時間と言いましたか?」
ガイド「そう。インドには花嫁の持参金制度がある。娘が3人産まれたら、家が傾くとも言われている。逆に男の子が産まれると嬉しくて大騒ぎする」
私「それって花嫁の持参金が一杯入ってくるから?」
ガイドさん「そう」
も。倒れそう~~。日本人には不思議過ぎる。やや、日本にだって結納と結納返しがあるけどさ。さすがに家が傾く程お金はかからないと思う。
ちなみに、田舎の結婚式は3日かかりだそうですよ。
結婚式で男は酒を飲むが、女は飲まないだとか。
離婚は出来ない。ど~しても離婚したい場合は、たっぷりお金をかけて更に5~6年手続きにかかとか。更には再婚はとても難しい。
あ。大前提ですが、結婚は、同じ宗教・同じカーストの人とする。恋愛結婚などない!と言ってました。ちなみにガイドさんは10才年下の女性と結婚したんだって。
まあこれらは全てヒンドゥー教徒のしきたりで、イスラム教徒はまた別だそうです。
ちなみに、インドの占いは、日本の占いと違いとても長~い歴史に裏打ちされた実績を積み上げてみるので、結婚相手の相性云々も占いでわかるんだってさ。
ガイドさんからインドの結婚についての話があった翌日、ジャイプールの旧市街にある世界遺産、ジャンダル・マンタル(天文台)を訪問。ジャンダル・マンタルは1728年に作られた巨大な天文観測機器が各種並んでる場所です。そこで各自の誕生日の星座の観測器を見学。その合間にガイドさんが「私も少しは手相占いが出来ます」と言うので女性の多くがモノは試しと自分の占いと聞きに並んでいました。
ちなみに、数少ない恋愛結婚をした有名人のお話も紹介された。
恋する二人は、インディラ・ガンジーさんの孫と孫娘の運転手だった男です。*運転手と結婚した女性の話は何度もガイドさんから聞いたのに、肝心の彼女の親が誰だったか?について確認をとり忘れました。最初はマハトマ・ガンジーさんかと思ったのですが、いくらなんでも年が合わないので、インディラさんの方だったか?と思いつつ書いてます。違うかもしれません。

少しインディラ・ガンディーさんについて書きますと。
インディラはカースト第一位のバラモン階級の裕福な家に産まれる。
インディラ・ガンジーさんはインド初代大統領ネルー首相の一人娘で、インドの女性政治家です。(マハトマ・ガンジーさんとは血縁関係はありません)。イギリスのオックスフォードで学ぶ。インド帰国後、ゾロアスター教徒の夫と結婚。死別。父、ネルー首相が死去後首相になる。
1984年6月、シーク教徒により暗殺。
インディラガンディーさんはカーストの低い階級に大人気でした。
日本からインドへ向う飛行機は、ニューデリーから南にあるインデラ・ガンジー空港に到着します。
記事のテーマから少し逸れてしまったのでこの話題はここまで。

インドの女性は結婚したら仕事を止めなければならない。
まあダンナさんが許せば仕事を続けられるのかも?ですが、映画やテレビに出る女優はほぼ結婚すると引退。メディアから姿を消します。そういえば、ホテルで働く女性や飛行場で見る女性は若かったな。街中でもあんまりオバさんや老婆を見なかったような…。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。画像解説しますと、画像に写る女性は全てインド空軍の兵士の奥さん達です。
既出ですが、仕事を止めて家庭に入ると、女性は運動不足になり大概太るそうです。
ガイドさんいわく「インドの女性はニュースに興味がない。新聞も見ない。テレビ番組は大好き。映画はもっと好き」と別の日に後追い情報を教えてくれました。

インドの結婚が全く理解出来ない時にアグラの宿泊ホテルのエレベーターでインド人家族と一緒になりました。
その家族の内訳は、サリーで着飾ったおはあさん(母親)。お父さん。若い嫁(サリーで着飾っている)・幼い子供(男の子・女の子)という組み合せ。
翌朝ガイドさんに質問してみた。
「この場合、おばあさんは誰の母親の可能性が高いか?」
他に考えられるのは若い嫁の母親か?というのもあったのですが、ガイドさんは自信たっぷりに答えてくれました。
ガイドさん「お父さんの母親です」
「この一家の家を用意したのは誰だと思うか?」
ガイドさんの答え「お父さんの親。お父さんとは実子の関係です」
なぜに断言出来るのか??
「最後の質問です。家族で一番権力を持っているのは誰か?」
ガイドさん「お父さんです」
カースト制度、訳が分からない。あれか?花ムコで嫁の家に入るのは、家を継げない次男・三男って事なのか??

最後に我らがガイドさんの場合。
ガイドさんはカースト2位のクシャトリア。
カシミール地方の人で、若い頃デリーに出て来て、働きながら独学で日本語を勉強し日本語ガイドになった。
妻は現在カシミールにいる。結婚した時に奥さんは17才だったとか。
奥さんと会えるのは年に1回。ガイドさんが里帰りする時だけ。でもガイドさんは「妻とは今一性格が合わないから、年に一度しか合わないのは喧嘩しなくていい」と嘘ぶいてました。
ちなみに子供は3人いるそうでうが、3人目は妹夫婦に養子に出したそうです。これもインドの不思議な結婚の実例ですわ。

新婚旅行について。
元々新婚旅行はなかった。最近する人もいるけどダンナさん次第。
新婚の花嫁は大概赤いサリーを着ている。アグラの南にあるファテープル・シークリーの観光中に新婚旅行中のカップルに出会いました。
2016.4.7左のデジカメ画像を追加しました。
赤いサリーを着てる人は多いのですが、新婚かどうかの見分け方があるそうで。ガイドさん曰く「花嫁は腕に何本も腕輪をしている。結婚して6か月経つと腕輪はガンジス川に沈められるので腕輪をしてる彼女は新婚さん」
バチバチ写真を撮りまくる日本人にガイドさんは「ダンナさん優しいです」と。どうだろ?花婿は「私の美人な嫁を見てくれ」って事かな?

ふう。この記事はここまで。メモにはあれこれまだ書いてあるけど、「判読&解読』しないと訳が分からんのじゃ!ギブアップです。たぶん私達がもっと知りたい話題だと思うのでもっと書きたいのですがね。無念~。
あと書くのに時間がかかりそうな大物テーマは「カースト制度」か…。私自身がカーストを理解出来てないので書きにくいんだよね。でも仕事とカーストについては今書いておかないと、あやふやな記憶が更に忘却の彼方へ消えてってしまうわ~。
今を生きるカースト制度(2016.3.22)の記事
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インドの宗教

2016年03月02日 10時11分29秒 | インド旅行記
私達がインドに行きたいと思ったら、まずは『ビザ』をとらねばなりません。
自力でやるのは面倒くさいので、旅行会社に手数料を支払って変わりにビザをとってもらいました。
すると、「ビザ申請に必要な事項をお尋ねします」と。伺い書みたいなのが届きました。
そこには、私の出生地・父母の名前と出生地・私の信仰する宗教・父母の信仰する宗教といった、日本人ならば気にもしない事柄が書かれてましてね。不思議に思ったのですが、インドへ行ってみて、インド人と宗教との深い関わりを見るにつけなるほどな~。だからビザの申請で詳しくあれこれ書いた書類が必要だったのか~と納得しました。

インドの人口は12億5200万人(2013年現在)で中国の13億5700万人に続き世界第二位を誇っています。
そしてインドは他宗教国家です。多様な宗教を信じる人々が、比較的平和n共存して暮らすと言う…。世界では今、宗教対立で大荒れな国がいくつもあるのですよ。もうそれだけでも不思議な国インド!と思いました。
では、どんな宗教をどれだけの人が信仰しているのか?信仰する人の多い順に並べてみましょう。
第一位 ヒンドゥー教徒 全体の82%。インドの人口が12億5200万人なので、信者の数がインド国内に10奥8924万人。
第二位 イスラム教徒 全体の11%。インドの人口が12億5200万人なので、信者の数がインド国内に1億3772万人。 この数字は1億2730万人(2013年現在)の日本の総人口に匹敵。
*ちなみに、世界史を習ってれば覚えてるかと思いますが、インドに住んでいたイスラム教徒は、ガンジーさんの英国支配の植民地から独立する運動が終わったドサクサで、まとまってもともとは同じインドだった場所に、パキスランというイスラム教徒の国を建てて出て行きました。パキスタンの人口が1億8210万人(2013年現在)なので、もしインドがもとの領土のままであれば、中国を抜いて世界一の人口を誇っていたかもしれません。まあ、中国もモンゴルやらチベットやらかつては…となると泥試合なので比べるものではありませんが)
第三位 キリスト教徒 全体の3%。 信者の数は3800万人。
*インド内のキリスト教徒は南部のケララ州やゴア州に多い。
第四位 シーク教徒 全体の2% 信者の数は2504万人。
*ターバンを巻いて髭を生やしてる映画やアニメに出て来るインド人のイメージはこのシーク教徒です。北部のパンジャブ州に多い。
第五位 仏教徒 全体の1%。 信者の数は1252万人。

第6位 ジャイナ教徒 全体の1%。 信者の数は1252万人。

第七位 拝火教徒(ゾロアスター教徒)およそ0.5%。信者の数はごくわずか。

第八位 ユダヤ教徒 ほぼ0% ガイドさん曰く6人のみ。しかも最近イスラエルへ引っ越したとか。
これでインド人の信仰する宗教の順位が出ました(ガイドさん発表に基づく)。
しかしインドの旅で重要だったインドの宗教についての話を今まで記事立てするのをためらっていたのは自分のメモが判読しづらいという「何だそりゃ!」だけども切実な訳の為。でもさすがに順位発表だけでお茶を濁すのはあんまりなので、メモの判読と添乗員さんがくれたコピーを下にインド人が信仰してる宗教はどんなものなのか?軽く解説しときます。

ヒンドゥー教は、インド国内最大の信者を誇る宗教で、インドの文化に深く根付いています。
ヒンドゥー教は古い歴史を持つ宗教で、バラモン教から聖典やカースト制度を引き継ぎ、土着の神々や崇拝様式を吸収しながら形成された多神教です。
バラモン教は紀元前1500年頃にヴェーダ聖典を成立させ確立。紀元前5世紀ころに政治的な変化や仏教が起り変貌を迫られた。結果として、民間の宗教とバラモン教が同化してヒンドゥー教に変化した。
ヒンドゥー教には、カースト制度(出自別の身分制度)・牛を食べない・輪廻を信じるなど、現在も文化に留まらず、人々の生活習慣や制度にも深く根付いている。
*カースト制度は別建て記事で紹介します。もうね。日本に届くインドのニュースときたら、カースト問題の末に起こる事件しか報道されてませんが、もうね。もうね。インド人には常識なのでわざわざ言うまでもない事ですが、日本人には理解不能なあれこれに多々出会いまして大変なのね。一例を上げますと、「インド人は鉄製品を一切買わない日がある」。日本人からすればナンセンス!なんだけど、ヒンドゥー教徒は固くその日は鉄製品を買いません。

イスラム教は、既出で紹介しましたが、もしインド独立のどさくさでインドに住むイスラム教徒が国を出てパキスタンを作っていなければ、今頃はインドには3億以上のイスラム教徒がいた計算になります。なぜにそこまでイスラム教徒が多いかというと、インドにはかつてイスラム教を奉じる帝国があったのです。その名もムガル帝国。世界史の授業でも習った事のあるアクバル大帝の国ですよ。
ムガール帝国の祖は自分がチンギス・ハンの血筋で、モンゴルの血が流れてるからとモンゴル=ムガルと帝国の名前にしました。由来はとんでもですが、ムガル帝国は16世紀初頭から英国の植民地支配を受けて滅ぶ1852年まで続きました。
ムガール帝国の代々の権力者が作ったあれこれは、タージマハルやアグラ城など多く残っていて、現在世界遺産になってます。
確か、アグラの街の人口の3割はイスラム教徒だったような…。現在も北インドから中部インドにイスラム教徒が多いのはその名残りですね。ガイドさん曰く、イスラム教徒は手先が器用で、細かい作業が得意です。大理石の細工のお土産品を作ってるのは彼らって言ってましたね。
ちなみに、歴史上ヒンドゥー教の寺院の素晴らしい神様や動物達の彫刻を「偶像崇拝禁止」と壊してまわったのも彼らですね。

キリスト教徒は仏教徒よりインドに多く住んでるのは、日本人からするとびっくりです。しかしインドにキリスト教が入って来たそもそもは、大航海時代に由来します。ぶっちゃけ、世界史の授業でも暗記させられた、1498年ヴァスコ・ダ・カマのインド航路発見がまさにインドにキリスト教(カトリック)が入った理由です。だから現在もインドのキリスト教徒は南インドの沿岸部に多くいるのだね。なんつーの?南インドのケララ州では、人口の3割がキリスト教徒なんだって。昨今はヒンドゥー教徒のうち低いカーストに所属する人々やカーストにも入れない人がキリスト教に改宗してるとかなんとか。
あ。これは蛇足ですが、逆パターンのヒンドゥー教徒でない宗教の人がヒンドゥー教に改宗した場合、ヒンドゥー教徒としてみとめられるが、カーストは一番したになる。と聞いたように思います。それって、ヒンドゥー教徒が全体の82%を占める国にあって、人生が詰む事に等しいからそんな人は殆どいないよな。

シーク教徒の男性は、既出のごとく頭にターバン・長いひげをはやしていて、一目で信仰する宗教が分かります。旅の最初から6日の午前まで、バスのハンドルを握っていた運転手のラジさんはシーク教徒でした。
シーク経は16世紀にナーナク導師を教祖として始まり、教義は、ヒンドゥー教とイスラム教を理解した上で発展したものです。
具体的には輪廻転生を肯定。偶像崇拝を否定。カーストを否定。
シーク教徒は「人の上に立つ事」を使命とし、人に使役されることを禁じられています。技術を身につける事を使命として、教育レベルも高く、政治家・実業家を多く輩出しています。
カーストや宗教による食事の禁忌がなく、海外に出やすかった為、シーク教徒は海外にも多くいます。日本でかつて活躍した、タイガー・ジェット・ジンもシーク教徒。名前に「シン」がつくのはシーク教徒の特徴です。
ちなみに、「女性のシーク教徒って特徴的な外見ってあるのか?」と尋ねたらば「他の教徒と殆ど変わらない」とのことで「ならサリーを着てるの?」と続けて聞いたら「そう」と答えが帰って来た。
シーク教徒は髪を切らないそうで、ターバンの下には5~8mの長さの髪があるとか。一旦ほどくと、くしがないとまけないので、ターバンにはくしが入れてあるとか、髪を巻くのに20-30分かかるとか。髭も今年に入ってまだ剃った事ないとか。私ら日本人からみたらシーク教徒の決まり事も大変そうに見えますね。バスの運転手がシーク教徒だったので、ガイドさんがあれこれ質問してくれて、中には「シーク教徒はラッキーが大好き」「シーク教徒はタバコを吸わない」「シーク教徒は軍人が多い」とかも紹介してくれました・
そういえば、アグラの街ですれ違った、軍隊のトラックの運転手もシーク教徒だったね。

仏教はインドで産まれた宗教ですが、インドにで信仰してるのは人口の1%しかない!
びっくりです。
世界の三大宗教でもある仏教なのに、仏教が産まれた地では信者も少ないが知名度も低い。
聖地巡礼ってあるじゃない?ブッダが修行したり活躍したりした場所に行きたい!と世界中から僧侶や歴史好きがインドにやって来るというのにです。
今回の旅ではブッダが始めて説法を行ったサルナートを訪問しましたが、そこにいたのは殆ど外国から来た僧侶のツアー客やら観光客だったものね。しかもかつて隆盛を誇っただろう寺院は既になく、壊れた跡地ですわ。それはあんまりなので、各国が命名に新たに周辺に寺院を作ってるという…。ショボかったです。
しかし今は仏教の歴史を書かねばなりません。
仏教は紀元前5世紀頃、シャカ族の王子・シュダールダが生老病死という根本的な苦しみや煩悩から人々をすくうため、自ら得た悟りをもとに説法をはじめたのが始まりです。それが弟子に口伝で受け継がれた。
紀元前3世紀マウリヤ朝のアショカ王によってインド全域(スリランカ・パキスタン・アフガニスタンにも)に普及する。
2世紀にガンダーラのギリシャ・ローマ文化とふれあうことで、仏像が生まれた。それまでは仏舎利(ストゥーパ)を信仰していた。
その後、中国に伝播。朝鮮半島から百済へ。日本に到達するのは538年。
中国に残る仏教彫刻で有名なのは、アジャンタの石窟寺院(全て仏教)。近くのエローラの石窟寺院は、仏教・ジャイナ教・ヒンドゥー教の混在したもの。
最近は、インドの仏跡が各国の支援で再建、修復されている。

ジャイナ教の戒律はとても厳しい。歴史は古く、起源は今から4000前とか。日本でいえば縄文時代ですね。
開祖は24代ジャイナのマハーヴィーラです。マハーヴィーラの生涯は諸説あるもののブッダと似た境遇で、ビハール州の王子として生まれ、30才で出家。12年の苦行の末悟りを得る。一説によると、ブッダと同一人物では?ともいわれている。
ジャイナ教の名前はサンスクリット語で『勝利』から派生した『完全なる悟りに達した者』を意味します。
時折暇ネタや面白ニュースで紹介されるインドのとんでも人間はほとんどこの信者のようで。
ちなみに、ジャイナ教の僧侶は裸です。服を着ません。パンツもはきません。靴もはかないのでハダシです。髪を抜いて頭のツルツルなので、ジャイナ教の寺院を見分けるのは簡単です。
5つの教義「不殺生」「真理」「不盗」「無執着」「貞節」を守ることが義務づけられている。
虫を吸い込まないように、マスクをする僧侶も多い。
予言者がいる。ヤサイだけを食べる。
日本人から見るとホームレスより酷い大概な暮らしのように思いますが、厳格さゆえ商人として成功し、ダイヤモンド研磨ビジネスでは、世界の80%を握ってるとか。インドの税金の24%はジャイナ教徒が納めてるとか。裸暮らしなのに、お・お金持ちじゃん…。というツッコミを入れたい程ですね。

拝火教(ゾロアスター教)は、インドではごくわずかしか信者がいないのですが、私でも知ってる有名人が拝火教徒なんだよね。
それは20万円の車でニュースを賑わせたインドの自動車の最大大手の『タタ』の社長が信者なのです。
確か、ニューデリーだったかなぁ?閣僚らが住む一等地に「タタの社長の家です」と聞いたような…。タタの車は国内に多く走ってました。噂の20万円の車、nanoは実物や新聞広告を見たので、後日画像を掲載したいです。(まだiPhotoに取り込んでないんかい!というツッコミはその通りです)

最後にユダヤ教徒ですが、そもそもインドにいた6人ポッキリのユダヤ教徒は、ケララ州に住む一家のイスラエル人で、ガイドさん曰く「もうイスラエルに引っ越した」そうなので、インドの宗教を語る時のネタとして締めくくりに話された気がします。
このようにインドでは自分の信仰する宗教が大切なのです。
はあ~。ようやく書き終わったわ。これが予想出来たから後回しにしてたのよね。
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