あられの日記

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塩船観音寺

2012年05月19日 05時08分56秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
●塩船観音寺は山号を 大悲山 と称し、寺は地名の塩船をつけて『大悲山塩船観音寺』と申しております。
塩船とは、周囲の地形が小丘に囲まれ、舟の形に似ており、仏が衆生を救おうとする大きな願いの舟である「弘誓の舟」になぞらえて塩船と名付けられたのです。
●大化年間(646-650)に若狭国の八百比丘尼が一寸八分の紫金の観音を当寺に安置したのが開山と伝えられ、貞観年間(859-877)には安然和尚が十二の坊舎を建て興隆を極めたと伝えられております。
●当寺のご本尊は十一面千手観世音の木彫立像で像身四尺六寸(1、4メートル)鎌倉時代(文永元年1264)の作にして宋朝様式の影響を多分に受けてます。(以上、塩船観音のチラシより)
山門を抜けると、阿弥陀堂が見えて来る。それがトップ画像。
とりあえず参拝。
なぜにか、石燈籠が茶席の茶筅とか器とかが彫られてます。なぜに~?つーか、これ以前にもどこかで…。どこだったかな~~??ハートに見覚えが…。
思い出せん。
阿弥陀堂の左手に入山料の支払い場所があります。確か300円だったような。
さて。その先にあるのがコレ。
都天然記念物 塩船館音の大杉です。
実は参道の左右に2本立ってます。
説明板発見:指定昭和28年11月3日
観音堂登り口の両側に立っており、左側のスギは目通り幹周り6、96メートル。高さ38.6メートルある。右側のスギは目通り幹廻り5、86メートル。高さ41メートルで、共に境内樹叢の中心の位置を占めている。
スギはスギ科に属する常緑樹で、幹は直立し、高さ40メートルにも達するものがあり、この日本のスギはともに都内にあるスギの巨樹である。 昭和44年10月1日
参道を上ると広い空間に出た。そこにあったのが薬師堂。

説明板発見:塩船観音寺の開基および再興は、八百比丘尼・行基などの伝説があるが、貞観年間(859-876)に天台宗の安然が比叡山から七社権現を勧請し、阿弥陀堂・薬師堂および12僧坊を建立したという。
この薬師堂は、桁行三間、梁行二間、木造、寄棟造り、茅葺き、一重の小仏堂である。
建築年代は不明であるが、河辺が竪羽目板壁目板打ちであること、天井がなく屋根下地が直接見えるなど素朴で簡素な趣きがある。堂内には藤原仏と推定される薬師如来像一躯を安置している。
昭和46年に解体復元工事を行い、現在に至っている。
なかなか趣きのある薬師堂です。なんつーか、日本昔話に出て来る建物みたい~
薬師堂から更に階段を上がった所にあるのが本堂(観音堂)です。

こちらも趣きのある茅葺きのお堂です。
ここは一つ観音様を見て参拝したかったのですが…。
ムリだぁ~~っ!!
中に入れません。入口から参拝。
上の画像の左奥に見えてるのが裏山の斜面を覆うつつじです。
んが。その前に。
銅鐘
説明板発見:この銅鐘は、銘文にあるように寛永18年(1641)3月、住職法印智賢の本願により、杉本坊権大僧都良忍の菩提を弔うため、市内南小曾木の近藤曾惣太郎が施主となり大工(鋳物師)・桜沢市兵衛盛次が鋳た鐘である。
この桜沢市兵衛盛次は、現羽村市五ノ神に居住していた中世からの鋳工集団の一派の棟梁であり、多摩周辺には彼等の鋳造になる銅鐘がいくつか現存している。
今井の薬王寺に伝わる市内裏宿住の島村照恩製作の鐘とともに、製作者が明らかで、青梅近在にて鋳造されたことなど、この経緯が解る銅鐘としても貴重である。
文中に出てきた「今井の薬王寺」は、つつじの隠れた名所です。塩船観音のつつじを株分けしたとか。いつか訪問してみたい。
さて。明日は塩船観音寺を訪れる人びとの目的。つつじです。

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コメント
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