あられの日記

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最乗寺の境内

2012年02月03日 05時22分43秒 | 箱根・小田原周辺
大雄山最乗寺の訪問のおススメは、初夏のアジサイの季節と秋の紅葉の季節だと思う。んだからして、紅葉の記事をまずはご覧下さい。
大雄山最乗寺の紅葉2011(2011年12月4日)の記事 こちらを参照してから今日の記事。最乗寺さんの境内を紹介しますね。
瑠璃門をくぐると広場があります。ちなみに休憩も出来ます。
ベンチや飲み物の自販機があるのだ。
ベンチの背後にある細長~い建物の壁にこんなのが。
そして正面奥。階段を上がった所にあるのが本堂。

昭和29年再建。間口15間。奥行き12間。昭和を代表する仏教建築家、伊藤忠太の設計。ええ、私のブログに何度も出て来る伊東忠太さんです。…最近の登場は、江の島の児島神社。あれも彼の作品です。
本尊は釈迦牟尼仏。脇侍に文殊•普賢両菩薩を祀ってあります。
でも最乗寺さんはこっからが凄いんだな。画像奥左へと進みます。

上の画像右奥が本堂。左手前が開山堂。昭和36年再建。開祖了庵慧明禅師尊像等、歴代住持霊牌を祀っています。総檜づくり。
開山堂の正面に金剛水堂が。
「当山創の時、道了が自ら井戸を掘り。土中から鉄印を得たが、これが当山の重宝の御金の印である。その跡から霊泉(金剛水)が湧出、以来600年、この霊泉を飲むものの諸病を癒していると伝えられている。
…飲むの忘れた…。
鐘楼。
画像を取りそびってしまいました。こんなんしかなかった~。
ちなみに、鐘楼の階段を上がると石碑があります。これ、お墓なんですよ。
画像右は松平大和守直基(なおもと)のお墓。
「松平大和守直基は徳川家康の次男である結城秀康の五男にあたります。越前勝山城主を経て越前大野、出羽山形へ移封の後に姫路城主となりましたが、姫路へ向かい途上で発病し、慶安元年(1648)、江戸にて45歳で死去しました。直基の遺骨は大雄山最乗寺に葬られ、寛文10(1670)年に兵庫県姫路市の書写山円教寺に分骨されました。…これって、アレだ。映画「ラストサムライ」でトム・クルーズが撮影した所。
直基の墓は、将棋の駒形をした安山岩製で、高さ400センチ、幅135センチ、厚さ94センチ。
直基の墓が大雄山最乗寺に建立されたのは、時の権力者徳川将軍家と大雄山最乗寺との関係の深さもさることながら、直基自身が大雄山最乗寺に対する信仰が深かったことに由来すると考えられています」説明文発見。
多宝塔。
文久3年(1863)建立。多宝如来を奉安、方形層上円形木造二層の塔。南足柄市の重要文化財に指定されている。
さくさく説明を進めてますが、辺りには巨大な杉がたくさんあります。
道なりに進むと結界門です。

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