あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

その30)夢の超特急あじあ号

2010年08月17日 04時46分14秒 | 旅順・大連旅行記
春先にgooブログの体験版があって、その時「閲覧記事」の多い記事はどれかな~?と確認したら『アサガイモ』
2009年3月3日の記事
でした。アサガイモはアサガオとサツマイモが合体した植物です。
今日紹介するあじあ号は、かつて南満州鉄道で一番早かった車輌です。アサガイモより検索回数が多い記事になるといいなと思います。

私はどちらかと言えば鉄道好き程度。撮り鉄の方の車輌の萌えツボがわからない~。どこを写すべきかわかりません。だから、私とダンナが撮って来た画像を増量してお届けしますね

あじあ号の機関車は大連に現存してます。旅のパンフレットに「満鉄のシンボルでもあった特急列車アジア号の展示をご覧いただきます」と書いてあって、楽しみにしていたのですが…。

バスが止まったのは工場のようで…。こんな所にあじあ号が??アレ??大層な展示室を夢想していたので拍子抜け。
疑問を抱きつつ、少しだけ期待してわくわくわく

なんんじゃこりゃあ~~
だ…大事にされてない…。
で、でも、これ、何か、アニメのオープニングとか、お宝発見のノリの保存方法という良心的な解釈も出来るかも??

あじあ号の説明板が壁にかけられていました。説明文を読んでみる。
『1934年日本製。長さ25,675メートル。旅客機関車。
この列車は日本川崎重工株式会社が日中戦争の時に生産して、生産量はわずか12台でした。そのうち3台は日本で組み立てた後、中国大連に輸出しました。他の9台は部品を大連に運んで、大連機関車車輌敞で組み立てました。戦争が原因でこの12台の機関車は全部運行させたばかりでなく、あの時に新京(長春)ー朝鮮プサン、新京(長春)ー大連の間に高級豪華旅客列車を牽引して、東北地域内に運行しました。「アジア号」と命名されたが、日中戦争が終るまで、戦利品として「ヌ17」に改名しました。戦後瀋陽機関区に配備されて、瀋陽ー長春、大石橋、大連間の旅客列車牽引車になって活躍しました。
この機関車は流線型のデザイン、駆動輪径2メートル、構造スピードは時速130キロ、自動石炭添加システム、給水予熱器を整備してます。この旅客機関車は当時最先端の技術を代表しました』だそうです。
形式:パシナ
総重量:203トン
全長:25、7メートル
動輪直径2メートル

車輪がでかいでしょ?

全幅3.4メートル(車体の下の方のスカートみたいなとこにある金色のライン…。なんだか手書き風味たっぷりのような…?もしかして、最近塗り直したのか??あり得る…

あじあ号は1934年11月1日に大連ー新京を8時間30分(表定速度82.5キロ)、1935年9月に大連ーハルピンを12時間30分で結んでいました。食堂車にはロシア人女性のウエイトレスさんがいたんだって。
以上、添乗員さん作成の資料より抜粋。
側面です。

保存してある倉庫が狭くて、これ以上離れて写せません。
背面です。
 


せっかくなので運転席へあがってみた垂直の鉄のはしごをせっせと上がる。
車輌が巨大ということは運転席も大きかったです。撮影には失敗しました。だって暗かったんだもん…。
最後に記念撮影。
前面に上ってみたいいだろ~。じ・ま・ん
ちなみに、自分もあじあ号を見て見たい~と思った方へ場所のヒント!(旅行雑誌にも載ってないと思うので)
2010年7月現在、あじあ号はここにあります。

大連市の北側、露西亜風情街の近く、港側にあります。(露西亜風情街から徒歩圏です)
何が驚いたって添乗員さんが「私どものツアーは比較的年配のお客様のご利用が多いんですが…。『私はかつてアジア号に乗ったことがある』とおっしゃる方がいたんですよ…」へ…へえ~~マジかぁ??
既出の記事に『私はかつてヒトラーを見たことがある』のネタのインパクトに継ぐ衝撃具合です…。
YHAOO!で検索かけてみた。(ヒトラー 来日)答え:ヒトラーは日本に来たことありません。と出ました。
なんかねえ、ヒトラーを見たという人の言うことには、「小学生の時、動員されて青山通りだか靖国通りだかで旗を振りました」とのこと。なんだかコメントがリアル…。もしかして、本人は来日しなくとも、影武者は来たのか??いや、当時小学生の記憶というのは信用出来るのか??
近代史はそれ以前と違って今なら鮮度はまだ新しい。まさか自分が歴史の証人と気づいていないだけで、今ならまだ情報収集ギリギリで間に合うんか~?少し前ならば、戦争=タブーで口を噤んでいたけど…ってこと?
う~~む…。謎だらけだ。
ヒトラー来日の事実をご存知の方いません?

追記:2012年3月19日
ヒトラー来日の件について、ブログを閲覧した方から書き込みをいただきました。ありがとうございます。
「来日したのはヒトラーではなく、ヒトラーユーゲント(子ども親衛隊)」だったとのこと。
それって…。映画『サウンド・オブ・ミュージック』にも出てたアレかもしれん。トラック一家を通報した少年。あれがヒトラーユーゲント?
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その31)ロシア風情街

2010年08月16日 04時01分56秒 | 旅順・大連旅行記
ほどなく、バスが止まったのはロシア風情街。
かつて中国東北部を満州と呼んでいた時代、在留邦人は児玉町と名付けられた一角を露西亜町と呼んでいた。この辺りは今「我羅斯風情街」と呼ばれている。露西亜(日本語)も我羅斯(中国語)も、ともにロシアを意味する。
バスが止まったのはトップ画像の建物の脇。
この建物はロシアが設立した東清鉄道汽船の事務所が置かれていた建物で、後に日本が接収。現在は東方適し芸術博物館となってます。もっとも建物は当時のものじゃなく最近当時のままに復刻立て直したらしいです。

トップ画像の建物の左側には、中国国内で作られたと思われる、我羅斯土産物屋さんが軒を連ねています。

ロシアと言えば、マトリョーシカなのでしょうか?

大連は海に近く、海産物の土産物屋さんも。

入らなかったけど、この建物も1階は土産物屋さんが数件入ってました。
 
今やすっかり一角は観光地となってますが、よ~く見ると歴史に彩られた建物がちらほら。


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その32)旧満鉄本社

2010年08月15日 04時50分58秒 | 旅順・大連旅行記
ロシア風情街のつきあたりにあるのがトップ画像の建物。大連がダーリニーと呼ばれた時代の市役所です。
日本が清朝がら租借した遼東半島の行政を司る関東州民政署として、その後は関東都督府民生部として使われました。
さらに東京で発足した南満州鉄道(通称:満鉄)が大連に移転した際には、ここに最初の本社が置かれている。

満鉄本社の移転後は、初期の大連ヤマトホテル、満蒙資源館などとして使われ、革命後は大連自然博物館にもなった。博物館が移転した1998年以降は使用されていない。

画像は東清鉄道の技師長で大連(ダーリニー)市長も兼務したサハロフが暮らした赤煉瓦の市長官邸が残っている。現在は船舶
技術学校。

下の地図の右端のクリーム色にあるのが東清鉄道汽船の事務所があった建物。
左端のピンク色の建物が旧大連市役所&旧満鉄本社
左の黄緑色の建物がダーリニー市長公邸

上の地図の左端の黄緑色で枠をつけた場所が下のホテル

ちなみに、地図の左の空色の丸いのは噴水です。現在は使われてないようです。

通りのビルの1階。英国で見かけた1階が半地下。地下の部分に光が届くような作りの建物です。
15時20分、ロシア風情街を後に、宿泊ホテルへ移動。

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その33)大連のホテルと晩餐

2010年08月14日 04時24分52秒 | 旅順・大連旅行記
ロシア風情街を15時20分に出発。15時30分に宿泊ホテル到着。すぐ近所です。
添乗員「希望者はスーパーにご案内します。そこで大連名物アカシア100%はちみつを販売してる店にご案内します。集合時間は16時45分1階ロビーへ」
中々に魅力的。つーか、今回の旅で買い物を全くしていないので、お土産を仕入れとかなきゃ!
それでもすぐに散歩に出れば、1時間の余裕があったのですが…。
宿泊のホテルニッコー大連(大連日航飯店)は高グレートでした

ウエルカムフルーツもありました(食べなかったけど~)14階からの眺望。
アメニティもグレート高っ。バスタブとシャワーが独立。

NHKBS海外も入ります。インターネットも出来ます。客室内の飲料水は有料ですが、一人1本ペットボトルの水は無料。

16時45分。バスに乗り込んでやってきたのはスーパーカルフール!
 
皆さん、アカシアのはちみつ屋さんに群がってましたが、私的には中国の食料品を購入したいんです。
つーことで、食品売り場へ。時間が足りない~たのしい~~
カルフールって日本にもありますよね。フランスの少し高めのスーパーです。
スーパーは17時40分まで。一端ホテルに戻り荷物を置いて今度は晩餐へ出発。
目的地は海鮮料理で有名な天天漁港というレストランです。
本日は旅の最後の夕食なので、飲み物は旅行会社もち。嬉しいんですけど、私、医者にアルコールを止められてるので、飲めないんだよ~残念だ。ああ、残念だっ
せっかくなのでメニューを少しだけ紹介
まずはヒラメの刺身
画像の両端に写っているのは前菜4品の一部です。刺身を食べた後皿は回収され、残った骨は後に骨せんべいとして再び登場しました
蒸し小アワビ

蟹の葱と生姜の炒め物

韮とイカの炒め物

これ何だっけ?たぶん牛肉の黒胡椒炒めだと思います。
たまたまテーブルが男性中心の席になりまして、皆さんアルコールをがんがん飲みまくりっ。しかも、かつては●●物産や●●商事で偉い役についていた人ばっかりで、話が全くわからず…。や、企業の裏側の話はそれなりに面白かったですが…。でもあれですね。たった4日ぽっちの旅で、あんまり知らない人同士で晩餐しても疲れるだけですね。私はこういうの苦手なので、普通にご飯で充分です。晩餐は19時40分まで続きました~。
ホテルに戻ってまずする事は、携帯電話の充電です。ホテルニッコーは充電も便利でした。
旅行会社持ちの紹興酒です。




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その34)大連旧日本橋

2010年08月13日 04時07分47秒 | 旅順・大連旅行記
7月8日、旅の4日目。どうも空模様が怪しい気がする…。でもまあ大丈夫だろう。と出かけたのはホテルからすぐの勝利橋。
かつて大連が日本の租借地だった時代には日本橋と呼んでいた橋です。
ロシアが最初に建設した海よりの地域と日露戦争後に開発が進んだ地域を結ぶ橋です。
でも橋といいつつ、橋の下は河ではなく、線路です。全長90、4メートル。1908年に建設。鉄筋コンクリート製。つーか、鉄筋コンクリートって20世紀初頭にもうあったのか?びっくりじゃ!

バロック様式の装飾が見える場所を探してみたのですが…。なかなか難しく。上の画像の場所を見つけたものの、邪魔な植物がっ!

早朝というのに、既に始発便は動いているようですね。

橋のすぐ近くに大連駅があるので、しばらく見てたら次々といろんな車輌がやって来ます。撮り鉄の人におすすめっ
ここからは旧日本橋のアーチも見えるんですよ

実はこの橋面白い作りなんですよ。

上の画像は前日に撮影したものですので、車の通行量が多いですが、中央にね欄干があるんです。
橋を渡り切ると、前日ツアーで訪れた露西亜風情街。実は土産物屋のない街を見たいと思ったのです。
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その35)がっかり朝の露西亜街

2010年08月12日 04時12分30秒 | 旅順・大連旅行記
昨日訪れた露西亜風情街へ早朝再び来た理由。
それは土産物屋がない静かな街を見たかったからなのですが…。なんでや~~
トップ画像をご覧下さい。
ブルーシートに覆われた土産物屋さんがズラリ。ええ、そうなんですよ。土産物屋は通りに常設してあったんです。もう異国情緒台無し…。
画面が暗いのは雨まじりの空模様というのもあるのですが、時間が早いからですね。

まだ5時を回ったところです。でも既に開いてる店があるのが驚き。旅順でも感じましたが、中国の朝は早いです。既に観光バスも来てます。

ふらふらと通りの突き当りまで散策。昨日見た旧大連市役所の所で右へ。こんなマンションがありました。

日本と違って、中国ってベランダってないんですね。これ、今までに紹介した旅でも何度が画像を紹介しましたが、ベランダがないんで洗濯物は更に外に吊るすことになって見た目に危ういです。

病院ですね。
期待はずれの朝の露西亜街を後にホテルへ戻ることに。

路面電車発見!つーかもう動いてますよっ!!まだ6時前だというのに。どんだけ朝が早いんや~~。
ホテルに戻り朝ご飯。
ホテルニッコー大連の朝ご飯はバイキング方式。6時からということで散策から戻った足でレストランに一番乗り。既に様々なメニューが揃ってます。特に日系ホテルとあって和食メニューが豊富に用意されてます。旅の空の日本人にはありがたい。

でも私が大量に取って来たのはパンそれもおやつテイストの奴食べたかったんや~~~。と朝から心ゆくまでパンをいただきました

鼻血その後。
何が辛いって鼻がかめないことだったり…。
酷暑でも風呂に入れんのは、なんとか我慢出来ますけど。(入院した時に1週間風呂に入れなかった経験があるので、まあ諦めましたけど…)
右の鼻にカサブタ付きのでっかい鼻くそがあるんですけど、もう息する度に気になる…。でも剥がしてまたまた鼻血を吹いたらと思うと出来ない~。あ~、気になる~~。という状態です。
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その36)大連中山広場

2010年08月11日 04時13分57秒 | 旅順・大連旅行記
7時1階ロビー集合。朝は自由行動です。が、『希望者は昔の面影がそのまま残る中山広場と、路面電車に乗って満鉄本社(実費一人70元必要)へご案内』とのことで参加することにしました。
後から思い返すに、ツアー行動せずに、自力で回るべきだったと後悔しました。理由はこのあとすぐ。
宿泊ホテルのホテルニッコー大連から中山広場へは徒歩で5分ほど。

中山広場は円形広場で、大連はロシアがダーリニーと呼んでいた時代に設計された。周囲には大連を代表する建物が配置されました。広場を中心に、放射状に路が伸びてます。

トップ画像は中山広場に面して建つ関東通信局。1920年竣工。大連市役所を設計した松室重光が設計。現在も大連郵政局として活用。



レトロな郵便ポストです。これが大連の標準的なポストかは疑問ですが。


隣の建物へは路を横断しないと行けません。しかしっ!信号はありません。歩行者は自動車優先の道路を車の切れ目を狙って素早く渡るのです。日本では歩行者優先ですが、中国では車優先です。自分で安全を確保してねが基本。

まてこら~~!!添乗員っ!!後を確認しろやっ!!!
なんだか、一度に渡れなかった旅仲間はそれぞれムッカリっ!
この添乗員ってば年齢49才の男性なんですけど、一切後ろを見ないんですよ。マイペースで先へ先へと進むだけ。それも結構なスピードで。
繰り返しますけど、ツアーの仲間達はほとんど退職後の人。しかも80才超の人もちらほら。そういう人が49才男性のスピードについていけると思うのかっ!!しかも建物を見物しながらっ!!
言って置きますが、今急ぐ理由はないんですよっ!
つまり添乗員が気にしているのは『中山広場を好意で案内しました』という事実だけ。会社に報告しなきゃいけませんからね。
彼にとってツアー客の安全に気を配ることは必要ないことのようで…。なんでこんなに厳しく言ってるかと言うと、横断歩道はあっても信号はないんだよね、円形の中山広場の縁に配されている建物群を見るには、放射状に伸びる路をいちいち横断して移動するのですが、彼は一度も後ろを確認したり遅れた人を待たなかったんですよっ!!
…もちろんこの行為に怒った人は私だけじゃなかったようで、アンケートには怒りの抗議が数通旅行会社に届いたらしい。ザマ~ミロっ!う~~ん。この旅行会社を利用してるのは、少々旅行代金が高くとも、添乗員の質が高いこと。添乗員は全て社員。というのが売りだったからなのですが…。ボチボチ考え直した方がいいのかも…。

次に登場したのは朝鮮銀行大連支店。

1920年竣工。中村興資平が設計したルネサンス様式の建物。

正面に見られるコリント式オーダーは、大連で最も美しいと言われた。

朝鮮銀行は日本が植民地としていた朝鮮の中央銀行で、関東州や東北の鉄道附属値などで日本円の紙幣を発行していた発券銀行でもあった。現在は中国人民銀行大連市分行が使用している。

解説文は旅名人ブックス『大連と中国・東北歴史散歩 ノスタルジックな街並から日中交渉史を知る』(日経BP企画)より。

幸いなことに、次の放射状の路は横断しなくとも地下道がありました。

通行量の多い路を横断し慣れない日本人。全部の路に地下道を設置してくれよっと弱音を吐いてみたり…。
でも、もしかして、近々地下道が実現するやもしれん。というのも、中心にある円形広場には現在一部フェンスが張られてまして、フェンスの向こうで何をやっているかと言うと、地下鉄の工事なんですね。
ノスタルジックな建物が集う一角ですから、地下鉄の駅が出来たら便利かも。
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その37)ノスタルジックな建物群

2010年08月10日 04時46分23秒 | 旅順・大連旅行記
大連の円形広場、中山広場の縁に建つ建物群をいくつか紹介します。
トップ画像が旧大連市役所(現中国工商銀行)。旧大連大和ホテルと道を挟んで隣り合わせに建ってます。

1919年竣工。設計は松室重光。京都の祇園祭の山鉾をモチーフに設計した中央の塔。和洋折衷建築。

旧大連民政署(現シティバンク&遼寧省対外貿易公司)。1908年竣工。中山広場に最初に建てられた建物。前田松韻が設計したレンガ造りの2階建て。

中山広場から外れてるのですが、ロシアの教会。画像の右旧大連民政署と左旧朝鮮銀行大連支店の奥に建ってます。


大清銀行(現在の中国銀行)
名前がわからない~。

名前のわからない建物その2。確か…劇場とか言ってた気もするのですが。古くない建物と言ってた気も。

旧大連大和ホテルから中山広場へ(中央奥に見えているのは横浜正金銀行大連支店(中国銀行大連分行)です。

中山広場周辺は近代建築が好きな人が狂喜乱舞する建物群があります。でもどちらかと言えば好き程度の我が身としては、写して来た画像を整理して区別するだけでもう一杯一杯です~
中山広場にはこんなものが。

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その38)旧大連大和ホテル

2010年08月09日 04時42分59秒 | 旅順・大連旅行記
旧大連大和ホテルです。満鉄直営ホテル。前出の記事で旅順大和ホテルを紹介しましたが、大連の大和ホテルが最も格が高く、満州一のホテルとされました。現在は大連賓館と名を変えてますが、今でもホテルです。
今日は画像増量でお届けします。






 
せっかくなのでロビーへ。でも宿泊客でないので、ロビーまでしか入れません。





画像撮影を失敗しました。がめんが暗くて申訳ないです。階段と客室へ続く廊下です。
 
ロビーには大和ホテルの歴史を紹介する事物やパネル、写真の展示がありました。宿泊客にはかつての姿を再現した客室や展示室を無料で見る事が出来ます。





今では古びてしまい「大連賓館」と名前を変えてしまった「大連大和ホテル」ですが、かつてはそりゃ~凄かったんでしょうねえ…。
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その39)お気に入りの建物&狛犬

2010年08月08日 04時23分07秒 | 旅順・大連旅行記
中山広場に面している建物のうち、大和ホテルに次いでお気に入りの建物を紹介します。
トップ画像は旧横浜正金銀行大連支店です。1909年竣工。大連でも珍しいバロック式ドームが印象的。現在は中国銀行大連市分行になっている。

大和ホテルから中山広場を突っ切ったのですが、中央で年配の女性達が扇子片手に踊ってました。画像から聞こえませんが、大音量です。
ちなみに、広場の中央からこんな光景も見える。

青いフェンスは地下鉄工事のもの。

建物の正面には中国ではポピュラーなライオンの狛犬が。
 

src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0f/6e/c5ad093cd0629cd6b21a50f3676e8647.jpg">
ホテルに戻る途中、女性の交通警察を発見!聞く所によると、身長170センチ以上ないと採用されないんだって。

中山広場の周辺は賑やかです。

不動産屋さん。日本と同じテイストだ。

単位は元ですので、×15円して下さい。結構なお値段です。
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その40)大連名物路面電車

2010年08月07日 04時58分54秒 | 旅順・大連旅行記
撮り鉄&乗り鉄の皆さんへ自慢すべく、本日の記事は画像増量でお届けします。
大連には路面電車があります。
朝の5時-24時の運行時間で、約5分毎に運行。
料金は乗車1回につき1元。(路線を乗り換えると新たに料金発生)

代金前払い。乗車口にある料金箱に入れるので、1元コインを用意。上の画像の路線図にある<民生街>というのが、ホテルの最寄り停車場です。
何が驚いたって、乗場が道路の真ん中なんですよ。乗客は路面電車がやって来るまで、道沿いで待っていて、来たとなると中央まで道を横切っていかねばなりません。もちろん信号なんかなし!
すんごいですよ。
まずは路面電車の勇姿をご覧下さい。





乗り方は車輌の後ろから。降りる時は中央出口から。

運悪く、15分待ちとなってしまう~。これは一つ前の車輌が故障した為。
おかげでせっかくの乗車体験が超満員電車状態~。
でもポカりと出来た待ち時間。ガイドの楊さんに質問開始。
私「大連市内に駐車場を見た気がしないんですけど~?こんなに車が多いのにどうしてるの??」
楊「歩道に止めてます」
私「ん??」
楊「歩道に車を止めるのは問題ないんですよ」
私「…でも明らかに足りてないですよね?」
楊「はい」
私「どうするの?」
楊「路肩に停めてる人もいます」
私「それって、駐車違反とか言いません?」
楊「はい、そうです」
私「日本じゃ駐車違反したら違反切符を切られて罰金なんですけど~」
楊「中国でも同じです」
私「罰金って安いの?」
楊「100元とかしますよ」
私「それって、結構な痛手なんじゃないかと思うんですけど」
楊「そうです。でも警察が取り締まる場所も時間も分かってますから(きっぱり)」
私「………」
だそうです。合理主義の中国ですから、駐車場を作るのはムダと考えてるのでしょうか?それとも、作っても車を止めるのにお金を払うのはムダと思うのでしょうか?北京ですら『P』『停』マークの駐車場って見なかったと思う。

なんとか1枚だけ車内を撮影したのですが、降りる時は伝言ゲーム状態。

これは満鉄の総裁室見学をしたいと言う客の要望に答え、自由時間内に旅行会社が設定してくれたのですが…。間が悪かったですね。15分待ちの不運は、満鉄総裁室見学時間を削り、買い物時間がなくなるという事態を招きました。ああ…。満鉄の資料が欲しかったのに~。
ついでに路面電車について少し説明。
日露戦争終結後、大連は日本が租借して、ロシアの都市開発を受け継ぐ形で近代的な都市づくりが始まります。都市基盤はこの時出来ました。
なんと!
日本が作った下水道は現在も使用されてるんですって。水洗便所完備。文明都市の象徴アスファルトの道。更に電気・ガスの供給。そして市内交通として路面電車を敷設。
最盛期の路面電車の軌道総延長は、67キロもあったそうです。
かつて、路面電車は3色に色分けされてました。
白は日本人専用。
赤は外国人用。
緑は中国人用。
その頃の車輌と同じかどうかはわかりませんが、レトロな赤や緑の車輌は今でも走っています。
ちなみに、運転手は少し前まで女性に限られていました。日々300台づつ自動車が増えている大連市内。多分に漏れず、大連もまた市内は渋滞に悩まされており、渋滞の一因になる路面電車は度々廃止の議論がされているとか。でも根強いファンがそれを許さないんですって。
無責任は旅人は、旅行情緒溢れる路面電車は大連の市街風景の一部だと思っちぁう訳よ。このままなくならないでいて欲しい~。
(後出の記事で緑の路面電車も紹介予定。楽しみにしててね)

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その41)満鉄総裁室公開

2010年08月06日 04時32分15秒 | 旅順・大連旅行記
2007年、旧満鉄が大連に本社を移して100年が経ちました。それを記念してこれまで非公開だった「満鉄総裁室」が公開されました。合わせて総裁室のある旧満鉄本社2階に「満鉄旧址陳列館」がオープン。満鉄の歴史を知るパネルや当時使われていた食器や腕章などが展示されています。ってなことで「満鉄本社総裁室を見たい~~」と、路面電車で行きました。

路面電車の故障で予定より遅れて9時30分に到着。…なんだかヤバい?だって予定では(10時15分にホテルに戻る)となってるからね。

建物は現在大連鉄道局として使用されています。上の画像の看板の裏には、社屋の歴史が書かれてます。つい最近までここに満鉄のロゴマークがついたマンホールがあったのですが、歴史的価値を認められマンホールは現在どこかの博物館に納まってるそうです。

トップ画像の右端に写っている建物に旧満鉄総裁室の入ってます。
入口の向こうにはどこかの美術館のような内装。

階段を上がると陳列館到着。

残念ながらここから先は撮影禁止。
陳列館を案内してくれるのは日本語ぺらぺらの係の人。やって来るのを待つ間、立ち入り禁止先の廊下を撮影したり。

陳列館は入場料70元。これは旅行代金に入ってないので一人一人徴収して添乗員さんが切符をまとめて買って来てくれます。

陳列館は撮影禁止なので、下の画像はパンフレットから抜粋。
 
陳列館を見た後は秘書室へ。そして総裁室へ。
画像奥が秘書室になります。
同じく撮影禁止だったのでパンフレットより満鉄総裁の机。
画像の机には置いてませんが、実際は黒い旧式の電話が2つありました。なんかねえダイヤルがない。電話機にぐるぐる回すハンドルがついてました。
あと、画像左奥にある棚には天目茶碗と嗅ぎ煙草の壜等が納められてました。満鉄が配ったもののうち、出来のいいのを納めてあるそうで。

説明を聞きながら総裁室の開いていた窓からの眺めです。満鉄9代総裁もこの風景をこの窓から眺めたりしたんですね。
画面の左右に続く奥のアンティークな建物は全て旧満鉄の本社建物です。

ガラスの反射で分かりにくいですが、かつての満鉄の建物です。

陳列館には売店が併設されています。
時間がなくて買い物出来なかった~~。敗因は路面電車が故障してなかなか来なかったから!つくづく自力で来るべきでした。密かに楽しみにしていた満鉄グッズを目の前にしつつ何一つ購入出来なかったんです
この後のスケジュールは10時30分にスーツケースを部屋の外へ。
11時にロビー集合&出発。帰国。ですが、満鉄を出た時点で既に10時10分だったんですっ!もちろん私はスーツケースは既に部屋の外に出して来ましたが、中途半端に時間があるのって困る~。それになんだか頭痛いし~~



と・こ・ろ・で…。満鉄の説明いります?今更な気もしますが、サクッと簡単に。
日露戦争終結の翌年の1906年(明治39年)に設立され、1945年(昭和20年)の第二次世界大戦終結まで満州(中国東北部)に存在した日本の特殊会社です。
鉄道事業を中心とするが、主要株主が大日本帝国政府(50%)だったことから当時の政府の政策と深い関係がありました。本社は大連ですが、1932年に満州帝国が建国された後は新京特別市に本部が置かれた。最盛期には80余りの関連企業があった。

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その42)旅の最後に路面電車

2010年08月05日 04時38分48秒 | 旅順・大連旅行記
10時30分バゲージアウト。
11時ロビー集合。
ぼ~っと待つのはなんだか時間がもったいない。なので、添乗員に断って、ホテルの前の道で路面電車の撮影をすることに。
ホテルニッコー大連の前が路面電車の路線なんですよ。
狙いはズバリ緑の車輌。


続いてやって来たのは新型。

…なんか、変な三輪自動車がやってきたぁ~



自分のスーツケースを確認してバスに乗り込み出発。

市内から周水子空港まではすぐです。え~と?15分位?
空港でガイドの楊さんとお別れ。

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その43)7月8日帰国&お土産

2010年08月04日 05時03分42秒 | 旅順・大連旅行記
路面電車の撮影で旅順・大連の旅の観光はおしまい。
11時、ロビー集合&チェックアウト&出発。ホテルから空港まではほんの十数分で到着。ここでガイドの楊さんとお別れ。
大連の周水子空港はこじんまりとして手続きは順調。売店で親へのお土産を購入。大概最後の最後の空港で購入しなくていいようにしていたんですが、今回は土産屋に立ち寄ってないからな~んも買ってないの。
13時15分。全日空で帰国の途へ。成田までは2時間50分。偏西風に乗って帰りは行きより飛行時間が短い。
となると、行きで見逃したボーンアイディンティティーの主人公をハメた犯人が誰か確かめないと!!
………。やっちまった~。うっかりシリーズの2を再生しちまいました!もっぺん最初からやり直してたら時間切れでまた最後が見られない恐れあり!つーことでシリーズの2を見る事に。
お食事あります。メニューの中にまたも日本ソバがっ!塩の摂取制限があるので、おつまみとか塩辛そうなのはパス。
私、機内映画に集中して気づかなかったんですが、窓際では「富士山が見える~」と中々に盛り上がってたんだって!
何ソレ!?「何で教えてくれなかったの?」と窓際に座ったダンナに訴えた所、「君、映画に夢中だったから。今、邪魔しちゃいけないと思った」だって。。
さて、戻って来ました。成田空港第一ターミナル南ウィング。到着時間をメモってないからわからないんですが、所要は2時間50分。予定時刻は17時5分(時差+1時間)
あっ!と気づいたんですが、私第一ターミナルの南ウィングの利用は今回が始めてでした。もう入国審査の場所もターンテーブルのある場所も税関検査の場所もわから~~んっ。旅の仲間&添乗員とは、ターンテーブルで荷物を受け取った所で解散です。
ですが、全日空が優秀なのか、預けた手荷物はあっと言う間に出て来て、税関の場所こそわからなくて手間取ったものの、検査もスイスイ。
高速バスの発券所の場所が分からなくて手間取ったものの無事発見!
私「相模原行きのチケット下さい~」
販売員「出発時間まで3分ですが、次の便にしますか?」
なんでじゃっ!
私「3分後に出る奴!急いでっ!大人2枚っ!!」
んでもって走りました。
バスの出発時刻は17時50分。定刻。セーフです。飲み物買いたかった~。ま、2時間もすれば到着するでしょう~。
あれ?
あ!スカイツリー!!

4月に見た時とあんまり姿が変ってないような…。
む?何かコースが行きと違う。

なぜに日本銀行本店がっ!渋谷?なぜに横浜じゃないのか??
夏の夜は遅くて、19時過ぎても明るくて楽しい~。

ついでに今回の旅で買って来たものを紹介。
つーか、メジャーな観光地じゃないから名産品とか有名なお土産とかないのですよ。なので、買って来たのは食料品と本という…。紹介するまでもないシロモノです。
まずは大連のスーパーカルフールで購入した食料品。

お薦めは香り干し椎茸。中国のこれとても好き。日本の干し椎茸と比べても味がいいですよ。
キクラゲと白キクラゲ。これらは中国東北地方の名産らしい。
リプトン(立頓)のジャスミン茶。
北京でいただいておいしかった八宝茶。そのおてがるパックがあったので購入しました。友人にもおすそ分け。

旅順の本と地図。

こんなんでした~。
大連の旅行会社から旅の記念に大連名物のお土産をいただきました。かつて植民地時代に日本人が技術を伝えたとかなんとか。切り子グラスですね。

ここでちょっとトリビア
日本でお土産とは最後に渡すのが普通ですが、中国では最初に渡すものです。切り子グラスも旅の初日に中国の旅行会社の人から大連の空港で渡されたものです。覚えてました?

帰国後、当然の如く発熱&鼻水~。大連到着辺りからヤバかったんだよね~。頭痛い気もしたんですが、気のせいと自分を騙してたんだけど、風邪を引き込んでしまったよ
ええ、無茶し過ぎです。体力もあんまりない上に暑さ負けつーか冷房負け
病後のリハビリの旅でもあり、色々心配もありましたが、旅なんか楽しんだ方がいい~
薬を飲んだ後に出る副作用も服用の時間を工夫で乗り切れることも分かりましたし、塩分使用の多い食事も自分で取り皿に取らなければ済むし。アルコール飲むの禁止はちと辛いけど、大好きな中国茶三昧だったし。なんとか体調をやり繰りして楽しい旅でした。
今回、秤にかけて諦めたもう一つのツアー。四川省丹巴7日間の旅というのがありました。

大自然と中国の古鎮を巡る旅霊峰ミニヤコンカ(7556メートル)の山系を眺めながらのバス旅です。

これも心躍る旅だったんですが、心配事が更に2つありました。
それは成田ー北京ー成都のフライト時間。特に帰国便は成田到着が夜の21時。つまり空港バスは最終便が出た後で、鉄道を乗り継いで帰宅しなきゃならない。
更に丹巴の標高が2100メートルだってこと。
どっちも高血圧に悪そうだって思って諦めました。2つのツアーの間でだいぶ心が揺れてました。
で、病後のリハビリの旅としてはハード過ぎるでしょう~。と、丹巴の旅を諦めたんです。
結局旅順を選択し、それに後悔はありませんが丹巴も機会があればぜひ行ってみたい場所です。

長々と旅日記におつきあいいただきありがとうございました。
明日の記事は旅順・大連に行ったからには訪れてみたかった「赤坂迎賓館」。


コメント
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