あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

旧三井家拝島別邸

2014年02月02日 06時00分01秒 | レトロ建築
この三井家の建物は、去年まで公開日に予約制で見学可能の物件でした。手続きが面倒で、いつか~そのうち~と何年もパスしてました。ところが、去年たまたまチェックをかけたらば、見学方法が変更になっていたのです。
すなわち、公開日の公開時間の10分前までに、学園正門に集合する!これだけ。
これはぜひとも見学したい!と。あっこさんを誘って訪問計画を立てたのが去年の10月のことです。ところが、訪問を実行しようとした10月24日(木曜日)、当日は天候が荒れ模様でして延期することに。仕切り直して訪問したのは、11月14日(木曜日)です。
待ち合わせはJR横浜線町田駅。終点八王子駅でJR八高線に乗換えて拝島駅到着。実はこっからが時間との勝負です。なぜなら、集合時間の10時50分まであまり時間がなかったのです。一応拝島駅南口から徒歩20分とあるんだけどね。30分はかかるかも~?なぜって、始めての場所で地図を片手に歩くのは、迷うかもしれんから~。
さて、到着したのは10時45分です。
…見学希望者が多くてびっくりじゃ!何人いるの?20人。いや、30人は軽く集まってるよな。
まあ、待ち時間を利用して軽く撮影しておくか。

この門、金かけてるなあ~。

門の左手に、守衛さんの小部屋があります。(上の画像は帰りにバスの中からの撮影)

つーか、これが学校の正門かよ~~。
あ。
まだ書いてませんでしたね。
旧三井家拝島別邸は、現啓明学園北泉寮なのです。
啓明学園は、敷地面積10万平方メートルもありまして、都内最大級の学校でして、敷地の中には、幼稚園・初等科・中学校・高校まで揃っています。

あ。説明板発見:旧三井家拝島別邸(啓明学園北泉寮) 東京都指定有形文化財(建造物)
三井家の総領である北家当主であった高棟(たかみね)により、昭和2年(1927)に建てられました。客室や居間などの主要部分は、千代田区永田町にあった旧鍋島侯爵本邸の和館を移築したもので、詰め所や台所なを増築して、別邸として整備したものです。
多摩川を望む高台に経つ大規模な和風建築で、広がりのある調和の取れた外観をしています。内部も基本的に和風ですが、客間など一部に洋風の意匠を取り入れた造りとなっています。質が高く、歴史上・芸術上の価値が高いものです。
別邸とはほぼ同時期に建設された正門と、移築前実測具等の建築関係図面は、建築当初の状況を示す重要な資料であることから、附指定としました。」な~るほど!
説明板を読んでいたら、調度時刻となりました。案内人も登場です。
そうなの。この建物は自由見学ではありませんでした。ツアー形式です。
う”…。
ツアー形式は、写真とりつつ説明を聞いてメモも取らねばならんのでヤバいんだよ~。何がヤバいって、やりたい事を全部やるには時間が足りないの~~。
あ。ツアー始まっちゃった!せめて案内人のそばで声を聞かないとメモすら取れないよ~~。
 
歩きながら撮影する。説明もあったんだけど…。メモ撮れなかった…。歩くスピードが早いかも~?

案内人さんは、ツアー説明に携わり6年目の年配の先生でした。
「今グラウンドの所はかつて素晴らしい日本庭園がありましてね。私の子ども等はここで遊んで大きくなったんですよ~」
ン。その情報はいらないや。
でも無駄話の間はシャッターチャンスなのだ。
撮るべし!

撮るべし!

撮るべし~~っ!!!

「こちらをごらん下さい」
いかん。先生が自分話を終えてしまった~~!!

「こちらの杭で雨戸を90度回転させる仕組みになってます」
ああっ!。それ、昔々、どっかで見た事あるぞっ!確かにこういうので雨戸を回転させてたわ~~。

せっかくなので、90度ターン雨戸をさせる上部の画像もおさえておいた!
ってな事で、画像が一杯あるので明日に続きます。
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重要文化財指定の茶室

2013年11月11日 05時08分19秒 | レトロ建築
長々と連載してきた、旧前田家本邸。今日で最終回です。最終回は、和館1階にある茶室です。この茶室も今年重要文化財になったようです。

上の画像左に茶室。右奥に和館と洋館を繋ぐ渡廊下が見えています。ちなみに、この渡廊下も重文指定を受けました。

茶室前の廊下から、渡廊下を見ました。石の使い方が楽しいですっ!
茶室は…。
え~、きっと素晴らしいのであろうと、想像はつきますが、私は茶の湯にはうとくてですね。どう素晴らしいのか、観賞のポイントがわかりません。
ではありますが、画像を撮影したのでそれを紹介しますね。

こちら茶室の天井の網代天井です。小田原の旧黒田伯爵邸(現:清風荘)で見た網代天井よりこちらの方が趣きがあります。床から天井の高さが低い所がこう篭れる感じですね。

茶室の窓です。わざと古びた感じに作ってあります。

大きな開放窓があるのに、にじり口があるのって不思議です。ちなみに、廊下側にも小さなにじり口と、立てってくぐれる入口があります。こうなると、にじり口がある意味がわからん…。まあ、外国の人には出入口は大きい方がいいのでしょうが…。

こちら、茶室から庭を見た景色です。
ちなみに、主室と茶室の間は狭い廊下で繋がっています。

和館を堪能した後、ふと、和館入口の門に目が行きました。
 
なんか、よく出来た指物の如く。いい門ですねえ。こういうのを寸分の狂いも無く!って言うんでしょうね。

和館に大きな石がゴロゴロあったので、和館の外にある溝に使っている石にも目がいきました。枯れ溝のようで、水は流れてません。この構図なんともいえず良いでしょう?来る度に新たな発見があります。

最後に、敷地内にある前田育徳会の建物。こちらもレトロ建築物だなあ~と。非公開ですが、3棟ある建物は国の登録文化財です。
後、ブログ記事を書いていて画像撮影しそびってたのに気付いたのが、正門及び塀。門衛所。和館門及び塀。これらも今年国の重要文化財に指定されたのだとか。
旧前田家本邸に到着したのが、午前10時半。見学して後にしたのが、13時前。なんと!2時間半も滞在してしまいました~。つき合った友人は何も言いませんでしたけど、私の知識欲の赴くままに見学してたらついやり過ぎたっ!ごめ~んっ!
それにお腹がすいたので、小田急線東北沢駅に戻る途中で腹ごしらえ。

駒場周辺を見て回るか?それとも当初の予定通り、東京駅側のKITTE JPタワー内の東大の博物館を見学するか?迷ったのですが、結局東京駅へ移動しました。
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旧前田家本邸和館1階

2013年11月10日 05時12分11秒 | レトロ建築
和館一階は、主室「御客間」と次の間「御次の間」と、合わせて40畳近くなる続き間を中心に、周囲を畳廊下や入側・縁側でぐるりと囲む、特徴的な平面です。「御居間」は伝統的な書院作りで、床・違い棚・付け書院を備えた格式の高いものです。廊下を挟み、居間「小座敷」や茶室が配されます。大広間からは、水を配した日本庭園が望め、庭園内には茶室待合もあります。茶室及び待合は、3代目木村清兵衛の設計になるものです。以上説明ハガキより。
ってな事で、まずは普段茶室として貸出している部屋です。今回始めて中に入りました。トップ画像がそれ。よく見ると、手前にお湯を湧かせるように、畳に細工があるのですが分かりますか?あと。照明ですが、形が前田家の梅形となってます。撮影してみたのですが、私のレトロ携帯は、強い光に弱くて、撮影失敗しました~。やっちまった~。

杉板のカキツバタ。ここもお茶室。この部屋に珍しいものが展示されてました。

トップ画像の奥でお庭を楽しんでる方が立ち去ってから、私も同じ場所に座ってみた。

こんな感じになってます。お庭にはポツポツと石燈籠や石塔が配置されてますが、庭には降りられません。
茶室を出て御次の間へ移動。

これは釘隠しの細工です。城の本丸や、大きな寺院ではちょくちょく見る事があるのですが、さすが加賀前田藩の建物っ!って所です。

お庭へ降りたい…でも降りられません。でもこの素晴らしい石を見て欲しい。和館には素敵な石がふんだんに使われています。石好きにはおススメですよ。

こちらが主室の御客間です。すんごい床の間。でもかつてその辺りは紹介済みなので、今回は1枚おさえて撮影しただけです。
縁側にこんなんありました!

一見座布団置き場なのですが、ここの土壁は何気に素敵です。土壁なのに、表面がキラキラしています。もっと近くで観察してみたかったけど、これ以上近づけなかった~。
さて。普段は御客室と御次の間のみ公開されてますが、重要文化財登録記念で、裏手も公開されてます。ここが素敵でしたっ!

では行ってみようっ!!
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旧前田家和館2階

2013年11月09日 06時13分55秒 | レトロ建築
東京都文化財公開ウィークの一環で、ふだん上がれない和館2階が公開になりましたっ。
う・嬉しいっ!何度か訪れてますが、2階に上がるのは始めてですっ!

2階に続く階段は、広めに作られています。また天井も高く、開放感があります。和館にしてはちょっと変わってる作りになってます。その訳は…。
説明ハガキ発見!:「旧前田侯爵家駒場本邸の和館は、洋館に附属する迎賓館として昭和5年(1930)3月に竣工し、設計は、塚本靖(工学博士)と佐々木岩次郎(帝室技芸員)等です。
木造2階建ての近代和風建築で、洋館の東側に建ち、独立した門構えを持ちます。塀は腰までを割竹打ちとし、門は一間一戸の平唐門(薬医門形式)です。和館と洋館は裏手では渡廊下で繋がれ、渡廊下の意匠は、中央を境に、洋館側は洋風、和館側は和風となっています。
和館2階は寶形屋根を載せた楼閣風の外観で、2階「御居間」の床構えは、数寄屋風を加味したものとなっています」
階段を2階に上がってると、途中にレトロなトイレがありました。

これ、オリジナルかな~?と見ていると、トイレの脇から男の人が出てきましたっ!!
え?と。互いに見つめ合ったものの、男の人は職員さんのようで、「この便器はオリジナルです」って解説して下さった。ラッキー。
「ほらね、ここに『東洋陶器』って書いてあるでしょう?」ということは、TOTOなのねっ。
昭和5年に既に水洗トイレだったのよ~。さすが加賀前田家の殿の迎賓館っ!
トイレに隣接する手洗い場。その隣に風呂場があるようなのですが、中は立ち入り禁止になってます。
踊り場にあるトイレ。その踊り場から2階を見上げてみました。
ああ。まるで料亭のようだ…。なんだかわくわくと嬉しいですねえ。
さて、階段を上がると、こんな感じです。
こんな風に、杉板に松が描かれてたり。

照明のデザインもいい感じ

こちら窓からの眺め。

2階の手洗い場です。

2階は3部屋あります。

奥の部屋の照明と素敵な天井。

照明には、お殿様にはよく似合いそうな紫の房が下がっています。

 奥の広い部屋には床の間や丸窓があります

2階窓から庭を見下ろしてみた。もう少し紅葉してれば、もっと素敵だったのに~。でもここなら、日本文学の素敵な作品が出来そうな…。世の先生方、挑戦してみれはいかがです?
こちら、1階の玄関を見下ろしてみました。かつては、玄関の向こうに、使用人達の社宅や温室・馬場などが立ち並んでいた区画です。

家具類が一切置かれていないのが残念です。最後に和館1階を見て終わりーー。つーか、お腹がすいた…。
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実は邸宅の半分が非公開でした

2013年11月08日 05時42分38秒 | レトロ建築
前田邸の各部屋に設置された暖炉はフェイクで、地下のボイラー室から各部屋に暖気が届いてました。いわゆるセントラルヒーティングって奴です。なので、煙突はトップ画像の1本のみ。イギリスを旅すると、特に北を旅するとどの建物にも煙突が沢山林立してました。前田公は特にイギリス滞在が長かったのですが、この辺りは最新式を採用してるのですね。ちなみに、煙突は建物中央に空いた明り取り用の中庭にあります。
さて使用人区画へ移動しました。1階の使用人区画は全て非公開となっています。いただいたコピーによりますと、1階には小さな応接室が4つ。お客様の外套などを預かる部屋が玄関脇に。更に事務用玄関と玄関脇に執事室が。更に事務室・宿直室・小使室。お勝手口。ここまではコピーに部屋の名称が書いてありますが、名前のついてない部屋が更にいくつかありました。1階の裏周りの面積は半分近くあります。
さて2階。
上の画像は4つある女中室の窓です。女中室は和風で、畳や押し入れがありました。画像の窓の外に屋根があります。この下は、地下へ降りる外階段がありました。
とはいえ、2つ公開されている女中室はともかく、中庭に面する10畳間の女中室は和風であっても現代の部屋で、向かいの外壁に面する部屋は同じく10畳程の空間ですが、何に使ってたのかわかりません。更に更に、2階で一番広い会議室と名付けられた部屋では、調度東日本大震災で被災した三陸のレトロ建物の被災時・復興時・現在を写したパネル展が開催されてました。とても同じ重要文化財の前田邸の中とは思えない。その辺の公民館の中のような内装でした。明らかに後年にやっちゃった感満載。これ、やっちゃったのは、連合軍、主にアメリカに接収されてた時代だと思うんだけど、どうなんだろう?ボランティアさんに理由を尋ねたい所です。

会議室を出ると、一旦下ってまた登る変わった階段がついています。階段を上がった先にあったのが侍従室。

何人が詰めてたのかなあ?
ここ、部屋の二面に大きな窓がありました。
侍従室に隣接するのが三男の部屋です。
 
こちらもやっちゃった感満載の内装でした。壁紙も照明もこの上もなく安っぽい。広さは充分なんだけどね。
あっ!!

三男の部屋から建物の外壁が見えました。
日本のレトロ建築物で流行ったスクラッチタイルです。表面をひっかいたような波状の模様のある土色のタイルがなぜよく使われてるのか?以前から疑問だったんですが、ボランティアさん曰く「関東大震災の時に、帝国ホテルがほとんど被害を受けなかったので、それにあやかって帝国ホテルに使われていたスクラッチタイルが流行った」んだって!まさか、スクラッチタイル製のレトロ建物が多い理由が、日本人が江戸より好きな『あやかり』にあったとはっ!!びっくりですよっ。
さて前田家本邸の内観を楽しんだ後は、和館へ向かいます。

ちなみに、これは玄関照明。今回旧前田家本邸を訪問したのは、東京都文化財公開ウィークの期間中でした。さりげなくどの部屋も照明が点灯になってました。ここを訪れたのは数度目ですが、照明がついてる時もありついてない時もあり。でもここまで照明が多くついてたのは始めてかも~?なにげに嬉しい。ンでも私のボロい携帯電話は、照明の灯りが強過ぎて、失敗画像を量産しちゃいましたっ!

上の画像は、和館と洋館を繋ぐ渡廊下です。このたび前田家本邸が重要文化財に指定された記念に、始めて一般公開されました。これを楽しみに訪問したのですが渡廊下の公開は、土日祝日のみだったという…。や。それはともかく。上の画像は、和館と洋館の渡廊下のジョイント部分。回廊の途中で洋風から和風へと変わるんですよ。ちなみに、この渡廊下も今年国の重要文化財に指定されました。今後ここが公開されるのを待つよ。

渡廊下のジョイント部分を左へ視線をやると、和館が見えます。この和館も今年国の重要文化財に指定されました。ふだんは1階の一部のみ公開されていますが、今日は1階と2階が公開になるの。楽しみ~。
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なぜに夫人部屋と寝室の照明はショボいのか?

2013年11月07日 05時09分29秒 | レトロ建築
今年国の重要文化財に指定された旧前田家本邸は、かつて加賀藩・前田のお殿様の屋敷でした。

さて、2階次女の部屋の隣は、夫人部屋でした。この夫人というのは、当主前田利為の後妻、菊子さんの事です。
なぜにまわりくどい書き方をするのか?といえば、先妻の前田なみ子さんが前田家の本家筋の方で、ご当主の利為公は同じ前田の一門出身ですが入り婿になるんですね。
先妻のなみ子さんは、欧州滞在中に亡くなりました。
本邸は昭和4年に竣工されてます。菊子さんと結婚したのは大正14年なので、夫人部屋に菊子さんにちなんだデザインがあります。
 
上の画像は、夫人部屋の窓ガラスと暖炉カバーですが、菊のデザインが取り入られてます。
さて、ここでトップ画像。
夫人部屋の照明ですが、昨日紹介した次女の部屋の素敵な照明と比べて、ど~ひいき目に見てもショボいよね?
実際ショボいんです。なぜならば、これはオリジナルの照明ではないの。
ボランティア「夫人部屋とお隣の当主夫妻の寝室の照明はオリジナルではありません。どういう加減か、この2部屋だけ元の照明がつけられなくて、後年都が工事した時に現在の照明がつけられたものです」
夫人部屋は、一家団欒の場所として利用していたそうです。つまりリビングですね。

次は当主夫妻の寝室です。ここも書斎と同じく、部屋の中に入れません。

ボランティア「…ではありますが、寝室に設置したベット等の家具は、前田家にお願いして当時のものをお借りしています。2020年のオリンピックまでに他の部屋も当時の家具を置いてみたいんですけどね~」
ボランティアさんのドリームのようです。つーか、残ってるってのが凄いよな。今のベッドに比べると、いくぶん小さめです。

ちなみに化粧台も奥さまが実際に使ってたものです。ち・近くでみてみたいよなっ。
引き続きましては…。お風呂を挟んで三女の部屋。次女の部屋の倍あります。格も高いような…。

なんでやねんっ??
この部屋もまたかつては奥さまの使っていた部屋なんだって。ところが…。子どもが増えたので改装したんだって。

ちなみにこの部屋の照明はオリジナル。
ボランティアさん曰く「天井のしっくい模様が、見る場所によって違って見えるって、その道のプロの方がおっしゃった事があって、この部屋のが一番出来がいいそうですよ」
へえ~。

さて、なぜ加賀藩主前田家の屋敷が目黒区駒場にあるのか?について。
そうなんだよな~。ここってば、東が東京大学教育部。西が東京大学先端科学技術センターって、東大の建物に挟まれてるんだよね。
東大といえば、有名な文京区本郷にある赤門。あれって加賀藩に徳川の姫が降嫁した時に作られた門だったハズ。
あ…。なんかわかっちゃった~。
ボランティア「江戸から大正まで前田家の本邸(上屋敷)は、現在東京大学がある本郷にありました。大正12年(1923)の関東大震災で東京は被災。震災後、政府の復興計画に関連し、また帝国大学(現東京大学)を大きくしたいという事から、駒場にあった東京大学農学部の敷地と本郷の加賀藩の土地を等価交換し、前田家の本邸が駒場に出来ました。
前田家本邸には使用人が135人いました」
ええっ?135人!!
私「それって、それぞれに家族いたんですよね?どこに住んでたんですか?つーか、住み込みっても135人は多過ぎですよね???」
ボランティア「使用人は住み込みもありましたが、通いです」
洋館の周りに社宅が並んでたんだそうですよ。さながらマエダビレッジのように。また旧加賀藩の家臣団も駒場へ移った時に周辺に移り住み、現在もそのまま暮らしてる家もあるとか。
凄い話だわ~。だから地図を見ると、この辺りってちょっと独特な地割りなんだね。
ボランティア「ちなみに、等価交換した土地は、東京ドーム4個分、約5万坪だったそうです」
も。何がなんだか…。
ここでボランティアさんの説明は終了となります。このボランティアさんよく勉強してるので、ちょっと聞けないけど前から気になってた事を突っ込んで聞いてみる事にした。
私「ご当主なんですが、戦争で亡くなってますよね?」
ボランティア「そうですね」
私「でも戦死扱いにならなかったって聞いた事あるんですけど…」
ボランティア「そうなんです。事故死になってしまいました。戦死と事故死では、税金が全く違うんですよ」
私「それ、どうやって切り抜けたんですか?」
ボランティア「切り抜けられなかったんです。前田家はこの洋館以外全て売却しました。こちらも中島飛行樹に売却しました」
私「事故死じゃなく戦死ですよね?なんでそんな事になったんですか?」
ボランティア「前田侯爵はヨーロッパ生活が長く、戦争しても勝てない事がわかってました。だから陛下に戦争しないように直訴しました。それで軍部に目をつけられたようです」
うわ~男の嫉妬・恨みが原因かよ~。そもそも前田家当主がボルネオに飛ばされた所からして怪しいよなっ。
私「あ!後、長女・次女・三女の部屋はありましたが、跡継ぎというか、長男の部屋はなぜないんですか?
ボランティア「前田利為公のご長男は、邸宅が出来た時既に結婚されていて、別邸が本邸の南に作られました。残念ながら戦争の時焼失してしまい、現存してません。ちなみに、長男・次男が先妻のなみ子さんのお子さんで、長女・次女・三女・三男が菊子さんのお子さんです」
あれ?次男は?
ボランティア「次男は、本当に小さい時に亡くなりました」
ボランティアさんにお礼を述べて今度は使用人区画の見学へ。
ちなみに、使用人区画へ向かうと3階へ上がる階段があります。3階には常駐ナースの部屋と、洗濯室があったそうです。3階に洗濯室って、どこの外国~?って、水はどうした?って思って聞いたらば、前田家は3階だって、蛇口を捻れば水が出たそうですよ。どんな昭和4年だよ~!!


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中国の山西省太原市で爆弾テロがあったようですね。
あそこは…。
数年前、世界遺産の平遥古城を訪れた事があります。省都の太原市も観光しました。太原市は、市内を大きな川が通ってる関係で、市内に出入りする道が、橋で制限されてしまうのだ。だから、しゃれにならない渋滞がありました。渋滞にハマったおかげで、観光時間も削られたヤな思い出があります。日中の観光でも渋滞にハマる理由は、中国では昼食をわざわざ自宅で食べるから、日中でも帰宅時と通勤・通学時の2度渋滞があるんです。つまり、朝・日中2度・夕方の合計4度の渋滞が発生するのだ。生活習慣を変えるのは嫌だという人も多いでしょうが、大気汚染の酷い国だから、日中の2度の渋滞をなくしたら少しは改善するんじゃないの~?ってあの時思ったんだよな。
しかし今回の爆弾テロはウイグルとは関係ないんじゃないかな~?
どっちかというと、太原から北へ行った所は、石炭の一大産地なのです。そこらに犯人が太原を選んで爆破テロしたんでは?などと勘ぐってしまいます。
山西省はトラックの荷台に石炭を山積にして、石炭トラックが連なって高速道路を行き交う場所なんですね~。まあ私の観光目的は中国でも珍しい古い寺院や建築物が現存してる『歴史』だったので、渋滞を起こす石炭トラックは邪魔で迷惑だったんだけど。
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鉄筋コンクリートなのに木貼りの天井?

2013年11月06日 05時38分35秒 | レトロ建築
前田家の2階へ移動しました。

階段には大きなステンドクラスの窓があります。デザインはこれ1階の暖炉横のイングルネックのステンドグラスと同じ。色味も同じ。
さてここでトップ画像。
主人の書斎です。書斎へは現在入れません。
ボランティア「書斎には他の部屋と決定的に違う場所があります。分かりますか?」
ん~?大きな書斎机かな~??
答えは天井です。
見て下さい。全面木の天井なんですよ。やっぱ、日本人は木に囲まれてた方が安心するんでしょうね。
ボランティア「はい。ここで回れ右。これは何でしょうか?」

ん~??奥行きのない空間がぽっかり??何コレ??
ボランティア「実は掛け軸を飾る空間でして、3本かけれるんですよ~」
洋館に似合う掛け軸か…。柄を選びそうな。どんな軸がかけられてたのか?興味ありますねえ。確認したら、釘が3本打ってありました。

書斎の隣は長女の部屋となっています。

私「バルコニーに出られないんですね?」
ボランティア「ここはバルコニーではなく、玄関の天井部分です。とはいえ、かつてはテーブルと椅子を置いて、ちょくちょく外に出てらしたとか」
やっぱなあ~。誘われる空間だよな。お嬢様がスカートをからげて窓を飛び出してたのかと思うと心踊るものがあるよな。
とはいえ、長女の誕生が大正15年。屋敷が出来たのが、昭和4年。利為公がなくなったのが昭和17年。その後相続税が払えず売却されたから、お嬢様が出入りしてたのは幼い頃ですよね~。

ボランティア「こちら奥、赤じゅうたんの先が使用人区画。手前のアーチと奥のアーチの2連がここにもあります。

上の画像は階段を上がった空間。
ボランティア「照明は3つ、似たようなデザインでありながら、少しづつ違えてあります」
上の画像右手に書庫としてデザインされた部屋があります。書棚も壁面に作られたのですが、作ってる最中に次女が出来まして、次女の部屋とされました。
…せ・狭いっ!!ここって長女の部屋の半分もないような…。

ボランティア「こちらは床の寄木細工がよく残ってます。カーベットも貼ってないので、よく見えますね。」

次女の部屋にもまた暖炉が。
暖炉全面を覆うカバーの意匠は前田の梅。こちらの暖炉は彩色陶器。
ボランティア「私、このお部屋の照明デザインが一番好きなんですよ。真ん中が仏塔の水煙みたいですよね」

素敵でしょ?
確かに。
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金唐革紙が前田邸に!?

2013年11月05日 06時37分35秒 | レトロ建築
金唐革紙って知ってますか?
WIKIによりますと「表紙に金属箔をはり、版木に当てて凹凸文様を打ち出し、彩色をほどこして製作する壁紙」とあります。私は金唐革紙を復原したものを、上野の旧岩崎邸で見た事があります。
あれ?金唐革紙を昔記事にしたハズ…と検索かけたのですが、gooの前にinfoseekのホームページで日記を書いてた時の記事でしたっ!あの頃は室内も撮影出来たんだよね~。今、岩崎邸は室内撮影禁止なんで、復元された金唐革紙の画像を紹介出来ない~。それても旧岩崎邸の外観はこちらに。
旧岩崎庭園只今耐震工事中(2012年3月25日)の記事
2013年11月19日、記事追加:
いつかの岩崎邸(2010年2月6日)の記事 こちらの記事に旧岩崎邸の復元された金唐皮紙の画像があります。
これはかつて内観も写真撮影可能だった頃の画像です。2010年の画像ではありません。記事を書いた頃、ネタ切れで昔の写真を引っ張り出して記事にしたのです。

WIKIによりますと、金唐革紙の現存する建築物は、入船山記念館(広島県)・旧岩崎家住宅(東京都)・移情閣(兵庫県)・旧日本郵船小樽支店(北海道)・旧林家住宅(長野県)・国会議事堂(東京都)・旧第五十九銀行本店本館(青森県)です。その中に前田邸はないんだよね。
しかし、トップ画像のどこに金唐革紙があるのか??
ボランティア「大食堂の壁紙も、連合軍に接収されてた時代に奥さまが変更されて…」
ここもなのねっ。
ボランティア「でもここをご覧下さい」

暖炉の左右に少し残ってました。

既に色は退色してますが、金属の輝きがチラホラ確認出来ます。
ボランティア「大食堂は、お屋敷で来客がある時に長テーブルを使用されてました。その際は、当主が暖炉を背に着席しました」
ご当主の視線の先には曲面の大きな窓。窓の下は大理石の台になってます。

大理石にアンモナイトを2個発見!
確認出来ます?
大食堂の隣に家族が夕食を共にした中食堂があります。
ボランティア「朝食は、皆様自分の部屋でとってらっしゃいました」
こんな所にもイングランドっ!
ボランティア「大食堂で晩餐があった時は、中食堂は配膳室に早変わりしました」

見えますかねえ?画面左の黒い大きな扉。これ、何だと思います?
前田邸の調理室は地下にありました。料理はリフトに乗せられて、食堂まで届けられたのです。そして、食事の進みをチェックしていたのがこれ。

壁面にかけてある鏡。これは身だしなみをチェックした訳ではなく、直接お客様が食事をする所を見るのは失礼にあたるので、配膳係は鏡を覗いて料理を出すタイミングを測りました。
へえ~。へえ~へえ~。
中食堂の食器棚の中に賞状みたいなのがいくつもありました。
何これ??
おおっ!重要文化財指定の証書ではないですかっ!!
では次は、やっぱ今回のメインイベントっ!和館と洋館を繋ぐ回廊、壁泉の通り抜けだよね~た~の~し~み~~っ!!
ってアレ??
ボランティア「廊下の天井をご覧下さい。違いが分かりますか?」

「違いって、チューダー式の木の梁があるかないか?ですか??」
そうなのね。実は前田家のお屋敷は、使用人区画とお客様をもてなす表の区画では明確に差があるのです。この辺りも日本式かな?

ボランティア「前田家における中庭は、明り取りの為に作られているのですが、廊下の中庭に面する腰板も、表の区画には大理石が張付けてありますが、使用人区画はしっくいの壁のみ。更に、食堂入口の扉をご覧下さい。お客様の目に触れる側には彫刻が施されてますが、裏に彫刻はありません」
ちなみに、床も表には赤じゅうたんが敷いてありますが、使用人区画は床がむき出しです。も。徹底してます。やっぱ、見栄は張ってこそっ!!って事かな?表には贅沢に金を注ぎ込んでますねえ。
んで、壁泉を早よ?
ってアレ~~~??
ボランティア「では2階を案内しましょう」
私「ち・ちょっと待って!ここで和館と洋館を繋ぐ回廊じゃないんですか?」
ボランティア「壁泉の案内は、文化財公開ウィークの土日祝日のみとなっています」
そ・そんなあ~~~っ。
がっくり…。
そして以降のメモが減りました…。これ以降、巻き巻きで紹介します。
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旧前田家本邸の見所

2013年11月04日 05時18分47秒 | レトロ建築
かつてのサロンを昨日紹介しましたが、玄関を入ってすぐの階段前の広場、そこに隠れ場があるのです。

上の画像のソファの左手に前田家の人が座り、ゲストが右側に座ったんだって。ここ、なんだかすんごく落ち着きました。私はゲストの右側に座ったのですが、座ると視界が遮られ、視界に入ってくるのは、このステンドグラス。
色合いを前田利為公が指定したんだって。しかも日本らしく、左右非対称に作らせたんだって。強い色を使いがちのステンドグラスにあってこの色合いは珍しいとかなんとか。や。私的には、先々月見た国会の議会場の天井のステンドグラスに似てるって思いました~。ちなみに、かくれがみたいなこの作りを、イングルネック(「暖炉のある居心地のいい場所」という意味)というとか。それって…??
ボランティアさん「語源はゲール語らしいです」
欧州滞在の長かった前田利為公のこだわりらしい。ちなみに、主人の席のソファの左側に座ると、視線がサロンに向かい、来客の動向をチェック出来るようになってます。
サロンの隣、階段広間より入れる客室が2つあります。小さい方を小客室。大きい方を大客室といいます。
ボランティア「ここから左右の客室を見比べて下さい。違いが分かりますか?」

ボランティア「入口のドアの高さが違います。更に、ドアの彫刻、天井と壁のつなぎ目のデザインも違います」
つまり、大客室の方が格が高い部屋なのです。例えば、石川県の県知事が来たとして、通すのは小客室ということです。
な~るほど!日本的な発想ね。
ボランティア「小客室と大客室は、必要に応じて2つの部屋を繋げて利用してました」
ん?どゆこと???
ボランティア「部屋を2つに区切る事も、大きく一つの部屋として利用する事も出来たんです」

こちらに引き戸で収納出来る壁があります。
コレ床ね~。
な・なんて日本的な発想なんだっ!こんな洋館外国人の設計者じゃあ絶対に思いつかんわっ!!
かつて日本の庶民は、小さな長屋に住み、居間も寝室も客室も同じ部屋を使ってました。今でも田舎へ行くと、ふすまを外して2つの部屋を繋げて一つの部屋として使ったりするよね?あの発想ですよっ。なんか、感動したっ!!
ボランティア「あ。ちょうどいいですね。この窓から、松の木が見えますか?」

見えるよ?外のピロティの外、芝生広場の手前にある奴だよね?
ボランティア「前田利為公が住んでらした時、松はなく、芝生が続いてました」
ん?どゆこと??
ボランティア「終戦後、前田邸は連合軍に接収されました。彼等はあそこに噴水を造り、星条旗を掲げる施設を作ってしまいました」
をいっ!!
ボランティア「昭和32年(1957)に接収解除となりました。噴水は埋め戻されましたが、跡地に松を植えてしまいました」
日本人の庭の発想ね~。
つーか!!をいっ!!誰の仕業だよっ!!ここに松はおかしいでしょうがっ!!洋館と松がマッチする?や。赤坂迎賓館みたいな造りをすればそれなりにマッチするだろうけど。これはどうなのよっ!
ンでトップ画像です。

後で外にまわって洋館の外観を眺めてみたんですけど、松が邪魔で全景を望むポイントがありませんっ!!
や。この画像のどこに松があるんだって?
すんません。松は画像の左に5本植わっててですね。
洋館を撮影したかったので、「どうにか写せないか?」と建物に沿って歩いてたら、松がハズれてしましました。説明画像として松を入れて撮影しとくべきでした~。

前田本邸は重要文化財に指定されたんだよねっ。
ならば、松を撤去した方が良くないですか??邪魔なんですけど~~っ!!
まあ、連合軍に接収されたのは昭和20年(1945)なら、松を植えて既に70年。となると、洋館が建ったのが昭和4年(1929)だから、松がここにある方が長いんだろうけど。洋館を建てた前田利為公の意向とは違うと思うのよ。
ちなみにアメリカ軍が作った噴水の名残も地面に残ってた!

ショボいタイルの噴水だった模様…。
まあ、これも前田邸の歴史っちゃあ歴史だろうけど…。う~む??
ちなみに、小食堂と大食堂の床のじゅうたんと壁の柄ですが、オリジナルではありませんっ!なぜって、連合軍に接収されてた時、模様替えされてしまったから!
をいぃいいい~~~~っ!!!
大客室にもサロンと同じく暖炉があります。これももちろん火はくべられません。
ボランティア「暖炉の目隠しをご覧下さい」

花の意匠がありました。これは加賀前田藩の家紋です。
ボランティア「なぜ梅の紋を採用したか分かりますか?」
加賀前田家は、大藩ではありますが外様大名でした。徳川に反する気持ちはありませんよ。前田家は公家に繋がる家ですから~と。家が取り潰されないように、心を配ってたのですね。
ボランティア「あ。こちらから外の風景をご覧下さい」

ボランティア「私、ここからの景色が一番好きなんですよ。お客さんがベンチでお弁当を広げてたりしちゃうんですが、今日はラッキーですね」
でも私が気になったのは別の事でして。
照明の電源は何だろう?
私「あれってガス灯とか?中にロウソクとか??」
ボランティア「違います。電力です。前田邸は全て電力です」
う~む。レトロ建築であっても昭和の建物だと電化済みだったのねっ。セントラルヒーティング採用だし、便利だよ。そりぁあ接収されるわな。

ちなみに、東京都文化財ウィーク、旧前田本邸の和館&和館と洋館を繋ぐ壁泉特別公開は、今日11月4日までです。旧前田家本邸所在地は、小田急線東北沢駅から徒歩20分。もしくは、京王線駒場東大前駅から徒歩12分となっています。
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国の重要文化財登録 旧前田家本邸

2013年11月03日 05時31分28秒 | レトロ建築
今年も東京都の文化財公開ウィークのシーズンがやってきました。今年は、武蔵小金井駅から南へ。滄浪園から近藤勇生家跡への文化財ウォーキングコースを申込んでたいのですが、先週の土曜日は関東へ台風が接近中との事で中止となってしまいました~。凹んでてたら友人が「31日に東京駅の東大の博物館へ行こう」と誘って来たんだよ。
ん?10月31日??それって、文化財公開ウィークの期間内じゃん。なら、どっか公開してるかも~?と。調べたら目黒区の旧前田侯爵邸が公開になってました。しかもっ!!前田侯爵邸は今年8月に国の重要文化財に指定された記念で、特別に今まで公開した事のない、洋館と和館を繋ぐ回廊を公開とあったのですっ。キタコレーーーーっ!!
そういえば、前回あっこさんと訪問した時に、和館の2階へ上がれなかったんだよな。文化財公開ウィークの時は和館2階も公開になるハズ。これは行くしかないじゃんっ!
ってな事で行って来た。
実は旧前田家本邸の訪問は今回が3度目。既に記事にもしてるのですが、
旧前田侯爵邸洋館外観(2011年1月14日)の記事
旧前田侯爵邸和館(2011年1月13日)の記事
前田侯爵邸の階段&通路(2011年1月16日)の記事
前田侯爵邸の2階居室空間(2011年1月17日)の記事
今回は国重要文化財指定記念って言う事で、切り口を変えて紹介します。

まずは重要文化財指定物件を特定します。
文化庁の国宝・重要文化財(建造物)データーベースによると、
●洋館
●和館
●洋館渡廊下
●和館渡廊下
●茶室待合
●和館門及び塀
●門衛所
●正門及び塀

おお!?広範囲の指定を受けたのですねっ。画像はボロボロ抜け落ちて、どこまで紹介出来るかちと心もとありませんが、今回洋館を訪問したら、ボランティアさんの説明付きだったのですっ!もう願ってもないっ!では説明つきで画像紹介開始です。
旧前田家本邸 (ちなみに、呼称が変更になってます。以前は旧前田侯爵邸だったハズ)
胸名:洋館
年代:昭和4年(1929)
構造及び形式等:鉄筋コンクリート造り。建築面積978、25平方メートル、2階建て、地下1階。寄せ棟造り、塔屋3カ所付き、銅板葺き、
重文指定年月日:2013年8月7日(平成25)
所有者:国(財務省)。東京都。目黒区
解説:旧前田家本邸は、旧加賀藩主前田家の本邸である。
16代当主の侯爵前田利為が大正15年に本郷から駒場への本邸移転を決定し、昭和4年に洋館、同5年に和館が竣工した。基本計画は塚本靖で、設計は洋館を高橋貞太郎、和館を佐々木岩次郎、茶室を木村清兵衛が担当した。
洋館は、英国のチューダー式の重厚な意匠でまとめられ、家政の諸室も取り込んで、洋館だけで日常の生活が完結する。留学や駐在武官としてヨーロッパでの生活が長い利為の希望を反映している。
和館は、外国賓客に日本文化を伝える目邸で建設された迎賓施設に特化した近代和風建築である。
旧前田家本邸は、旧大名家が建設した和洋2館からなる住宅建築で、昭和初期における貴顕の生活像が表現された建物として高い価値が認められる。 以上、文化庁のホームページより。
さて館内見学開始です。

「こちら、2連のアーチが玄関につくられています。当主の前田利為公がヨーロッパ滞在した時の意向で、イギリスのチューダー式の意匠で作られています。

本来、鉄筋コンクリート建てなので、天井の木の梁、大理石の柱は必要ありません。
私「この大理石どこ製ですか?」
ボランティアさん「私たちはイタリア製って聞いていたのですが、酒井美意子さん(前田利為の長女)の書き残した本に『日本でいい石が見つかったとお父様がおっしゃった…』という記述があるので、日本製のようです。しかし石の専門家が『日本の石でこの模様は出ない』とも言っていて、詳しい事はわかりません」

なんつーか、高い墓石みたいだと。私は思いました。
びっくりする程広い玄関からの広い空間の右手にサロンがあります。
ここ、洋館なのに、入口にドアがないんだよねっ。何気に日本の家みたいだと思います。
このサロンには暖炉があります。暖炉に使ってる大理石はイタリア製。

ボランティア「前田家本邸には、数多くの暖炉がありますが、全てフェイクです。木をくべる事は出来ません。本館の地下にボイラー室があって、全館全て集中暖房のセントラルヒーティングとなってます」
つまり、暖炉は暖気の吹き出し口なのねっ。昭和4年にこのシステムっ!!時代を先取ってるなあ~。

ボランティア「天井をご覧下さい。照明も当時のものです」
私的には、照明も美しいけどその上のしっくいの出来が秀逸だと思いました。まだこういう技を駆使出来る職人が残ってたのね。
ちなみに、照明は全て日本製。しかも微妙にそれぞれデザインが違っていて、楽しかったわ~。
ボランティア「床は寄木細工になっています」

ボランティア「あっ。ここをご覧下さい」

ボランティア「今日はラッキーですねっ。窓のクリスタルの細工が綺麗に床に浮かび上がっています。説明案内しても、これが見れた時と見れなかった時のお客様の反応が全然違うんですよ」

ボランティア「サロンは外側から。食堂は内側から窓ガラスに細工がなされています」
へえ~。
手を伸ばす。
ボランティア「あ。触れないで下さいっ
館内は見るだけっ。触るの禁止です。ごめんなさいっ。うっかりしてました。

クリスタルは、床にプリズムも映し出してました。画像で虹色に輝く光が写るかな~?
ボランティア「サロンは今、喫茶店として利用しています。こちらをご覧下さい」
コーヒー1杯350円だったような…。私達が訪問した時はまだ茶店の営業前だったから、下の呼び出しボタンを見れたのだとか。

ボランティア「ボタンに男・女と書かれています。これは女中さんや男性の使用人の呼び出しボタンです」
案内してもらわないと、一切気付かなかったよ。ボランティアさんに説明を頼んで良かったわ~

長くなったので明日に続きます。
ちなみに、サロンの全景はこちらの記事で確認下さい。 旧前田侯爵邸洋館一階(2011年1月15日)の記事
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東京駅全景が見える場所

2013年11月02日 05時45分15秒 | レトロ建築
訪問日は2013年10月31日です。
以前からJPタワーのKITTE内に新しく出来た東京大学総合研究博物館へ行こう!と約束してたものの、なぜか延期続きになってたのです。JPタワーの2階3階に博物館はあります。

建物は中央吹き抜けで、1階のエスカレーターを上がると、目の前に博物館の入口があります。

ところがですね。11月1日からの新しい展示の為、4階の展示物はほぼ入口で立ち入り禁止でした~。ううっ。もっぺん出直しね~。
博物館内は撮影禁止です。2階の展示物は5割が生物の骨格標本。様々な動物の骨が展示してあります。驚いたのは魚の全身骨格標本です。
魚をどうやって骨格標本作ったんだろうか?入口に、カエルの骨格標本が18個もあった!鳥の骨格標本には、羽がつけられてたり…。どこまでが先生のこだわりかしら~??
鉱物の標本、火星の写真を芸術的に引き伸した写真を額展示。他にかつての講義室を再現したものなどがありました。
ただな~、説明の紙が、小さくて、更に離れてる場所にあるのはいただけません。
これって、ここの博物館のコンセプトが、今ではゴミのような扱いのかつての貴重品・壊れかけの標本も展示方法を工夫すると芸術に見えるでしょ?って感じにしてるんだけど…。
どうなんだろうね?まるで中二病の自己満足みたいでした。博物館なんだから、展示物の名前ぐらい展示物の側に書いとけやっ!って思うのは私だけ?

東京駅丸の内南口前にあるJPタワーは、かつては東京中央郵便局でした。
2階には一般展示物の他、旧東京中央郵便局の解体写真や、建築当時の貴重な写真展示室がありました。

3階がほとんど見えなかったので、6階までエスカレーターを上ってみた。
と。視線の先に屋上庭園の入口があった。屋上庭園はまさに絶景。
やっとトップ画像を紹介出来る~。

「3、11東日本大震災の時、東京駅の屋根を葺くスレートが流出してしまいました。納品間近だったのかな?奇跡的に8割はなんとか納品出来、それは東京駅の屋根に無事使われたそうです。」ってな感じのテレビ番組を見たので、ぜひ屋根を見たいっ!って思ってたのね。それが実現させてくれるのがこの場所です。
でもな~、私のショボい携帯電話ではこれ以上拡大出来ません。残念~。
屋上庭園に沿って歩くと、東京駅の南側がよく見えます。iPhotoでトリミング加工してみました。

東京駅は、元々3階立てだったものが、第二次世界大戦の時に空襲にあい焼け落ちました。焼け残った1・2階部分を利用して、屋根を付けて再利用していたのです。それを平成になり元の形に復原しました。上の画像は、1・2階部分の壁と、3階部分に壁が違ってるのが分かります。
また屋上庭園を奥へ進むと…。
新幹線が一杯見えたっ!!

あの緑色のはもしや??ハヤブサではないの?
トリミングしてみる。

やっぱハヤブザだっ。ああっ!!お顔が見えない~~。残念無念。
JPタワーKITTEの1階では、ここだけの限定販売品がいくつも売られてます。そこを冷やかして~、東京駅南口へ。
東京駅歴史散歩をやった時、撮影し忘れた物件の回収です。

こちら、原敬首相襲撃現場です。分かり易く、床にポイントマークがありました。なぜに前回撮影し忘れたか…。
東京駅改札外歴史案内(2013年2月24日)の記事

東京駅には見るべき歴史ポイントがいくつもあるのだ。
東京駅構内歴史案内(2013年2月23日)の記事
ちなみに、東京駅外観は、こちらからもおススメ見学ポイントです。
今見頃の花は?(2013年2月22日)の記事こちらの記事に丸の内ビルディング5階外部テラスから見た東京駅の画像があります。
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衆議院見学

2013年09月23日 09時24分32秒 | レトロ建築
今、国会休会中なんだよね~。
かつては会期がきちっきちっと決まっていた国会は、何かっちゃ~「臨時国会」の名の下、ちょくちょく国会があるので、見学は休会中と縛りがあり国会議事堂見学はなかなかタイミングが難しい物件なのです。
ならば、見学は今でしょ!とあっこさんを誘って行ってきました。
以前、参議院の体験が楽しかった!ので、今回は衆議院チョイスで行ってみた。
集合は東京メトロ国会議事堂駅1番出口の地上に10時15分!を合い言葉に。

ところがところが。
あれ??10時半から参観出来るんじゃないの??
なぜにか、一般の参観受付は、10時45分からで、参観時間は11時でした。
仕方ないなあ~。参議院へ回ろうか?と。移動したら、こっちは次回の一般参観受付は10時30分だった。大差ないねえ~。ツー事で、ここは初心貫徹で衆議院の参観受付前で待つ事に。
すると…。これが案外面白いっ!!
待ち時間は全く退屈しない~~~っ!!
なぜならば、参観予約の団体客が次々とバスを横付けするのです。
ハトバスキターーーー
◎◎先生の後援会キターーーー
修学旅行生キターーしかもバスを連ねてやってキターーー
私たちと同じく、地下鉄を使って一般参観者もやってキターー!!
さて、ボチボチ受け付け時間となりました。
一般参観者の受付は、グループのうち1名が建物の中に呼ばれ、書類を書く事から始まります。これが問題なければ、受付完了。終わると入場券代わりの「国会 衆議院へようこそ」のパンフレットをゲットです。
入口に戻ってグループ各自にパンフレットを配るといよいよ建物の中へ入ります。

まずは参観者ホールへ。
と。
こんなにたくさん参加者がいるのか~~。
ま。な。団体さん一杯入っていったけどな。キミら、10時半には中に入ってたじゃん~~。
うんざりしつつ、時間までパソコンで遊んでました。初心者向け、衆議院ゲームがあったんです。
第一問 衆議院議員の任期は1)二年 2)4年 3)6年
みたいな…。
全問正解出来なかった…。無念…。
とかやっていたら、いつの間にか参観者グループ別の点呼が始まってましたっ!!イカーーンっ!!
慌てて列に集合。
ぜんぜんヤル気のないおじいさんが私らの案内ガイドさんでした。
うわ~~~。このガイドチェンジしたい~~~~~っ!!!
祈りは空しく、チェンジはナシでした。
まずは手荷物検査&手荷物チェックのドアみたいなのをくぐって参観開始です。
あ。
言い忘れてた。
参観者には、最初にマンション4階まで一気に登る階段上りの洗礼があります。
ま。な。
国会議事堂の建物は: 大正9年(1920)1月に建設開始。17年間の歳月を経て、昭和11年(1936)11月に完成しました。だから昇降は基本自前の足なんだよ。ンでも年配者には辛いものがある。障害者には更に自力で4階まで上がれってどんな無理ゲー?ってな事で、絶対ムリな人用に、エレベーターがあります。但し参観ロビーから移動してもらうからねっ!
私達と同じ11時からの参観時間の参観者のうち、私が知ってる限りではよぼよぼの老夫婦が利用してました。彼等とは、以後参観ツアーで会う事はなかった!私等と同じグループだったんだけどね。
つーか、この辺りで薄々気付きました。
衆議院参観は、参議院参観に比べて参観者に優しくないっ!
始めて国会議事堂を見学する方には、参議院の参観をおススメします。なぜなら、国会議事堂の土産物売店は参議院にしかないし、参観ロビーの展示物の多さも参議院。
なら衆議院の参観にはいい所がないのか?
や。すんごい1点があります。
参議院の参観時では事前に内部の撮影禁止を言い渡されたんだけど、衆議院の内部の撮影はなぜか出来ました。だからトップ画像があるんだけどね。
この差の理由は、参観者が◎◎先生の後援者様一同って所にポイントがあるんじゃないか?と思ってる。だって後援者様達は本会議場でバシバシ撮影撮影し始めちゃった!でもとがめられないっ!しかもガイドさんが「◎◎先生はあの辺りの大臣席に普段座っています。大臣席に座ってない時はこちらの議員席で着席します」というような特別解説されてました。特別解説の必要のないグループは、本会議場の観覧席に着席後、場内に流れるガイドアナウンスでお勉強です。
ところで、トップ画像の本会議場、これは衆議院。では参議院との違いは?
実は一目瞭然の違いがあるんです。
それは天覧席があるか?ないか?
衆議院国会は、天皇陛下のご臨席があるのです。だから特別の席があります。
確か…。参議院の参観した時の記事はーー。
国会議事堂見学(2009年11月14日)の記事 こちらの記事に、今回紹介していない天皇陛下御休所・伊藤博文&板垣退助&大隈重信の立像のある中央広間などの画像があります。
ンで。
うちの案内ガイドさんの属性が途中でわかった。
あんた、ツンデレだね?
このおじさん、全くガイドしてくれないけど、聞けばちゃんと答えてくれるんです。つーか、客が質問しないんだったら、道案内しかしないっ!という…。どういうガイドなんだっ!!
それが判明したのは中央広間を見下ろした時です。
私「広間のモザイクってオリジナルですか?」
人に踏まれる床って痛み易いからね。もしや補修済み?と尋ねてみたら。
ガイド「オリジナルです。日本の石28種類(数は今一記憶がぼやけてるんですが)を使用しています」
と。後続のグループが近づいてきた。どこかの先生の後援会のグループです。ここのガイドさんは当りで、「ここを見て下さい。化石が表面に見えてるんですよ~」と私等は聞いてもない参観ポイントを教えてもらっています。
ちっ。うらやましい~~っ。
と。そのガイドさん、うちらの適当ツンデレガイドに声をかけてきた。
「すみません、広間の上の四隅に描かれているえの説明お願い出来ますか?」
ン?そんなんあったっけ?と。見れば、確かに風景が描かれています。
「あれは、日本の名所です。日本アルプスに…」とスラスラガイド開始です。
ガイド出来るんかいっ!!この人、御休所もまったくのガイドなしでスルーしたのに~~~っ。
ツンデレガイドの解説は続きます。
「広間は天井まで32、62メートルの高さがあり、4階まで吹き抜けになっています」などとスラスラスラ。
こ・こいつ、出来る。
移動再開。
私「質問ですが、国会議事堂内に冷暖房ってないんですか?」
当日の体感気温は30度!ってとこだったんだけど。
ガイド「あります。ただし、今は節電で館内28度に設定されています」
私「え?今既にもっと気温高いですよね?」
ガイド「設定は28度です。ま、今は使用してないけどね~」
オイっ!!
そんな中、もう一つ気付いた事は館内が薄暗いんです。
牛歩国会とかやると、夜でも本会議してる事がありますが、こんなんで照明は足りんだろう?
見学すると分かるんだけど、建物は自然光をうまく取り入れてあります。国会の天井部なんか、イギリス製のステンドグラスで自然光なんだぜ。これで夜間どうやって光度を確保してるか謎だけど。
下り階段の薄暗さはちと怖かったです。う~む。震災後に節電節電ってあちこちの蛍光灯を抜いてたけど、アレより薄暗いだぜ。
さて。最近度々ぼやいてますが、私最近体調が悪いです。ツンデレガイドはさくさく進みますが、そのスピードについてけない。可能な限り急いで歩きましたが、遂にどこでガイドさんが曲がったのか、私とあっこさんは国会議事堂の中でポツリ取り残されてしまいましたっ!!
マジで~~!?これ、SPごっこし放題だろう?勝手にあちこち見歩けるじゃん。では早速…。
いやいやいやいや。
不審者で捕まるのは私一人じゃない。今やったらあっこさんを道連れにしてしまう…。躊躇してたら(やるつもりだったんかいっ!)後続のどっかの先生の後援者さんのグループがやってきた。ンでもって無事に左折れポイント発見。遠くうちのグループを発見。ついてく。
その前にパチリ。

や。二度と撮影出来ないかもしれんからな~っ!!
さて。外観へ移動です。歩きつつ、初心者ゲームにあった「国会100年を記念して建物前に噴水が設置された」という噴水を探します。
ンでも水はどこにも見えません。あれ~~?
ツンデレガイドに追いついたので質問開始。
私「すみません、ゲームにあった噴水ってどこにありますか?」
ガイド「あの四角い石の構造物が見えますか?」
私「ん~?たぶん。水見えませんね」
ガイド「今、出してません。噴水は参議院前にもあります。昔はあそこに木があったんですけどね」
さて。参観再開。最後のゾーンは都道府県の樹です。
ん??
なんか、あちこちで実が落ちてる…。
私「あの実って収穫しないんですか?都道府県の樹って実のなる樹が多そうですけど?」
ガイド「収穫はしません。自然にあるがままに任せます」
私「うわっ。京都の北山杉しょぼいっ!。とっても何十年も経った木に見えませんよ」
ガイド「枯れたら、県にお願いして新たに植えます」
つまり、国会の樹って野放しなんだね。日本の植木屋さんの技術って世界に誇れると思うんだか、国会には専門の植木屋さんがいないのかな?残念だよっ。
さて。最後は国会正面で最終です。前の修学旅行のグループが記念撮影してます。

あれいい…。
私もやりたい。並んでたら
ガイド「ここから出られます」
私「や。記念撮影したいんで」
ガイド「そうですか」と。さっさか去って行きました。さすがツンデレガイド。つーか、最後までデレなかったな…。難攻不落の攻略キャラのようだ…。攻略したくもないが。知識だけは一杯ありそうだけど。
つーか、私らと同じグループの人達って、ほとんど質問してなかったけど、キミ等何しに国会議事堂見学に来たの?
念願の記念撮影完了~。前回は一人で来たから記念撮影出来なかったんだよね…。
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東京芸術大学赤レンガ1号館

2013年09月22日 05時43分58秒 | レトロ建築
先日、上野の科学博物館で開催中の深海展を見に行った折り、噴水広場に山車が数基集まってました。
山車の正体は近くの東京芸大の学祭のお祭の山車でした。そうちょうど藝祭が開催されていたのです。
となると!普段は入れない校内に入れるのですよ。
なので、以前から気になっていた芸大内のレトロ建物を見に寄りました。

といっても、以前東京都文化財公開ウィークの一環で、既に訪問済&紹介済みの建物は除外。
東京芸大特別公開(2010年12月20日)の記事

本日紹介するのは、芸大音楽部にある赤れんが棟です。

これは明治9年に教育博物館の書庫として建てられたもの。書庫なので耐火を重視、上の画像で見て取れるように、開口部の鉄扉が取り付けられています。窓のデザインが半円アーチ。ちょっとイスラムテイストね~。とか。異国情緒があって、私的に高いポイントのレトロ建築です。ぜひ中も見たかった~。
建築データ:1880年(明治13年) 設計:林忠恕
東京芸大音楽部の藝祭は、構内は静かでした。というのも、音楽部の出し物は各種演奏会です。これを観賞するには、まず整理券をゲットしなきゃあなりません。科学博物館の展覧会のついでに~などと気軽に立ち寄っても、既に整理券は配り終えてしまってました。

ちっ。無念。
さて、ついでなので、上野の国立博物館と国際こども図書館を隔てる道の角にあったコーヒー屋さん。

何気にしっくりしてて驚きました。
上野公園内に、素敵な茶店が出来てたんですねえ~。驚きです。
確かに茶店つーか、レストランはあるんだけどね。大概博物館や美術館の敷地内にあるんだよね。ここはおしゃれです。まあ、高血圧患者の私は、コーヒーは飲んじゃダメな食品なんで入れないんですけどね。

ん~??
トップ画像、何か変だよね。ブログ書いてて今気付いた。
どこがって、なぜに2階の横には窓がついてないのか??ってとこ。
う~~ン??
もしかして…。耐震構造やった?
窓というのは、あると構造上その建物が弱くなるよな。ものは赤れんが。地震のないヨーロッパならともかく、年中グラグラしてる日本では、赤れんがは建材としてどうなの?って事で、窓塞いじゃったんじゃないの~?違う??
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相模原はかつて幕府の薪場でした。つーか、水事情が悪く水田作るのに向いてなかったんだね。そんで、栗とか植えて収穫してました。
現在、殆どの栗の木は姿を消したものの、まだ栗が名産なんだって。
先日、近所の八百屋で地場の栗が売られてました。もちろん今年の新物です。ちょっと小ぶりだったけど、1ネット300円という特価で売られてました。もちろんお買い上げ。
下準備開始。
購入の栗を、竹ざるに移し半日ベランダでお日様にあてました。
その後、栗を水を張った鍋にあけて半日。鍋に一杯の水を沸騰させ、塩を大さじ1杯。そこへ栗を全量入れて20-30分。
その後、ガスを止めて放置。室温になるまで放置。
湧かした湯が冷えたら栗剥き開始。
~~~~剥いても剥いても終わらない。
頑張れる目安として録画した半沢直樹を再生~~。
再生終わっても栗はまだある…。
結局全部剥き終わるのに2時間かかった…。
やり遂げた。ンでも、右手親指の爪はボロボロになってしまった…。しばらく親指は使えない…。凹む。
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旧帝蚕倉庫事務所など

2013年06月29日 05時22分58秒 | レトロ建築
神奈川県庁本庁舎の見学を楽しんだ後、ダンナがお腹がすいたというので、一番近い店に飛び込んだ。
ラッキーにもまだランチの時間内だったけど…。

う~む?豚肉ときくらけと卵の炒め物って書いてあったけど、なんかイメージが違う…。
ちなみに、高血圧患者の私は食べてはならん!食べ物がいくつも存在します。
上の画像で言えば、右上のグレープフルーツ。降圧剤でグレープフルーツは禁止食品。
右下のザーサイ。塩分は1食当り2グラムまで。卵スープを飲むとザーサイは食えん。
メインの豚肉ときくらけと卵の炒め物は、味付け濃過ぎる。1/3だけ食べた。
食後のアイスコーヒーは、高血圧患者はコーヒーはNGです。というように、食べれない食品が続出するんで、大概散歩のお供はあんパンとお茶なのだ。ちなみに、この時はアイスコーヒーとか豚肉ときくらげと卵の炒め物とかはダンナが食べてくれました。
そんなこんなでまったりしたからもう帰る。
ただあそこが見てみたい。
トップ画像は、日本郵船ビル(日本郵船横浜支店)です。関内地区(海岸通り)

昭和11年に和田順顕建築事務所の設計により、日本郵船横浜支店として建てられました。
日本郵船は、三菱グループ創始者の岩崎弥太郎が土佐藩の回漕業者である九十九商会を継承したのに始まる日本最古の船会社。かつて大桟橋からは日本郵船所属の大型客船が次々と船出していった。横浜港に繋留されている「氷川丸」は、日本郵船が保有していた旅客船である。
建物の最大の特徴は、正面の16本にわたる大オーダーのコリント式列柱。横浜に建てられた古典主義様式の建築物のなかで最後のもの。昭和63年までは海岸通りに税関と郵船ビルの間に三菱倉庫の建物があり3つの建物が調和をもって並んでいた。近代化産業遺産認定。
ここでちょっと耳寄り情報を。
日本郵船歴史博物館は今年開館20周年を迎えます。それを記念して、6月から12月まで、毎月20日は通常500円の入館料が、無料となります。しかも20日の先着20名様には、記念ボールペンを進呈だそうです。
私、まだ訪問した事ないんだよね~。氷川丸は乗船済みなんだけど…。今がチャンスですね。
さて、日本郵船歴史博物館からほど近く。
北仲ブリック(旧横浜生糸検査所倉庫事務所)
関内(北仲通)地区。
この建物は遠藤於菟の設計により大正15年に横浜生糸検査所の倉庫事務所として建てられた。
その後、帝蚕倉庫本社事務所、北仲ブリックとして活用されてきた。
現在はこの地区は再開発中であるが、この建物は現状のまま保存される。
設計者の遠藤於菟は日本で最初の鉄筋コンクリート建築である三井物産横浜支店を設計した人物で、この地区の旧横浜生糸検査所、帝蚕倉庫。倉庫事務所は横浜における震災復興建築の中でも最大規模の複合建築で、煉瓦貼りの柱型部分とセメントモルタル塗りの外壁という意匠で統一され、視覚的に一体感を与えており、彼の建築家としての表現を集大成した晩年の大作。
ちなみに、旧横浜生糸検査所(現横浜第二合同庁舎)は既出記事です。視覚的一体感を確認して下さい。
横浜開港祭へ(2012年6月4日)の記事 こちらに画像があります。大正15年に造られたものを、平成2年に解体。低層部に新築復元しました。
北仲ブリックの向こうは駐車場。やがて何か造られるんでしょうねえ。橋を渡ると…。

日本丸が帆を降ろす作業中です。今日は総帆展帆があったのね~。

実は画像中央の鉄橋もレトロ建築物です。
旧臨港線港一号橋梁。臨港線はかつて旧横浜駅と新港埠頭内横浜税関構内にある荷扱所を繋ぐ路線として開設。第一号橋梁は、臨港線の一部として明治44年に設計、アメリカン・ブリッジ社が製作。ちなみに、現在は汽車道と呼ばれています。

もうほとんど帆が残ってませんねえ。帆は上げるほうが時間がかかるのだ。

みなとみらいのシンボル。横浜ランドマークタワーを見上げてみた。ついでに横浜駅まで歩いたら、思いの外近くてびっくりしたわ!
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神奈川県庁本庁舎

2013年06月28日 05時53分53秒 | レトロ建築
トップ画像は正面玄関の照明です。

ホールの梁を支える持ち送りに和風の意匠が見られ、シャンデリアなどは交換されているものの全体として創建時のアール・デコの雰囲気を伝えています。

階段親柱の陶製装飾灯は、「宝相華」の文様があしらわれています。

ちなみに、既出で何度も紹介してる県庁舎の屋上へも出てみました。ダンナが初訪問だからね。

去年の12月、黄色く色づいていたイチョウ並木は若葉が伸びています。
神奈川県庁の屋上からレトロ建築見物(2012年12月26日)の記事 県庁の屋上から見えるレトロ建築物の画像があります。
神奈川県庁の銀杏(2012年12月25日)の記事 日本大通りの黄葉したイチョウ並木と県庁舎の画像があります。

屋上はビルの周囲を六葉の形をした「ライト様式のテラコッタ」があります。上は保存部分。現在は銅板で覆われています。
屋上に出る前に、古い木製の階段があります。

中央の塔へ上がる為の階段です。

鎖があって上がれません。この上、どうなってるのかな?一辺確認してみたい。

神奈川県庁舎は西欧古典様式の三層構造。
洋風のビルに和風の塔を載せて国威を表現した「帝冠様式」建築。

こちら県庁舎の西南部分。

連絡通路が写ってますねえ。さつきが綺麗です。
ちなみに、今後の公開予定は、7月21日、8月4日&18日、9月15日&22日、10月13日&20日。11月17日&24日。12月15日。<平成25年度公開予定>となっています。

当日は、何かのお祭りを日本大通では開催中。県庁の敷地内には屋台が出てました。休憩がてら、大福を購入。休憩所でぱくつきましたが、ダンナがもう腹ペコでとっても機嫌が悪い。だって!!当初計画してた新館の展望レストランが売り切れ閉店だったんだもんっ!私は悪くな~いっ!!
つーてもダンナの機嫌は浮上せず、てっとり早く一番近いレストランへ駆け込みました!
ちと反省。外食予定であっても、ダンナにはあんパンを持たせて出かけよう!でないと観光が楽しめません。
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