小牡丹蔓/キンポウゲ科/センニンソウ属。日当たりの良い林縁や林内などに生える蔓性半低木。ボタンヅルの変種。葉は2回3出複葉で対生し、小葉には粗い鋸歯がある。花は1.5~2cmで花弁がなく4枚の白いがく片と、雌しべと雄しべが多数ある。痩果には羽毛状の花柱が残る。名前の由来:葉が牡丹の葉の形に似て、ボタンヅルより葉が小さいことからこの名が付いた。花期:8~9月。(高尾山)【山野草の索引(樹木)へ】
牡丹蔓/キンポウゲ科/センニンソウ属。
日当たりの良い林縁や林内などに生える蔓性半低木。
葉は1回3出複葉で対生し、小葉には粗い鋸歯がある。花は1.5~2cmで花弁がなく4枚の白いがく片と、雌しべと雄しべが多数ある。痩果には羽毛状の花柱が残る。
名前の由来:葉が牡丹の葉の形に似ていることからこの名が付いた。
花期:8~9月。
(高尾山)
【ボタンヅルの実】
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八王子神社の奥はうっそうと樹木が茂っているが、その木立の向こうにやや小高い岡のようなものが見えた。手前にはその岡を守るように、サイハイラン(采配蘭)がたくさん咲いている。
本丸の案内標識は見当たらないが、草に隠れた細い道を登ってみると、かなり狭い平地に社が建っていた。その隣の石碑には、「八王子城本丸址」とある。
この標高446mの平坦地から周りを見ると、木で囲まれて見通しは利かない。これでは城山に登っても、本丸址に気づかずに、山から降りる人もいるであろう。
むかし、激しい攻防戦のあった山頂付近には、サイハイラン(采配蘭)が異常に多い。城主の北条氏照に、采配を求める声が聞こえてきそうである。
この城主不在の一日の落城には後日談がある。
惨殺した家来や子女の首を小田原に運び城前に並べ、北条勢に見せ付けたという。さしもの相模の雄も降伏し、小田原城と八王子城の氏政、氏照 兄弟は開城、秀吉に切腹を命じられた。
堀切と尾根特有のアップダウンが続き、約30分で石の多い小さな広場に出た。ここが「詰めの城」であり、規模的には見張台程度の建物があったことは想像されるが、不思議にも「天守閣跡」と書かれている。
「詰めの城」から約30分で富士見台であるが、最後の登りはかなりきつくなる。
富士見台の狭い平坦地の周りも、木が茂って眺めは利かない。
条件の良い日には、富士山が見えるといわれる。
ここを縦走すれば、裏高尾に降りられる。途中で両手にステッキを持った老人に出会った。日影方面の小下沢林道から登ってきたとのことである。
十分な山歩きの格好でもないし、この時間から本丸経由で、縦走は無理である。
運よく、もう一人若い登山者がいたので、その人が付き添って裏高尾の蛇滝口に降りることになった。
寅太は同行者と付近の植物を観察しながらの下山であるが、途中で二人に追いついた。老人が急坂で転び、メガネをがけ下に飛ばし、見つかったが壊れて修理中であった。
付き添いに恵まれなければ、遭難であったであろう。寅太の仲間が先頭に立ち先陣を務め、寅太が殿(しんがり)で二人を守るように下山した。 八王子城の縦走は今回が最終回であるが、城の根小屋に菩提寺の閑窓寺があった。またその少しJR高尾駅方面に、廿里(とどり)古戦場の碑があったので紹介する。
「川はいつも 流れていなければならぬ
頭はいつも 冷えていなければならぬ
目はいつも 澄んでいなければならぬ
心はいつも 燃えていなければならぬ」
反省。そして八王子城の霊魂に合掌。
本丸の案内標識は見当たらないが、草に隠れた細い道を登ってみると、かなり狭い平地に社が建っていた。その隣の石碑には、「八王子城本丸址」とある。
この標高446mの平坦地から周りを見ると、木で囲まれて見通しは利かない。これでは城山に登っても、本丸址に気づかずに、山から降りる人もいるであろう。
むかし、激しい攻防戦のあった山頂付近には、サイハイラン(采配蘭)が異常に多い。城主の北条氏照に、采配を求める声が聞こえてきそうである。
この城主不在の一日の落城には後日談がある。
惨殺した家来や子女の首を小田原に運び城前に並べ、北条勢に見せ付けたという。さしもの相模の雄も降伏し、小田原城と八王子城の氏政、氏照 兄弟は開城、秀吉に切腹を命じられた。
(装飾花がないコアジサイは富士見台の少し手前に咲いていた)
堀切と尾根特有のアップダウンが続き、約30分で石の多い小さな広場に出た。ここが「詰めの城」であり、規模的には見張台程度の建物があったことは想像されるが、不思議にも「天守閣跡」と書かれている。
「詰めの城」から約30分で富士見台であるが、最後の登りはかなりきつくなる。
富士見台の狭い平坦地の周りも、木が茂って眺めは利かない。
条件の良い日には、富士山が見えるといわれる。
ここを縦走すれば、裏高尾に降りられる。途中で両手にステッキを持った老人に出会った。日影方面の小下沢林道から登ってきたとのことである。
十分な山歩きの格好でもないし、この時間から本丸経由で、縦走は無理である。
運よく、もう一人若い登山者がいたので、その人が付き添って裏高尾の蛇滝口に降りることになった。
寅太は同行者と付近の植物を観察しながらの下山であるが、途中で二人に追いついた。老人が急坂で転び、メガネをがけ下に飛ばし、見つかったが壊れて修理中であった。
付き添いに恵まれなければ、遭難であったであろう。寅太の仲間が先頭に立ち先陣を務め、寅太が殿(しんがり)で二人を守るように下山した。 八王子城の縦走は今回が最終回であるが、城の根小屋に菩提寺の閑窓寺があった。またその少しJR高尾駅方面に、廿里(とどり)古戦場の碑があったので紹介する。
「川はいつも 流れていなければならぬ
頭はいつも 冷えていなければならぬ
目はいつも 澄んでいなければならぬ
心はいつも 燃えていなければならぬ」
反省。そして八王子城の霊魂に合掌。
(八王子市)