高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

天地人(八王子城その2)

2009-06-28 01:17:26 | 歴史
御主殿跡と御主殿の滝を見て、先ほどの管理棟に戻った。管理棟には学芸員が詰めており、説明を依頼すれば、曳橋、虎口の石垣、御主殿跡などの説明を、発掘時の写真などを見せながら、丁寧に説明してくれる。
今まで山城と思っていたのが、中国製の陶磁器、茶道具、ガラス器などの出土品を見ると、華やかな氏照の生活が偲ばれる。
北条氏照の墓の付近から管理棟までが、いわゆる根小屋と呼ばれる地区で、平時はここで農業などをやりながら、家臣が暮らしていた所である。
その途中に田圃があり、柿の木にモリアオガエルの卵が観察された。
新聞にも載ったようで、車で見物に来る人もいた。
いよいよ管理棟の横を通り、八王子城の本丸を目指すことにする。


(根小屋地区の柿の木に付いたモリアオガエルの卵)

 
(八王子城の絵図と中腹の平坦地)

道の隣に棚田状の平坦地が観察されるが、曲輪があった跡である。しばらく登るとさらに広い場所に出た。金子丸と書かれた標識が建っている。
金子の文字から、これは金蔵かと思って説明文を読むと、重臣の金子三郎右衛門家重が守備していたく曲輪跡で、ここを通り抜けないと本丸に進めない造りになっている。
金子丸の曲輪跡からは、八王子の街がよく見える。
そこから更に登るとふたたび曲輪跡に着くが、小宮曲輪である。八王子城攻防戦は、前田利家が虎口(大手口)、上杉景勝が搦め手から小宮曲輪付近を奇襲し、北条勢は奮戦するも、一日で城は落ちた。
さらに登るとかなり広い場所に出た。大きな八王子神社の建物と石碑が建っている。延喜13年(913年)に華厳菩薩妙行が、深沢山(現在の城山)山頂で修行中に、牛頭天王(ごづてんのう)が八人の王子を連れて現れた。その伝説から北条氏照は築城にあたり八王子権現を祀り、これが八王子の名前になったと言う。なるほど、吉祥寺は寺であるが、こちらは八王寺ではなく八王子である
山頂にベンチがあり、そこからの眺めは素晴らしい。本丸の標識を探すが見当たらないが、どうしたのであろう。

 
(金子丸から見た八王子)

 
(山頂付近には八王子神社と石碑が並ぶ)


(山頂から八王子市の眺め)

(八王子市)

コメント (7)    この記事についてブログを書く
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7 コメント

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多摩地区のエース (信徳)
2009-06-28 11:30:02
八王子は学校群があったり住宅が急速に増えたので今や多摩地区では立川を凌ぐ都市になったのではないでしょうか?山間部も多いので今後の開発状況では益々発展することでしょうね。相模原と競争していますか。
返信する
八王子の由来 (寅太)
2009-06-28 11:46:11
信徳さん、おはようございます。
八王子は広いので、人口もかなり多いようですが、中心地がないと思います。
華やかさでは立川がかなりリードしています。
一時はたくさんの大学がありましたが、都心回帰が始まっているようです。
相模原には、相模大野、相模原、橋本の核があります。
規模では、八王子+長岡=相模原でしょうか。
でも以前から、八王子と相模原の人口はどちらが多いかと三多摩人に聞くと、98%は八王子の答えが返ってきます。
八王寺
返信する
Unknown (Unknown)
2009-06-29 10:18:02
民家の柿の木とモリアオガエルの卵、妙な組み合わせです。
猪や鹿、猿が街に進出したのと似ています。
バランスが崩れたのかなぁ~。
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バランス (hanatetsu)
2009-06-29 10:19:03
またまた、タイトル名前を失念しました。ゴメン!
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無常の時代 (デコウォーカ)
2009-06-29 22:29:58
八王子城は沢山の曲輪や畑等も有り大きな城のようですね。その様な城が一日で攻め落とされて廃墟になってしまうのが戦国時代の常だったのですね。
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これは異常現象か (寅太)
2009-06-30 08:24:59
hanatetsuさん、おはようございます。
モリアオガエルが民家の近くに卵を産むのは、かなり珍しいのでしょうか。
でも、よく下に水があるのを知っています。
ケロケロ
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日本のトロイ (寅太)
2009-06-30 08:30:15
デコウォーカさん、おはようございます。
この城は巨大で、発掘では華やかな遺物が出ています。贅沢三昧だったように感じます。
400年後に元の姿を現すのは、トロイの遺跡にも似ています。
そういえば、シュリーマンも八王子に来ているんですね。
アインリヒ、シュリーマン
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