親鸞は越後国の国府に流された。そして上陸したのが居多(こた)ヶ浜である。
最初に越後一の宮居多神社を参拝すると、一夜にして境内のアシ(葦)が片葉になった。これが越後の七不思議の一つ「片葉の葦」である。
佐渡に流された日蓮が、生死の境を柏崎の番神堂に流れ着いたのとは違い、親鸞は越後でかなり自由な身にあったようである。
謙信が五智国分寺を再興するのは、この350年後のことで、親鸞でも国分寺跡は確認ができなかったであろう。僧籍を剥奪され、藤井善信(よしざね) と名乗らされた草庵は五智国分寺の境内の中にある。
親鸞は赦免後の2年を含めると、7年を越後で過ごし、その間に恵信尼と結婚し、数人の子供に恵まれた。
居多神社にお参りすると、この日は宮司は不在で、本やお守りの代金は賽銭箱にいれるようになっていた。
参拝の記念に、新潟県人物小伝「直江兼続」の本があったので、いただいた(購入した?)。
神社の前に大きなバス停があり、お土産物店があったので寄ると、先ほどの本を売っていた。手にしているのを見て店主が、「同じ金額で、神社のものは厄払いをしてあるし、著者のサインがあるんです。良かったですね」と話しかけてきた。
著者、花ヶ前(はながさき)盛明は、居多神社の宮司であった。
新潟日報事業社発行の新潟県人物小伝シリーズは、「河井継之助」(著者稲川明雄)も持っているが、安価(千円)で読みやすい本である。
次回は、今回の旅で寅太が体験した、天地人(一夜城主)です。