高尾山などの「寅太の山野草」

中越地震で被災した小千谷市と長岡市にある戊辰史跡の復興を応援しています。
山野草を中心にしたブログです。

天地人(越後国府その2)

2009-06-08 08:35:19 | 歴史

親鸞は越後国の国府に流された。そして上陸したのが居多(こた)ヶ浜である。
最初に越後一の宮居多神社を参拝すると、一夜にして境内のアシ(葦)が片葉になった。これが越後の七不思議の一つ「片葉の葦」である。


(一夜で起こった奇跡の片葉のアシ)

 
(片葉のアシと越後一の宮居多神社入口)

佐渡に流された日蓮が、生死の境を柏崎の番神堂に流れ着いたのとは違い、親鸞は越後でかなり自由な身にあったようである。
謙信が五智国分寺を再興するのは、この350年後のことで、親鸞でも国分寺跡は確認ができなかったであろう。僧籍を剥奪され、藤井善信(よしざね)
と名乗らされた草庵は五智国分寺の境内の中にある。
親鸞は赦免後の2年を含めると、7年を越後で過ごし、その間に恵信尼と結婚し、数人の子供に恵まれた。
居多神社にお参りすると、この日は宮司は不在で、本やお守りの代金は賽銭箱にいれるようになっていた。
参拝の記念に、新潟県人物小伝「直江兼続」の本があったので、いただいた(購入した?)。
神社の前に大きなバス停があり、お土産物店があったので寄ると、先ほどの本を売っていた。手にしているのを見て店主が、「同じ金額で、神社のものは厄払いをしてあるし、著者のサインがあるんです。良かったですね」と話しかけてきた。
著者、花ヶ前(はながさき)盛明は、居多神社の宮司であった。
新潟日報事業社発行の新潟県人物小伝シリーズは、「河井継之助」(著者稲川明雄)も持っているが、安価(千円)で読みやすい本である。
次回は、今回の旅で寅太が体験した、天地人(一夜城主)です。

 
(居多神社の由緒と親鸞配流の地)

 
(越後七不思議「片葉の葦」と居多神社の親鸞像)

 
(親鸞配流と居多神社前の天地人観光バス)

       
(直江兼続と著者のサイン)

(上越市五智)
コメント (6)
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