今朝の新聞に、詩人の茨木のり子さんの訃報の記事が載っていました。79歳だったそうです。・・・心からのご冥福をお祈りします。
茨木のり子さんは、二十歳のときに終戦をむかえ、27歳の時に川崎洋さんらと共に、雑誌『櫂』を創刊。
戦後詩のリーダーの一人として活躍され、詩人の新川和江さんは茨木さんを“戦後現代詩の長女”と評しています。
茨木さんの詩集「倚りかからず」。
・・・1999年、今から6年半前の秋、人生の岐路に立ち、さまざまなことで悩む私に、ある年上の友人が贈ってくれた一冊の詩集です。
「倚りかからず」 茨木のり子
もはや
できあいの思想には 倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には 倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には 倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも 倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
この一篇の詩を前にして、当時、私は、自分の弱さが見えてきて、誰かを頼って生きてきた自分が無性に恥ずかしく、そしてこの先の人生を、人としてどう生きるのが最良の方法なのか・・・そんなことをずいぶんと考えました。
茨木さんが長い人生の末にたどり着かれた、人としての生き方。それは男女の性差の前に、まず一己の人間として自立して生きる、という実にシンプルな答だったことに、私は生意気ながら、深く共感しました。
人は一人でこの世に生まれ、そして最後は一人で死んでいくのです。
人は孤独です。そして同時に人の中で生きていくのです。
まずは、自分の足で立ててこそ、人となるのです。そして、ある時は誰かを支え、ある時は誰かに支えられ、人と関わりながら生きていくことが、人としての使命であり、しあわせでもあると思うのです。
私の人生に目標ができたとすれば、“自立”・・・これしかありません。
子育てのゴールも同じです。子どもたちが、それぞれに自分のことが自分でできる人となるように、世のためにはなっても、世の迷惑にならぬよう生きていって欲しい、というのが私の理想であり、目標です。
・・・とはいえ現実は、なかなか理想には近づいていかず、一進一退の日々ですが。
はあぁぁ~~~
茨木さんの、生きていく上で、自らに問い掛けるような、はっとするような鋭い数々の詩のなかで、もうひとつ。
ぬるくなった私の気持ちに、気合いをいれてくれる詩を。
「自分の感受性くらい」 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子さんは、二十歳のときに終戦をむかえ、27歳の時に川崎洋さんらと共に、雑誌『櫂』を創刊。
戦後詩のリーダーの一人として活躍され、詩人の新川和江さんは茨木さんを“戦後現代詩の長女”と評しています。
茨木さんの詩集「倚りかからず」。
・・・1999年、今から6年半前の秋、人生の岐路に立ち、さまざまなことで悩む私に、ある年上の友人が贈ってくれた一冊の詩集です。
「倚りかからず」 茨木のり子
もはや
できあいの思想には 倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には 倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には 倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも 倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
この一篇の詩を前にして、当時、私は、自分の弱さが見えてきて、誰かを頼って生きてきた自分が無性に恥ずかしく、そしてこの先の人生を、人としてどう生きるのが最良の方法なのか・・・そんなことをずいぶんと考えました。
茨木さんが長い人生の末にたどり着かれた、人としての生き方。それは男女の性差の前に、まず一己の人間として自立して生きる、という実にシンプルな答だったことに、私は生意気ながら、深く共感しました。
人は一人でこの世に生まれ、そして最後は一人で死んでいくのです。
人は孤独です。そして同時に人の中で生きていくのです。
まずは、自分の足で立ててこそ、人となるのです。そして、ある時は誰かを支え、ある時は誰かに支えられ、人と関わりながら生きていくことが、人としての使命であり、しあわせでもあると思うのです。
私の人生に目標ができたとすれば、“自立”・・・これしかありません。
子育てのゴールも同じです。子どもたちが、それぞれに自分のことが自分でできる人となるように、世のためにはなっても、世の迷惑にならぬよう生きていって欲しい、というのが私の理想であり、目標です。
・・・とはいえ現実は、なかなか理想には近づいていかず、一進一退の日々ですが。
はあぁぁ~~~
茨木さんの、生きていく上で、自らに問い掛けるような、はっとするような鋭い数々の詩のなかで、もうひとつ。
ぬるくなった私の気持ちに、気合いをいれてくれる詩を。
「自分の感受性くらい」 茨木のり子
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
今朝の朝刊に、茨城のり子さんは、ぴんと背筋の伸びた日本語の使い手で、「戦後現代詩の長女」と評された方だと書いてありました。
「自分の感受性くらい」は、心につきささりました。まだまだ未熟な40代です。
ずっと、お待ちしていましたよ!うれしいです。
茨木さんの書かれる詩は、静かに激しく、けっして誰かを責めたりせず、常に自分を律しているような、凛としたところがあって、その清々しさに、ハッとさせられます。
「自分の感受性くらいは」
・・・本当に、気持ちいいくらい心につきささります。私も、同じくまだまだです。
また、いつでもおいでくださいね。楽しみにお待ちしていますよ~
その通りですよね・・・・。
未熟である自分から、何とか脱皮して成長したいです。
目からウロコでした。。涙
マクベスの先行は厳しいようですが、充実の観劇になるように祈ってます。
もう、人生の半分は生きてきたはずなのに・・・
いつまでたっても上手に生きられません。
それでも、前に進むしかないのですが・・・
茨木さんの詩の中で、もうひとつ好きな詩「汲むーY・Yにー」というのがあります。
・・・・・
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
・・・・・
私も目からウロコどころか、涙があふれそうになりました。
日々精進。
・・・これしかありませんね、きっと。
トラバありがとうございます。
なんか、秋生さんとは、どこかで同じ感性感じます。
(^^)V
茨木さんの作品はどれも、本当にその生き方が現れていて、素敵だな、と思います。
ぎんさんも、「汲むーY・Yにー」お好きなんですね。
私もです。
いつか、茨木さんの生前の死亡通知書のこと、紹介させていただいても、よろしいでしょうか?
>同じ感性
・・・こんな未熟な私でおはずかしいですが、そう言ってくださると、うれしいです。
共感って、同じ感性だからこそできるのでしょうね(笑)