友人が「ChatGPTにも関心を持つように」とマスコミ報道に先駆けて関心を向けさせてくれたのは、まだ2月のことでした。
それから一月ほど経って、ライン友達から「ラインでChatGPTが使える」と連絡があり、なにごとにもミーハー精神で早速使える状態にしました。が、聞きたいことがない。
ガイドに読書感想文とあったので『星の王子さま』の感想文を書いてもらったら、なかなか深く哲学的なことまで書いてあってびっくりしました。
そこで『坊ちゃん』の感想文を要求してみた顛末です。3月15日にスタートしました。3日間にわたって、やりとりしたのです。
最初の回答です。
なんということ!大間違い。友人に話したら「教えてあげないといけないみたいよ」ということなので、指摘しました。
教え方がわからないので、チャットAI君も困ったかもしれません。
それにしてもさすが文章生成が売り物だけあって、言葉遣いは上等ですね。敬語もバッチリ。
でも、内容が間違っている。それも言葉遣いと同じレベルの完璧さで。
めげない私。
チャットAI君、理解悪過ぎじゃあないですか?
どうしても真意が伝わらないので、私はお手上げ。
だいぶ時間をかけたやりとりでしたが「知っていること」だったので、チャットAI君がどんなに丁寧な表現を駆使しようとも、次々に反論できましたが(そして諦めましたが)知らないことを尋ねたとしたら、これは大変なことになってしまいます
さくらの里。紅枝垂さくら
最初の回答を全面的に信頼してしまうに決まってます。
チャットAI君はなんでも知ってるけど、その内容の深いところや、私たちが感じるその情報の価値のようなものには、とんと関心がない。
前頭葉があるかないか?
今回のような単なる知識がベースになるものならば、使い方に習熟できれば便利なものかもわかりません。チャットAI君ももっともっと知識を増やして間違いを回避する必要はあるでしょうけど。
ただ、体験や知識を積んでも「その人」がどう感じどう評価するかという学習は、結局のところできないのではないでしょうか?
「自分」が「自分の人生」を生きることは代行はないと思います。
さくらの里 鬱金桜
使う側が承知していけば棲み分けはできるのではないかなあというのが、感想でした。
認知症に関して理論的に詳しく知りたい方は、以下のブログもお読みください。