新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(初日・その6)

2016-10-12 22:44:29 | 旅行記/美術館・博物館・アート

「Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(初日・その5)」のつづきです。

法隆寺大宝蔵院の見聞録を書くつもりだったところ、今朝、YOMIURI ONLINEに、見事なタイミングの記事を見つけました。

「三たび盗難の重文仏像の右手か、新薬師寺に返還」というタイトルの記事でして、内容は、

奈良市の新薬師寺から1943年に盗まれて行方不明になっている白鳳時代(7世紀半ば~8世紀初め)の仏像の傑作、重要文化財・銅造薬師如来立像(通称・香薬師こうやくし像)の右手部分が盗難を免れていたことが分かった。
行方を調査したノンフィクション作家の貴田正子さん(47)がそれに当たるとする右手を確認し、昨年10月に同寺で返還の法要が行われた。(中略)
明治時代に2度盗難に遭って寺に戻ったが、43年に三たび盗難に遭い、行方不明となった。右手部分は、最初に盗まれてから寺に戻る間に切断され、発見後に本体とつなぐ補修が行われた。このため、43年の盗難で本体とともに盗まれたと考えられていた

というものです。

ところどころ意味不明の部分があります。
「盗難を免れていた」右手がなぜ新薬師寺「返還」されたのか、どこで見つかったのか、なぜ新薬師寺3度も同じ仏像を盗まれるという失態を演じたのか、1年前のニュースがなぜきょう報道されたのか…

と、この意味不明の部分は本題ではありませんで、注目したのは「白鳳時代の仏像の傑作」という銅造薬師如来立像(香薬師像)お姿、とりわけお顔立ちです。

いかにも白鳳時代らしい丸顔

飛鳥~白鳳~天平200年弱の間に仏像の造形が著しく変化したということは、「その4で書いたところですが、法隆寺大宝蔵院で拝見した夢違観音は、これまた「いかにも白鳳時代らしい丸顔でした

この「夢違観音」を拝見して思い出したのは、こちらで長々と取り上げた興福寺「銅造仏頭」、いわゆる「山田寺仏頭」です。

またまた「いかにも白鳳時代らしい丸顔の登場です

人間離れした感じの飛鳥時代の仏像のお顔とは全然違いますよねぇ

「その4に書いた金堂金銅釈迦三尊像大宝蔵院で展示されている百済観音といった「いかにも飛鳥時代らしい仏像」しかイメージを持たなかった飛鳥仏、それをグズグズ砕いてくれたのが、大宝蔵院で展示されていたこちらでした。

40cmほど小さな仏像ですけれど、衝撃大きかった

細やかかつ細緻な細工に驚くだけでなく、お顔をアップしますと、、、

あれぇ~~
これが飛鳥仏ですと

と、混乱しながら調べると、この「木造観音菩薩立像(九面観音菩薩像)」は、時代こそ「飛鳥時代」の作ながら、8世紀初めから渡って来られた仏像なのだそうな

この像を観た白鳳時代の人々は、先進国・唐にひれ伏すm(_ _)m、というか、威光を感じたのではなかろうかと思います。

でも、ひれ伏すだけでなく、続く天平時代新たな境地に達する当時の日本人仏師の方々にもまた驚愕して、私はひれ伏すのでありますよ

まったくもって、う~む… と考え込んだ私でありました。

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