「Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(初日・その5)」のつづきです。
法隆寺大宝蔵院の見聞録を書くつもりだったところ、今朝、YOMIURI ONLINEに、見事なタイミングの記事を見つけました。
「三たび盗難の重文仏像の右手か、新薬師寺に返還」というタイトルの記事でして、内容は、
奈良市の新薬師寺から1943年に盗まれて行方不明になっている白鳳時代(7世紀半ば~8世紀初め)の仏像の傑作、重要文化財・銅造薬師如来立像(通称・香薬師こうやくし像)の右手部分が盗難を免れていたことが分かった。
行方を調査したノンフィクション作家の貴田正子さん(47)がそれに当たるとする右手を確認し、昨年10月に同寺で返還の法要が行われた。(中略)
明治時代に2度盗難に遭って寺に戻ったが、43年に三たび盗難に遭い、行方不明となった。右手部分は、最初に盗まれてから寺に戻る間に切断され、発見後に本体とつなぐ補修が行われた。このため、43年の盗難で本体とともに盗まれたと考えられていた。
というものです。
ところどころ意味不明の部分があります。
「盗難を免れていた」右手がなぜ新薬師寺に「返還」されたのか、
どこで見つかったのか、
なぜ新薬師寺は3度も同じ仏像を盗まれるという失態
を演じたのか、
1年前のニュースがなぜきょう報道されたのか…
と、この意味不明
の部分は本題ではありません
で、注目したのは「白鳳時代の仏像の傑作」という銅造薬師如来立像(香薬師像)のお姿、とりわけお顔立ちです。
いかにも白鳳時代らしい丸顔
飛鳥~白鳳~天平の200年弱の間に仏像の造形が著しく変化したということは、「その4」で書いたところですが、法隆寺大宝蔵院で拝見した夢違観音は、これまた「いかにも白鳳時代らしい丸顔」でした
この「夢違観音」を拝見して思い出したのは、こちらで長々と取り上げた興福寺の「銅造仏頭」、いわゆる「山田寺仏頭」です。
またまた「いかにも白鳳時代らしい丸顔」の登場です
人間離れした感じの飛鳥時代の仏像のお顔とは全然違いますよねぇ
「その4」に書いた金堂の金銅釈迦三尊像や大宝蔵院で展示されている百済観音といった「いかにも飛鳥時代らしい仏像」しかイメージを持たなかった飛鳥仏、それをグズグズに砕いてくれたのが、大宝蔵院で展示されていたこちらでした。
細やかかつ細緻な細工に驚く
だけでなく、お顔をアップしますと、、、
あれぇ~~
これが飛鳥仏ですと
と、混乱しながら調べる
と、この「木造観音菩薩立像(九面観音菩薩像)」は、時代こそ「飛鳥時代」の作ながら、8世紀初めに唐から渡って来られた仏像なのだそうな
この像を観た白鳳時代の人々は、先進国・唐にひれ伏すm(_ _)m、というか、唐の威光
を感じたのではなかろうかと思います。
でも、ひれ伏すだけでなく、続く天平時代に新たな境地に達する当時の日本人仏師の方々にもまた驚愕
して、私はひれ伏すのでありますよ
まったくもって、う~む… と考え込んだ私でありました。
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