「名古屋にSOUL JAZZ旅行 #2-4」のつづきも、トヨタ博物館の見聞録。
「#2-3」で、
私、トヨタ博物館を、歴代のトヨタ車を軸としたトヨタ自動車の史料館的なイメージを持っていたのですが、現実は、一企業の枠を超えた、普遍的な自動車博物館でした
と書きましたが、明るく開放的な建物、質・量とも充実しまくりの収蔵品、そして、しっかりとした説明板と、いたくトヨタ博物館の見事さに感じ入った私でございまして、ホント、行って良かった… と思っています。
ただ、ちょっと気になったのは、説明板のこと。
この説明板、照明の反射がキツくて、ちょっと読みづらい…
材質や色遣いに工夫が必要かと思われます。
で、説明板は、日英中ハングルの4カ国語表記になっていまして、外国人観覧者にも懇切丁寧です。
そういえば、東京国立博物館の説明板も、一気に4カ国語表記に入れ替わりましたっけ…
それはともかく、メーカー名の中国語表記が面白いんですな。
例えば、シトロエンは「雪铁龙(雪鉄竜)」となります。発音すれば「シュエトロン」となるのかな?
ちなみに、このブログでは、自動車メーカー/ブランドの中国表記をクイズに仕立てたことがありましたっけ…
Q. 以下に中国語で示した自動車のブランドを翻訳しなさい って。
正解はこちらの記事でご確認くださいませ。
話をトヨタ博物館に戻しまして、上に説明板を載せたシトロエン 11B [1937]は、説明板にもありますが、世界初の量産FF(前輪駆動)車なんだとか。
そういえば、「#2-4」で、FR方式を発明したのはパナール社だと書きましたが、FR方式もFF方式もフランスのメーカーが嚆矢(注:シトロエンがFF方式を発明したわけではない)だったなんて、現代ではちょっと目立たないフランスの自動車メーカー、昔は革新的だったんですな…
革新的といえば、このお馴染みのスタイルもかなぁ~り革新的だったはずです。
なぁ~んだ、ビートルだ…。
とお思いでしょうが、このクルマ、「フォルクスワーゲン 38 プロトタイプ」(レプリカ)[1938]というモデルで、
ヒトラーの国民車構想にポルシェ博士の企画が採用されて誕生。
流線型ボディ、独立懸架およびリアエンジン方式は当寺は大変進歩的な設計だった。
だそうで、
1938年、ヒトラーはKdF(Kraft durch Freud:歓喜による力)ワーゲンと命名し、ドイツ国民への普及のため、賃金天引き貯蓄運動を展開。「もし自分の車を運転したかったら、週に5マルク貯金しよう!」の誘いに応じて多くのドイツ人が貯金を始めたが、間もなく大戦が勃発し、誰も待望の車を手に入れることはできなかった。車名が制式にフォルクスワーゲンとなったのは1945年である。
とのこと。
フォルクスワーゲン=Volkswagenとは「Volks=国民 + Wagen=車」で、中国語では「大众=大衆」と、もっと露骨です。
上の写真は、11年前にベルリンで撮ったドイツの国会議事堂で、正面には「DEM DEUTCHEN VOLKE(ドイツの人々のために)」と刻まれていましたっけ…
それにしても、このモデル、Wikipediaから引用すれば、
1938年の生産開始以来、2003年まで半世紀以上も生産が続き、国際的な自動車市場で多大な成功を収めた。四輪自動車としては世界最多の累計生産台数「2152万9464台」の記録を打ち立てた伝説的大衆車である。
だそうで、現行車にも基本的なスタイルが受け継がれているのですから凄い話です。
もっとも、駆動方式・エンジン形式は、RRからFFへ、空冷から水冷へ、水平対向4気筒から直列4気筒へと変わっています。
相変わらず横道に逸れてばかりで面目ございません。
これというのも、あの膨大な展示をどう書き残したらよいのか、まだ頭の中が固まっていないものでして…。
「#2-6」以降は、もうちょいとすんなりと書けるよう、整理しておきます。
つづき:2017/10/15 名古屋にSOUL JAZZ旅行 #2-6
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