新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

約1年ぶりの関西旅行記 #3-2

2022-01-06 14:42:42 | 旅行記/美術館・博物館・アート

がばぁ~ っと、年をまたいで1カ月弱も間隔が開いてしまいましたが「約1年ぶりの関西旅行記 #3-1のつづき、ひきつづき飛鳥資料館の見聞録です。

飛鳥資料館では特別展「屋根を彩る草花」が開催中でした。(12月19日で終了)

「屋根を彩る草花」とは、茅葺き屋根とかに雑草が生い茂ってその中でが咲いている、というものではなく、副題の「飛鳥の軒瓦とその文様」にあるように、瓦の文様のお話です。

瓦の文様といえば、丸軒瓦には蓮の花が浮彫になっていて、平軒瓦の意匠は唐草文様といったものがイメージされます。大体、どこの博物館に行っても、古寺の屋根瓦が展示されているもので、ずらっと瓦を並べられてもその違いが判らない… とちょっと敬遠気味の私でしたが、この特別展はかなり面白いものでした。

   

さっそくですが、ちょっと横道

日本史に「飛鳥板蓋宮」という名前の宮(皇居)が出てきました。わざわざ「板蓋宮(いたぶきのみや)」と呼ぶくらいですから、当時は「板葺き」が一般的ではなかったことが推察されます。それでは、一般的な屋根はどんなものだったのでしょうか?

Wikipediaによれば、

名称「板蓋宮」は、文字どおり屋根に板(豪華な厚い板)を葺いていたことに由来するといわれている。このことにより、当時の屋根のほとんどは檜皮葺・草葺き・茅葺き・藁葺きであり、板葺きの屋根の珍しかったことが判る。(中略)
当時、大陸から伝来した最新様式を反映している寺院は瓦葺きであったが、それ以外の建築物への普及は進まず、平安時代以降の貴族の居宅である寝殿造も檜皮葺である。本格的な瓦葺きの普及は江戸時代以降である。

だとか。けっこう意外です
ちなみに飛鳥板蓋宮「宮」だったのは643~645年の短い期間ですが、この間に、もっぱら「大化の改新」そのものだと捉えられがちな、中大兄皇子中臣鎌足らによる蘇我入鹿暗殺事件(乙巳の変)という大事件の現場となっています。

   

それはともかく、前述のように、

瓦の文様といえば、丸軒瓦には蓮の花が浮彫になっていて、平軒瓦の意匠は唐草文様といったものがイメージされます。

ですが、簡単に「唐草模様」と片付けるわけにはいかないことを知りました。
会場の説明パネルによると、

唐草文の文様表現の1つに「パルメット(Palmet)」があります。パルメットは、葉を広げたナツメヤシの樹形を図案化したもので、西アジアが初源と考えられています。ナツメヤシは西アジアでは身近な樹木で、たくさんの実(デーツ)をつけることから、豊穣や多産の象徴として尊ばれました。
パルメットは単独の文様だけでなく、連続した文様としても用いられ、東へと波及するなかで蔓植物の表現と結びつき変化していきました。
古代の日本にはもちろんナツメヤシは生息していません。パルメットは文様表現として日本にもたらされ、独自の変化を遂げて様々な文様になりました。

だそうです。
下の写真は、法隆寺若草伽藍 (7世紀初)「手彫り(忍冬)唐草文軒平瓦」です。

この隣りに、同じ法隆寺若草伽藍「型押し(忍冬)唐草文軒平瓦」が展示されていました。

この「手彫り」「型押し」とは何ぞや?
これも説明板から転記してしまいましょう。

文様を持つ軒平瓦で、日本で最も古いものは、文様を直接軒平瓦に手彫りしています。文様を付ける方法として、型紙を当てて文様を転写し、それに合わせて彫るものと、フリーハンドで文様を描き、彫るものがあります。前者は法隆寺若草伽藍の全パルメット文様の軒平瓦があり、後者には坂田寺の半パルメット文様の軒平瓦があります。
法隆寺のものは瓦当面(がとうめん)型紙を仮止めするために針のようなもので刺した跡が見えます。また、文様の割付までは終わっているのに、うっかりなのか手を抜いたのか端に掘り残しのあるものもあります。

確かに、「手彫り…」の方の花弁の文様にピンホールが見えますし、右上端は下書きだけで終わっています

それはそうと、日本にはない、工人も見たことすらない植物をモチーフにして文様を描いたって、文化の伝播というものの面白さを感じるお話です。

   

ちょっとここで「軒平瓦」「軒丸瓦」について。
「本瓦葺き」と呼ばれる本格的な瓦屋根は、平で両端が上に反った「平瓦」と、半円筒状の「丸瓦」ほかで構成されています。そして、屋根の最下端の「軒」で人目を惹き付けるのが、「軒平瓦」「軒丸瓦」です。
飛鳥時代製とも奈良時代製とも云われる日本最古の現役として頑張っている元興寺(6年前に拝観)の屋根でご確認くださいませ。(この写真だと平瓦は軒平瓦しか写っていない)

なお、元興寺の軒丸瓦と軒平瓦後世のものかと思われます。
それでも、モザイクのように見える色とりどりの丸瓦は、飛鳥寺(旧・元興寺)から持ってきたものなんじゃなかろうか

   

会場では、丸軒瓦と平軒瓦の文様をあしらった「ぬりえ」ポストカードが無料配布されていまして、私も頂戴しました。
ところが、平軒瓦のポストカードを本宅に忘れてきてしまいまして、丸軒瓦のポストカードだけ載せておきます

上から順番に、飛鳥寺「素弁蓮華文」山田寺「単弁蓮華文」大官大寺「複弁蓮華文」で、時代順にならべました。
「蓮華文」が、次第に複雑化していることが見てとれます。

お城をはじめ、現在見ることができる「丸軒瓦」は、「防火」のおまじないを込めた「巴文」すが大半です。
しかし、古代はもっぱら仏教と縁の深い「蓮華文」で、寺以外としては初めて瓦葺きが採用された藤原宮蓮華文の丸軒瓦だったのだとか。
「軒丸瓦は蓮華文」というのが当時の常識だったのかもしれません。

そういえば、古代は頻繁に遷都しましたが、そのたびに、古い宮殿や官衙を取り壊して、使える建築資材は新しい都に運んで、それを再利用したのだとか。
こちらのサイトによると、藤原宮も例外ではなく、その部材が平城宮の建設に活用された由。

そういえば、平城宮跡(第一次)大極殿復原されたけど、大極殿の瓦はどんな意匠だっけ…
前述のとおり、屋根瓦には興味を持てなかった私ですから、さっぱり記憶がありません

そこで、平城遷都1300周年で盛り上がっている2010年平城宮跡に出かけたとき(記事はこちら)の写真をしげしげと見てみました。
そしてなんとか見つけて軒瓦部分が見えるよう拡大したのがこちら

垂木先金具(金色の円形)野垂木先金具(金色の四角形)キレイ復原しているのに、軒丸瓦と軒平瓦なんの装飾も施されずのぺ~っとしてる
大極殿の瓦はこうだったのか? 資料がなかったのか? 予算が尽きたのか? はたまた手を抜いたのか?
いずれにせよ残念です

と、ほとんどのことしか書いていないのですが、つづきは「#3-3」で。

つづき:2021/01/07 約1年ぶりの関西旅行記 #3-3 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 去年の紅白歌合戦のことなど | トップ | 約1年ぶりの関西旅行記 #3-3 »

コメントを投稿

旅行記/美術館・博物館・アート」カテゴリの最新記事