「Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(2日目・その7)」のつづきです。
東大寺の参観は戒壇堂を最後にしまして、県庁方面に向かって歩きました。
県庁すぐ近くには知事公舎。
知事(元運輸官僚。感じ悪かった…)は、これだけ県庁に近い公舎から県庁までどうやって通勤しているんでしょ
徒歩2分って感じですが、もしかすると、秘書さんが迎えに来て、その日のスケジュールを確認しながら歩いて通っているかも…。
それはさておき、私は県庁東から市内循環バスに乗って、途中、Misia Candle Nightの会場・飛火野を左手に見ながら通り過ぎ、破石町(わりいしちょう)で下車。
そして、住宅街を通って新薬師寺へと向かいました。
4年半前の前回(記事はこちら)は、春日大社にお参りしたあと「上の祢宜道」を通って新薬師寺に行ったところ、結構、距離がある印象だったのですが、破石町から歩いても同じ感じでした。
どこかで聞いたことのある名前のついた神社を見かけて、写真付きでtweetしたりしながら淡々と歩きました。
それにしても暑い
服が汗でぐっしょりです
当初の目論見では、Misia Candle Nightの開場時刻まで市内観光を続けて、そのままライヴに向かい、ライヴ終了後に、荷物を預けているホテルに戻り、チェックインするという旅程を考えていたのですが、この時点でまだ14:30頃。
こんな汗グショの服を6時間近くも着続けるなんて、苦行だ と、ちょいと路線変更を考え始めました。新薬師寺への参拝が終わったら、ホテルまで戻って、チェックインして、シャワーを浴びて着替えようかと…
そんなことを考えながら歩いていると、なんとも古風なクリニックが
っつうか診療所って雰囲気ですな。
なんだか、作務衣を着た赤ひげ先生が出てきそう…。
で、道に迷うこともなく新薬師寺に到着
そして、お久しぶりにお目々くっきりで人の良さそうな(?)薬師如来と、勇猛果敢(そうな)十二神将の皆さんと再会 (下の写真はポストカードから)
やはり、鎌倉期と共に天平期の仏像ってイイなぁ~
ちょいと交通の便は良くありませんが、新薬師寺は、ほんっと、お薦めですゾ
じっくりと新薬師寺を拝観したあと、結局、ホテルに戻ることにしました。
着ているものが汗ぐっしょりだったことに加えて、結構疲れたし…
で、新薬師寺からJR奈良駅前のホテルまで行くのには、市内循環バスに乗れば良いのですが、来たルートと逆に内回り(距離は短そう)に乗るか、未知の区間である外回りに乗るか、ちょっと考え、当然のように外回りに乗ることにしました。
そして、地図を頼りに高畑町まで行く途中、こんな看板を見かけました。
奈良教育大学のグラウンドのフェンスにくくりつけられていました。
ちょっと長文ですが、前半部分を転記しておきます。
新薬師寺旧境内
大型基壇建物跡(推定七仏薬師金堂)
2008年秋に奈良教育大学の北東隅に位置する建物の改築に伴う発掘調査を行ったところ、凝灰岩製(二上山産)の延石列と雨落ち溝が検出され、基壇の存在が明らかになった。基壇内の西部には一辺約3mの壺地業と呼ばれる礎石を据えるための地固めを行った跡が残っていた。基壇南前面には幅約52mにもなる幅広の階段が設けられている。基壇自体の幅約68m、建物は十三間に復原される。基壇の高さも約2mに復原され極めて高い。建物としては現在の大仏殿に匹敵し、奈良時代では現在の新薬師寺を東限として、四町四方にわたり七堂伽藍が並んでいたと伝えられている。
かつて新薬師寺が広大な伽藍を誇っていて、その壮大な金堂の跡が奈良教育大学のグラウンドから発見されたことは、前回の訪問記に書いたように知っていたのですが、改めてその位置を拝見するのは感慨深いものがありました。
2日目の旅行記はまだ続きますが、きょうはこの辺でおいとまいたします
つづき:2016/11/11 Misia Candle Night 奈良遠征旅行記(2日目・その9)