新・徒然煙草の咄嗟日記

つれづれなるまゝに日くらしPCにむかひて心に移りゆくよしなし事をそこはかとなく紫煙に託せばあやしうこそものぐるほしけれ

今週は上野で博物館・美術館をハシゴ(その2)

2012-11-11 13:37:19 | ニュース

けさのNHKニュースで、日本人の参加登録ができなくなっていた北京マラソンが、一転して日本人の参加を受け入れるようになったという話が取り上げられていました。
きのう昼の段階では、

同マラソンは、公式ホームページから登録する形式になっているが、国籍を選ぶ欄から「日本」が削除された。組織委員会関係者は登録しようとした日本のランナーに「日本国籍の選手は申し込み資格がない」との考えを伝えたという。(共同)

で、なんとも姑息っつうか、狭量っつうか、アホっつうか、最近、国際舞台で子供じみた行為を連発している中国政府またやったか… といううんざりした気分でした。
日本人の参加を受け入れることになったとはいっても、YOMIURI ONLINEの記事によれば、

北京では9月に日本政府の尖閣諸島国有化に対する大規模な抗議デモが発生しており、関係者によると主催者側は当初、「安全上」の措置だと説明していた。同協会の沈純徳副主席は中国メディアの取材に対し、「北京マラソンは一貫して開放的に各国・地域の参加を歓迎しており、日本人選手の参加を拒否したことはない」と話しているが、(以下略)

だそうで、よくもまぁ、いけしゃあしゃあと…

121111_2_01_2 こんなご時世ですから、東京国立博物館(東博)の特別展「中国 王朝の至宝」も、「大事なお宝を日本に貸せるかと、開催できなくなってしまうのではないかと心配していましたが、無事に開催されています。

そんなわけで、「今週は上野で博物館・美術館をハシゴ(その1)」のつづきです。

   

特別展「中国 王朝の至宝」の会場では、東博としては珍しいことに(私としては初めて)入場前に簡単な手荷物チェックがあったり、「北京故宮博物院200選」の時とは比べものにならないほど入場者が少なかったり(おかげでじっくりと観覧できました)と、昨今の日中関係の悪さが立ちこめていました。

私、正直いって、中国美術への関心が高いとは言えません。でも、1年間の有効期間内に国立4博物館の特別展合計6件に行けるパスポートが、あと2ヶ月で期限切れだというのに、特別展の入場スタンプが2個しかない状況ですから(前回はこちらで書いたように、半年でスタンプ6個でした)、行かないのももったいないという消極的な気持ちで「中国 王朝の至宝」を観に行きました。
ところが、「第一章 王朝の曙 蜀vs夏・殷」の初め、「蜀」の展示で一気に気分がON

121111_2_14_2 「蜀」というと、三国時代(AD3世紀)「蜀」を思い浮かべますが、この「蜀」紀元前1300年前後1000年以上(凄まじく広い時間軸)にわたって四川省辺りにあった国で、図録によれば、

三国時代の蜀が位置した四川省の成都平原周辺の地域は、そのずっと以前から蜀と呼ばれており、劉備がこの地に建てた国が蜀と呼ばれたのも、昔からの地名を当てはめたというのがことの経緯と見られる。(中略)
古代の蜀に関する仔細な記録が見当たらないのは、この地域が文明の灯りが届かない蛮地と捉えられていたからにほかならない。ところが、この蜀は、前317年、頼りとしていた秦によって滅ぼされ、秦の領地に組み込まれると、しだいにその地域の豊かさ広く認知されるようになっていった。亡国の憂き目にあった後に、その地の評価が高まったというのは、なんとも皮肉なことである。そして、後漢の頃には、「望蜀」(一つの望みをかなえてからその先を望むこと)という、僻遠ながら豊穣な蜀の土地柄を背景にした成語まで出現した。

だそうな。
私にとって初めて聞く「国」ですが、その遺物が楽しい

まず、

121111_2_04突目仮面(とつもくかめん)」(BC11-BC13世紀)です。

名前が示すとおり、目が突き出しています

図録の説明によれば、

古代蜀のことを記した史書に、蜀の始祖である蚕叢(さんそう)という王が「縦目」であったと記すことから、この作品はこの蚕叢を表したものともいわれている。ただし、このように突出した目を「縦目」といってよいのかどうか、なお検討の余地があろう。

だそうで、そもそも「縦目」ってどんな顔?

「縦目」はともかく、この造形の凄さは何でしょうか

ところで、「中国 王朝の至宝」展では「カプセルフィギュア」がガチャガチャで販売されています(1回400円)。

121111_2_03 前半を見終えた後、運試しに「カプセルフィギュア」を買ってみると、見事にこの「突目仮面」をgetしました

これが良くできています
あまりに良くできていますので、ポストカードをスキャンした画像(モアレがひどくて…)ではなく、カプセルフィギュアの写真を載せました。

さて、「蜀」の展示のステキさ「突目仮面」に留まりません

石で作られた)とかヘビとか(青銅製の「虎」も良かった)、ニコニコしてしまう作品でした。

121111_2_05

ところで、「中国 王朝の至宝」展を観終わった後、もう一度「カプセルフィギュア」に挑戦してみようか否か悩みました。
この展覧会で最も気に入った、お持ち帰りしたい作品No.1の作品のカプセルフィギュアが欲しかったのです。でも、8種類あるフィギュアのどれが出てくるか予想できません。アレが出てくる確率は1/8…。8回チャレンジしたとしてもアレをgetできる確率は100%ではありません(76%くらいか?)。

それでも、祈るような気持ちでガチャガチャ400円を投入してダイヤルをガリガリガリ

そして、出てきたカプセルに入っていたのは、、、、

 

121111_2_06 やったぁ~人形器(ひとがたき)」

これが欲しかったんです 何という「引きの強さなんでしょうか

それはそうと、「人形器」、これまた意表を突く造形です。

人の形を基本としながら、頭部を表現せず、胸の上部に円孔を設けるという、特異な形状をした青銅製品。(図録)

で、

肩の外側と脚の踝付近の内外の対象位置に小孔を設けていることからすると、鋲や釘の類によって固定するなどして用いたものと推測される。

とのこと。

3000年以上前に造られたモノながら、現代アートっぽくて、キース・ヘリングの作品です」と言われたらそのまま信じてしまいそうな気がします。

   

このように、初めて聞く「古蜀」の遺物に、思いがけず盛り上がった私、その後の時代・国の作品にも予想を遙かに上回る満足感をいただいてきました

121111_2_11

記事を書くのに疲れてきましたので、「お持ち帰りしたい作品」をザザッと振り返ることにします。

まず、始皇帝の兵馬俑のうち「跪射俑」(BC3世紀)。

121111_2_07私、兵馬俑を観るのはこれが初めてでして、いたく感激いたしました

ホントに等身大で、とても丁寧かつ精巧に造られていて(彩色もあり)、突然動き出しそうな気がしました。

これほどの俑が、

3つの俑坑には戦車が100余台、陶馬が600体、武士俑は成人男性の等身大で8000体ちかくWikipediaより)

なんぞもあるなんて、造るのにかかった工数スキル費用はどればかりのものだったのか、想像を絶します

ところで、この「跪射俑」を後ろから観ていて、靴の底に目が止まりました。

121111_2_08 環状の彫り込みがビッシリ並んでいます。きっと滑り止めだったのでしょう。現代のスニーカーのソールとそっくりです。

次は「女性俑」(AD8世紀)。

121111_2_09西安の墓から出土したものだそうで、ふくよかな顔立ちと体つきユニークなヘアスタイル、そして、両足のつま先が外を向いた「イナバウアー」スタイルチャーミングです。

唐からもう一点。青磁「五花形盤」(AD9世紀)。

121111_2_10

浙江省の越州窯で焼かれたものだそうで、図録によれば、

浙江省の越州窯で焼かれた青磁は、晩唐時代になるとしばしば詩文に取り上げられるようになる。陸亀蒙の詩『秘色越器』に「千峯翠色」とあり、山々の緑にたとえられていることから、越州窯の青磁が「秘色」と呼ばれ、それまでの陶磁器にない新たな美しさをそなえたやきものとして賞賛されていたさまがうかがえる。しかしこの「秘色」が具体的にどのようなものを指しているかについては、長く確証が得られなかった。
法門寺地宮からは、この五花形盤を含め、全部で6件の青磁盤が出土している。これが『監送真身使随真身供養道具及金銀宝器衣物帳』にある「瓷秘色盤子畳子六枚」の記述に一致することから、これらの青磁が当時「秘色」と称されていたことが実証された。

とのこと。「秘色」かどうかはさておいてといい、といい、大きさ(口径 22.5cm)といい、気に入ってしまいました

最後に紹介するのは、契丹族が内モンゴルから中国・東北地方にまたがる地域につくった国「遼」の白磁、「革袋形壺」(AD10世紀)。

121111_2_12いかにも遊牧民族らしい造形です。

縫い目も含めて革袋を模した白磁の壺、ほっくりした形がかわいらしい

   

4000年以上の期間にわたって中国の地でつくられた作品を1時間あまりで観るというとんでもない時間旅行を終えて平成館の外に出ました。

121111_2_13 そして考えたのは、この日観た長い期間につくられた中国の文明・文化「連続性」「発展性」「深化」に乏しいのではないか、ということです。

大胆に言えば、国が滅び、国が興るつど、ゼロクリアが行われてきたのではないかということ。

中国には「易姓革命」という考え方があります。

こちらの説明によれば、

「易姓」は、王や皇帝の姓を変えること。「革命」は、天命が改まること。中国古来の政治思想で、王や皇帝は天命によって天下を治めており、その徳が衰えると、他姓の有徳者に天命がくだり、新しい王朝を建てると考えたことによる。

要は「国が滅びて政権が移るのは、前の国(政権)の徳がなくなっていたから」というわけで、政権を奪取した側にしてみれば、前の国(政権)の徳のなさを示すことが、そのまま自らの正統性を示すことになります。

建国が前の国(政権)の否定から始まり、かつ、民族間の政権交代さえ何度もあったことから考えれば、現在の中国共産党による支配の正統性は、「中華民国の徳のなさ」を示すことから始まるはずなのですが、「日本の徳のなさ」を国民に刷り込むことも正統性を証明する手段の一つにしている気がします。

こうして考えてみると、政府の腐敗や格差の拡大に怒りながらも、政府による情報操作(情報遮断を含む)に踊らされている中国人民が哀れに思えてきます。

観音菩薩と賭けをした孫悟空が、觔斗雲(きんとうん)に乗って世界の果てまで飛んでいったつもりだったのに、実は観音菩薩の手の上から出ていなかったを思い出します。

「徳」より「得」を重んじているとしか見えない中華人民共和国、いつまで持つんでしょ…

つづき:2012/11/18 今週は上野で博物館・美術館をハシゴ(その3・最終回)

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