小太郎のまんぷく日記

今日も元気だ!ごはんがうまいっ。

今日のオット弁♪

2020年10月21日 | ・弁当
オット弁を画像におさめるのは久しぶり!
朝すっきりと目覚めて頭と体の動きがいいと、弁当の出来上がり時間も早め。
そんなちょっとしたj時間の余裕が生まれると1日が楽な気がします~。
          

オクラの肉巻き・源タレ漬け卵・肉じゃが・ほうれん草のゴマおかか和え・プチトマト、
そしてシラス梅ご飯です。

  にほんブログ村 酒ブログ 酒の肴・おつまみへ

父の他界後、納骨のために妹がはじめての帰省。
10日の滞在を終えて先日東京に戻っていきました。

納骨を終えた週明けのある日、
母と妹とデパートに出かけました。
三人で街へ出かけるのはかれこれ久しぶりのことです。

小太郎と母がふたりでデパートに行ったのは昨年の11月以来。
小太郎の誕生月で、ふたりでくるりんに乗ったなぁ。
あの時はまだ杖で十分歩けてたのだけど、今回は手押し車の歩行器を使って。

人の流れに乗って移動が出来ないという不自由さがあっても
娘2人と一緒ならば頑張って行ってみようか!!と思える勇気が立派です。
正直、今回のお出かけは妹も一緒だから車椅子でも借りた方が楽かも?と思ってたのですが
ほんとうによく頑張って自分の足で歩きました。

実家に戻って車を下りる時に「街に出かけるのはこれで最後やね」とポツリ。

普段は病気のこともあって少しのことでくたびれてぐだぐだになってしまうのだけど
足の動きはともかく、
どこかにスイッチがあったのか?!と思うほど頭は冴えていたように見えました。

今日、人のたくさんいるところで歩くことで思い知ることも多かったと思うけれど
デパートで歩くって事は普通じゃないからね。
普段は頑張って欲しくて厳しく言ってる小太郎ですが、今日の頑張りはほめてあげたい。

今日のデパート行きは妹がいたからこそ。
休日のドライブや食事はオットが付いていてくれるので安心ですが、
平日にこうやって出かけるとなると、私一人だと心細い部分が圧倒的に増えていたので。
怪我をさせないように・・と思うと、できるだけの配慮が必要ですもんね。
妹が付いていてくれるおかげで
小太郎も母を離れてキョロキョロうろうろ出来るというありがたさ~。
このタイミングに思いついて出かけることが出来てよかった。

また翌日には車で30分ほどの親水公園へ。
母は妹と音楽に合わせてステップを踏みながらの手押し車ウォーキング。
母は妹に任せて、小太郎も久しぶりに気持ちよく大また歩きで体を動かすことが出来ました。

コロナのこともあって妹や妹夫婦の帰省はこれからも難しいところはあると思いますが
母と一緒に過ごせる時間を持てるよう、折りを見て帰って来て欲しいとねがいます。



普段は小太郎が車で5分程という近いところに住んでいて、
毎日顔を出してはいるけれど
短いとはいえ妹が実家に泊まっててくれると母は本当に心強いし安心なんだと思います。

再び妹が東京に戻っていくと、しばらく難しい時期があります。
それは仕方がないとはいえ、何度経験しても慣れることが出来ず。
こんなに年をとっても、色んなことは分かってるつもりでも
どうしても大人になれず、いつまでも達観出来ない自分がふがいないなぁ。

そんなふうに落ち込むこともあるけれど
気持ちはすぐに切り替えることが、前よりは出来るようになったかも知れません。
今磨くべきは鈍感力なのかも知れないなぁ。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父からもらった時計と50年前の写真。

2020年10月16日 | ・その他
先週末10月10日、父の葬儀以来はじめて帰省をした妹夫婦とともに
父の納骨をしました。
落ち着くべきところに家族揃っておさめてあげることが出来て一安心です。

        

これは3年くらい前かな?父とおしゃべり中にひょっこりもらった腕時計。
この角ばった文字盤は紳士物としたらちょっと小さめ、婦人ものとしては大きめというサイズ。
元々普段使いしてたお手ごろなものだったようですが
高齢になってベルトが面倒で使わなくなってた腕時計でした。

写真は父と小太郎。
小太郎は何歳なんだろう・・・50年くらい前に実家の玄関先で撮ったものだと思います。

もらった時には茶色のベルト、ウォルサムの金色の角ばった文字盤の腕時計はおじさん!な印象も強く
使ってみようかな?と、すぐには思いつけませんでした。

父が亡くなって少ししてから、電池が切れているのに気付き
父が時計の電池交換に行ってた時計店を訪れた時に、この青いベルトを見つけました。
写真では伝わりにくいですが、落ち着いたキレイな青色です。
特別扱いせずに、普段からわりと使ってます。
特に、ちょっとどこかに出かけよう!なんて時には、時計をつけていく・・・というよりも
時計を連れて行くって感じです。

  にほんブログ村 酒ブログ 酒の肴・おつまみへ

心配していた台風は来なかったけれど、その影響でとても蒸し暑い1日でした。
納骨の日、
昼食を済ませたあと、父と時々訪れていた海辺の釣り公園をみんなで訪れ、
義弟とオットと小太郎はしばし海を眺めながらおしゃべりを。
妹は手押し車を頼りに歩行の練習をする母といっしょにぐるりと敷地を一周半。

母の足の大変さはさらに進んだ感じですが、
父を見送るところまでは怪我もせずよく動いてくれました。
気持ちの強さに引っ張られ、頑張れたのだと思います。

時候のよいタイミングで納骨のためにみんなが集まることができて良かった。



実家の一室を義弟の仕事部屋に使えたら・・・
オンラインで可能な仕事をしているので、
ネット環境が整い、部屋をひとつ提供できれば今後の妹夫婦の帰省期間を長く出来るという。

さて、次回はいつ帰れるのか?わからないけれど
オットの手も借りてさっそく準備に動きました~。

昨夏以降、父の体の動きがどんどん悪くなっていたので
安全な動線を作る為に物をのけたり、移動させたりして父母が過ごす空間をスッキリさせましたが
その一方で物置化してしまった一部屋もあったり。

その部屋の不要なものを粗大ゴミに出して処分して整理、
結局は父が使っていた机を生かして使うことにしました。
生前、父が使っていた様子そのままで置いておきたい気持ちはもちろんありましたが
義弟がここで仕事をしやすいよう整えることで
妹夫婦が実家に長く居てくれる、母のそばに居てくれる・・・その方が父もきっと天国で喜ぶだろう。
そう納得しての部屋の整理でした。

父の机の引き出しにはたくさん大事なものが詰まっているので、机の中身はそのままに。
固定でみんなが利用していた文具のコーナーもそのままで。

父が国家公務員として社会に出て働き始めてから定年退職、そしてそれからしばらく働いた軌跡。
全ての昇進や転勤異動の辞令や給与計算などがとじられたファイル。
そんなものも引き出しの奥から出てきました。

両親が結婚したとき、小太郎が生まれたとき、妹が生まれたとき、
お給料をいくらもらって生計を立てていたとか、
転勤でどこに居たとか手にとるように分かるファイル。

さっとは目を通したけれど
これは時間をかけてゆっくりと見てみたいと思います。
父のことはまだまだ消化できないところも多いけれど、これもまたゆっくりと時間をかけて。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気がつけばすっかり秋の食卓

2020年10月07日 | ・さけ
ごぶさたしてます。
今年は時間の流れがちゃんと把握出来てない感じで、気がつけばもう秋!
ビックリです。

2ケ月ほどブログも手付かずでしたが、
その間にわずかではありますが食卓の画像を撮っていたので久々に更新を。

<秋鮭の塩麹漬け焼き・卵と根菜の袋煮・栗の渋皮揚げ・ナスの薄焼き・トマト> 10/5(月)
           

●栗の渋皮揚げ
オットも小太郎も栗はそう好物ではないのですが、この渋皮揚げは特別。
一晩水にひたして柔らかくしてから鬼皮をむき、
渋皮の付いた状態で数時間水にひたしておきます。
水気をふき取り、低温からじっくり油で揚げれば出来あがり。
        

●卵と根菜入り袋煮
卵と共に入っているのは大根・人参・里芋・しいたけの煮物とネギの小口切り。
朝晩がひんやりする季節になると、たいたものが俄然美味しく感じますよねぇ。
         


9月の末日にわが家のスダチを収穫しました。
これで100とちょっと!!
今年は割りと大きめの玉にそだち、小さい木ながらたくさん収穫出来ました。
            
3/4は恒例のポン酢に♪
残りは野菜室で焼き物や鍋物など、フレッシュに使う時のために待機しております~。

家主にはいろいろありすぎてあっという間の今年ではありますが、
このスダチの成長を見れば、確かにいつものように時間は流れていたのだなぁと実感します。
   
  にほんブログ村 酒ブログ 酒の肴・おつまみへ

いつかの食卓・・・夏の終わりから秋へ。
          

           

                 
          


初盆も泣く泣くあきらめて帰ることが出来なかった妹夫婦が帰省し、今週末に父の納骨。
落ち着くべきところに家族揃って送ってあげようと思います。

たくさんの事務的なことと、これからも続く母の病気のこと、いくつか母の生活空間の改善も。
そんな合間に少しだけ遺品の整理もしてみたり。
あぁ、父らしいなぁ・・・あぁ、こんな仕事をしてきたんだ・・・あぁ・・・
ほんのちょっと手をつけては胸がいっぱいになって、なかなか片付きはしないけれど
そんなのはゆっくりでいいのだ!と言い聞かせながら。


近いうちにと言いながら延び延びのお返事、
だいぶ落ち着いてきたので今度こそ本当にさせていただきますね。

そうそう、
痛いまますっかり後回しになっていた肩のリハビリに通っています。
ぷぷっ、五十肩です。
コメント (14)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ポンポン

2020年08月06日 | ※初めての方へ※
父のはじめての月命日にはオットと2人で実家に泊まり
母と3人で食卓を囲みました。
今はまだ母も頑張れているので、しばらくは様子を見守りたいと思っています。

母のリクエストにより、五七日の祭壇のお団子は少しだけ大きめに作りました。
ほんのちょっと大きなだけで、キレイに丸めるのが難しかった。
六七日にはもうちょっとコツをつかんで、
四十九日には父にもほめてもらえるようなツルぴかの団子を供えたいと思います。
                                        (記7月29日)



父が回復期リハビリ病院の退院当日に危篤になり、再び退院を目指しながら過ごした一週間のこと。
母は自身の体調のこともあるので最初の二日、
小太郎は退院までの一週間を父の隣で寝起きしていました。

父は皮膚のかゆみが強く、出血するほどのかきむしり防ぐという理由でミトンを装着していました。
そのミトンを着けた手で何度か小太郎の頭を軽くポンポン。
最初は体が苦しくて、たまたま伸ばした手が小太郎の頭に着地したのか?と思ってたのですが
ポンポンをする時には必ずこちらをじっと見つめている・・・
「あぁ、これはよしよし! ありがとうのポンポンなんだ」と気付きました。
この動作は看護師さんにも介護の方にも全くなかったそうです。

母も父と二人だけのときに頭をポンポンと撫でられたそうで、嬉しくて泣いてましたねぇ。


この一年ほどは思い返すと実に色んなことが起こって父はもちろん、家族も大変でした。
大変になるにつれ
父からかけられる「ありがとう」という言葉がどんどん増えていきました。

退院前の一週間ほどは、もう食事も水分も自力では摂れない状態でしたので
「ありがとう」という言葉に代えての頭ポンポンだったのだと思います。
してあげられることがあるだけ、あのときの私たちは十分に幸せでした。

リビングにかけてある父の写真を見て、どうしても淋しくなった時には、
自分の手で自分の頭をポンポンとたたいてみます。
悲しいですが、これも父との最後の思い出としてずっとずっと小太郎の胸に残るのでしょう。



みなさんからのあたたかい言葉と気持ち、心から感謝しています。
思いついたときだけの書きっぱなしで申し訳ありません。

もうすぐ四十九日です。
東京に戻った妹は今回の初盆と四十九日の法要の帰省を母の為に断念しました。
ひとつの大切な区切りを、家族で静かに過ごしたいと思います。
コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

父のこと

2020年07月16日 | ・その他
父の三七日も過ぎました。
昨晩思い出し泣きしながら寝入ったら、久しぶりに深く眠ったようで
今朝は久々にすっきりと目覚めました。


日付が6月24日に変わったころ、父は静かに息を引き取りました。

1週間遅れた退院後は自宅に戻り、
入院するまで父が寝床に使っていた部屋で10日過ごしました。
かかりつけ病院の先生の診察、看護師さんや介護の方の朝夕の訪問に助けてもらいながら
父は最期の時間を自宅で過ごすことが出来ました。

周りの人にはずいぶんと助けていただいて感謝しています。
そして父は本当によくがんばってくれました。
ありがとう。



落ち着いたら、父のことを振り返って書いてみようと思います。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする