夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『ミニスカに罰金5万円・・』、恋愛経験をされたことのない人が決めたの、と心の中で呟き・・。

2010-10-27 11:21:51 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であり、
先ほど、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開いたのであるが、
この中のひとつの記事に高齢者2年生の私さえ驚いたのである。

《 ミニスカに罰金5万円=女性の「大胆露出」に禁止令-伊 》

と題された記事を読んだりした。

無断であるが転載させて頂く。

《・・
       ミニスカに罰金5万円=女性の「大胆露出」に禁止令-伊

【ジュネーブ時事】
ミニスカートや胸元が大きく開いた服装は罰金最高500ユーロ(約5万6000円)-。

イタリアからの報道によると、南部のナポリに近い観光地カステラマーレディスタビアで25日、
女性の「大胆露出」を禁止する条例案が可決された。

イタリアには男性の上半身裸を禁じている自治体はあるが、
女性のファッションに注文を付けるケースは珍しい。

レプブリカ紙などによると、罰則対象は短すぎるミニスカートやお尻が見えそうなジーパン。
肩が露出した服装、ハイヒールもご法度となる。
ただ、どの程度短いミニスカートが対象かを明示しておらず、今後議論になりそうだ。

時事通信(2010/10/27-05:46)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は女性のスカートは、女性の魅力のひとつであると確信しているひとりである。
そしてツー・ピース、ワンピースなどを召された女性には、特に魅了される。

ここ30年ぐらいの社会風潮として、女性のジーンズなどが多く見られるが、
あくまで普段着であり、買物とか室内の掃除など、
或いは旅行先などアップダウンの多いところを歩いたりし、穿くものと思ったりしている。

こうした独断と偏見の多い私でも、スカートの種類は余り知らないのである。

そして、恥ずかしながらネットに頼って、検索していると、

『華やぐ大人のスカート』

と題されたネットにめぐり逢い、そぉーと開いた。

http://www.otto-online.jp/store/prdlist/cid/12109/mcd/A010302
☆オットーウィメン(レディースファッション) スカート ☆

私は生まれて初めて見る美麗なサイトで、
このようなスカートが紹介されたのが見たかった、と心の中で、こ踊りした。

そして若き高校生の時に、圧倒的に魅せられた襞(ひだ))のようなプリーツスカート、
大人になってから、タイトスカート 、裾の波打っているような広がりのあるフレアースカート、
そして巻きスカート・・あるかしら、と15分ばかり見ながら、見惚(みと)れていたのである・・。

今回のニュースを改めて感じることは、
南部のナポリに近い観光地カステラマーレディスタビアに於いて、
このような《ミニスカートや胸元が大きく開いた服装は罰金最高500ユーロ(約5万6000円)》
と懸案された方は、
若き女性からご婦人から限りなく魅力されるスカート・・もとよりミニスカートを含めてであるが、
恋愛経験をされたことのない人が、このような罰金などを思いつかれた、
と私は思ったりしている。


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『田原総一朗氏、取材テープ提出命令に即時抗告』、確かな真実の追求すれば・・。

2010-10-26 21:36:22 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
さきほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていて、

《 田原総一朗氏、取材テープ提出命令に即時抗告 》

と題された記事を見て、この件に初めて知り、精読した。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
         田原総一朗氏、取材テープ提出命令に即時抗告

北朝鮮による拉致被害者の有本恵子さん(失踪(しっそう)当時23歳)の両親が、
ジャーナリストの田原総一朗氏(76)にテレビ番組で
「外務省も生きていないことはわかっている」
と発言され、
精神的苦痛を受けたとして慰謝料を求めた訴訟で、
田原氏は26日、外務省幹部への取材テープの提出を命じた神戸地裁の決定を不服とし、
大阪高裁に即時抗告した。

田原氏は
「取材源の秘匿を前提に口外しないことを約束したやり取りが録音されており、守秘義務を負っている。
開示されれば、取材の自由に危機的な影響を与える」
と主張している。

(2010年10月26日18時56分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は前提条件として、北朝鮮の独裁政権の下で、
余りにも卑劣な拉致は、許すことのできない国際犯罪である、と怒りを感じているひとりである。

拉致されるご家族はもとより関係者の方たちの心の痛みは、
長年の苦痛は言葉に表現できないほど、
痛切な時をお過ごしと、無力な私でも思い感じている・・。

そして、何よりも『どのようなことがあっても・・生きていて欲しい』
とたえず希望的な真情をお持ち、と私は理解している。

しかし、冷酷きわまる非人道の北朝鮮の劣悪な独裁政権の中、
長年に拉致された方は、真実はどのようになっているのか、
少なくとも日本に住んでいる私たちは解からない・・。


こうした問題を含めて、あらゆる内外の諸問題を問いただし、
少しでも解明し、解決に導きだせたら、と念願して、
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などのメディアが存在できる理由のひとつとなっている。

そしてこの中の一部として、ジャーナリスト、ノンフィクション・ライターなどの場合、
実名で新聞、雑誌、単行本などで公表、或いはテレビ、ラジオに出演され発言することは、
まぎれなく命を張ったことなのである。

なぜならば当人にとっては、誤報はまさに今後、信用されず、
信頼できないことは、大手のメディアの方たちと違い、今後の生活が出来なくなるということである。

もとよりテレビ番組の安易な娯楽番組などのコメントをされる方たち、
そして、昨今の政治家の一部の諸兄諸姉のあやふやで、その場限りの発言、
或いは根拠のないいい加減な発言とは、まさに歴然と境界線がある。

ジャーナリスト、ノンフィクション・ライターは、
問題の真実を求めて、あらゆる取材を駆逐して行動し、公表する。
取材中、取材される方の多くは、問題が難題になればなるほど、波及効果が大きければ多いほど、
当人は明らかにしない前提で発言されることが圧倒的に多いのである。


今回の問題は、まさに田原総一朗氏の発言通り、
「取材源の秘匿を前提に口外しないことを約束したやり取りが録音されており、守秘義務を負っている。
開示されれば、取材の自由に危機的な影響を与える」

そして、何よりも重要なことは、いい加減な発言、真実でないフィクションをした場合は、
たとえ高名な田原総一朗氏であっても、明日ないのである。


どうかこうしたことを拉致されたご家族、関係者の多くの方たちに、
ご理解をお願いしたい、というのが、今回ニュースを読み終えた後の私の思いである。


尚、私は田原総一朗氏とは面識もなく、一切関係ない身であり、
40年前の頃、20代の前半でノンフィクション・ライターの下働きをした体験から、
発露したものである。


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『地上デジタル放送:完全移行に延期論』、私は微苦笑しながら読み終えて・・。

2010-10-26 13:49:06 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
先ほど、毎日新聞の基幹ネットの【毎日jp】を見ていたら、

《 地上デジタル放送:完全移行に延期論 広瀬道貞さんと坂本衛さんに聞く 》

と題された記事を読んで、やはり『地上デジタル放送:完全移行に延期論』が出てきた、
と思いながら精読した。

この記事は、毎日新聞の昨日の10月25日で東京朝刊に於いて掲載され、
内藤陽、臺宏士の両記者がインタビューされて、綴られた記事と思われが、
無断で恐縮であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
          地上デジタル放送:完全移行に延期論 広瀬道貞さんと坂本衛さんに聞く

来年7月24日に予定されている地上テレビのデジタル放送への完全移行に対して、
識者から延期を求める声が上がっている。

デジタル対応テレビの普及が遅れ、多くの「地デジ難民」が出かねないためだ。
テレビが見られないと、地震など緊急の際の防災情報を得られない人は間違いなく増える。
予定通りの完全移行を目指す日本民間放送連盟(民放連)の広瀬道貞会長(テレビ朝日顧問)と、
延期論を主張するジャーナリストの坂本衛氏に話を聞いた。【内藤陽、臺宏士】


◇延びれば維持は困難 相談・対応態勢に2万5000人--民放連会長・広瀬道貞さん

--識者らから延期を求める声が上がっています。

◆アナログ停波がテレビ離れのきっかけになり、テレビ事業が大変になるだろうという親切心からの、
 ありがたい忠告と受け止めている。
 実態はそうした心配はあまりないし、延期しても普及率が一気に伸びることはない。
 3月時点の世帯普及率は83・8%となっているが、いまアンテナで直接受信できる世帯はすでに90%は超えていると思う。

 来月以降発表される9月調査では目標(91%)を十分超えるだろう。
 今回のデジタル化計画は、政府が各国の状況をみながら国会に提案して決めた。
 国を挙げた大プロジェクトの成功例になると思う。

--延期すればどんなデメリットがありますか。

◆地デジの相談や生活保護世帯などへの視聴者対応に、
 NHKや民放、テレビメーカーがかかわる「デジサポ」などで日々働く人は約2万5000人に上る。

 計画の基本的な部分も順調に進んでいる。
 関係者も住民と直接向き合って対応しているのに、ここで延期する必要はない。

 仮に3年延期して買い替えが進めば少しは普及率は上がるかもしれないが、
 人員を維持するための財政や関係者の緊張感、やる気なども低下し、かえって完全移行は不可能になる。

 いまこれだけの人員をかけて対応している時期にすべてやってしまうべきで、
 あと3年間この態勢を維持していくことはありえない。

 ただ、経済的理由からテレビの買い替えができないという人を置き去りにしてしまえば、デジタル化の失敗になる。

 今後、PRの一環として、支援措置があるので相談してください、
 というお知らせに取り組んでいきたい。

--テレビを見られない世帯が多いと民放の広告主は値下げを求めませんか。

◆そういう世帯は実際はそう多くないだろうし、できるだけ減らしたい。
 ただし、世帯、事業所がすべてのテレビを地デジ対応受信機に買い替えるかというと話は別。

 いったんは一家に1台しかテレビがない状況になるかもしれない。
 今のところ、それを理由に、CM単価の切り下げ要求が出ることはないと考えている。

 なんといっても影響力はまだテレビが一番大きいからだ。
 1億2000万台のテレビが、たとえ来年7月に1億台に落ち込んだとしても、
 メディアとしての魅力が増しているのでテレビは見てもらえるだろう。
 ほかに代わるものもないので、減収の心配はしていない。


◇情報途絶、許されない 実態調査の手法に問題点--ジャーナリスト・坂本衛さん

--今年7月に、清水英夫・青山学院大名誉教授らとアナログ停波の延期を求める提言を発表しました。

◆今回の奄美大島の豪雨のように、多くの人は避難の判断をライフラインであるテレビに頼っていると思う。
 ところが、地デジ対応テレビの絶対数が足りない。
 我々の試算では約1億3000万台あったのが、来年7月には約7000万台になる。
 その中での完全移行は、テレビ放送から切り離された多くの視聴者を出す恐れが大きい。

 特に、地上放送をアンテナで受信している世帯が多い南関東地区では、
 マンションやアパートなどの共同住宅の地デジ対策が大幅に遅れており、「南関東問題」といわれている。

 もし来夏に台風や津波の緊急情報を聞き逃すなどして避難が遅れ、
 犠牲者が出た場合の責任をNHKや民放連、総務省はどう取るつもりなのだろうか。
 責任者が辞めたでは済まない話だ。

--普及率調査の手法も疑問視していますね。

◆総務省の3月調査の普及率「83・8%」は、実態をまったく反映していない。
 機械的に生成した固定電話の番号に電話して了解のあった人に調査票を送る方式だが、
 携帯しか持たない若者や、昼間自宅を留守にしている単身者や共働き世帯には電話がつながりにくいからだ。

 我々はせいぜい60%台とみている。
 放送政策の大転換を、このように不正確で非科学的な手法で得た結果に基づいて判断することは許されない。

--アナログ放送を続けるとコストがかさむという反論もあります。

◆NHKの福地茂雄会長によると、BSを含めたアナログ放送を続けるコストは年間約60億円程度だという。
 これは受信料収入の1%にすぎないが、
 完全移行で支払いを停止する世帯が1%で済むはずがない。

 現実には受信料収入の1割(約650億円)以上にも及ぶ可能性すらあると思う。
 完全移行による減収の方が大きいことは明らかだ。

 一方、CM頼りの民放だが、テレビ台数の激減で広告主は、間違いなくCM料金の値下げを求めてくる。
 台数や視聴者数が大幅に減ったのにもかかわらず、同じ料金体系のままでは株主に説明できないからだ。

 延期で傷つくのは、総務省のメンツくらいで、損害を被る人はほとんどいない。
 放送現場では多くの人がもう無理、と思い始めている。

 「国民の生活が第一」をうたう民主党政権が決断すべき時だ。


◇総務省調査、3月の世帯普及率83.8% 簡易チューナー配布対象拡大
 
 2003年12月に3大都市圏で始まった地上デジタル放送は、
 2001年の電波法改正と総務省告示で、来年7月24日までの完全移行(アナログ放送停波)が決まった。
 しかし、今年3月時点での同省調査では、テレビなど地デジ対応受信機の世帯普及率は83・8%。

 年収200万円未満の低所得世帯だと67・5%にとどまった。
 持っていない理由は「地上アナログ放送の停波まで時間的余裕がある」(71・6%)、
 「経済的に余裕がない」(36・8%)など。

 しかし、完全移行まであと1年に迫った今年7月、
 原口一博前総務相は「延期の選択肢はまったく考えていない」と表明。

 片山善博総務相も今月22日の会見で、「
 全力を挙げて懸念要因をなくすよう努力する方針に変わりない」と強調した。

 同省は2009年度から、生活保護世帯などNHK受信料全額免除の最大280万世帯を対象に、
 アナログテレビに接続して地デジを見られるようにする簡易チューナーの無償配布を開始した。

 すでに97万世帯の申し込みがあったが、
 生活保護費の受給を周囲に知られたくない、と申請をためらうケースもあるという。

 2011年度からは、さらに対象を拡大する予定。
 「低所得者対策は低調ではない」(地上放送課)とする。

 
 一方、「地デジ難民」問題はNHKにとっても悩みの種だ。
 内部調査で受信料収入が91億~666億円減る恐れがある、との試算も出たからだ。

 最悪の場合、受信料収入の約1割が失われる計算になる。
 福地茂雄会長は今月14日の会見で、
 「600億(円)も減ったら大変なことで、予算なんかできやしない」と述べた。

毎日新聞 2010年10月25日 東京朝刊
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私達夫婦は子供に恵まれず、たった2人だけの家庭であり、
古惚けた一軒屋に程ほどリフォームして住んでいるが、
テレビに関しては、いまだ地上デジタル放送対応ができていない我が家である。

居間の洋室17畳ぐらいの広さに、13年前に買い改めた32インチ型、
そして寝室の和室6畳に8年前の21インチ型のテレビがあるだけである。

私がテレビを視聴するのは、NHK総合、NHKのBSのニュース、ときおりドキュメンタリー番組ぐらいで、
家内は、これ以外に民間放送のテレビ番組を視聴したりしている。

そして私はビデオテープ、DVDの映画、ドキュメンタリー、音楽などの作品を、
定年退職前の10年前の50歳前後から、CD、DVD販売店で盛んに購入したり、
一時期間に『WOWOW』に加入したりし、収録していたので、
総数は1000作品は超えている。

私はドラマも好きであるが、昨今のドラマに魅了されず、
映画の邦画、洋画を視聴したりすることが圧倒的に多いのである。

しかしながら、来年の2011年7月24日にアナログ放送停波し、
完全地上デジタル放送移行と昨年の新春に知ったので、
我が家は何時に切り替えようかしら、と家内と話し合ったりした。


昨年の春に、デジタル対応の薄型テレビを本格的に話したりした・・。
『XXちゃんさぁ、この辺のご近所・・テレビ・・デジタル対応にしたのが多いみたい・・
我が家も・遅ればせながらデジタル対応の大型テレビにしない?』
と退職後の年金生活で気弱になった私は、家内に云ったりした。

『でも・・今のテレビ見られるし・・旅行が三つばかり予定しているでしょう・・
テレビの購入・・もう少し待ったら、あなたの欲しい大型でも廉(やす)くなるし、
性能も良くなるみたいだし・・』
と家内は微笑みながら私に云った。


我が家は家計の基盤は、平素の日常生活は原則として年金支給でまかない、
そして私達夫婦の共通趣味の国内旅行、冠婚葬祭などは、
程ほどの貯金から取り崩すのが基本としている。

そして、毎年12月のひとときに、翌年の概算予定額を話し合い、
特に耐久商品の購入などの予定は、程ほどの貯金から取り崩すので、
話し合ったりると微苦笑することが多い。

昨年の12月にテレビの話題になった時、
結果としては、来年の2011年4月頃に、購入することに決めたのである。

『デジタル完全実施の年で・・ぎりぎりかょ』
と私はぼやいたりし、
『50万円の予算で、俺の欲しいプラズマのビエラの50型、そして寝室用の20型ぐらいの・・
テレビ2台買えるかなぁ』
と私は笑いながら家内に云ったりした。


恥ずかしながら、こうしたことが我が家の年金生活の実態なのである。

そして、ときおり私は、定年退職前の現役サラリーマン時代だったら、
音響のステレオ、映像のテレビ、DVDプレイヤーそしてパソコンなどは私の選定で思い立ったら、
数ヶ月以内に購入していたので、
あの頃は楽だったよなぁ、と高齢者2年生になった私は苦笑することが多いのも事実である。


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『東京国際映画祭、中国監督が「台湾」名称にクレーム』、私は苦笑し、そして妄想を重ねれば・・。

2010-10-26 09:36:06 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
今朝、いつものように読売新聞を読んでいて、何よりも注視させられたのは、
38面の【社会面】の小さな記事であった。

《 映画祭、中国監督が台湾名称にクレーム 》

と題された記事で、やはり具体的に行動されたか、と思いながら、私はこの記事を精読した。

この記事は、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】に掲載されていたので、
無断ながら転載させて頂く。

《・・
          東京国際映画祭、中国監督が台湾名称にクレーム

【台北=源一秀】
23日に東京都港区の六本木ヒルズで行われた東京国際映画祭の開幕式で、
中国からの参加者が「台湾」を冠した台湾代表の名称にクレームをつけたことから、
双方の俳優ら56人が式への参加を取りやめる事態となったことが分かった。

台湾当局者が25日、明らかにした。

開始直後に中国の江平監督が
「台湾は中国の一部であり、
台湾の出席者に『台湾』の名称が使われているのは不適切だ」
と主催者側に詰め寄り、
「『中国台湾』か『中華台北』を使用しなければボイコットする」
と主張したという。

台湾の陳志寛団長が反論して両者が一歩も引かず、双方の俳優が出席しないまま式が終わった。
出席できなかった参加者には、台湾出身の女優、ビビアン・スーさんらがいた。

同映画祭では、これまでも「台湾」の名称が使われたが、問題となったことはなかった。

台湾の総統府は24日、
「中台双方の平和発展に好ましくない」
と、中国側に抗議する声明を出した。

(2010年10月26日01時09分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は中国政府は共産党一党の独裁政権は、具体的な言動を示してきたか、
と私なりに確信したのは、
過日の10月2日に時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】が報じた記事である。

《・・
      中国、尖閣も「核心的利益」に=台湾・チベットと同列-香港紙

【香港時事】
香港紙サウス・チャイナ・モーニング・ポストは2日、
北京の外交筋の話として、
中国指導部が今年に入ってから、尖閣諸島(中国名・釣魚島)など東シナ海の領土・領海問題を
台湾、チベット、新疆問題と同じ「核心的国家利益」と位置付けたと報じた。
 
尖閣近海で9月7日に起きた日本の海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で中国側がこれ
までより強硬な姿勢を示したのは、この政策調整があったためとみられる。 
 
同紙によると、中国指導部は昨年末の会議で、
国の統一にかかわり、対外関係の中でよく取り上げられる問題を「国家利益」と規定し、
特に重要な台湾問題などを「核心的国家利益」とすることを決定。
さらにその後、東シナ海と南シナ海の領土問題も「核心的国家利益」に分類したという。

時事通信 2010/10/02(土) 17:56:20
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


こうした記事を読んでいた私は、中学生でも解かるように、
中国の共産党一党の独裁政権は、「核心的国家利益」として、

◎台湾

◎チベット

◎新疆ウイグル自治区

◎南シナ海、そして尖閣諸島(中国名・釣魚島)など東シナ海

と定義され、国際主要国の常識とされている。

そして、今回のニュースに於いて、たとえ「東京国際映画祭映画祭」でも、
《・・国の統一にかかわり・・特に重要な台湾問題など・・》に基づいて、
中国政府の江平監督は、
「台湾は中国の一部であり、
台湾の出席者に『台湾』の名称が使われているのは不適切だ」
と主催者側に詰め寄り、
「『中国台湾』か『中華台北』を使用しなければボイコットする」
と主張した根底と私は理解したのである。

もとより台湾の陳志寛団長は、『中華民国』の代表として文化交流を促進する為に、
従来どおり「台湾」を掲げて参加されたのであるから、反論は当然の行為であり、
もとより国家の主権にかかわることである。

そして、《台湾の総統府は24日、
「中台双方の平和発展に好ましくない」
と、中国側に抗議する声明を出した。》
国家の主権として当然の声明である。

このように私はぼんやりと思ったりしていると、ひとつの妄想を思い馳せたりした。

我が国の日本が、『台湾』の『中華民国』と合同軍事演習を行い、
台湾の近海、そして尖閣諸島(中国名・釣魚島)など東シナ海、そして沖縄本島の近海まで、
実施したならば、中国の共産党一党の独裁政権の軍事はどのような言動をされるか。

そして二国で不足と軍事専門家が指摘されるならば、
アメリカに懇願して、参加して頂き、三国で合同軍事演習を行なう。
何よりも確固たる国家の主権を維持することに関して、ひとつの施策かしら、
と私は妄想を重ねたりしている。


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『検察側は求刑に先立ち、死刑を選択する場合の基準として、「永山基準」』、私は初めて学び・・。

2010-10-25 23:40:33 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であり、
夕刻に、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開いたのであるが、

《 裁判員裁判初の死刑求刑=「2人殺害の結果重大」-耳かき店員殺人・東京地裁 》

と題された記事を読んだりした。

無断であるが転載させて頂く。

《・・
東京都港区で昨年8月、耳かき店従業員江尻美保さん=当時(21)=と祖母の鈴木芳江さん=同(78)=を殺害したとして、
殺人罪などに問われた元会社員林貢二被告(42)の論告求刑公判が25日午後、東京地裁(若園敦雄裁判長)であり、
検察側は「身勝手、残虐で、全く落ち度のない2人の命を奪った結果は重大」として、裁判員裁判で初の死刑を求刑した。

26日から4日間の評議を経て、11月1日に判決が言い渡される予定。
争点は刑の重さのみで、裁判員の量刑判断が注目される。

検察側は求刑に先立ち、死刑を選択する場合の基準として、
1983年に最高裁が示した「永山基準」を説明。
「裁判官、裁判員には健全な社会的常識に従って、極刑がやむを得ないかを判断してもらいたい」と述べた。

求刑の理由として、
「動機は身勝手で自己中心的。極めて執拗(しつよう)、残虐な犯行で、計画性も認められる」と指摘。
「被害者2人に落ち度はなく、遺族感情も峻烈(しゅんれつ)で、社会に与えた影響は大きい」と厳しく非難した。

時事通信(2010/10/25-18:05)
・・》
注)記事の原文をあえて改行した。


私は何より驚いたのは、
《・・検察側は求刑に先立ち、死刑を選択する場合の基準として、
1983年に最高裁が示した「永山基準」を説明。・・》
とのことであり、私は初めて学んだのである・・。

そして「永山基準」し指摘されても、恥ずかしながら無知なので、ネットで検索した結果、
フリー百科事典として名高い『ウィキペディア(Wikipedia)』に於いて、
「永山基準」の根源の【永山則夫連続射殺事件】を読み込んだのである・・。

私はこの永山則夫連続射殺事件も無知なので、『ウィキペディア(Wikipedia)』にすがり、
転載させて頂く。

《・・
永山則夫連続射殺事件とは、1968年10月から11月に掛けて、
東京都区部・京都市・函館市・名古屋市において発生した、ピストルによる連続射殺事件である。

☆事件の概要

横須賀のアメリカ海軍基地から盗んだピストルにより、社会への復讐のために短期間のうちに4人を射殺した。

第一の殺人事件
1968年10月11日、東京の東京プリンスホテルで27歳ガードマンに対し2発撃って射殺した。

第二の殺人事件
1968年10月14日、京都の八坂神社境内で69歳警備員に対し6発撃って射殺した。

第三の殺人事件
1968年10月26日、函館で31歳タクシー運転手に対し2発撃って射殺した。

第四の殺人事件
1968年11月5日、名古屋で22歳タクシー運転手に対し4発撃って射殺した。


☆身柄拘束

1969年4月7日に一連の犯行に使用したピストルを持って予備校に金銭目的で侵入した所を、
機械警備の警報で駆けつけた日本警備保障(現セコム)の警備員に発見されるが、
発砲してガードマンがひるんだ隙に逃走。

しかし、警視庁が緊急配備を発令。
数時間後、警戒中の代々木署のパトカーに発見され逮捕された。


☆逮捕後の流れ

裁判

永山則夫は、犯行当時19歳の少年だったが、
犯行累積の抑止と逮捕のために指名手配されたこともあり、当初から実名報道がなされる。

10年を費やした1審の審議では、1979年に東京地方裁判所で死刑判決を受けたが、
2審の東京高等裁判所では、心境の変化・家庭環境・生育状況が劣悪であった事、
配偶者を得たことを酌量による減刑の理由として、
犯行時未成年であったことからその更生を期して1981年に無期懲役に減刑された。

しかし検察側は上告し、最高裁は1983年に東京高裁の判決を破棄して東京高裁に審理を差し戻し、
1987年の東京高裁(第二次)と1990年の最高裁(第二次)は
「永山則夫が極貧の家庭で出生・成育し、両親から育児を放棄され、
両親の愛情を受けられず、自尊感情を形成できず、人生の希望を持てず、学校教育を受けず、識字能力を獲得できていなかったなどの、
家庭環境の劣悪性は確かに同情・考慮に値するが、
永山則夫の兄弟姉妹たち7人は犯罪者にならず真面目に生活していることから、
生育環境の劣悪性は永山則夫が4人連続殺人を犯した決定的な原因とは認定できない」
と判断して、死刑判決が確定した。


獄中での心境の変化

一審頃まで
永山は生育時に両親から育児を放棄され(ネグレクト)、両親の愛情を受けられなかった。
裁判が始まった当初は、逮捕時は自尊感情や人生に対する希望や他者を思いやる気持ちも持てず、
犯行の動機を国家権力に対する挑戦と発言するなど、精神的に荒廃していた。

二審頃まで
その後、獄中結婚した妻やその他の多くの人の働きかけと、裁判での審理の経験を通じて、
自己が犯した罪と与えた被害の修復不可能性に関して、
自己に対しても他者に対しても社会に対しても客観的に認識・考察する考え方が次第に深まった。
その結果、反省・謝罪・贖罪の考えが深まり、最終的には真摯な反省・謝罪・贖罪の境地に至った。
また5人分の命(被害者と自分)を背負って贖罪に生きることが償いになるのではないかといったやり取りが残されている。
二審のやり取りの中でもし社会復帰をしたらの問いに対し
「テストで1番の子がビリの子を助けるような塾をやりたい」
といった趣旨の発言をしている。

差し戻しから死刑確定頃
差し戻し審で無期懲役が難しくなると
一転してⅠ審のような国家権力に対する発言に変わったが、関係者の話では1審のような迫力はなかった。
また拘置所で面会に訪れた人に対して、社会に出た時の話をしなくなった。
弁護士に対して
「生きる希望の無かった人に、生きる希望を与えておきながら結局殺す。
こういうやり方をするんですね」
といった趣旨の発言をしたとされている。

死刑執行
永山則夫は、1997年8月1日に東京拘置所において死刑を執行された。享年48。

死刑執行の署名をした法務大臣は松浦功。
親族は遺骨の引取りを拒否し、弁護人の遠藤誠が引き取った。
遺骨は本人の遺志でオホーツク海に散骨された。


☆文筆活動

書籍
永山は父親から育児を放棄され、貧しい中荒れた生活を送り学校教育を受けず、
逮捕時は読み書きも困難な状態だった。

しかし獄中での独学によって識字能力を獲得し、執筆活動を開始した。
1971年に手記「無知の涙」をはじめ多くの文学作品を発表している。
後にこれらは「日本」という書籍にまとめられる。

1983年には小説「木橋」で第19回新日本文学賞を受賞するなど創作活動を通して、
自己の行動を振り返るという、死刑囚としては稀有な存在であった。
また、それらの印税を4人の被害者遺族へ支援者を通して渡している(受け取りを拒否した遺族もいる)。

手紙
永山は獄中からたくさんの手紙を書いている。
内容は獄中結婚した妻や支援者とのやり取りから、本の読者からの悩み相談まで多岐に渡る。
また永山は返信する文面を写していたため、遺品の中には受け取った手紙と返信した手紙が対になって保管されている。


☆永山基準

この事件以降、殺人事件において死刑判決を宣告する際は、
永山判決の傍論である死刑適用基準を判例と同等に参考にしている場合が多く、
永山基準と呼ばれその影響力も大きい。

1983年に第1次上告審判決では基準として以下の9項目を提示、
そのそれぞれを総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、
罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合に許されるとした。

犯罪の性質

犯行の動機

犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性

結果の重大性、特に殺害された被害者の数

遺族の被害感情

社会的影響

犯人の年齢

前科

犯行後の情状

また、傍論の効果や是非について議論される時には、永山基準が参考にされる事が多い。


☆殺害された被害者の数

この判例以降、4人以上殺害した殺人犯に対しては、
裁判所が被告人の犯行時の心神耗弱・自首・従犯・未必の故意などを認定して無期懲役に減刑して判決をした事例
(1980年の新宿西口バス放火事件(6人殺害)や1981年の深川通り魔殺人事件(4人殺害)、
1982年の西成区麻薬中毒者殺人事件(4人殺害)、2000年のテレホンクラブ放火殺人事件(4人殺害)、
2002年の北九州監禁殺人事件(6人殺害、1人傷害致死)等の例)を除けば、
裁判所は原則としては死刑判決を適用している。

また、1人だけを殺害した殺人犯に対しては身代金目的誘拐ではなく、殺人の前科がない場合は、
死刑判決を回避する傾向が長らく続いてきたが、
近年は厳罰化の世論の影響で、身代金目的誘拐や殺人の前科がなく被害者が1人であっても死刑判決が確定されるケースが見られるようになった
(三島女子短大生焼殺事件、奈良小1女児殺害事件、闇サイト殺人事件)。

また、地下鉄サリン事件の横山真人は殺人未遂と自動小銃密造違反で起訴されたが、
サリン散布計画の内容全体を熟知し関与したことを裁判所は重視し、死刑が確定した。
・・》

この後、永山則夫の肝要の犯行の前の動機が知りたく、
《・・
永山は自殺願望があり、米軍基地に乗り込み暴れれば、射殺されるだろう、と思い忍び込んだところ、
偶然に宿舎内に置いてあった婦人護身用の22口径の小型拳銃を入手したので、
社会への復讐心から計画を変更したと供述している。・・》

そして私は注視しながら、動転しながら、狂気と思われたのは、
《・・ 遠藤誠弁護士の談によると、・・
自分が死刑になれば
「著作を通して自分を支持してくれている人達が一斉蜂起し、内乱になるぞ!」
とも語ったという・・》


私が長々と転記したのは、昨今の余りにも卑劣で悪質きわまる殺人事件に於いても、
死刑にならないことが多く、日本は温情主義の風潮なのかしら、と感じることが多いのである。
そして、平素はおとなしい方といわれている私でも、
卑劣で悪質きわまる殺人事件に対しては、徹底厳罰を望んでいる私は不思議に思ってきたりしたのである。

こうした思いは、このサイトにも私は投稿を重ねたりし、
たまたま最近はふたつばかり投稿している。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/97a203282f4ebabd750a9111a2a46d16
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
   10月15日【『梅田の引きずり死、元ホストに懲役15年』、私は不当であり、恩赦なき死刑が妥当である。】☆

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/1ad5e2d848624081b860ee17781437cf
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
   10月6日【求刑上回る懲役24年=裁判員裁判「求刑に違和感」-東京地裁、私は拝読し、そして・・。】☆


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倉重篤郎の『仙谷由人は「赤い後藤田」か 問題は、菅首相が使い切れるか』、拝読して・・。

2010-10-25 17:51:55 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
日頃は読売新聞を愛読し、ネットは読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を中核に見ているが、
ここ数日は、毎日新聞の基幹ネットの【毎日jp】を少しばかり読んだ限りであるが、
昼下がりのひとときに深い洞察力のある時評のような名文にめぐり逢えた。

読み終わった後、まぎれなく人の深淵まで描ききった渾身ある名文と感じ、
紹介致したく、無断であるが、記事を転載させて頂く。

尚、この記事は【東奔政走】と題された定例記事のひとつと思われ、
私は初めて倉重篤郎(くらしげ・あつろう)氏の綴られた文を読み、氏は毎日新聞専門編集委員の方である。

《・・
          仙谷由人は「赤い後藤田」か 問題は、菅首相が使い切れるか

仙谷由人官房長官をめぐる報道がかまびすしい。
一般紙から週刊誌まで世のメディアの格好のネタとなっている。
曰く「傲岸不遜」「影の首相」「媚中派」……。
中でも「赤い後藤田」というのが面白い。
中曽根康弘内閣を5年支えたカミソリ後藤田(正晴)氏並みの実力官房長官だと言うのか、
単に旧社会党の出自で「赤い」と言うだけなのか。


◇虚像を膨らませて政治的パワーを増大

官房長官の真価が問われるのは、首相官邸で1日2回行われる記者会見の場だ。
プレスと権力の真剣勝負である。
プレスは権力の失態を暴こうとするし、権力はその正当性を発信しようとする。

そのプレスへのにらみ、という点では後藤田氏は一流だった。
あのいかめしい表情で記者団をジロりと見渡し、不当な報道は一切許さず、
という抑止力オーラを発散させていた。もちろん鞭だけではなく飴の使い道も心得ていた。
ニヤリと相好を崩して相手を油断させ、飯のタネになるニュースも塩梅良く提供した。
その悪達者さは相当なものだった。

仙谷氏はどうか。とてもその域には達しないが、萌芽は見える。

10月5日の記者会見では『産経新聞』を名指しで非難した。

「産経新聞の大見出しは、日本の法制度そのものに対する挑戦だ。
憤慨にたえない。
こういう誤解を与える見出しをつくるセンスに、怒りをもって抗議したい」

検察審の2度目の議決で小沢一郎氏の強制起訴が決まった翌日のこと。
「これは仙谷の差し金だ」と語った小沢氏側近のベテラン議員発言を、
産経が朝刊1面にデカデカと大見出しで展開したのに反応した。

小沢氏側がそういう見立てをしているのは事実だ。
筆者も耳にした。
だが、常識的に考えて官房長官が検察審の議決内容や段取りに介入するわけがない。
権限もない。
その意味では、見出しの扱いが行き過ぎた、ともいえよう。

仙谷氏はそのへんを見逃さなかった。
「法制度に対する挑戦」という穏やかならざる表現でメディアを牽制したのだ。
それだけではない。
オマケも取った。

政治家は虚像を膨らませて政治的パワーを増大させていく。
小沢氏も後藤田氏もそうだった。
実態はそこまで力が届いているわけではないのだが、メディアが書きたててくれることによって、
永田町に起こるさまざまな出来事の陰の采配者に祭り上げられるのだ。
仙谷氏もその仲間入りをしたわけだ。


10月15日の記者会見では象徴的なやりとりがあった。
記者団が「仙谷氏を影の首相」とする指摘への感想を求めると、
「菅(直人)首相が十二分にリーダーシップを持って政権運営している。
私に対するおちょくり、菅内閣に対する揶揄としか考えられない」と反論した。

菅氏をかばいながら自らの存在感を否定しない。
若い記者たちにナメンナヨ、と。
これを悪達者と言わずして何と言う。

悪達者ついでで言えば、女房役に徹することである。
担ぐべき首相との過去の関係は問わない。
いったん契りを交わせば、徹底的に首相を守り、場合によっては権力闘争を仕掛けて首相の立場を強化する。


後藤田氏もかつては中曽根氏を「オンボロ神輿」と評していたが、
いったん担ぐとなると、「政権のスタビライザー(安定化装置)」として尽くし、
中曽根氏の首相任期延長の流れを率先して作り上げた。

仙谷氏もまた、かつては菅降ろしをしたこともあり、
菅氏からみて文字通り「煙たい存在だった」が、
いざ官房長官となると、菅氏をよく支えている。

小沢氏との権力闘争では、トロイカ体制再確認による妥協路線を排し、
代表選での白黒決着に持ち込ませた首謀者だ。
戦って勝つことの方が結果的に菅政権を強化し、かつ勝てる、と読んだのだ。


官房長官の最大の仕事は危機管理能力である。
大韓航空機撃墜(1983年)の軍事データ開示、
三原山噴火(1986年)の全島避難などで見せた後藤田氏の手腕は突出していた。

仙谷氏でいえばまさに尖閣問題の処理をどう評価するか、である。
筆者は合格点をつける。
船長を逮捕・拘留せずに自民党政権時代のように強制送還する方が賢明だった、
との選択肢は確かにあったかもしれない。

だが、代表選の熱気で強気に出るベクトルの方が強かった、と言われれば、それまでの話ではないか。


◇後藤田との違いは「ポスト菅」であること

その後、起訴せずに処分保留で釈放して勇み足を修正した。
これに対しても「弱腰」「国辱」批判があるが、果たしてそうか。
中国にあれ以上の報復措置を講じさせることは日本ばかりではなく、中国の国益にとってもいかがなものか。

互いに覚悟も備えもなく無責任で勇ましい声に引きずられて制御不能に陥ることの愚を思えば、
大局判断は正しい。
外交とは押したり引いたりするものであり、負けて勝つものでもある。

官邸が検察に介入したかどうか。
政府一体の判断であって、まさに阿吽の呼吸だろう。
事実はどうであったかは別にして閣内の見解を統一しておくことが官房長官の重要な責務だ。
普天間を抱えた鳩山政権はこれで崩れたが、仙谷氏は成功した。

中国の対応が読み切れなかった、裏パイプがなかった、との批判については、
「若葉マーク政権」の学習効果を願うしかない。

その後時間をおかず仙谷氏が細野豪志氏を使って、
中国外交を取り仕切る戴秉国氏(国務委員)とホットラインを築いたことを考えれば、
それなりの教訓は得た、とみていいのではないか。

船長拘留により尖閣に対する実効支配を法的に誇示、
中国海洋パワーの台頭、日米同盟の微妙な現状を国民が実体験できた、
という結果オーライ面を思えば、「戦後最大の外交敗北」だったのかどうか。


後藤田氏にはなくて、仙谷氏にあるものもある。
強固な党内基盤だ。

仙谷氏は「凌雲会」という前原誠司、枝野幸男両氏を軸にした勢力の後見役である。
安住淳、渡辺周、古川元久、山井和則、小宮山洋子(衆院)、鈴木寛、松井孝治、福山哲郎(参院)ら
主要メンバーの顔触れを見ればわかるように人材も多い。

後藤田氏は出身の田中派からはむしろ浮いた存在だった。

ことほどさように仙谷氏起用は、菅政権にとっては当たりだった。
ただし、後藤田氏との違いも重要だ。
仙谷氏自身がいつでも女房役を卒業、首相候補になれる、という点である。
菅・仙谷コンビの妙がそこにある。

毎日新聞 2010年10月25日
・・》
注)記事の原文をあえて改行する。


私は政治にも疎(うと)く無力な高齢者2年生の身であるが、
政治の世界も、沈黙は黙認とされ、賛意されるので、
やむえず国民のひとりとして拙(つたな)いなりに綴り、
この【gooブログ】に、ときおり投稿したりしている。

この序章で明記したが、
今回の寄稿の『仙谷由人は「赤い後藤田」か 問題は、菅首相が使い切れるか』は、
中曽根康弘内閣時代の官房長官・後藤田正晴、現政権の管内閣の官房長官・仙谷由人、
両氏を対比させながら、両氏の思惑などまでの深淵を描ききった渾身ある名文、
と私は精読したのである。

尚、余談であるが、私は10日前頃にNHKのニユースを視聴し、
たまたま官房長官の仙谷由人氏を見ていて、後藤田正晴氏の官房長官時代の言動を思い重ねたりしていた。
そして、仙谷由人氏は今は官房長官であるが、若いのでいずれは・・、
と妄想していたことも確かなことでもある。


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『i Phoneで人の情報丸見え…閲覧ソフト原因』、携帯電話の使えない私でも驚き、困惑して・・。

2010-10-25 11:00:13 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
さきほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていて、

《 iPhoneで人の情報丸見え…閲覧ソフト原因 》

と題された記事を見て、携帯電話の使えない高齢者の私は、
高機能携帯電話の「iPhone(アイフォーン)」ぐらいは名称ぐらい知っているが、
どのような事態が起こっているのかしら、と思いながらクリックした。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
      iPhoneで人の情報丸見え…閲覧ソフト原因

高機能携帯電話・スマートフォン「iPhone(アイフォーン)」で携帯サイトにアクセスしたら、
他人の会員ページに入り、個人情報を“盗み見”してしまった――。

アイフォーン利用者の間でそんなトラブルが起きている。

本来、携帯サイトの閲覧はできないスマートフォンに、
携帯電話の識別番号(携帯ID)を付与して一般の携帯電話に「なりすまし」て、
サイト閲覧を可能にするソフトが原因だ。


会員の情報が漏れていた宅配大手「ヤマト運輸」(東京都)では、
サービスの一部を停止し、被害状況の調査を始めた。

トラブルが起きたのは、ヤマト運輸の「クロネコヤマトモバイルサイト」。
サイト上で集荷や再配達の依頼をできるサービスで、
9月末現在、パソコンでの利用者を含め約560万人が登録しているが、
氏名、住所、電話番号、メールアドレスなどの登録情報を他人が閲覧できるケースが確認された。

(2010年10月25日03時10分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文をあえて改行する。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101024-OYT1T00747.htm?from=y10
☆【YOMIURI ONLINE】《 iPhoneで人の情報丸見え…閲覧ソフト原因 》☆


私は2004(平成16)年の秋に民間会社を定年退職した身であるが、
恥ずかしながら携帯電話が使えないので、この広い世の中で保有していない稀(まれ)なひとりである。

確か退職する10年前の頃の1994(平成6)年の頃は、
私はあるレコード会社の管理畑に勤めていたが、
この当時は職場の机上には、ひとり一台のプシュホンの電話があり、
各部署の数台のパソコンで電子メール、
或いは表計算のソフトを使用して管理表を作成していた。

そして一部の営業部隊、外部と頻繁に交渉する人だけが、携帯電話を職務として利用していた。

思い浮かべれば、携帯電話の着信音がベルのように鳴り、
電話連絡があると気付き、携帯電話を取り上げて、職場の片隅、通路などで会話していた。

この後は、若者を中心に着信音に好みの音楽が設定できる着信メロディとなり、
若者を中心に急速に普及していた。

私は1999(平成11)年の初春に、レコード業界の各社リストラ旋風の中、
出向となり、ある物流情報会社に定年退職まで勤めた。

この中のひとつの職場は、音楽のCD、DVDなど商品を管理する商品センターであり、
CD、DVD販売店からの日々の受注により、出荷したり、或いは返品を受けたり、
製造会社より入荷したりする処であった。
もとより音楽商品は、それぞれ一枚一枚が激変し、多品種であり、曜日、季節の変動も加わり、
現場は多忙であった。

私はこうした商品センターに、センター長はじめ正社員4名と共に、
男性の20代の契約社員10名、パートの女性120名前後の中で、奮闘したりしていた。

こうした職場であったので、私は携帯電話が職務上で必要でなかったので、
世の中は誰しもが携帯電話を保有するようになった時代でも、
私は携帯電話を覚えることなく、パソコンで電子メールを大いに活用していた。


私達夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
こうして定年退職後、携帯電話に興味もなかったので、もとより教えてもらう機会もなく、
結果としては私達夫婦は携帯電話の使い方が解からないので、保有していない・・。


最も私達夫婦は、携帯電話がなくとも、これといって不便と思ったのは数回限りである。

2004(平成16)年の秋、家内の父が亡くなる1カ月前頃から、
家内の母と家内は、交代で入院先で看護をしていたが、
連絡確認が遅れた時であったりした。

この後、3年過ぎた頃の2007(平成19)年に、
これといって不便を感じていないが、
ある程度の老後になると、やはり必要なのかしら、と私共は話し合ったりしている。

この当時、読売新聞の日曜版に於いて、【Y&Y 旬】の記事で、
【持たせて安心 わが子の安全】
という特集記事があり、読んだりしたからである。

無断であるが、記事を引用させて頂く。

《・・
子供が被害者になる犯罪や事故が後を絶たない。
この為、子供に持たせる防犯グッズへの関心も益々高まっている。

・・子供の現在地を把握するために、
GPS(全地球測位システム)を活用した商品も増えている。

KDDI(au)は、『ジュニア携帯』を3月中旬頃に発売する。
電源が切れたり防犯ブザーが作動したりすると、
自動的にカメラでその場の様子を撮影してメール送信し、
GPSで把握した位置情報をその後の足取りを1分ごとに保護者等に通知する機能が付いている。
価格は、1万円前後。
・・》

このような記事であったので、私の10年後は体力は衰えるので、
このような携帯電話をたえず外出の時は持ち歩くのが想像できる、と思ったりしたのである。


私ひとりで駅前まで散策し、本屋に寄ったりした後、
コーヒーショップの『ドトール』で購入した本を煙草を喫いながら読んだりしている。

或いは都立の大きな植物公園に散策に行ったりした時、
隣接した寺の近くの蕎麦屋で食事をしたりする。
笊蕎麦を頂く前に、お酒を注文する・・。

店員さんが50代前後の女性で私が魅了された時、
『お姉さん・・お代わりね・・』
と私は壱合の徳利を指すと思ったりしている。

このような情景が家内が自宅のパソコンで見て折、
『早く・・家に戻ったら・・』
と家内の声が聴こえたりする。

このような事を10年後の私を想像していたが、
昨今このような事を現に私は行っているので、
さて全ての私の出来事が逐次撮影されたことを思えば、何かしら私は笑ったりしている。


この後、これまでの間は、これといって携帯電話がなくとも不便とも余り感じたことがなく、
電子メールは家でパソコンに向かって、JISのキーボートで綴り、
発信すれば良いと思ったりしている。

私は頑固な性格か、
携帯電話でどうでもいいようなおしゃべりする暇があったら、
言葉、心の勉強として本の1冊でも読みなさいと思っているのが昨今である。


今回のニュースを読み終えた後、
《・・
高機能携帯電話・スマートフォン「iPhone(アイフォーン)」で携帯サイトにアクセスしたら、
他人の会員ページに入り、個人情報を“盗み見”してしまった――。
氏名、住所、電話番号、メールアドレスなどの登録情報を他人が閲覧できるケースが確認された。
・・》
私は最新鋭のスマートフォン「iPhone(アイフォーン)の一部に於いて、
このようなことが起こっているに、困惑している。


私は1969(昭和44)年の春、コンピュータの専門学校でソフト科を一年間学んだ後、
ある民間大手の映像・音響メーカーに何とか中途入社ができ、
入社してまもない時、音楽の大手のレーベルが独立したレコード会社となり、
私はこの新しく独立したレコード会社に転籍となった。

そして、まもなく私は本社でコンピュータの専任者となり、
それなりに奮闘をしなから、情報畑を20数年過ごしたソフト専門の歴戦の老兵だったが、
どの時代でもハードが進んでも、肝要なソフトに欠陥があったならば、
駄目じゃないの、ましてこの広い世の中に普及しているのに、と苦笑しながら、困惑を重ねている。


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『衆院北海道5区補選、自民が勝利』、やはり私は仙谷官房長官が小沢一郎氏に議員辞職を通告が最適!?

2010-10-24 22:18:56 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であり、
先程、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開いたのであるが、

《 衆院北海道5区補選、自民が勝利=民主政権に打撃-「政治とカネ」響く 》

と題された見出しを見て、やはり道民の選挙区の有権者は確かな良識があり、
そして後はやはり民主党の昏迷に失望したのかしら、
と呟(つぶや)きながら、クリックした。

無断であるが転載させて頂く。

《・・
        衆院北海道5区補選、自民が勝利=民主政権に打撃-「政治とカネ」響く

菅改造内閣発足後初の国政選挙となった衆院北海道5区補欠選挙は24日投開票され、
自民党前職の町村信孝氏(66)が、
民主党新人で元国土交通省職員の中前茂之(38)=社民、国民新推薦=らを破り、当選を確実にした。

検察審査会の議決で強制起訴される小沢一郎民主党元代表の「政治とカネ」の問題などが、
民主党への逆風となった。

7月の参院選に次ぐ国政選挙での敗北は、菅政権にとって大きな打撃。

菅直人首相は、円高・デフレ対策を盛り込んだ2010年度補正予算案の早期成立を目指すが、
自民党など野党は、小沢氏の証人喚問要求を強める構え。
補正の国会審議を含め、首相の政権運営は厳しさを増しそうだ。


同補選は、北海道教職員組合(北教組)の違法献金事件で、
民主党の小林千代美前議員が辞職したことに伴う。

民主、自民両党の公認候補のほか、
共産党新人で党道常任委員の宮内聡(47)、
政治団体「幸福実現党」の新人で同党員の森山佳則(43)、
無所属新人で元会社役員の河村美知子(62)の各氏が立候補した。

「政治とカネ」や、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件での政府対応の是非などが争点となり、
民主、自民両党の候補による事実上の一騎打ちとなった。

両党は幹部や閣僚を投入し、総力戦を展開したが、首相は選挙区に入らなかった。


昨年の衆院選で同選挙区で敗れ、比例代表で復活当選した町村氏は、
議員辞職して補選に立候補。
民主党が小沢氏の国会招致に応じないことを批判して「クリーンな政治」を訴え、議席を奪還した。

中前氏は、民主党政権による「政治主導の改革」の続行を主張。
子ども手当の実現など与党の実績をアピールしたが、
北教組事件で労組の動きが鈍かったことに加え、小沢氏への起訴議決などが響いた。 

午後4時現在の推定投票率は28.33%で、昨年8月の前回衆院選の同時点に比べ15.98ポイント下回った。
最終的に前回の確定投票率76.32%より低くなる公算が大きい。

時事通信(2010/10/24-20:13)
・・》
注)記事の原文をあえて改行した。

この後、私はこのニュースに直結した記事を読んだりした。

《・・
          政権不信裏付ける=指導力見えぬ首相-衆院補選

7月の参院選大敗に続き、24日の衆院北海道5区補選でも民主党が敗れ、
有権者の強い政権不信が裏付けられた。

菅直人首相が景気回復への有効な処方せんを示せない上、
政治資金規正法違反罪で強制起訴される小沢一郎元代表の国会招致問題でも、
指導力を発揮していないことが響いたのは間違いない。

選挙戦を通じて民主党は、
子ども手当や高校授業料無償化など与党としての「実績」を訴えた。

しかし、「政治とカネ」の問題に焦点を絞り、民主党批判を展開した自民党に及ばなかった。

小沢氏への野党の証人喚問要求に関し、
首相は岡田克也幹事長ら執行部に対応を委ね、先頭に立って疑念払しょくに努める姿勢を示さなかった。

尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件も重なって、民主党候補の苦戦が伝えられる中、
選挙応援を党幹部や閣僚らに任せ、自らは現地入りを見送ったことも、有権者に「逃げ」の姿勢を印象付けた。

民主党からは、補選が同党の不祥事に起因していることもあり、
「負けは織り込み済み」との声が漏れる。

検察審査会による小沢氏の起訴議決が大きな敗因になったとみられるため、
「党内野党」の小沢グループから、首相の責任を問う声が噴き出すことも、当面はなさそうだ。

しかし、首相が国政選挙で敗北を重ねた事実は重く、
補選勝利で勢いづく野党が国会でも攻勢を強めることは確実だ。

円高・デフレ対策を盛り込んだ2010年度補正予算案を速やかに成立させ、
11年度予算編成などを通じて経済立て直しへの道筋を示したい首相。
しかし、そのためにはまず、小沢氏問題から逃げることなく、民主党政権への信頼回復に努める必要がある。

時事通信(2010/10/24-20:19)
・・》
注)記事の原文をあえて改行した。


こうした民主党の昏迷の記事を読めば、私は政治にも疎(うと)い身であるが、
今後の必須事項として、「政治とカネ」に疑惑がもたれる小沢一郎氏に議員辞職して頂くことが、
何よりの最優先の課題と思い、昨年の8月から、憂いながらこのサイトにも綴ったりしている。


過ぎし15日に於いて、民主党の小沢一郎元代表が、
小沢氏を「起訴すべきだ」とした東京第5検察審査会の議決取り消しを求める
行政訴訟を起こしたことについて、
自民党の小池総務会長は記者会見で民主党の小沢一郎元代表を批判した。

《・・
「国家的課題が山積みの中、小沢氏の問題にエネルギーをそぐことは、全く国益に沿わない。
小沢氏は(地元岩手県の)水沢に(衆院議員を辞職して)お帰りいただくことが、
最大の国益に資する」
・・》

私はまぎれなく正鵠な発言と受け止めたのである。

もとより小沢一郎元代表は『国民が必要とされるまで・・』と明言されたが、
国内外に山積する難題の中、小沢一郎元代表の国会招致問題などに時間を浪費している余裕もなく、
肝要な2010年度補正予算案の審議などもあり、
小沢一郎元代表は民主党の有力な方たち、そして野党でも、はた迷惑であり、
何よりも国民の多くが小沢一郎元代表を険悪しているのである。


そして、どなたが小沢一郎元代表に議員辞職を直言するか、
と私は妄想したのである・・。

やはり最近何かと溌剌と怜悧な発言される仙谷官房長官が、
直接に小沢一郎元代表に進言して、衆院議員を辞職をして頂くことが最適と思ったりしている。

たとえば、
『管総理は、ご承知の通り、内外に難題が山積する中、
国民の多くがクリーンな民主党を願望しているので、この際、ご勇退を願いたい・・』
このように切りだされれば、と妄想したりしている。

このような妄想が現実になった時、もとより管総理の悩みのひとつは解消され、
仙谷氏は、まぎれな官房長官の重責な職責を果たした貢献度は大きく、
まさに国政上の歴史に残る、と私は思ったりした・・。

民主党与党政権の昏迷とした中で、小沢一郎元代表の議員辞職こそが、
まず第一歩の信頼回復と私は確信を深めたりしている。


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『高校の窓や校門に大量落書き、名指し中傷も・・』、私は怒りながら厳罰の処分を・・。

2010-10-24 11:05:44 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
さきほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていて、

《 高校の窓や校門に大量落書き、名指し中傷も 》

と題された記事を見て、最近も高校学校に悪質きわめることをする、と憂いながらクリックした。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
       高校の窓や校門に大量落書き、名指し中傷も

23日午前7時半頃、前橋市清野町の県立前橋西高校で、
窓ガラスや校門に落書きされているのを出勤した教員が見つけ、110番した。

前橋署で器物損壊事件として調べている。

同署の発表などによると、
落書きされたのは校舎1階南側の窓ガラス計58枚のほか、
正門と西門付近。白、黒、青色のスプレーとみられる塗料で、
アルファベットやドクロの絵などが描かれていたほか、
生徒を名指しで中傷する内容もあった。

警備員が22日午後8時15分頃から約40分間、巡回したときには異常はなかったといい、
その後の犯行とみられる。

岡田修次教頭(59)は
「こんなことは初めて。在校生か部外者か(犯人は)分からないが、許せない」
と憤っている。

(2010年10月24日08時50分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文をあえて改行する。


私の高校時代は、1960(昭和35)年の4月に入学して、
1963(昭和38)年3月に卒業した身である。

都心の私立高校の普通、商業科があり、そして男子部、女子部のクラス分けをされた学校であり、
学風の勉学面は関しては温和であったが、
特に言動だけは、自己形成時期なので、将来社会人になった時に備え、厳しかった。

たまたま私は風紀委員に選定され、
朝、登校してくる校門の正門前で、副校長の女性の方、その日の担当となった先生、
そして私達の風紀委員3名が立ち並び、生徒を迎えていた。

中には襟(えり)元がだらしなかったり、男子生徒が帽子の少し斜めに被ったりしていると、
副校長の女性は、
『だらしいですよ・・』
と生徒に向かい、直させていた。

こうした折、生徒の中にはふてくされたような反抗の表情を浮かべたりすると、
この副校長の女性は、生徒にビンタをしたりし、
私は驚きながら、ごもっとも、と感心していたのである。

私が在学中に不良の言動で退学されたのは、知る限り3名であった。


このようなことを思いだしたのであるが、たとえ時代が変貌しても、
今回のニュースは、まぎれなく悪質である。

日本は法治国家であることをもとより承知の上であるが、
たとえば犯行した方が在学生であったならば、
教頭の先生は校長先生の認可を頂き、校長先生は父兄会にご理解を頂き、
厳罰にすれば、再発防止になると思われる。

たとえば、登校前の一時間前に校庭を掃き清めさせ、
放課後は教室、廊下などを清掃されることを、少なくとも一ヶ月させる。
こうした中で、だらしないふるまいをしたならば、即刻に退学を命じる。

そして在学生以外の場合は、警察の方の指導で、
県の公共共有施設の広場、公園などを毎日数時間は清掃させて、一ヶ月はさせる。
反抗の言動をした場合は、刑務所で一ヶ月の実刑処分とし、心を静めて頂く・・。

このように高齢者2年生の私は思ったりしている。



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『中学校長、パチンコ店で24万円入りの財布を窃盗し、容疑で逮捕・・』、私は驚き、ため息を重ね・・。

2010-10-23 23:30:48 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
先程、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開いたのであるが、

《 パチンコ店で24万入り財布窃盗=容疑で中学校長逮捕-鹿児島県警 》

と題された見出しを見て、学校の校長先生がどうして窃盗などを、と呟(つぶや)きながら、クリックした。

無断であるが転載させて頂く。

《・・
      パチンコ店で24万入り財布窃盗=容疑で中学校長逮捕-鹿児島県警

パチンコ店で客が置き忘れた現金24万円入りの財布を盗んだとして、
鹿児島県警出水署は23日、窃盗容疑で、
出水市立中学校長、三谷恭美容疑者(55)=同市高尾野町柴引=を逮捕した。

同署によると、
「パチンコ台に座った時、目の前にあったので取った」
と容疑を認めているという。

時事通信(2010/10/23-22:24)
・・》
注)記事の原文をあえて改行を多くした。


私は中学校の校長先生が、教育委員会、教師、生徒、そして生徒の親御などに、
何かと日頃のストレスがたまり、解消の為に、たまたまパチンコ店に入店した、と推測する。

そしてパチンコ台に座った時、財布が目の前にあり、
そぉと開けてみたら、大金の24万円が入って、驚いた・・。


ここから人の良識と罪の別れ道となる。

もとより誰しもが、無条件に大金の24万円を頂けるならば、
下さった方に丁重にお礼の言葉を重ねたりするが、
今回の場合は、無断で着服したのである。

まして生徒に教育を教える教師たちに、指導する職責のある校長先生が、
一瞬の判断で、たった24万円で、
これまでの良き言動も打ち消しにされ、
そしてこれからの人生の航路を自身で駄目にしてしまう行動は、私に到底理解できない。

何よりも数多くの中学生の生徒、そして教師たちに、
『校長先生が、どうして・・』と、
今までの信頼関係から、多大な失望感を感じ与えたのは、余りにも罪が重い。


そして窃盗した逮捕された校長先生、家族にどのように言動されるのか、
今回のニュースを読み終えて、しばらく私はやりきれない思いでいる。


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恥ずかしながら、私は年金生活7年生に進級して、微苦笑を重ね・・。

2010-10-23 16:27:35 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む高齢者2年生の66歳の身であるが、
私は民間会社の中小業に35年ばかり勤め定年退職したのは、
2004(平成16)年10月20日であった。

そして定年退職後、ただちに年金生活をしたので、丸6年が過ぎて、
年金生活は早くも7年目を迎え、少しばかり微苦笑している。


私は東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年の秋、
大学を中退したのは二十歳の時であった。

映画・文学青年の真似事する為であり、アルバイトをしながら4年ばかり過ごし、
根拠のない自信にあふれていたが、もとより先行きの見えない生活を過ごしていたが、
自身の30代の頃を浮かべると妻子を養う確固たる自信がなく断念した。

そして安定したサラリーマンになる為、軌道修正し、
1969(昭和44)年の春、コンピュータの専門学校でソフト科を一年間学んだ後、
これを梃子にして、ある民間大手の映像・音響メーカーに何とか中途入社ができたのは、
1970(昭和45)年の春で、私が25歳であり、遅い社会人のスタートであった。


入社してまもない時、音楽の大手のレーベルが独立したレコード会社となり、
私はこの新しく独立したレコード会社に転籍となった。
まもなく私は本社でコンピュータの専任者となり、それなりに孤軍奮闘をした。

こうして情報畑を20年過ぎた後、管理畑、営業畑など異動したりした。
この間、1998(平成10)年にレコード業界は売上げのピークとなった。
もとよりレコード会社は中小業で、外資系も多かったので、
この前後に各社でリストラが迅速に実施された。

会社間の合併、部署の解消や合同などが行われ、
早期退職優遇制度などで退社する方、そして数多くの人事異動、出向などがあった。

そして1999(平成11)年の早春、私も出向の打診があった時は、
私なりに入社時から定年の60歳まで勤め、それなりの人生設計があったので、
出向の物流情報会社の中のCD、DVDなどの音楽商品の物流センターに5年半を勤めて、
定年退職を迎えたのである。


私達夫婦が定年後の生活設計を本格的に話し合ったのは、
私の出向時の55歳を迎える前であった。
私達は子供に恵まれなかったので、2人だけの家庭であり、
もとより老後の生活、そしていずれ片割れになった時の状況を配慮し、
お互いの要望をまじえて話し合ったのである。

結論から云えば、私は定年退職後から年金生活とし、
お互いの趣味を尊重し、共通趣味の国内旅行をすることとしたのである。

生活の基盤の日常生活は、原則として年金支給でまかない、
そして国内旅行、冠婚葬祭などは、程ほどの貯金から取り崩すのが基本としている。

ただ、厚生年金の当初は、私は1944(昭和19)年9月生まれであり、
厚生年金の一部である報酬比例部分で2年間で過ごすので、
62歳からの通常支給額のほぼ半額となるので、このことを配慮した。

こうした定年退職を迎えるまで間、出向元のレコード会社でも、
たびたびリストラを大幅に実施され、
先輩、同僚、後輩が止む得ず退社されたり、人事異動をされたりした。

出向先の物流情報会社でも、リストラが実施されていたので、
私なりに民間会社のサラリーマンの痛みを解っているひとりである。


定年退職後、サラリーマン生活を35年ばかり過ごしたことになるが、
改めて多くの方にめぐり逢え、多々教示されたりし、
或いは自分の軌跡と照らし合わせながら、懐かしく充実した歳月だった、と想っている。


定年退職の直前に家内の父が死去したので、葬儀などの関連と、
私の退職の手続き、程々の金融資産に伴い銀行、郵便局の各所に行ったりして、
慌しい日々が続いた・・。

家内の父の四十九日で納骨を済ませ、
私達夫婦は家内の母と3人で、墓地の近くの温泉地に3泊4日で観光ホテルに滞在した折、
のんびりと周辺を散策した時、
こんなに日中気ままに過ごしてよいのかしら、と少し後ろめいたような感じをしていた。

12月の下旬、家内と土湯温泉に3泊4日で滞在した時、
歳末に近く何かと慌しい世間を見ながら、私達はゆったりと時を過ごした・・。

こうして、サラリーマンの多忙だった時間帯の生活から、
心も身も吹っ切れた、と感じたりした。


肝要の私の年金生活のことであるが、
生を受けてサラリーマンを卒業するまでの半生は、
何かと屈折の多い人生だったので、せめて残された人生は、生きた証(あかし)として、
念願の清貧の数寄者をめざし、
これに伴い、言葉による表現、読書、そして思索の時間としている。

幸いに定年後にブログの世界を知り、
おぼつかないWebの技量と若き頃の感性を蘇(よみがえ)させながら、
散文を綴り、投稿をはじめたのである・・。

これ以降の私なりの生活状況はもとより、日々に感じたこと、思索していることなど、
余すことなく心の発露として、このサイトに綴っているので、省略する。


このように早くも年金生活7年生となり、
確かに体力の衰えを感じたりしているが、感覚と感性だけは50代かしら、
と自惚(うぬぼ)れながら、微苦笑している。


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中国政府は、チベット族の学生などの『漢語教育強制』反対デモを弾圧し、メディアには黙殺・・(改定)

2010-10-23 00:09:51 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であるが、
一昨日の20日の夜、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていて、

《 チベット族の高校生ら7千人デモ…漢語強要で 》

と題された記事を見て、やはり中国政府はチベット族に対して漢語強要を徹底させたか、と憂いながらクリックした。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
            チベット族の高校生ら7千人デモ…漢語強要で

【北京=関泰晴】
米政府系のラジオ自由アジア(RFA)などによると、
中国青海省黄南チベット族自治州同仁県で19日、
チベット族の高校生ら7000人が
「漢語(共通語)による教育を強要され、チベット族の言語や文化が衰退する」
などと抗議し、市街をデモ行進した。

同県の高校6校の生徒が同日朝、
地元当局庁舎前でデモ行進を始め、周辺寺院の僧侶も加わった。

参加者は
「チベット語の使用を拡大しよう」
「民族の平等を守ろう」などと、
横断幕を掲げて抗議した。

地元当局が、チベット語と英語を除く全教科で漢語による授業を行う「教育改革」に踏み切ったことが反発を招いたという。
漢族の教員が大量流入し、チベット族は失業すると危機感も広がった。

(2010年10月20日19時42分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文をあえて改行した。


言語は、その地域に住まわれる日常の習性から、あらゆる範囲で人々の根源をなすものであり、
まして征服した中国政府による《チベット語と英語を除く全教科で漢語による授業を行う「教育改革」》は、
まぎれなく「漢語(共通語)による教育を強要され、チベット族の言語や文化が衰退する」のは、確かなことである。

そして、チベット族自治州の同仁県の高校6校の生徒に周辺寺院の僧侶も加わり、
地元の当局庁舎前でデモ行進を始めたのは、やむにやまれない行動であり、
中国政府はチベット語の根絶を図り、教育改革まで徹底的に行う、と感じながら、
私は憂鬱となった。


そして、今夜の22日に於いて、
時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】に於いて、
《 数千人が3日連続の抗議デモ=言語問題でチベット族学生-中国 》

と題された記事を読んだりしたのである。

無断であるが転載させて頂く。

《・・
          数千人が3日連続の抗議デモ=言語問題でチベット族学生-中国

【香港時事】
中国西部の青海省で19日から21日にかけて、
授業で中国語の使用を強制する新政策に反発するチベット族の大学生や高校生らが、
3日連続で抗議デモを行った。

米政府系の自由アジア放送(RFA)が22日、伝えた。

デモが起きたのは黄南チベット族自治州同仁県や海南チベット族自治州興海県などで、
連日数千人がデモに参加。
同仁県では数日以内に授業ボイコットも計画されているという。

デモ参加者は「チベット語を返せ」と叫び、県庁前などを行進。
20日の参加者は計8000人に達した。

警察は各地の学校にデモを制止するよう要請したり、学生を学校に連れ戻したりしている。

青海省教育庁の当局者はRFAに
「状況を把握するため、職員を現地に派遣した」と述べた。

中国メディアは、一連のデモを一切報じていない。

時事通信(2010/10/22-17:13)
・・》
注)記事の原文をあえて改行した。


この後の私は、中国政府は最終的にはチベット民族を壊滅状態にし、根絶することなので、
中国以外の人々が、少なくとも批判をしなければ黙認することなので、
数多くの方が、これまでのチベット問題を簡潔に公知する方法はないかしら、
と悩んだりしたのである・・。

無念ながら、私は政治、軍事、外交なども疎(うと)く、
ただ少しばかり歴史に興味がある程度で、能力に乏しいので困苦していたのが本心である。

先ほど、【超入門 チベット問題】と表示されたサイトを一時間半ぐらい読んだりし、
これだったら高校生でも解かる、と私は微笑んだのである・・。

何よりも、中国の独裁共産一党の政権下の国を除けは、多くの主要国からして公平な視線で、
私は表現されている、と深く感じている。

この後、私は初めて、【I LOVE TIBET!】と命名されたサイトと知った。

http://www.tibet.to/mondai/index.htm
☆ 【I LOVE TIBET!】の中の【超入門 チベット問題】☆

そして、果たして、チベット民族は今後、どのような言動で生き延びれるか、
と高齢者2年生の私は考えたりしている。


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公共品を盗む人、公共物を汚す人、もとより公共の共有財産あるので厳罰を・・。(改定)

2010-10-22 22:10:11 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であるが、
午前中のひととき、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていて、

《 芭蕉も泣いてる…山寺に落書きビッシリ 》

と題された記事を見て、クリックした。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
     芭蕉も泣いてる…山寺に落書きビッシリ

俳人・松尾芭蕉の句

「閑(しずか)さや 岩にしみ入る 蝉(せみ)の声」

の舞台として知られる山形市の山寺が、
断崖(だんがい)絶壁の上に建てられた観光名所「五大堂」への落書きに頭を悩ませている。

壁や柱の落書きを消そうとすると、
築約300年の建物自体を傷めてしまいかねず、手が出せない状態。

紅葉シーズンを迎え、大勢の観光客が訪れる中、寺側は神経をとがらせている。

五大堂は、1714年(正徳4年)に再建されて以来、
修復や補強工事を重ねながら、当時の姿をとどめてきた。

絶壁からせり出すように立つお堂からの眺めは絶景で、山寺の中で一番の人気スポットとなっている。

しかし、柱や壁には、サインペンなどで名前や願い事、
イラストなどが至る所に書き込まれ、彫刻刀で彫ったような悪質なものもある。

落書きは20~30年前から目立つようになり、今ではすき間もないほどになっている。

(2010年10月22日03時05分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文をあえて改行した。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101022-OYT1T00006.htm?from=area3
☆【YOMIURI ONLINE】《芭蕉も泣いてる…山寺に落書きビッシリ》☆


私は公立図書館で本を汚したり、返却せずに盗む人、
道路、公園、広場などにゴミを捨てたり、
今回のような落書きを新聞などで読んだりすると、平素はおとなしい私さえ、
怒りを覚える・・。

もとより国民から拠出れた税金の一部から維持管理される公共品を
盗んだり、汚したり、加害し壊したりする人は、
あえて厳罰で対処し、再発防止策しかないかしら、と苦渋しているひとりである。


私は1944(昭和19)年に東京郊外で生を受け、
小学二年生の時、校庭の片隅で体育の授業が終わり、
私は同級生の三人と、跳び箱の前に置いていたマットで戯れていた・・。

体育の先生が飛んできて、私を含めて4人を叱咤した後、並ばされた。
そして、ビンタを喰らい、小柄な私たち二年生は、よろけたのである・・。

『マットは学校で皆で使う大切な物だ。
君たちは遊び道具にし、恥を知りなさい・・』
と言いながら、先生は立ち去った。

私たちは恥ずかしげに、
『お前・・大丈夫か・・』
と相手の赤らんだ顔を見たりし合った。

そして顔を上げれば、教室の校庭に面した窓から、
上級生、下級生が10数人見ていたのであった・・。

私は家に帰り、このようなことを両親に、
学校でいたずらしビンタを喰らったなどを話したならば、
父親に庭の隅にある蔵(くら)に叩き込まれるた体験もあったので、
これ以来、私は2度と公共品、公共物を汚したりすることは、やめたのである。


このような拙(つたな)い体験の私であるが、
今回のような国民の大切なゆかりの地の山寺で落書きした人に対し、
たまたま寺側の関係者、警察官の方が見つけた場合、人々の前でビンタをされればよい、
と思ったりしたのである。

そして、日本は少なくとも法治国家であるが、
少なくとも実刑1週間ぐらいとし、刑務所で反省をして頂く、
という方法があるかしら、と苦笑したりしている。

或いは少年、少女であったならば、山寺に一週間宿泊させ、
寺院の隅々まで掃き清める責務をさせればよいかしら、と思ったりしている。


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北朝鮮を脱北したある女性たちは、韓国、そして日本に彷徨(さまよ)い、余りにも悲惨・・。

2010-10-22 16:43:24 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であるが、
先ほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていて、

《 脱北者の女が上野で風俗店経営…「金は北に」 》

と題された記事を見て、クリックした。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
       脱北者の女が上野で風俗店経営…「金は北に」

東京・上野の禁止区域で風俗店を経営したとして、
警視庁が脱北者の女(44)を風営法違反容疑で逮捕していたことがわかった。

女は2004年に北朝鮮を脱北後に来日し、風俗店で稼いだ金を北朝鮮に送金していたといい、
同庁で詳しく調べている。

捜査関係者によると、女が逮捕されたのは今年の2010年5月。
女は北朝鮮出身で、2004年7月に韓国に脱北し、2006年4月に来日。
昨年の2009年1月から東京・上野で風俗店を経営していた。

女は来日後、千葉県市原市の男と結婚していたが、偽装結婚だったとして、
今年の1010年6月、同庁に公正証書原本不実記載・同行使容疑で再逮捕され、今月中旬、韓国に強制送還された。

女は風俗店で脱北者の女性2人を雇っており、
今年の2010年4月までに約3500万円の利益を上げていたという。
女は「稼いだ金は北朝鮮の家族に送った」
などと供述しているという。

(2010年10月22日13時34分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文をあえて改行したり、西暦など一部を補記した。


私は北朝鮮の女性が脱北、韓国にいた後、その後は日本に来日し、
風俗店を経営し、やはり脱北者の女性2人を雇っており、祖国の家族に送金していたことは理解できたが、
何かしらもどかしいような感じをし、
こうしたことは短絡的に判断するのは、深層が解からなくなることが多い。

古来からの鉄則として、複眼的でこのニュースを解明しょうと、
関連のニュースをネットで検索した。


まもなく時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】に於いて、
《 脱北女性が日本で性的サービス=マッサージ店経営者ら摘発-韓国  》

と題された記事を読んだりしたのである。

無断であるが転載させて頂く。

《・・
         脱北女性が日本で性的サービス=マッサージ店経営者ら摘発-韓国

【ソウル時事】
ソウル市警は22日、
北朝鮮から韓国に亡命した脱北者の女性を日本に送り、客に性的なサービスをさせたとして、
マッサージ店経営者とブローカーを書類送検した。

この2人も脱北してきた女性だった。

聯合ニュースなどが報じた。

マッサージ店経営者は2008年11月から今年の2010年10月まで、
東京・上野の店で脱北者の女性に性的サービスをさせていたという。
サービスをしていた女性13人も書類送検された。

女性たちは韓国での生活に適応できず、就職も困難で、
「日本で働けば、月に1500万ウォン(約110万円)稼げる」
とのブローカーの誘いに乗り、日本に渡ったという。

女性たちは「北朝鮮に残る家族の脱北費用と生活費を稼ごうとした」と話している。

時事通信(2010/10/22-14:26)
・・》
注)記事の原文をあえて改行したり、西暦など一部を補記した。


私は読売新聞、時事通信のふたつのニュースを重ねながら、
少しは深層の実態が理解できたのである。


劣悪な祖国の北朝鮮から、何か韓国に亡命できた女性の一部が、
韓国で生活に適応できず、就職も困難となり困窮していた・・。

こうした折、同じような体験された女性のブローカーが、
「日本で働けば、月に1500万ウォン(約110万円)稼げる」
と女性の13人がこの誘いに乗り、日本に来日した。

そして同じような脱北してきた女性の風俗店の経営する東京・上野の禁止区域で風俗店で、
もとより性的サービスをした上で、
「北朝鮮に残る家族の脱北費用と生活費を稼ごう」
と働いていた・・。

そして、脱北させてくれた関係者の費用の返済、困窮している祖国の家族に送金していた・・。


この女性たちは、劣悪な生活実態の祖国・北朝鮮を、
脱北を手引きしてくれた関係者に借金した上で、何とか脱北し韓国に来たのであるが、
韓国で生活に適応できず、就職も困難となり困窮し、
やむえず日本に来日し、険悪な性的サービスさせられ、今回書類送検となった。
この間、風俗店の経営は、偽装結婚だったとして、再逮捕され、今月中旬、韓国に強制送還された。

今回、ふたつの記事は、別のケースかも知れない。
しかし、こうした複合したルート、北朝鮮からの脱北、そして韓国、その後は日本・・

このような底流が確立されたような要路であるならば、
もとより祖国・劣悪な北朝鮮、その後も現世の韓国、日本に翻弄され、
余りにも悲惨で過酷な状況下の女性たちである。


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グーグルの「ストリートビュー」は、どのくらい鮮明で明確なの!?、と私は微苦笑して・・。

2010-10-22 09:25:26 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活6年生の66歳の身であり、
先程、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開いたのであるが、

《 24万世帯が掲載中止を要求=グーグルの街並み画像-独  》

と題された見出しを見て、どのようなことなの、と思いながらクリックした。

無断であるが転載させて頂く。

《・・
        24万世帯が掲載中止を要求=グーグルの街並み画像-独

【ニューヨーク時事】
米検索エンジン最大手グーグルは、
インターネット上の地図で道路から撮影した街並みの画像を無料で提供する「ストリートビュー」のサービスを
ドイツでも年内に開始する予定だが、
同国20都市の24万4000世帯が、住居の画像を掲載しないよう要求している。

米主要紙が21日、同社のドイツの広報担当者の話として伝えた。
ドイツは先進国の中でもとりわけプライバシー保護を重視する国として知られるが、
掲載の中止を求めたのは20都市の合計850万世帯のうち、3%弱にすぎず、
年内のサービス開始には影響は及ばない見通しという。

時事通信(2010/10/22-07:34)
・・》
注)記事の原文にあえて改行を多くした。


私は《・・道路から撮影した街並みの画像を無料で提供する「ストリートビュー」》は無知であるが、
鮮明に街並み、そして住居が明確に、まして門扉の近くにある表札まで、映(うつ)しだされら
やはりプライバシーから、ドイツの一部の住民と同様に、困るだろうと思ったりした。

その後、私は以前にグーグルの『Google Earth』の無料ソフトを使用して、
驚きながら、ため息を重ねたことがある・・。

この時の心情は、このサイトに於いて、
【 我が家を空から眺めれば・・♪ 】
と題して、一昨年の2008年4月3日に投稿しているが、今回あえて再掲載をる。

【・・
       我が家を空から眺めれば・・♪

私は午前のひととき、幼児のような戯(たわむ)れのひとときを過ごした・・。

『Google Earth』の無料ソフトで、
我家とその周辺を見たりしていたのである。

私の住所を入力し、主軸とした上で、それぞれの高度で眺めたのである。

最も接近できるのは、39メートルの上空から我家が見えるのである。

私が主庭に下り立ち、樹木を眺めながら煙草を喫ったりしているので、
私は素足で下駄を履き、煙草の銘柄の『チェリー』が解かるかしら、と期待したが、
ここまでは『Google』でも色々と問題があるので、
確認できなかったのである。

上空39メートルであると熱気球から地上を眺めた情景かしら、と思ったが、
樹木の金木犀、モミジなどは少しボケていたが、
全般として家屋、敷地は鮮明である。

上空100メートル前後にすると、
ヘリコプターに乗ったように、我家の周辺が眺められ、
1000メートルに合わせると、調布市全般の景観となる。

一万メートルを少し超えると、航空機からの窓から眺めたかのような情景となり、
東京湾、湘南海岸、三浦半島、房総半島が鮮明に映し出されるのである。

一番遠方にすると日本列島はもとより、周辺国々まで映し出され、
まるで人工衛星に乗り、地球を眺めたかのような錯覚を覚えるのである。

私は幼児の遊びかと感じていたが、まぎれなく大人の遊びと思ったのである。


30数年前、米ソが互いに核、大陸弾道弾などで軍事競争をしていた頃、
互いに軍事衛星から相手国を監視していた。

この頃、私は夢想したのであるが、
アメリカの軍事衛星は、敵対するソ蓮の軍事基地はもとより、
たとえば穀倉地帯のウクライナ地方の小麦畑・・
農民があくびをしながら、おしっこする情景を鮮明まで映し出されていたかしら、
と思ったりしていたのである。


私は年金生活の4年生の身であり、
ときたま戯(たわむ)れとして、ネット検索をしているが、
たまたま本日は『Google Earth』を相手に午前のひととき過ごしたりしたのである。
・・】

このようにグーグルの『Google Earth』の威力、或いは効力を感じたので、
果たして《・・街並みの画像を無料で提供する「ストリートビュー」・・》は、
どのくらいに鮮明で明確に映しだされるの、と高齢者の2年生の私は微苦笑したりしていすこ


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