私は東京の調布市に住む年金生活の80歳の身であるが、
加入している【goo blog】11月中旬終了、過ぎし14日に通知を読み、
これ以来、やむなくブログ・サービスの引越し先を思案している・・。
先程、【goo blog】の管理スタッフより、提示されている
「引越しデータ作成」を読んだりした・・。
このようなお知らせを読み、『はてなブログ』、或いは『Amebaブログ』、
どちらかを吟味して、選定しょうと思っている・・。
これまで私は、幾つかのブログ・サービスを、
私は彷徨(さまよ)うに移り替わってきたので、思い馳せたりした・・。
過ぎし2004年の秋、年金生活を始めた当時、ネットの世界は私は殆ど無知な癖に、
この当時にIBMなどからホームページ作成素材のソフトを買い求めて、
漠然としながら『ホームページ』を立ち上げようと思ったりした。
そして自身の日々の思い、そして過ぎ去った時代の思いのことなどを
出来うる限り随筆風の散文を綴り、公開しょうと思案したりしていた。
しかしながらホームページの開設までの技量に乏しく、
無名の私が開設・運営した所で、果たして・・と躊躇していた時に、
偶然に本屋の店頭で一冊の本にめぐり逢え、私は初めて『ブログ』の世界を知った・・。
この本は『はじめよう! みんなのブログ』(インプレス)と題された、
別冊インターネット・マガジンであった。
ブログの世界は、多くは匿名制度であり、ある程度の良識を根底に於けば、
それぞれの御方が自由に、私生活の出来事から、政治、外交、軍事、経済、社会などの分野まで表現でき、
日本でも2002年(平成14年)の頃から急速に普及し、
誰でも発信できる人類史上初めての時代が到来してきた・・。
この少し前の時代は、もとより各専門知識のある有識者が、
雑誌、新聞などに寄稿文を掲載することができる時代で、
私のように無名で素人の身は、せめて新聞・雑誌などの読者コーナーで、
記事を投書できる範囲であり、
何よりも掲載の判断は、編集部の意向で決められていた。
結果として、私は自在に自身の生活のことから、政治、経済、社会などに専門知識がない私でも、
私なりの思いを発露できる上、何よりブログはホームページより手軽に開設、運営できると感じ、
ブログに加入しょうと決意した。
そしてパソコンの故障、旅行、入院などで不在でない限り、
毎日投稿してきたので、習性になってしまったかのように投稿を重ねてきた・・。
こうした中、2004年(平成16)年11月12日に【アメーバ・ブログ】に加入し、
『極楽とんぼ~団塊世代のひとりとして~』とタイトルを掲げ、
『kaze-hikari』という発信名で投稿をはじめた。
そして【アメーバ・ブログ】に加入した時、
タイトル名は、私なりのブログ・サイトで要(かなめ)をなすこと思え、
深く思案したりした。
結果として、『極楽とんぼ』と命名することとした。
この根拠としては、私の幼年期からの深い想いでがあった・・。
農家の児として生を受けた。
緑豊かな町村であり、生家は祖父と父が中心となって、
程々に広い田畑を小作人だった人たちの手を借りて、耕していた。
このような状況を見て、私は幼児なりに勝手に疎外されたように感じ、
まもなく、私が1953年(昭和28年)の小学2年の三学期に父が病死し、
こうした中、兄の2人は学校の成績が良く、私は通信簿を頂くたびに、
お兄さんの2人は優秀だったのに・・、
と担任の女の先生が、ため息まじりに私は言われたりしていた。
私が下校で独りぼっちで歩いて帰る時、
或いは家で独りで留守番をしている時は、
♪笛にうかれて 逆立ちすれば
山が見えます ふるさとの
わたしゃ孤児(みなしご) 街道ぐらし
【 『越後獅子の唄』 作詞・西條八十 】
私はラジオから聞こえた曲に、何となくこの歌に魅了されて、唄っていた。
唄い終わると、何故かしら悲しくなり、涙を浮かべることが多かった。
そして、私が気分が良い時は、
♪私は街の子、田舎の子・・、
と勝手に『私は街の子』を変更して、唄ったりしていた。
このように、この『越後獅子の唄』の名曲の悲しげな歌の裏返しの思考、
そして小説家・山口 瞳(やまぐち・ひとみ)・著の『還暦老人極楽蜻蛉』から拝借し、
定年退職後の自由自在でブログの世界で綴ってみたい、秘かな思いであった・・。
そして【アメーバ・ブログ】に投稿を初め、
コメントを頂き、私なりに喜びであり、コメントをして頂いた御方の日記に、
私も盛んにコメントを書き込みをしたりした。
ただ、【アメーバ・ブログ】の日記投稿欄の書き込み、送信に、
たびたびエラーなどが発生し、ネット、ブログ初心者として技量もなく、
何度も書き直し投稿をしたりした。
その上、各部門による賞金制度が設置されていたので、困惑し、
私は他ブログ・サイトを探した。
まもなくブログに準じたサイトの【goo簡単ホームページ】を知り、
『風のように光のように』とタイトルを掲げて、入会したのは11月17日であった。
これ以降、2つのサイトが並行として投稿し、1ヶ月を過ぎた頃、
【アメーバー・ブログ】の投稿を中止し、
【すくすくブログ】に『極楽とんぼの奮闘記』とタイトルを掲げ、
『yumide』の発信名で、極楽とんぼシリーズを移管した。
私は【すくすくブログ】の加入した短い間、
この当時、人気の漫才コンビに『極楽とんぼ』の存在を知り、
1部の御方から誤解されたりした・・。
その後、この人気コンビのひとりが、女性に不祥事を起こしたりしたので、
私は『極楽とんぼ』の命名の由来を明示した通り、
何かしら60数年の心の純潔を汚されたようで、憂鬱な心が、しばらく続いたりした。
その後、私は【すくすくブログ】は投稿を中止し、
この当時、百万人以上加入している大手のブログ・サイトの【gooブログ】に、
恐れながら移行した。
『続・極楽とんぼ』とタイトルを掲げ、社会、経済、政治の諸問題を無邪気に投稿し、
『yumede-ai』の発信名とした。
この後、【goo簡単ホームページ】、で、
しかし、この分野に専門知識のない素人の私にとっては、
ほころびも感じはじめ、一年半ほどで中断した。
やはり力量と筆力に乏しい私にとっては、
ふたつのブログ・サイトで全く違った分野を併行に投稿し、
コメントを返信するのは、日常の時間が余りにもとられ、
肝要の読書の時間も少なくなり、ひとつだけ残すこととした。
そしてこの当時の私の本命の【goo簡単ホームページ】に於いては、
肝要のブログ管理元ま閉鎖される2007年の9月までの加入し、
この後は【OCN Cafe】に加入したりした。
この間、2008年の春先から、少し悩んだりした・・。
定年退職後の3年半、このように4つのブログ系のサイトに加入して書き散らしてきたが、
4月の初めに、振り返った時、何かしら鍋物の《ごった煮》のような思い、
ひとつのブログ【gooブログ】の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』に、
今まで書き散らかした投稿文3000通前後を整理、統合しはじめたりした・・。
そして本格的に2008年4月中旬から開始し、
私が幼少時代から年金生活までの生きてきた心の軌跡であり、
自己表現のひとつとして、心の証(あかし)の残したいからである。
私の【OCN Cafe】の『風のように光のように』は、
あたかも新聞の当日分のような存在であり、
余程のことがない限り、過ぎ去った投稿文はわざわざ読んでくれない、
と改めて認識したのである。
そして、集約した【gooブログ】の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』に於いては、
カテゴリーのジャンル別に改めて編集した。
そして区分した結果として、あたかも14冊の旧刊本が並んでいると思いながら、
どの本の中で、一編読んでも、もとより私なりの愛惜を秘めたりしている。
そして併設していた【OCN Cafe】の『風のように光のように』(のちに『風、そして光のように』と改題)は、
2010年7月で中止し、
これ以来【gooブログ】の『年金青年のたわむれ記~かりそめ草紙~』だけとした。
やがて、いつまでも《年金青年》ではないと思い、
『夢逢人たわむれ記~かりそめ草紙~』とタイトルを改称している。
この後、タイトル名は短縮して『夢逢人かりそめ草紙』として今日に至っている。
そして発信名だけは、
2005年(平成17年)の春過ぎの頃から『yumede-ai』として、
長らく継続している。
この『夢逢人(yumede-ai)』の発想に関して、記載する。
私の若き頃の高校生の2年になった1961年(昭和36年)の4月過ぎ、
生家の居間で、次兄と共に何気なしにテレビを視聴していた。
すらっとした大人の女性が、上半身を少し右に傾けてお辞儀をされて司会をされ、
何かしら毎回のテーマに基づいて、これに伴いショートコントが展開したり、
その間に踊りやジャズ演奏、外国曲の歌唱などがあった、とぼんやりと記憶している。
この番組はNHKの『夢であいましょう』であり、番組の内容もさることながら、
何よりも司会をされた中嶋弘子さんの都会の大人の麗人のしぐさ、顔立ち、声質に、
圧倒的に魅了されて、私は見惚れたりした・・。
この後、何故かしら中嶋弘子さんは降板され、
この後は苦手な黒柳徹子さんが司会をされたので、
これ以降、私は『夢であいましょう』を視聴をやめた。
そして私は17歳であったが、
中嶋弘子さんに関して、高嶺の花のあこがれの君のような存在となり、
長らく私の心の片隅みに残影し、今でも残っている。
私はブログの投稿文を綴ることに内容は、誰しも光と影を有しているので、
つたない私でも書くことのためらう影の内容もある。
たとえば幼児の時は、いじけたことが多く、
小・中学生は通信簿『2』と『3』の多い劣等生であったりした、
やがて文学青年の真似事した時期、新人賞に3回応募したが落選した・・。
或いは私の母は、生まれてまもなく里子にだされて、
やがて私たち兄妹の母親となった・・など、
多々、私なりに屈折した出来事を余すことなく投稿してきた。
このことは匿名であることで、私は発露できたことであり、
心のわだかまりを吐露しなければ、私としては一歩先でも進めない時もあったりした。
このような心のうめごきをリアルな現実の日常生活では、
たとえ私が言葉にしても、対人の受け止めることに困り果てることもある、
と感じたりした。
小説、随筆などは、あくまで間接のワンクションとして、
読者は受け止めることができ、
ブログの匿名で公開する内容も、ある意味合いでは同じかしら、と思ったりしている。
このような理由も重ねて、私は『夢逢人』と命名したのである。
私の綴ってきたことは、まぎれなく私の知る限り真実を発露してきたので、
リアルな現実でお逢いするのは、私の心の裸身を見られたようで恥ずかしく、
夢の世界でお逢いしたいですね、と思いながら命名したのである。
恥ずかしながら数多くの駄文を綴ってきたが、
ひとえに自身の為の心の軌跡の発露、と言っても差し支えない。
こうした中で、60代の投稿文の内容は、やはり幼年期~現役サラリーマン時代の想いでが多く、
或いは年金生活を過ごす実情を脚色もせず、ありのまま数多くの投稿文を綴ってきたりした。
そして70代になると、無念ながら自身の体力の衰えを実感した為か、
健康、病気、介護、葬儀、家計などを学んだことに、
私の思いを前後に加味した投稿文に変貌した内容となり、
まるで餡子(あんこ)の入った『お饅頭(まんじゅう)』のような投稿文が多くなり、
独り微苦笑する時もある。
このような私のブログであるが、私が加盟している【goo blog】は、
確か9月まで投稿が可能であるが、
この前に、『はてなブログ』、或いは『Amebaブログ』の加入にする。
何かと愚図な私は、それぞれのブログの特色、制約される諸条件、
「引越しデータ作成」などの期日を配慮すれば、8月の月末が限界で、
遅くとも9月より新規のブログで旅立ち、と微苦笑したりしている。