
先頃亡くなられた吉田秀和先生が、バルバラ夫人を喪ったときに、朝日新聞の記者に語ったというお言葉です。
黄泉の国に行って妻を連れ戻せれば、と本当に思う
近頃、いい歳をした大人が親しい人が亡くなると、キリスト教徒でもないくせに、矢鱈と「天国へ行った」とか「天国から見守ってくれる」とか、「天国」を連発する。
ま、確かに「極楽へ行った」とか「極楽から見守ってくれる」では、残念ながら少しふざけた感じがしないでもない。
しかし吉田先生は流石に「天国」ではなく、国風を踏まえて「黄泉の国」だった。
以前、小沢昭一さんが朝日新聞に載せた何方かに対する追悼文では「あちらへ行った」と書いた(と記憶している)。
「あちら」または「彼岸」。これもステキな表現ですね。
なお、「見守ってくれる」なら「草葉の陰から」を頭に付けると上手く収まると思う。
子どもに言い聞かせるならともかく、公の場で「お星さまになって見守ってくれる」なんて大人が言わないで欲しい。

昨夜(5月29日)の朝日新聞夕刊「文芸/批評」頁に、丸谷才一さんによる吉田秀和先生への追悼文が掲載された。
見出しは「われわれは彼によって創られた」です。
見出しだけ読むとタモリさんが赤塚不二夫の告別式で読んだ、感動的な追悼の言葉に似ているけれど、全文は流石、弔辞の名手・丸谷才一さんである。以下は冒頭の11行です。
これはわたしの持論だが、今は新しく想を練っているゆとりはない。
何度も書いたことをくりかへす。
批評家は二つのことをしなければならない。
第一にすぐれた批評文を書くこと。
第二に文化的風土を準備すること。
この二つをおこなって、はじめて完全な批評家となる。
旧仮名遣いで書いた追悼文はとても平易であり、たっぷりとした風格があり、嫌味なく学識を披露しながら吉田秀和先生の成し遂げた事柄を、心を込めて具体的に指し示し、間然とする所がない。

森生は高原で開催した音楽祭の会場で、一係員として吉田ご夫妻とほんの少し立ち話をしたことがある。
先生は音楽界の天皇と言われていたけれど、夫人と共に威張ったところなどまるでなく、本当に偉い人なんだ!、と思った。
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