夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『検察側は求刑に先立ち、死刑を選択する場合の基準として、「永山基準」』、私は初めて学び・・。

2010-10-25 23:40:33 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であり、
夕刻に、時事通信社の基幹ネットの【時事ドットコム】を開いたのであるが、

《 裁判員裁判初の死刑求刑=「2人殺害の結果重大」-耳かき店員殺人・東京地裁 》

と題された記事を読んだりした。

無断であるが転載させて頂く。

《・・
東京都港区で昨年8月、耳かき店従業員江尻美保さん=当時(21)=と祖母の鈴木芳江さん=同(78)=を殺害したとして、
殺人罪などに問われた元会社員林貢二被告(42)の論告求刑公判が25日午後、東京地裁(若園敦雄裁判長)であり、
検察側は「身勝手、残虐で、全く落ち度のない2人の命を奪った結果は重大」として、裁判員裁判で初の死刑を求刑した。

26日から4日間の評議を経て、11月1日に判決が言い渡される予定。
争点は刑の重さのみで、裁判員の量刑判断が注目される。

検察側は求刑に先立ち、死刑を選択する場合の基準として、
1983年に最高裁が示した「永山基準」を説明。
「裁判官、裁判員には健全な社会的常識に従って、極刑がやむを得ないかを判断してもらいたい」と述べた。

求刑の理由として、
「動機は身勝手で自己中心的。極めて執拗(しつよう)、残虐な犯行で、計画性も認められる」と指摘。
「被害者2人に落ち度はなく、遺族感情も峻烈(しゅんれつ)で、社会に与えた影響は大きい」と厳しく非難した。

時事通信(2010/10/25-18:05)
・・》
注)記事の原文をあえて改行した。


私は何より驚いたのは、
《・・検察側は求刑に先立ち、死刑を選択する場合の基準として、
1983年に最高裁が示した「永山基準」を説明。・・》
とのことであり、私は初めて学んだのである・・。

そして「永山基準」し指摘されても、恥ずかしながら無知なので、ネットで検索した結果、
フリー百科事典として名高い『ウィキペディア(Wikipedia)』に於いて、
「永山基準」の根源の【永山則夫連続射殺事件】を読み込んだのである・・。

私はこの永山則夫連続射殺事件も無知なので、『ウィキペディア(Wikipedia)』にすがり、
転載させて頂く。

《・・
永山則夫連続射殺事件とは、1968年10月から11月に掛けて、
東京都区部・京都市・函館市・名古屋市において発生した、ピストルによる連続射殺事件である。

☆事件の概要

横須賀のアメリカ海軍基地から盗んだピストルにより、社会への復讐のために短期間のうちに4人を射殺した。

第一の殺人事件
1968年10月11日、東京の東京プリンスホテルで27歳ガードマンに対し2発撃って射殺した。

第二の殺人事件
1968年10月14日、京都の八坂神社境内で69歳警備員に対し6発撃って射殺した。

第三の殺人事件
1968年10月26日、函館で31歳タクシー運転手に対し2発撃って射殺した。

第四の殺人事件
1968年11月5日、名古屋で22歳タクシー運転手に対し4発撃って射殺した。


☆身柄拘束

1969年4月7日に一連の犯行に使用したピストルを持って予備校に金銭目的で侵入した所を、
機械警備の警報で駆けつけた日本警備保障(現セコム)の警備員に発見されるが、
発砲してガードマンがひるんだ隙に逃走。

しかし、警視庁が緊急配備を発令。
数時間後、警戒中の代々木署のパトカーに発見され逮捕された。


☆逮捕後の流れ

裁判

永山則夫は、犯行当時19歳の少年だったが、
犯行累積の抑止と逮捕のために指名手配されたこともあり、当初から実名報道がなされる。

10年を費やした1審の審議では、1979年に東京地方裁判所で死刑判決を受けたが、
2審の東京高等裁判所では、心境の変化・家庭環境・生育状況が劣悪であった事、
配偶者を得たことを酌量による減刑の理由として、
犯行時未成年であったことからその更生を期して1981年に無期懲役に減刑された。

しかし検察側は上告し、最高裁は1983年に東京高裁の判決を破棄して東京高裁に審理を差し戻し、
1987年の東京高裁(第二次)と1990年の最高裁(第二次)は
「永山則夫が極貧の家庭で出生・成育し、両親から育児を放棄され、
両親の愛情を受けられず、自尊感情を形成できず、人生の希望を持てず、学校教育を受けず、識字能力を獲得できていなかったなどの、
家庭環境の劣悪性は確かに同情・考慮に値するが、
永山則夫の兄弟姉妹たち7人は犯罪者にならず真面目に生活していることから、
生育環境の劣悪性は永山則夫が4人連続殺人を犯した決定的な原因とは認定できない」
と判断して、死刑判決が確定した。


獄中での心境の変化

一審頃まで
永山は生育時に両親から育児を放棄され(ネグレクト)、両親の愛情を受けられなかった。
裁判が始まった当初は、逮捕時は自尊感情や人生に対する希望や他者を思いやる気持ちも持てず、
犯行の動機を国家権力に対する挑戦と発言するなど、精神的に荒廃していた。

二審頃まで
その後、獄中結婚した妻やその他の多くの人の働きかけと、裁判での審理の経験を通じて、
自己が犯した罪と与えた被害の修復不可能性に関して、
自己に対しても他者に対しても社会に対しても客観的に認識・考察する考え方が次第に深まった。
その結果、反省・謝罪・贖罪の考えが深まり、最終的には真摯な反省・謝罪・贖罪の境地に至った。
また5人分の命(被害者と自分)を背負って贖罪に生きることが償いになるのではないかといったやり取りが残されている。
二審のやり取りの中でもし社会復帰をしたらの問いに対し
「テストで1番の子がビリの子を助けるような塾をやりたい」
といった趣旨の発言をしている。

差し戻しから死刑確定頃
差し戻し審で無期懲役が難しくなると
一転してⅠ審のような国家権力に対する発言に変わったが、関係者の話では1審のような迫力はなかった。
また拘置所で面会に訪れた人に対して、社会に出た時の話をしなくなった。
弁護士に対して
「生きる希望の無かった人に、生きる希望を与えておきながら結局殺す。
こういうやり方をするんですね」
といった趣旨の発言をしたとされている。

死刑執行
永山則夫は、1997年8月1日に東京拘置所において死刑を執行された。享年48。

死刑執行の署名をした法務大臣は松浦功。
親族は遺骨の引取りを拒否し、弁護人の遠藤誠が引き取った。
遺骨は本人の遺志でオホーツク海に散骨された。


☆文筆活動

書籍
永山は父親から育児を放棄され、貧しい中荒れた生活を送り学校教育を受けず、
逮捕時は読み書きも困難な状態だった。

しかし獄中での独学によって識字能力を獲得し、執筆活動を開始した。
1971年に手記「無知の涙」をはじめ多くの文学作品を発表している。
後にこれらは「日本」という書籍にまとめられる。

1983年には小説「木橋」で第19回新日本文学賞を受賞するなど創作活動を通して、
自己の行動を振り返るという、死刑囚としては稀有な存在であった。
また、それらの印税を4人の被害者遺族へ支援者を通して渡している(受け取りを拒否した遺族もいる)。

手紙
永山は獄中からたくさんの手紙を書いている。
内容は獄中結婚した妻や支援者とのやり取りから、本の読者からの悩み相談まで多岐に渡る。
また永山は返信する文面を写していたため、遺品の中には受け取った手紙と返信した手紙が対になって保管されている。


☆永山基準

この事件以降、殺人事件において死刑判決を宣告する際は、
永山判決の傍論である死刑適用基準を判例と同等に参考にしている場合が多く、
永山基準と呼ばれその影響力も大きい。

1983年に第1次上告審判決では基準として以下の9項目を提示、
そのそれぞれを総合的に考察したとき、刑事責任が極めて重大で、
罪と罰の均衡や犯罪予防の観点からもやむを得ない場合に許されるとした。

犯罪の性質

犯行の動機

犯行態様、特に殺害方法の執拗性、残虐性

結果の重大性、特に殺害された被害者の数

遺族の被害感情

社会的影響

犯人の年齢

前科

犯行後の情状

また、傍論の効果や是非について議論される時には、永山基準が参考にされる事が多い。


☆殺害された被害者の数

この判例以降、4人以上殺害した殺人犯に対しては、
裁判所が被告人の犯行時の心神耗弱・自首・従犯・未必の故意などを認定して無期懲役に減刑して判決をした事例
(1980年の新宿西口バス放火事件(6人殺害)や1981年の深川通り魔殺人事件(4人殺害)、
1982年の西成区麻薬中毒者殺人事件(4人殺害)、2000年のテレホンクラブ放火殺人事件(4人殺害)、
2002年の北九州監禁殺人事件(6人殺害、1人傷害致死)等の例)を除けば、
裁判所は原則としては死刑判決を適用している。

また、1人だけを殺害した殺人犯に対しては身代金目的誘拐ではなく、殺人の前科がない場合は、
死刑判決を回避する傾向が長らく続いてきたが、
近年は厳罰化の世論の影響で、身代金目的誘拐や殺人の前科がなく被害者が1人であっても死刑判決が確定されるケースが見られるようになった
(三島女子短大生焼殺事件、奈良小1女児殺害事件、闇サイト殺人事件)。

また、地下鉄サリン事件の横山真人は殺人未遂と自動小銃密造違反で起訴されたが、
サリン散布計画の内容全体を熟知し関与したことを裁判所は重視し、死刑が確定した。
・・》

この後、永山則夫の肝要の犯行の前の動機が知りたく、
《・・
永山は自殺願望があり、米軍基地に乗り込み暴れれば、射殺されるだろう、と思い忍び込んだところ、
偶然に宿舎内に置いてあった婦人護身用の22口径の小型拳銃を入手したので、
社会への復讐心から計画を変更したと供述している。・・》

そして私は注視しながら、動転しながら、狂気と思われたのは、
《・・ 遠藤誠弁護士の談によると、・・
自分が死刑になれば
「著作を通して自分を支持してくれている人達が一斉蜂起し、内乱になるぞ!」
とも語ったという・・》


私が長々と転記したのは、昨今の余りにも卑劣で悪質きわまる殺人事件に於いても、
死刑にならないことが多く、日本は温情主義の風潮なのかしら、と感じることが多いのである。
そして、平素はおとなしい方といわれている私でも、
卑劣で悪質きわまる殺人事件に対しては、徹底厳罰を望んでいる私は不思議に思ってきたりしたのである。

こうした思いは、このサイトにも私は投稿を重ねたりし、
たまたま最近はふたつばかり投稿している。

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/97a203282f4ebabd750a9111a2a46d16
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
   10月15日【『梅田の引きずり死、元ホストに懲役15年』、私は不当であり、恩赦なき死刑が妥当である。】☆

http://blog.goo.ne.jp/yumede-ai/e/1ad5e2d848624081b860ee17781437cf
☆【年金青年たわむれ記 ~かりそめ草紙~】
   10月6日【求刑上回る懲役24年=裁判員裁判「求刑に違和感」-東京地裁、私は拝読し、そして・・。】☆


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倉重篤郎の『仙谷由人は「赤い後藤田」か 問題は、菅首相が使い切れるか』、拝読して・・。

2010-10-25 17:51:55 | 時事【政治・経済】等
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
日頃は読売新聞を愛読し、ネットは読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を中核に見ているが、
ここ数日は、毎日新聞の基幹ネットの【毎日jp】を少しばかり読んだ限りであるが、
昼下がりのひとときに深い洞察力のある時評のような名文にめぐり逢えた。

読み終わった後、まぎれなく人の深淵まで描ききった渾身ある名文と感じ、
紹介致したく、無断であるが、記事を転載させて頂く。

尚、この記事は【東奔政走】と題された定例記事のひとつと思われ、
私は初めて倉重篤郎(くらしげ・あつろう)氏の綴られた文を読み、氏は毎日新聞専門編集委員の方である。

《・・
          仙谷由人は「赤い後藤田」か 問題は、菅首相が使い切れるか

仙谷由人官房長官をめぐる報道がかまびすしい。
一般紙から週刊誌まで世のメディアの格好のネタとなっている。
曰く「傲岸不遜」「影の首相」「媚中派」……。
中でも「赤い後藤田」というのが面白い。
中曽根康弘内閣を5年支えたカミソリ後藤田(正晴)氏並みの実力官房長官だと言うのか、
単に旧社会党の出自で「赤い」と言うだけなのか。


◇虚像を膨らませて政治的パワーを増大

官房長官の真価が問われるのは、首相官邸で1日2回行われる記者会見の場だ。
プレスと権力の真剣勝負である。
プレスは権力の失態を暴こうとするし、権力はその正当性を発信しようとする。

そのプレスへのにらみ、という点では後藤田氏は一流だった。
あのいかめしい表情で記者団をジロりと見渡し、不当な報道は一切許さず、
という抑止力オーラを発散させていた。もちろん鞭だけではなく飴の使い道も心得ていた。
ニヤリと相好を崩して相手を油断させ、飯のタネになるニュースも塩梅良く提供した。
その悪達者さは相当なものだった。

仙谷氏はどうか。とてもその域には達しないが、萌芽は見える。

10月5日の記者会見では『産経新聞』を名指しで非難した。

「産経新聞の大見出しは、日本の法制度そのものに対する挑戦だ。
憤慨にたえない。
こういう誤解を与える見出しをつくるセンスに、怒りをもって抗議したい」

検察審の2度目の議決で小沢一郎氏の強制起訴が決まった翌日のこと。
「これは仙谷の差し金だ」と語った小沢氏側近のベテラン議員発言を、
産経が朝刊1面にデカデカと大見出しで展開したのに反応した。

小沢氏側がそういう見立てをしているのは事実だ。
筆者も耳にした。
だが、常識的に考えて官房長官が検察審の議決内容や段取りに介入するわけがない。
権限もない。
その意味では、見出しの扱いが行き過ぎた、ともいえよう。

仙谷氏はそのへんを見逃さなかった。
「法制度に対する挑戦」という穏やかならざる表現でメディアを牽制したのだ。
それだけではない。
オマケも取った。

政治家は虚像を膨らませて政治的パワーを増大させていく。
小沢氏も後藤田氏もそうだった。
実態はそこまで力が届いているわけではないのだが、メディアが書きたててくれることによって、
永田町に起こるさまざまな出来事の陰の采配者に祭り上げられるのだ。
仙谷氏もその仲間入りをしたわけだ。


10月15日の記者会見では象徴的なやりとりがあった。
記者団が「仙谷氏を影の首相」とする指摘への感想を求めると、
「菅(直人)首相が十二分にリーダーシップを持って政権運営している。
私に対するおちょくり、菅内閣に対する揶揄としか考えられない」と反論した。

菅氏をかばいながら自らの存在感を否定しない。
若い記者たちにナメンナヨ、と。
これを悪達者と言わずして何と言う。

悪達者ついでで言えば、女房役に徹することである。
担ぐべき首相との過去の関係は問わない。
いったん契りを交わせば、徹底的に首相を守り、場合によっては権力闘争を仕掛けて首相の立場を強化する。


後藤田氏もかつては中曽根氏を「オンボロ神輿」と評していたが、
いったん担ぐとなると、「政権のスタビライザー(安定化装置)」として尽くし、
中曽根氏の首相任期延長の流れを率先して作り上げた。

仙谷氏もまた、かつては菅降ろしをしたこともあり、
菅氏からみて文字通り「煙たい存在だった」が、
いざ官房長官となると、菅氏をよく支えている。

小沢氏との権力闘争では、トロイカ体制再確認による妥協路線を排し、
代表選での白黒決着に持ち込ませた首謀者だ。
戦って勝つことの方が結果的に菅政権を強化し、かつ勝てる、と読んだのだ。


官房長官の最大の仕事は危機管理能力である。
大韓航空機撃墜(1983年)の軍事データ開示、
三原山噴火(1986年)の全島避難などで見せた後藤田氏の手腕は突出していた。

仙谷氏でいえばまさに尖閣問題の処理をどう評価するか、である。
筆者は合格点をつける。
船長を逮捕・拘留せずに自民党政権時代のように強制送還する方が賢明だった、
との選択肢は確かにあったかもしれない。

だが、代表選の熱気で強気に出るベクトルの方が強かった、と言われれば、それまでの話ではないか。


◇後藤田との違いは「ポスト菅」であること

その後、起訴せずに処分保留で釈放して勇み足を修正した。
これに対しても「弱腰」「国辱」批判があるが、果たしてそうか。
中国にあれ以上の報復措置を講じさせることは日本ばかりではなく、中国の国益にとってもいかがなものか。

互いに覚悟も備えもなく無責任で勇ましい声に引きずられて制御不能に陥ることの愚を思えば、
大局判断は正しい。
外交とは押したり引いたりするものであり、負けて勝つものでもある。

官邸が検察に介入したかどうか。
政府一体の判断であって、まさに阿吽の呼吸だろう。
事実はどうであったかは別にして閣内の見解を統一しておくことが官房長官の重要な責務だ。
普天間を抱えた鳩山政権はこれで崩れたが、仙谷氏は成功した。

中国の対応が読み切れなかった、裏パイプがなかった、との批判については、
「若葉マーク政権」の学習効果を願うしかない。

その後時間をおかず仙谷氏が細野豪志氏を使って、
中国外交を取り仕切る戴秉国氏(国務委員)とホットラインを築いたことを考えれば、
それなりの教訓は得た、とみていいのではないか。

船長拘留により尖閣に対する実効支配を法的に誇示、
中国海洋パワーの台頭、日米同盟の微妙な現状を国民が実体験できた、
という結果オーライ面を思えば、「戦後最大の外交敗北」だったのかどうか。


後藤田氏にはなくて、仙谷氏にあるものもある。
強固な党内基盤だ。

仙谷氏は「凌雲会」という前原誠司、枝野幸男両氏を軸にした勢力の後見役である。
安住淳、渡辺周、古川元久、山井和則、小宮山洋子(衆院)、鈴木寛、松井孝治、福山哲郎(参院)ら
主要メンバーの顔触れを見ればわかるように人材も多い。

後藤田氏は出身の田中派からはむしろ浮いた存在だった。

ことほどさように仙谷氏起用は、菅政権にとっては当たりだった。
ただし、後藤田氏との違いも重要だ。
仙谷氏自身がいつでも女房役を卒業、首相候補になれる、という点である。
菅・仙谷コンビの妙がそこにある。

毎日新聞 2010年10月25日
・・》
注)記事の原文をあえて改行する。


私は政治にも疎(うと)く無力な高齢者2年生の身であるが、
政治の世界も、沈黙は黙認とされ、賛意されるので、
やむえず国民のひとりとして拙(つたな)いなりに綴り、
この【gooブログ】に、ときおり投稿したりしている。

この序章で明記したが、
今回の寄稿の『仙谷由人は「赤い後藤田」か 問題は、菅首相が使い切れるか』は、
中曽根康弘内閣時代の官房長官・後藤田正晴、現政権の管内閣の官房長官・仙谷由人、
両氏を対比させながら、両氏の思惑などまでの深淵を描ききった渾身ある名文、
と私は精読したのである。

尚、余談であるが、私は10日前頃にNHKのニユースを視聴し、
たまたま官房長官の仙谷由人氏を見ていて、後藤田正晴氏の官房長官時代の言動を思い重ねたりしていた。
そして、仙谷由人氏は今は官房長官であるが、若いのでいずれは・・、
と妄想していたことも確かなことでもある。


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『i Phoneで人の情報丸見え…閲覧ソフト原因』、携帯電話の使えない私でも驚き、困惑して・・。

2010-10-25 11:00:13 | 時事【社会】
私は東京郊外の調布市に住む年金生活7年生の66歳の身であるが、
さきほど、読売新聞の基幹ネットの【YOMIURI ONLINE】を見ていて、

《 iPhoneで人の情報丸見え…閲覧ソフト原因 》

と題された記事を見て、携帯電話の使えない高齢者の私は、
高機能携帯電話の「iPhone(アイフォーン)」ぐらいは名称ぐらい知っているが、
どのような事態が起こっているのかしら、と思いながらクリックした。

無断であるが、記事を転載させて頂く。

《・・
      iPhoneで人の情報丸見え…閲覧ソフト原因

高機能携帯電話・スマートフォン「iPhone(アイフォーン)」で携帯サイトにアクセスしたら、
他人の会員ページに入り、個人情報を“盗み見”してしまった――。

アイフォーン利用者の間でそんなトラブルが起きている。

本来、携帯サイトの閲覧はできないスマートフォンに、
携帯電話の識別番号(携帯ID)を付与して一般の携帯電話に「なりすまし」て、
サイト閲覧を可能にするソフトが原因だ。


会員の情報が漏れていた宅配大手「ヤマト運輸」(東京都)では、
サービスの一部を停止し、被害状況の調査を始めた。

トラブルが起きたのは、ヤマト運輸の「クロネコヤマトモバイルサイト」。
サイト上で集荷や再配達の依頼をできるサービスで、
9月末現在、パソコンでの利用者を含め約560万人が登録しているが、
氏名、住所、電話番号、メールアドレスなどの登録情報を他人が閲覧できるケースが確認された。

(2010年10月25日03時10分 読売新聞)
・・》
注)記事の原文をあえて改行する。

http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20101024-OYT1T00747.htm?from=y10
☆【YOMIURI ONLINE】《 iPhoneで人の情報丸見え…閲覧ソフト原因 》☆


私は2004(平成16)年の秋に民間会社を定年退職した身であるが、
恥ずかしながら携帯電話が使えないので、この広い世の中で保有していない稀(まれ)なひとりである。

確か退職する10年前の頃の1994(平成6)年の頃は、
私はあるレコード会社の管理畑に勤めていたが、
この当時は職場の机上には、ひとり一台のプシュホンの電話があり、
各部署の数台のパソコンで電子メール、
或いは表計算のソフトを使用して管理表を作成していた。

そして一部の営業部隊、外部と頻繁に交渉する人だけが、携帯電話を職務として利用していた。

思い浮かべれば、携帯電話の着信音がベルのように鳴り、
電話連絡があると気付き、携帯電話を取り上げて、職場の片隅、通路などで会話していた。

この後は、若者を中心に着信音に好みの音楽が設定できる着信メロディとなり、
若者を中心に急速に普及していた。

私は1999(平成11)年の初春に、レコード業界の各社リストラ旋風の中、
出向となり、ある物流情報会社に定年退職まで勤めた。

この中のひとつの職場は、音楽のCD、DVDなど商品を管理する商品センターであり、
CD、DVD販売店からの日々の受注により、出荷したり、或いは返品を受けたり、
製造会社より入荷したりする処であった。
もとより音楽商品は、それぞれ一枚一枚が激変し、多品種であり、曜日、季節の変動も加わり、
現場は多忙であった。

私はこうした商品センターに、センター長はじめ正社員4名と共に、
男性の20代の契約社員10名、パートの女性120名前後の中で、奮闘したりしていた。

こうした職場であったので、私は携帯電話が職務上で必要でなかったので、
世の中は誰しもが携帯電話を保有するようになった時代でも、
私は携帯電話を覚えることなく、パソコンで電子メールを大いに活用していた。


私達夫婦は子供に恵まれなかったので、たった2人だけの家庭であり、
こうして定年退職後、携帯電話に興味もなかったので、もとより教えてもらう機会もなく、
結果としては私達夫婦は携帯電話の使い方が解からないので、保有していない・・。


最も私達夫婦は、携帯電話がなくとも、これといって不便と思ったのは数回限りである。

2004(平成16)年の秋、家内の父が亡くなる1カ月前頃から、
家内の母と家内は、交代で入院先で看護をしていたが、
連絡確認が遅れた時であったりした。

この後、3年過ぎた頃の2007(平成19)年に、
これといって不便を感じていないが、
ある程度の老後になると、やはり必要なのかしら、と私共は話し合ったりしている。

この当時、読売新聞の日曜版に於いて、【Y&Y 旬】の記事で、
【持たせて安心 わが子の安全】
という特集記事があり、読んだりしたからである。

無断であるが、記事を引用させて頂く。

《・・
子供が被害者になる犯罪や事故が後を絶たない。
この為、子供に持たせる防犯グッズへの関心も益々高まっている。

・・子供の現在地を把握するために、
GPS(全地球測位システム)を活用した商品も増えている。

KDDI(au)は、『ジュニア携帯』を3月中旬頃に発売する。
電源が切れたり防犯ブザーが作動したりすると、
自動的にカメラでその場の様子を撮影してメール送信し、
GPSで把握した位置情報をその後の足取りを1分ごとに保護者等に通知する機能が付いている。
価格は、1万円前後。
・・》

このような記事であったので、私の10年後は体力は衰えるので、
このような携帯電話をたえず外出の時は持ち歩くのが想像できる、と思ったりしたのである。


私ひとりで駅前まで散策し、本屋に寄ったりした後、
コーヒーショップの『ドトール』で購入した本を煙草を喫いながら読んだりしている。

或いは都立の大きな植物公園に散策に行ったりした時、
隣接した寺の近くの蕎麦屋で食事をしたりする。
笊蕎麦を頂く前に、お酒を注文する・・。

店員さんが50代前後の女性で私が魅了された時、
『お姉さん・・お代わりね・・』
と私は壱合の徳利を指すと思ったりしている。

このような情景が家内が自宅のパソコンで見て折、
『早く・・家に戻ったら・・』
と家内の声が聴こえたりする。

このような事を10年後の私を想像していたが、
昨今このような事を現に私は行っているので、
さて全ての私の出来事が逐次撮影されたことを思えば、何かしら私は笑ったりしている。


この後、これまでの間は、これといって携帯電話がなくとも不便とも余り感じたことがなく、
電子メールは家でパソコンに向かって、JISのキーボートで綴り、
発信すれば良いと思ったりしている。

私は頑固な性格か、
携帯電話でどうでもいいようなおしゃべりする暇があったら、
言葉、心の勉強として本の1冊でも読みなさいと思っているのが昨今である。


今回のニュースを読み終えた後、
《・・
高機能携帯電話・スマートフォン「iPhone(アイフォーン)」で携帯サイトにアクセスしたら、
他人の会員ページに入り、個人情報を“盗み見”してしまった――。
氏名、住所、電話番号、メールアドレスなどの登録情報を他人が閲覧できるケースが確認された。
・・》
私は最新鋭のスマートフォン「iPhone(アイフォーン)の一部に於いて、
このようなことが起こっているに、困惑している。


私は1969(昭和44)年の春、コンピュータの専門学校でソフト科を一年間学んだ後、
ある民間大手の映像・音響メーカーに何とか中途入社ができ、
入社してまもない時、音楽の大手のレーベルが独立したレコード会社となり、
私はこの新しく独立したレコード会社に転籍となった。

そして、まもなく私は本社でコンピュータの専任者となり、
それなりに奮闘をしなから、情報畑を20数年過ごしたソフト専門の歴戦の老兵だったが、
どの時代でもハードが進んでも、肝要なソフトに欠陥があったならば、
駄目じゃないの、ましてこの広い世の中に普及しているのに、と苦笑しながら、困惑を重ねている。


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