夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『私たちはヒロシマを忘れてはならない』と、無力な私でも、改めて教示されて・・。

2013-08-06 07:19:22 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
洗面した後、玄関庭に下り立ち、襟を正して黙祷したのは朝の5時半過ぎであった。

私は1944〈昭和19)年9月に東京郊外で農家の三男坊として生を受け、
翌年の1945〈昭和20)年8月15日に敗戦となった。

そして敗戦時は一歳未満の乳児であったので、戦争を知らない世代に属するが、
少なくとも8月6日のこの日の午前8時15分に、
対戦中のアメリカが人類史上初めて広島市の市街に原子爆弾を投下され、
少なくとも15万人の人が即死し、数多くの方が被ばくされた。

このことは戦勝国となったアメリカの歴史をどのように描いても、厳然たる事実である。
          
本日は、68回目の原爆の日を迎える。
そして恒例となっている広島市中区の平和記念公園では、
午前8時から市主催の「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、
被爆者や遺族、安倍首相らが参列し、犠牲者に祈りをささげることとなっている。


私は少なくとも沖縄戦が事実上終結した6月23日の『沖縄慰霊の日』、
原爆という余りにも過酷で悲惨な8月6日の『広島被爆』、9日の『長崎被爆』、
そして15日の『敗戦記念日』は、黙祷をして46年は過ぎている・・。

そして、かの大戦で余りにも多くの方たちが亡くなわれて、
尊い犠牲の上で、今日の日本の心の平和の礎(いしずえ)である、と思いながら、
戦争を知らない私でも深い心の傷として、今日に至っている。

このような思いから、私は国民のひとりの責務として、
この日は広島の空に向い、人々に哀悼の意を表して、黙祷をし、尊い命の冥福を祈っている。
          

本日、黙祷を終えた後、昨日の読売新聞の朝刊に掲載されたひとつの記事を思い浮かべた。

《 オリバー・ストーン氏「被爆者に謝罪したい」》と見出しされた記事で、
サブタイトルには、《 原爆忌に合わせ来日 》と明記されていた。

無断であるが、この記事を転記させて頂く。
《・・
「プラトーン」「JFK」などで知られる米国の映画監督オリバー・ストーン氏(66)が4日、
広島市内で読売新聞のインタビューに応じ、
「原爆投下は戦争を終わらせるために必要だったというのは幻想だ。
(米国人として)被爆者に謝罪したい」と語った。

ストーン監督は昨年、第2次大戦前夜の1930年代からオバマ大統領登場までの米国の現代史について、
独自の視点で描くテレビドキュメンタリーシリーズ「もうひとつのアメリカ史」を制作。
その中で、原爆投下はソ連(当時)へのけん制が目的で軍事的に不要だったと主張している。

今回は原爆忌に合わせ広島、長崎を初めて訪問、被爆者との対話などを予定している。

インタビューで、ストーン監督は、原爆を投下した米国は英雄であると教わってきたと説明したうえで、
「80年代までそうした幻想に疑問を差しはさむことはなかったが、
歴史をもっと深く見るようになった。
私は歴史に対して建設的でありたい。
日本の人々も、米国の神話を受け入れず、なぜ原爆が落とされたのかを学んでほしい」と話した。

被爆者との対話については、「私の気持ちは激しく乱れることだろう。
私は戦後生まれで、(戦勝国の)恩恵を受けてきた一人であり、
(被爆者に求められれば)謝罪したい」と語った。

ストーン監督はこの日、広島平和記念資料館を見学。
「ボロボロになった衣服などを見て、現代の繁栄した街との対比に大きな衝撃を受けた。
私たちはヒロシマを忘れてはならない」と感想を述べた。

読売新聞・朝刊 2013年8月5日 【社会】面の記事より転記
・・》
注)新聞記事の原文より、あえて改行を多くした。
               

私は今年の4月が毎月一冊刊行された、
オリバー・ストーン&ピーター・カズニックの著作『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史 1~3』(早川書房)の日本訳を
読んだ一人で、三冊に及ぶ大作であり、アメリカの近現代史である。
   
これまでのアメリカ史は、ともすれば光の部分、アメリカの功績が強調された書物が多かったが、
本書は影の部分に焦点を当てて、今日のアメリカの混迷の実態の原因を追究する為、
第一次世界大戦の時期から、アメリカを中核とした歴史を動かしてきた主要国の動向を、
怜悧に表現されている。
               
本書が刊行された後、4月初旬から逐次にNHKのBS1に於いて、
世界のドキュメンタリー『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』として放送されたが、
本書の方が、圧倒的に当事者の心情を余すところなく深淵まで描写している。

もとより主要国は国益の基で、それぞれの時代に怜悧に言動してきたことが、具現的に明記されている。
まして世界大戦、冷戦時代、各国の戦争など20世紀であったので、
日本では敗戦後に何かとアメリカの影響下にあり、平和ボケの人には苦い薬、と私は感じたり、
多々教示もされた本でもある。

このような思いのある私は、今回の読売新聞の記事に於いて、
オリバー・ストーン氏が《原爆忌に合わせ広島、長崎を初めて訪問》を知り、
読売新聞のインタビュー記事を精読させられのである。

『オリバー・ストーンが語る もうひとつのアメリカ史』の本書を読んで、
広島の原爆投下の記載に於いては、
【・・当時のアメリカでは、誰から見ても軍事的な面は圧倒的な勝利下の状況であったが、
疲弊し困憊している敗戦を目前にしている日本には、投下は不要と思われたが、
アメリカの首脳部の方の大半は、ソ連(当時)への牽制が目的であり、戦後のアメリカの突出した優位を配慮して、
投下の決断をした。

そしてこの原爆投下した以降、空前の破壊威力を主要国が知ることとなり、
やがてソ連(当時)も対抗上、水爆実験を成功し、そして東西冷戦の時代となり、
その後は主要国の各国は、核保有国の根源となった。・・】

このような要約と思われるが、私はそれぞれの各国の当事者の心情を多々教示された。
                     

東京の郊外の調布市では、この日の8時15分少し前になると、
私の自宅の近くの高台の拡声器からは、
『広島に原爆を落とされた日です・・
皆様で・・亡くなわれて多くの人たちに・・哀悼の意を表して・・黙祷しましょう・・』
とゆったりと誰でも判りやすいように、伝えられているのが、平年の習わしとなっている。

そして私は思わず、再び姿勢を正して、広島の方面に手を合わせて黙祷している・・。
               
しかしながら冷酷で厳然たる事実として、敗戦後の日本の長きの平和は、
国際の主要国の怜悧な国益に基づき、核抑止を背景とした軍事力を根底とした政治・外交・経済で、
何んとか表面上は、不条理ながらも、今日を迎えている事実も確かなことである。

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