夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

晩夏の時節、東京郊外に住む私、周辺を散策すれば・・。

2013-08-27 15:54:17 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市の片隅に住む年金生活の68歳の身であるが、
昨夜の10時過ぎから雨が降りだして、
今朝、7時過ぎに目覚めると、雲が少し浮かんだ青空が拡がった快晴となっていた。

私はテラスに下り立つと、初秋のような風が身体に受け、心地よい朝涼のひとときを
ぼんやりと受け止めていた・・。
そして今週の日々が終われば、暑かった8月も終わり、と思いながら、
晩夏の時節を迎えている、と実感させられた。

この後、地元の天気情報を見ていたら、
朝の6時は19度、昼下がりは30度前後、夕暮れの6時は27度前後、
快晴の一日を迎えて、洗濯日和です、と報じられ、
これだったら高齢者4年生の私でも、安心して買物、そして散策ができる、と私は微笑んだりした。

そして平素の買物の専任者の私は、スーパーで家内からの依頼品を買い求めた後、
帰宅し、本日はどのコースを散策しょうかしら、と少し思案した後、野川の遊歩道とした。

私の住む所は、世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の辺鄙な処で、
住宅街で家並みが密集しているが、
自宅の近くに野川が流れ、この両岸に遊歩道があり、
私は何かしら解放感を感じて、上流に向かったり、ときには下流に向かったりし、
こよなく歩いているコースのひとつであり、本日は下流沿いとした。
          
この野川は川べりに小道があり、そして少し高い処の両岸には遊歩道があり、
私は少なくとも週に一度は、こよなく愛している遊歩道のひとつである。
               
                         
私は散策と買物の時は、この時節は制服のような定番の服装として、
夏用のストレッチパンズの長ズボン、スポーツシャツの半そで、ウォーキング・シューズとなり、
夏用の帽子を深めにかぶり、サングラスをし、
紳士用の小物入れのB5サイズのショルダー式バックを斜め掛けをしている。

そしてバックの中身の必須品として、財布、メモ・ノート、ポールペン、ハンドタオル2枚、ハンカチ2枚、
煙草、ライター、携帯灰皿、扇子(せんす)などを入れ、ウォーキング・スタイルで歩く。

本日は、たまたまコンバクト・デジカメを首回りから下げて、颯爽と歩いた。

そして情景に瞬時に魅せられた時、立ち止まりデジカメで、
記念写真ねぇ、と心の中で呟(つぶや)きながら、この過ぎゆく季節のひとときの情景を撮ったりしている。

そして今回、10数年前に小公園のあるマンションが
10数棟あるゆったりとした敷地のはずれを歩いたりした。
                 
この後、このマンション群の中央の道の歩道を歩き、私は一枚を撮ったりした。

このマンションの情景が私は魅せられて、早や7年が過ぎている。
          
私は調布市の片隅で、雑木の多い小庭に築後35年を迎えた古ぼけた一軒屋に住み、
私たち夫婦は、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

しかしながら私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
家内に先立だれて、独りぼっちとなった時は、
やむなく自宅を処分して、小公園のあるマンションで独り住まいを思案している。

こうした状況の場合は、このマンション群の中で、こじんまりとした2LDKを買い求めて、
晩年期を過ごしたい、と思ったりしている所のひとつとなっている。


この後、私は再び遊歩道を歩き、対岸への橋を歩いたりした。
          
そして小田急線の喜多見駅に向かい歩いたりしていると、
暑かった夏を彩(いろど)ってくれたヒマワリの花を見たりし、
花の終わりの頃を察して、晩夏だよねぇ、と思いを深めたりした・・。
          

やがて私は再び喜多見駅に向かって歩いていると、
猿滑り(サルスベリ)として慕(した)われている百日紅(ヒャクジッコウ)の淡紅色の花にめぐり逢い、
立ち止まり長らく見惚(みと)れたりしていた。
          

この後、駅前で家内から依頼された品を買い求めた後、帰路に向った・・。
          
しばらく野川の遊歩道を歩いていると、
隣接した処に世田谷区立の『きたみふれあいひろば』と称された小公園があり、
私鉄の小田急の車両基地などの階上にある小公園で、
小田急のご厚意で、世田谷区が管理されている区立の公園となっている。

そして私は、2週間ぶりかしら、と思いながら入園し、階段の途中で歩いてきた遊歩道を眺めたりした。
この野川の遊歩道の周辺は、緑豊かな恵まれた地帯であるが、
この周辺も家並みが密集している住宅街であるので、私はやすらぎを実感できる数少ない所となっている。
          

園内を歩けば、残暑の陽射しが燦々とする中で、緑陰の所を歩いたりした。
          
私はこうした雑木の樹木に魅せられているが、
過ぎし日に家内と共に歩いていた時、あなたは農家の児だったから、
と私は言われ、確かに幼年期に農家の児として育てられたから、こうした情景にやすらぎを覚える、
と家内に応(こた)えたりした。

その後、園内を歩き、花の名は無知であるが、乙女心のように2枚ばかり撮ったりした。
          

          

そして花を眺めたりした後、燦々と照らす遊歩道を歩いて、帰宅した。

このように私は自宅の周辺の密集した住宅街をのがれるように、
緑の残された遊歩道、小公園、都立の公園などをひたすら歩き、日々を過ごしている。

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コメント (2)
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