夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

都立『神代植物公園』、この猛暑の時節に訪ねれば、百花斉放となり・・。

2013-08-10 10:51:32 | 定年後の思い
私は東京の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
我が家の小庭は、長きに彩(いろど)ったアメリカン芙容は終わりを告げて、
木槿(ムクゲ)も晩成期のように花は少なくなり、わずかな夏の花となっている・・。

私は少し寂しい心情となり、私の家から徒歩50分ばかりの都立『神代植物公園』を訪ねてみょうと、
昨日の朝、思いたった・・。

しかし昨今は猛暑の時節となり、熱中症を避けるために、異例であるが路線バスの車内の冷気に頼り、
結果として、昨日の9日の日中のひととき路線バスで往還した。

『神代植物公園』の正門で、園内の最新の『神代花だより』(平成25年8月)を頂くと、
今月の花の見ごろとして、ムクゲ、スイレン、ハス、サルスベリ、
隣接している『水生植物園』に於いては、ミソハギと明記されていた。

そして私は幼年期は農家の児として育ったので、スイレン以外は故郷(ふるさと)の原景と感じながら、
微笑んだりした。


私は早速『むくげ園』に向かったが、途中の『はぎ園』で、足を止めて長らく見惚(みと)れたりした。
          
私は桔梗(キキョウ)の花に30代の頃に圧倒的に魅せられて、
我が家の小庭の大半を植えて満喫したが、殆ど手入れをしなかったので、数年後に消え去ってしまった。

こうした苦い体験もあったが、昔の恋人に逢えたような心情となり、見惚れてしまったのである。

この後、『むくげ園』で各種のムクゲを鑑賞して、こんなに品種があるの、と眺めたりした。
   

        

私は園内を幾たびか彷徨(さまよ)うように歩き、この暑い時期でも数多くの花にめぐり逢えた。
   

   

   

古来より多くの花が一斉に開くことは、百花斉放(ひゃっかせいほう)と伝えられた名言があり、
私はこの百花斉放に重ねるように、歩き廻り、盛夏のひとときを過ごした・・。


この後、『さるすべり園』で数多くの淡紅色の花を鑑賞した。
          
この花を眺めていると、私は定年退職の数か月前2004〈平成16〉年の8月、
退職記念として初めてデジカメを購入して、不慣れなデシカメのテスト撮影に、
この『さるすべり園』で撮ったりした・・。

私は定年退職後は年金生活をしてきたが、過ぎ去る歳月の速さに、余りにも早い、
と微苦笑をしたりした。

そしてこの時も『さるすべり園』を鑑賞した後、
隣接している『水生植物園』に於いては、ミソハギも見たりしたので、
私は回想するように『水生植物園』に向った。

そしてミソハギは、以前よりも広く植えられて、数多く彩っていた・・。
   
幼年期の頃、生家に於いては、田んぼの一角に湧水があり、この周囲にミソハギがあり、
お盆の時に欠かせない花であったので、私としては愛(いと)しい花のひとつとなっている。

そして私は『神代植物公園』を長らく四季折々に訪ねているが、
何よりも暑さに苦手な私は、夏季だけは数えるばかりとなっている。
      
いずれにしても、この公園は私が通った地元の神代中学校の付近にあった。

この当時は神代緑地として存在し、この周辺は雑木林、畑などであり、
私は1960(昭和35)年の春に中学校を卒業した後、
確か翌年の1961(昭和36)年の秋に、拡大と整備され上、
神代植物園と改称して、都内唯一の植物公園として開園された。

私は中学時代は、自転車で通学し、ときおり開園前の雑木林の中とか周辺を
下校の時などに、学友と自転車で走りまわったりしていた。
その後、人生の節目などを含めて、四季折々通ったりしてきた。

そして私がそれぞれの時期に心に迷ったりした時などは樹木を眺めたり、それぞれの花に心を寄せて、
          
心の濾過(ろか)を浄化されたりしてきたので、
私にとっては心の故郷(ふるさと)のひとつとなっている。

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