夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

『お盆の日』、私の住む地域は、古来より8月1日となり・・。

2013-08-01 12:33:36 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活の68歳の身であるが、
私の地域は世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅の処で、生家に近く、
古来より8月1日のこの日は『お盆の日』となっている。

私は東京の郊外に1944(昭和19)年に農家の子の三男坊として生を受けた。
祖父、父が中心となり、程ほどの田畑、竹林、雑木林を維持管理していた。
そして、田んぼの外れに半反ぐらいの150坪前後の広さの蓮(ハス)専用の水田があった。

私は父、そして祖父が亡くなる小学三年生の頃までを思い浮かべて、
この当時の『お盆の日』を思い馳せていたが、遠い60数年前のことであるので、
後年に母、父の妹の叔母、叔父、長兄などから、私は訊(き)いたりしていたことも重ね、
心の片隅に残された記憶のかけらを頼りに思い馳せたりした・・。
               
【迎え火】の前には
7月30日の午前中のひととき、
父か仏間にある仏壇から位牌と仏具一式を取り出した後、仏壇の扉は、このお盆の期間だけ閉じられ、
この前に畳一帖ぐらい台に盆棚と称せられたこのお盆の時だけの棚が設置された後、
この盆棚に移された。

そして盆棚の中央の奥に位牌を置き、周辺に野菜、果物を供えられ、
胡瓜(キュウリ)に割り箸のような足を付け馬を見立て、
茄子(ナス)も同様な形で牛に見立てたものを飾っていた・・。

後年になると、叔父さんから、馬は祖先の霊に乗って、この世にに戻り、
牛はお墓に戻る時に乗って帰られる、と私は教えられたりした。

そして台の手前は、座布団を敷き、その脇に桶に水を入れ、蓮(ハス)の葉に茄子(ナス)を小さく刻んだのを浮べ、
淡いピンクのミソ萩を小箒(こぼうき)のように作ったのを、水にしたし、清めていた。
そして台の左右に、この時節の百合(ユリ)の花などの草花を飾り、この中で蓮(ハス)の花が中核となっていた。
               
この日の夜から、お盆の送り火が終えるまで、
朝昼夜に水とご飯、そしてボタ餅を供えたりしていた。

【迎え火】の当日は
この日の夕刻になると、稲の藁(ワラ)で作った松明(たいまつ)の灯りを祖父か父が持ち、
先頭に立って、家族一同で祖先が埋葬されているお墓に行った。

帰路は参列者の家族は、おのおの手を後ろに組み、あたかも祖先を背中に乗せて、帰宅した後、
盆棚の前で手を解き、祖先を安置する。
こうしたことが、この地域の迎え火の暗黙のしきたりとなっていた。

【お盆の日】の当日は
午前中のひととき叔父、叔母をはじめとする親戚、縁者が来宅して頂き、
盆棚で各自お線香を上げて頂き、盆棚の近くの広間で、煮しめ、ボタ餅を食べながら、
世間話をしたりて、帰宅して頂く。
この間、僧侶を招き、読経をして頂くのが、恒例となっていた。

【送り火】の当日は
お盆の日の当日の夕刻、家族は盆棚の前で、各自に手を後ろに組み、あたかも祖先を乗せて、
お墓に行き、手を解くのが、送り火と定められていた。

その後は、盆棚は整理され、位牌、仏具などは、いつものように安置している仏壇に納められる。

このような『お盆の行事』は生家としては江戸時代の中期の頃から継続されていたが、
このように現在として記憶しているが、遠い昔の出来事であるから、
定かでないが、心に残っている。
               
ここ30数年、社会状況は大家族の風習は崩壊し、核家族化が進展している中、
生家も『お盆の行事』は簡素となっている。

私が2004〈平成16〉年の秋に定年後になると、
家内と共に翌年の8月1日の『お盆の日』は、朝の9時半前に、生家の実家となる長兄宅に行っている。

そして簡略となった盆棚でお線香を上げ、長兄夫婦と談笑した後、
この後に来宅された親戚の叔父、叔母たちに、私の少年期まで何かとお世話になったので、
この当時の頃の話を、私は話題にしたりすることが多く、私が知らなかったことが多々あり、
私は微苦笑しながらも教示を受けたりしている。
このようなことが今日まで続いている・・。

この後、私たち夫婦は長兄宅を辞した後、お墓参りに向う為に、
自宅に戻り、お線香、お米を持ち、途中で花屋に寄り、生前の母が好きだったお花を買い求めたりしている。

やがてお寺に着くと、境内は広く、大きな樹木が数多くある上、平日の日が多いので一層に静寂となる。
そして外気は、暑さを樹木の枝葉がさえぎっているので、幾分涼しげとなる・・。
ときおり、蝉(セミ)の声が境内と墓地の間の大きな樹木から聞こえるのが、
毎年の習性のような情景となる。

私は少なくともお墓参りは、生者の慰めと知っているが、
亡くなった父と母、そして祖父に守られ、こうして私は生きてこられてきたのは、
まぎれないことであるので、私は感謝の一心で、お墓参りをしている。

家内は母が生前の時、ある程度の遠慮がお互いにあった上、
何かと心身の波長が合い、私は今でも家内と母に秘かに、今でも感謝している。

お墓に行き、墓石を水で清め、お花を挿して、お米を備える。
そして、お線香を奉げる。
私はお参りをするたびに、母のおもかげがよぎる。
               
私の場合は、父が私の小学校の2年の時、
その一年後に祖父も死去されたので、何かと母の存在が多かった。
このためか、ときたま生前の母のわずかなしぐさ、言葉づかいが想いだされる。
お線香の煙が芳香を残して、空の中、立ち昇りながら消える・・。

その後、水屋の周辺の大木の樹木の中、
蝉(セミ)の鳴き声が響きかせながら、盛大に聴こえることが多いのである・・。

このように私は、旧来からのこの日の『お盆の日』を迎えている。

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