夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

処暑の時節なれば、東京郊外でも朝夕は涼風となり、私は微笑んで・・。  

2013-08-23 11:18:43 | 定年後の思い
私は東京郊外の調布市に住む年金生活のまもなく69歳を迎える身であるが、
今朝、ぼんやりとカレンターを見つめると、『処暑(しょしょ)』と明記され、
私は思わず微笑んだりした。

私の住む地域は、過ぎし21日の水曜日の午後の3時過ぎに、
燦々と照らす熱い夏の陽射しの青空から、
黒い雲が空一面に拡がり薄暗くなった後、雷鳴が遠方に響き、
やがて雨が激しく降り、まもなく近くに幾たびか落雷の音が響きわたった・・。

そして15分ぐらい雷鳴と豪雨が終わると、32度ぐらい暑かった熱気を押し流すように、
27度ぐらいの涼しげな空気となり、
乾ききった地面、樹木、そして草花も潤(うるお)し、清々しい情景に変貌し、
残暑の厳しい状況から初秋のように移り変わり、
改めて天上の気候の神々の確かな力に、私は敬意したりした・・。

やがて淡き陽射しが射し込んで、蝉(セミ)の一群は盛大に鳴き響いてきた・・。
先程の雷鳴と豪雨に中断して鳴きをひそめていたが、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったようにダンス・ミュージックの一団が奏(かな)でるように、
蝉(セミ)の一群は鳴き響き、私は苦笑したりした・・。
          
我が家の小庭では、この時節の朝は鈴虫(スズムシ)が鳴いて、
蝉(セミ)も負けじと盛んに鳴いて二部合唱となる。

そして日中の暑い中は、蝉(セミ)が独壇場のように、今鳴かなくていつ鳴くのよ、
といったように鳴き響いている・・。

こうした中で、鈴虫(スズムシ)の鳴き声が聴こえないのは、
日中はお休みの睡眠時間の最中で、夕暮れの6時過ぎに目覚めるのかしら、と私は解釈している。

そして夕暮れの6時過ぎになると、蝉(セミ)は鳴き声が途絶える・・。
私は暑さの日中に蝉(セミ)は盛んに鳴いていたので、
きっと鳴き疲れてお休みの睡眠時間になったと思ったりしている。

鈴虫(スズムシ)は夜行型、蝉(セミ)は日中型、と少しボケた私でも理解は出来るが、
我が家の蟋蟀(コオロギ)は、何故かしら耳をすませないと聴きもらす・・。

夜のひととき、鈴虫(スズムシ)の盛大な合唱の中、
定年退職後に何かと気弱になった主(あるじ)の私の気持ちを察してか、
蟋蟀(コオロギ)だけは、少し遠慮しながら鳴いているのである。

そして私は愛(いと)おしく、少し哀れな蟋蟀(コオロギ)であるが、
やがて初秋になれば、蝉(セミ)は消え果てるので、ライバルは鈴虫(スズムシ)となる。

やがて鈴虫(スズムシ)も夏の間、盛大に鳴いてきたので、
疲れ果てて、少しはおとなしくなるかしら、と私は秘かに願ったりしている。
          

このように思いながら過ごしてきたが、 昨夜、玄関の軒下に下り立つと、
微風が吹く中で、心も身もゆだねると心地よく、
今朝も清々しい空気につつまれて、朝涼のひとときと感じながら、
この時節は古人から処暑(しょしょ)と称され、改めて実感させられたりした。

もとより旧暦に於いては、暑さが止むと云われているが、
新暦の今日では朝夕は涼しく感じられ、日中の残暑があるが、
過ぎ去った一時の連日の35度前後の猛暑を思い浮かべれば、
それなりに暑さに苦手な私でも、笑って受け止めることが出来る。

先ほど、地元の天気情報に寄れば、
朝の6時は27度、昼下りは31度前後、夕暮れの6時に29度前後となり、
曇り時々晴れの日中となり、そして夕暮れの6時前後に一時雨が降る、と報じていた。

私は日中の残暑の後の雨は、打ち水のような雨かしら、と微笑んだりしている。

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